第3話 私のいた場所 1
「旦那様!お嬢様がまだ戻られません!!」
仕事から戻ると、執事のモーガンがそう報告してきた。
「何だと!一体どういう訳だ!」
たしか今日は、婚約者のマティアス殿と出かけた筈だ。
しかし結婚するまでは、必ず家に帰すようにお願いしておいた。
まさかそれを違えたのではないだろうな。
私の可愛いセレナに何かしたなら、例えマティアス殿でもただでは置かない。
「ただいま使いの者を、ワロキエ様の下に走らせております。
何事も無ければいいのですが……。」
「そうか…、
やはりこの婚約は間違いだったのかもしれない。
あの人の下に嫁げば、金の心配も無く幸せに暮らせると思ったのだが、
なんにせよ年が違い過ぎたのかもしれない。
若く無垢なセレナと比べ、マティアス殿は大人の男だ。
私は何という事をしてしまったのだろう…。」
後悔してもしきれない。
「まあま、二人とも一体何を騒いでいるの。
まだマティアス様のせいだと決まったわけでも無し、
とにかく使いに行ったベンの帰りを待ちましょう。」
妻のクロエがそう言うが、なぜおまえはそんなに冷めているのだ。
セレナの事が心配では無いのか。
いや、そうではないな。
クロエの言葉の端々は、いつもより緊張しているように聞こえ、
何より顔色がひどく悪い。
「今はセレナがマティアス様と一緒ならまだいいとして、
もしそこにいなかった時の事を心配すべきでは無いのですか。」
「そうだ、その通りだ。
モーガン、今我が家の金庫にはいくらある。
もしこれが身代金目当ての誘拐で有ったなら、
すぐに払えるよう用意しておかねば、
だが…もし払えないような金額だったら、一体どうしたらいいのだ。」
「父上、私がすぐに取引先の銀行に行って参ります。
この時間でも、多分誰かしら残っている筈です。
私の会社の全てを担保にしてでも、金をかき集めて参ります。」
長男のロバートが、硬い表情で階段を降りてきた。
「いや、それだけでは足りないかもしれない。
私も店を担保に、すぐに用意します。」
次男のベネットも私達に加わる。
「いい加減になさい!
決まってもいない事を先回りして心配をして、
お金だ何だで騒ぐよりやらなくてはいけない事が有るでしょう。」
「だが、何もせずに待っているのではなく、
有事時に備え、やれる事はやっておいた方がいいだろう。」
「ですから、他にやらなければならない事が有るでしょうと言っているのです。」
と、その時、玄関を慌しく開ける音がした。
「旦那様!いらっしゃいません!」
多分使いに出たベンだろう。
「ベン、まずは落ち着きなさい。
それからちゃんと話して。」
「落ち着いていられるわけがないだろう!
とにかく、セレナはマティアス殿の家にはいなかったのだな。
すぐに金の用意をしなければ!」
「黙らっしゃい!!
全く、状況を正確に判断しなければ、手を打つ事も出来ないでしょう。
さ、ベン。
ちゃんと整理しながら話しなさい。」
…………。
こうなってはクロエに従うしかないだろう。
ベンの話によると、
どうやらセレナとの出先で、マティアス殿の運命の人が現れたようだ。
そして彼がその人に気を取られている間に、
セレナの姿が見当たらなくなったとの事。
マティアス殿の方は運命の人の事しか考えられない状態となり、
今に至ってしまったようだ。
まあ、運命に抗う事など出来ないので、仕方が無いと言ってはそれまでだ。
だが、セレナを無視したような無責任な事を許せる訳が無い。
「すぐにワロキエ家に向かう。
たとえ融資を打ち切られようとも、彼に一言言ってやらねば気が収まらない。」
「父上、私も一緒に行かせて下さい。」
「私も参ります。」
するとまた、クロエの雷が落ちた。
「だからいい加減になさいと言っているのです!
もういいですっ、
モーガン、すぐに警察に行ってこの事態を説明し、
すぐに警官をよこす様に行って来なさい。」
「承知しました。」
冷静に対応しているように見えても、やはりモーガンもかなり焦っているのだろう。
玄関先の大きな花瓶に、まるで目に入らなかったようにぶつかり、
それを落としそうになりながらも、何とか支えた後、
慌しく外に停めっぱなしになっている馬車に向かった。
「ドロティエ、皆にお茶をお願い。
さ、警官が到着するまでに、お茶を飲みながらその頭に溜まった熱を冷まして下さいませ。」
私たちはクロエの指示に従うため、椅子に腰かけた。
「まったく、どうしてあなたたちは、そう極端なんでしょう。
普段もセレナにそのように対応してあげればいいのに。」
「何を言っているんだ?
私はいつもセレナの事を思っているぞ。」
私はクロエが言っている意味がよく分からなかった。
セレナは私にとって、とても可愛い娘だ。
それも私達が諦めかけた頃に生まれたたった一人の女の子なのだ。
「だって、いつもセレナの事を無視しているように見えますよ。
それにあの子が何を言っても答えてあげないでしょう。
触る事すら、ここ何年も避けているみたいだし。
多分理由は私が思っている通りなのでしょうけど……。
あなた達は全く不器用な人ですね。」
「私がセレナを無視する訳が無いだろう。
それに、お前だってセレナから一歩引いている様に見えるぞ。」
「私は両親を早く無くしたので、あまり可愛がってもらった記憶が無いせいか、
自分の子供とどう接していいのか分からなかったのよ。
上の二人の息子は、その事を察してくれたみたいで助かったけど。
だけど、あなた方よりは、あの子にちゃんと接しているつもりですよ。
でも、あなた達がセレナに対し遠慮しているのに、
私だけがべたべたしては、あなた達が気の毒だと思ったのは確かだけど。」
そうだな、私は時々セレナを抱きしめているクロエを見かけ、
ずるいと思ったものだ。
しかしクロエは何という勘違いをしているのだろう。
私は決してセレナを無視した覚えはない。
それは断言できる。
ただあの子が愛しすぎて、どう接していいか分からないほど可愛すぎるのだ。
話の件も、どう答えていいのか考えあぐねているうちに、
当のセレナが私の答えを待てないのか、何処かに行ってしまうのだ。
それに触らない事にもれっきとしたる理由が有る。
あれは確か、セレナが3つの頃だ。
私がいつもの様にただいまのキスをし、抱き締め頬釣りをした時の事だ。
「パパおひげいたい!くるちいの!やだ、はなちて。」
そう言ってあの子に拒まれたのだ。
それから私はセレナに嫌われない様に、泣く泣く触る事を諦めた。
息子達も私と似たような物らしい。
いや、私を見ていたからこそ、セレナにかなり遠慮をしていたようだ。
つまりセレナは私達の宝なんだ。
そんなあの子が、学校を卒業したら働きたいと言った時、
私達はセレナに労働をさせ、苦労をさせたくは無かった。
あの子に仕事をさせるぐらいなら、
優しくて、金を持っている男の下に嫁がせた方が、
幸せになるだろうと思ったのだ。
それからあの子に相応しい男を探し、ようやくマティアス殿を選び出し、
婚約まで持ち込んだのに。
それが………彼を選んだが為に、何という事になってしまったのだろう。
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