最終話 最強の悪役令嬢① ~決勝戦~

 ―ー互いの足音が響く。




 ステージを往く二つの悪が、その距離を縮めで行く。


「ハッ、まさか君が決勝戦の相手とはな……つくづく懲りない女だ」


 アスカ・P・ヒューマンが肩をすくめながら、そんな言葉を吐く。


「ええ、そうね……自分でもそう思うわ」


 クリスティア・R・ダイヤモンドは拳を握りしめながら、そんな言葉を絞り出す。


『それでは、試合方法は……』


 実況のハリーの言葉に、二人は同時に舌打ちする。


「必要ない、そんなものは」

「ええ、そうね……決まってるわ」


 それ以上、ハリーは口を開かなかった。会場も固唾を飲み、二人の姿をじっと見ていた。



 

 歩幅が少し、広くなる。その距離が狭まっていく。




 ――走る。




 どちらが先か、わからない。


 それでも駆ける二つの影は、咆哮とともに交差する。


「アスカアアアアアアアアアッ!」

「クリイイイイイイイイイスッ!」


 握りしめた拳を、力を、想いを。


 互いに、向けた。






 リーチの差だった。


 アスカの拳がクリスの額に当たった。思わずアスカの頬が緩む。そうするに値する、渾身の一撃だった。勝負が決まるには十分すぎる威力を持ったその拳。


 だから、クリスは。




「何二ヤついてんのよ」




 ただ真っすぐと、アスカを睨んだ。額が切れ血が流れている、無傷などと言えはしない。


 彼女は、受けた。避ける気などさらさら無かった。


 さらに拳に力を込めて、全力で、無言で。


 


 アスカの頬に、強烈なお返しをした。



 アスカは吹き飛んだ。口の中が切れ、鉄の味が広がった。起き上がる、だがそれよりも早くクリスは飛びかかった。


 二発目は蹴りだった。


 クリスの踵がそのままアスカの腹にめり込む。吐き出された血泡沫はクリスの頬にかかる。




 ひっ、と息をのむような悲鳴が、会場のどこかから聞こえた。当然だ、観客はこんなものを見たい訳ではなかった。もっと気楽で、楽しくて、笑えるような。そんな物が見たかった。


 


 そんな事など、クリスには――二人にはどうでも良かった。ただ互いを叩き潰す事だけが望みだった。文字通り、その存在を賭けた戦い。それ以外は雑念だった。


 追撃の手は止まない。クリスはその拳を、アスカの顔面目掛けて振り下ろした。それは、握手だった。


 すんでのところでアスカは頭をずらし、拳は地面にめり込んだ。その一瞬、その隙を彼女の眼光が許しはしない。


 掴んだ。クリスの腕を握りしめ、そのまま立ち上がる。そして、投げ飛ばした。背中を強打し、激痛が全身を駆けた。


 アスカは追わない。今追撃するよりも、呼吸を整える事を選んだ。




 今、目の前にいる相手が。




 かつて圧勝した相手ではないと、そう思った。


「何なんだろうな……君は」


 アスカは呟いた。少しでも時間を稼ぎたかった、だから会話を選択した。乗ってこい、そう願った。


 クリスは無言で立ち上がる。その目は真っすぐと、アスカだけを見ていた。


「負けた分際で戻ってきて、虫のようにまだ足掻く」


 だが一度切った口火は、そのままアスカの心を燃やし始めた。黒い憎悪の煤を上げながら、その炎は広がっていく。


 クリスは突進を選んだ。休ませる暇など与えない。


「私は……勝つ。それが、それだけが」


 呼吸を整えるアスカは、クリスを睨んだ。そして気づく、ほんの少し遅れて動く、彼女の右の太ももに。


「私の……意味だ!」


 前蹴り。左足を伸ばすアスカ、それはクリスの太ももに直撃した。


 それは傷跡。完治していない傷が文字通りの弱点だった。




 形勢が傾いた。




 一瞬よろめいたクリスの胸倉をつかみ、そのまま地面に叩きつける。石が割れ、骨の折れる音が響いた。


「私は、私は、私は! 勝つために生まれてきた、そのためにここにいる! 私は完璧だ、そう作られた! だから勝つ、お前にいいっ!」


 何度も、何度も、何度も。


「そうだ、完璧だ! 自信がある、信念がある、勝つべき理由がここにある!」


 クリスの顔面を地面に打ち付けるアスカ。


「だというのに、何だお前は! 中身もない、信念もない! この場当たり主義の無計画が!」


 アスカの呼吸が荒くなる。半ば発狂したその様子に、会場は怯えた。だがもう遅かった。


 それを止める物は、どこにも。


「そうだ、お前なんか」


 アスカの口元が歪んだ。クリスを乱暴に投げ捨てると、そのまま馬乗りになる。


 そしてその両手で、小さなクリスの首を。




「死ね」




 絞めた。






 コツン、と誰かが頭を叩く。クリスは目を開ければ、見知った顔がそこにある。


「おい貧乳、寝てんのか?」


 ショーコだった。


 ゆっくりと瞼を開けば、そこは病院の中庭だった。


「……そうかも」


 クリスは首を何度か捻ってから、ゆっくりとため息をついた。


「何だよまだ痛むのか、首? 随分前の事だろ?」

「そうだった……かしら」

「そうだったんだよ……ったく、寝ぼけてんのか?」


 クリスは大きな欠伸をする。それからもう一度目を瞑れば、また睡魔に誘われた。


「って寝るな、仕事だボケっ!」


 今度はショーコが頭をひっぱたく。また振り返れば、いつの間にかいたゴリ美すらため息をついていた。


「ったく、いい加減にしなさいよね……負けたもんは仕方ないでしょ」

「そうそう、お前は頑張っただろ」


 仕方ない、頑張った。何度も何度も聞いた言葉。


 本当に? わからない、今の彼女には。


「ま、クリスはまだ心の傷が癒えてないって事で……二人で行ってきて?」

「けどよぉ、そろそろ仕事覚えないと」

「まぁどうせ時間はあるしね……ほら行くわよショーコ、あんまりグズるとあたしが運転するわよ」

「ばっ、それだけは止めろぉ!」


 小走りで駆けるショーコに、その背中を追うゴリ美。


 そして残された二人。チャールズとクリスはまだそこにいた。


「いいの? 私仕事覚えなくて」

「まぁ……良くは無いけど。今日は君にプレゼントがあってね」

「へぇ、花束とか?」

「まさか」


 チャールズは白衣のポケットから、一冊の本を取り出した。それを受け取ったクリスは、背表紙を確認する。


「悪役令嬢……バトルロイヤル」

「どうかな? 今回の騒動をまとめてみてね」


 彼女はページを捲った。その内容に少し目を通せばその意味を理解した。




 それはクリスティア・R・ダイヤモンドの物語だった。




 そうだこれは彼が、いや僕が書いた物語だ。


 彼女はつまらなさそうにページを捲る。ロクに読まず、ただパラパラと捲っていく。そして、行きつく。




 白紙のページに。




「……これ、ここで終わり?」


 その最後の一文。『絞めた。』で終わったページ。その後はただ白紙が何枚も続いている。


「そりゃあね」


 その先を僕は知らない。


 何があったのか、何が起きたのかなんて知る由もない。


「だってそうだろう? 君が言ったんじゃないか」


 僕にその権利はない。どこまでも続く白紙のページを埋める権利が僕にある筈もない。


 その続きを綴れるのはたった一人。


「君の物語の……人生の主役は」


 いつだって。

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