最終話 最強の悪役令嬢② ~ユース・E・アール~

『勝者……アスカ・P・ヒューマン!』


 勝鬨が上がる。彼女の勝利を告げる声が、バックヤードに響き渡る。


 勝者、アスカ・P・ヒューマン。そんな言葉が反芻される。




 ――違う。




 勝者、アスカ・P・ヒューマン。




 ――誰が、何だって?




 違う違う違う。指先に力を込める。大丈夫、まだ動く。




 ――勝者、アスカ・P・ヒューマン。




 このふざけた文章は、何だ。人の物語に勝手な注釈をつけるのは誰だ。




「私の物語は」




 知らない、そんな奴の指図は必要ない。




「私の人生は」




 そうだ、いつだって。




「私が……主役だ!」




 走る。




 傷ついた肉体で、血まみれの顔で走った。あのムカつくアスカめがけて、一直線に走っていく。


「なっ!」


 アスカが振り向く。その驚いた顔を見れば、最高に気分が良くなる。


「誰が……勝者だっ!」


 その横っ面を殴りつければ、その綺麗な顔が歪んだ。


「お前は、負けたはず」

「誰が、誰に負けたってぇ!?」


 二度、三度。続け様に殴りつける。よろめく、だがそれを殴り続ける。


『あ、勝者はアスカ』

「ああん!? 黙ってなさいハリー!」

『あっ、はい!』


 四発目をアスカが受け止められる。


「お前は……お前はッ!」

「確かに、あんたの言う通りよ」


 左手で殴るが、それもアスカに受け止められる。彼女は指先に力を込め爪を立てる。痛い、けれどほんの些細なもの。


「中身も信念もない場当たり主義者……それが私」


 思い出す、自分の過去を。確かにアスカが言うようなご立派な物なんて無かった。


 初めは、何だったろうか。


 私の人生なんてものは、ずっと他人が舗装した道だった。父が、金で塗り固めた道。ずっと続くと思った道。


 それがある日、途切れた。それでも私に中身も信念も生まれなかった。一日一日をただ生きていくそんな日々が続いていた。


 こんな茶番に出ても、私は変わらなかった。流されるままここまで来た。自分のした事なんて、取るに足らない些細な事だけ。


「けど」


 理由があった。


 そんなものは日々の中にに嫌というほど溢れていた。


 覚えている、たくさんの人を。


 忘れない、いくつもの顔を。


 泣いたり笑ったり落ち込んだり、そんな誰もが生きていた。




 この場所でも、こんな世界でも精一杯。


 自分が主役の物語を。



 だから。




「あんたに……否定されるものでもないっ!」




 アスカの腹めがけて膝蹴りをかます。そうだ、そんな権利は誰にもない。


 負けられない、絶対に。よろけたアスカを殴り続ける。


 否定する、いつまでも。許さない、絶対に。


「そうだ、私がっ」


 矛盾している。誰かを否定する誰かを、私は絶対に否定する。




 折れたってかまわない、血まみれだって構わない。


 何度だってやってやる。負けたって諦めない。否定されても立ち上がって、それは違うと殴ってやる。




 そんな私を、彼女は。



 ――やっぱり、クリス様は。



 声がする。懐かしい、安らぐような声が聞こえる。


 幻聴だってかまわない、こんな私を肯定したあの子の言葉は忘れない。




「最強の……悪役令嬢だあああああああああああああっ!」




 伝わったのは、骨に染みる衝撃だった。折れた、多分。指の骨も腕の骨も、ほとんどぶら下がっているだけの状態。


 それでもアスカは倒れていて、立っているのは私だった。まだ動く左手を、真っすぐと天に突き出す。




 会場がどよめいた。




 どうやら私の勝利はお気に召さなかったらしい。


「む、無効だ!」


 誰かが叫ぶ。その声の主をにらめば、ご存じ王子が血相を変えて走ってきた。


「無効だこんな試合は! 勝ったのはアスカだ、ハリーだってそう言っただろう!?」


 正直、はぁそうですかという感じだった。私としてはアスカをボコボコに出来たので、特に心残りも無かった。


 いやまぁ、無いわけじゃないけれど。ともかくあのむかつく顔が地面に横たわっているので、心の中はなかなかに晴れやかなものだった。


「でも王子」

「でもも糞もあるか!」


 また駆け寄ってきたハリーに王子は詰め寄る。


「大体こんな凶暴な女がユースの引き立て役になるものか! ふざけてるのか、お前は! こんな、こんな……無様な物で!」


 ひどい言われようである。だいたい私を絞め殺そうとしたアスカのほうが余程凶状持ちな気もするが、ややこしい事は言わない。いい加減、どうにかして欲しいところだが――。




「勝者、クリスティア・R・ダイヤモンド」




 彼女は言った。鶴のというよりは、神の一声に近かっただろう。その証拠に王子が、ハリーが、会場の誰もが。




 はじめて聞いた彼女の声に、耳をすませていた。




「ユース……?」

「私」


 彼女は、笑った。それからピースサインを作って顔の横につけて、ペロッと舌を出す。


「私、ユース・E・アール……よろしくねっ!」


 なんてふざけた挨拶をかましやがった。




 いや、誰!?

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