現実 第十三部

 堀田先生に最上有沙とは話すつもりはないと言ったが、実際のところは少し違う。

 正確に言うなれば、彼女とは話したくなかった。

 なぜなら、彼女とは以前との会話の最後にある約束をしていたから。

 それは、綾さんの最後の言葉を話すという約束。

 いつ言うべきかと悩みに悩み、彼女が卒業するときに言おうとしていた。なぜなら、そのときになれば綾さんも学園生活に戻り、一緒に卒業していると思っていたからであった。

 その時に、綾さんの目の前で言ってやろうと考えていた。それは綾さんに対する嫌がらせという意味ではない。そうすることで、彼女なら僕の言葉を避けると踏んでいたからだ。

 元気になった友の過去のことについていちいちこだわるような人にも見えなかったし、卒業式という空気もあれば自ずとそう言う流れになると考えていた。

 だが、その日が訪れることはなかった。

 しかも、今日はお葬式。誰もがなくなったその人の過去に触れ、涙し、時に笑い、そして皆でなくなった人のことを想う最後の日。

 こんなところで彼女に会えば、あの言葉を聞かれることはわかりきったことで……


「緑川くん。だよね」


 不意に背後から自分の名字を呼ぶ声が聞こえる。

 その声はハキハキとしているものの、どこか力なく、けれどはっきりと俺のことを呼び止めるために声量で聞こえてきた。

 振り向くと、そこにはいて欲しくない人物がいた。


「探した。今少しいいかしら」


 最上有沙。高校時代の綾さんの友達にして、ライバル的存在でもあった女子生徒。

 そして、俺が今日一番会いたくなかった人物。


「なんでしょうか」

「約束、覚えているわよね?」


 当然彼女の口から溢れる言葉はあの日の約束のことについて。

 もう逃げも隠れもできない。絶対に彼女もこれ以上俺に言い逃れをさせないだろう。

 どれだけ足掻いても無駄だとわかりつつも、俺はなんとか時間を稼ぐ。


「今日、部活はいいんですか?」

「私が質問しているのだけれど」

「もちろん、覚えていますよ」

「なら──」

「俺にだって過去を振り返る権利はあると思います。俺だって、今日ここへ来た理由は綾さんを送るためなんですから」


 俺の言葉に先ほどまでの彼女の勢いはなくなる。

 今すぐにでもあの日の約束したことを果たさせるという想いから、この話が終われば意地でも聞いてやるくらいには変化しただろう。


「正直、答えたくないけれど答えるわ。今年も個人戦、団体戦ともにベスト八止まりよ」

「そう、ですか……。お疲れ様でした」

「結局、私はこの程度なんだってわかったわ。きっと綾なら優勝してたんでしょうね」

「わかりませんよ、そんなこと」

「そうね。でも、その可能性があることは確かでしょ?」

「まぁ、準優勝していればそれは──」

「だったら、しているわ。綾だから」


 さすが綾さんの友達ともいえる絶対的な信頼であった。

 友の才を知り、その上で彼女ならばできると確信しているその様は美しい友情劇であった。

 そして、同時にそれは皆が綾さんに向けて来た信頼でもあった。


「あの人は来てないんですか?」

「あの人?」

「あの、有沙さんの後輩の……」

「理央のこと? あの子なら秋大会に向けて今日は部活よ」

「そうですか」

「あの子はまだこれからだから……」


 後輩の話をしただけなのに、皮肉にも未来の話になってしまい、自然の空気が重くなる。

 この場においてそれは一種のタブーに触れてしまい、俺は彼女に謝罪する。


「すみません」

「どうして謝るのかしら」

「いえ、空気が悪くなったと思って……」

「しょうがないわよ。でも、私たちは先を見なくちゃいけないから」

「そう、ですね」


 この場において、みんな過去に触れるが、最後には未来について語る。

 そうして、亡くなった人を送り、そうじゃない人間は歩き出すのだ。


「そろそろ、式が始まりますね」


 身につけていた腕時計を確認して俺は彼女に今の時刻と、今日のスケジュールを告げる。

 当然、スケジュールを頭に入れているであろう彼女はハッとなり、携帯を取り出してその時刻を三度確認する。


「教えて! あなたを助けた時、綾が残した言葉ってなんだったの!」


 抗いようのない時間が迫り、先ほどとは打って変わって彼女は俺に聞いてくる。あの日の言葉について。


「わかってます。けれど、今言っても何が何だかわからないと思います。だから、携帯でその言葉を送ります。それを落ち着いた時に、有沙さんのタイミングで見てください」


 以前、俺は彼女の連絡先を教えてもらっていた。

 だから、俺は携帯を取り出してあの日言わなかった綾さんの言葉なるものを打ち込み、彼女の携帯へと送信した。

 着信音は事前に切ってあったためならなかったが、真っ暗だった画面に俺のメッセージが届いたことを知らせるように通知が表示される。


「何かあれば、連絡ください。時間が合えば気が済むまで、俺の知っていることであれば、話しますから」


 そう言って俺は式場へと歩き出した。


 “生きて”という言葉が表示されたメッセージアプリを閉じて。

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