第6話 見知らぬ天井

誰かが僕の内側から心臓を握りつけているように、胸が苦しかった。


緊張と不安が僕をきつく縛り上げ身動き一つ取れないようにしてしまっているかのようだった。


そして脳は僕になんの命令も下さない。


脳の管理人は、営業時間を終えて、同僚と飲みに出掛けてしまったのかもしれない。


僕は頭が真っ白のまま、東条さんに話し掛ける。


「あのさ、僕は下で寝ようか?」


僕はよくわからないことを口走っていた。


「え!なに言ってるの?冗談でしょ?」


「いや、なんというか一緒に寝るのはなんというかモラル的にどうなんだろうかと。」


「え、私たち付き合ってるんでしょ?じゃあ一緒に寝るのが普通じゃない?てか一緒に寝るの嫌なの?」


「そんなことはないです。ごめんなさい。」


「謝ることじゃないけど。もしかしてこういうの初めて?」


「え……ええと。」


僕は本当の事を告白すべきか迷った。しかしもう僕はこの状況に耐えきれなくなっていた。


荷物を背負い込み過ぎていたので、肩の荷をひとつでも降ろしたかった。


「実は、初めてなんだよね。」


「そうなんだ。真面目なんだね。でも可愛い。」


東条さんはぱっちりした目を限りなく細くして僕に微笑む。


「よしよし。じゃあ今日はわたしがリードしよう。」


東条さんの手が、僕の頭に触れ、優しく撫でてくれた。


彼女の手の感触は柔らかく、それはあたたかかった。


そしてその手は僕の手を握り、優しく僕を誘導する。


僕はリードにつながれた犬のように、引っ張られたままベッドへと連れて行かれる。


そして二人でベッドに潜り込むと、なにも言わず僕の体を抱きしめる。


彼女の体はあったかく、そして柔らかかった。


彼女の体に反響し、僕の鼓動が聞こえる。


けたたましい音をたて、とてつもない速度でビートを刻む僕の鼓動を、彼女の体づてに感じる。


「すごいバクバク言ってる。大丈夫?」


「うん。緊張してる。」


「大丈夫だよ。そんなに緊張しないでも。直に治慣れるから。」


「うん。」


彼女は先ほどよりも強く僕を抱きしめる。



僕は手をどこに置いたらいいのか分からず、されるがままにだらんとさせていた。


無言のまま、時が流れる。


いままで味わったことのない種類の感情が湧きあがる。


緊張感もある。不安感もある。恐怖感もある。しかしどこかで幸せも感じていた。


それらが混ざり合い僕の心は、得体のしれない色を見せていた。


そして彼女は僕を抱きしめたまま顔を近づけて、軽くキスをする。


僕はなにが起こったのかわからずに目を丸くしているとまた彼女の唇が僕の唇を塞ぐ。


今度は先ほどよりも長い時間、僕の唇に彼女の唇が滞在する。


ゆっくりと僕は彼女の唇の感触を確かめる。


世の中にこんなにも柔らかく、そして気持ちの良い物体があることを僕は知らなかった。


東条さんはまた唇をゆっくりと離す。


彼女の吐息が僕の唇にかかる。


生温かくくすぐったいそよ風が、僕を興奮させる。


その後数回同じように唇を重ねる。僕の知らなかった世界が少しずつ色をつけていく。


幾度目かわからないキスをすると、彼女は舌を入れてくる。


ある種それは見たことのない生き物のように、僕の口内を探るように激しく動いていく。


僕の口内で暴れまわるその生き物は、また別の生き物と出会う。


僕の舌を彼女の舌が撫でるようにつたっていく。


僕は全身の力が抜け、頭はアイスクリームのようにとろけていく。


僕は何も考えず、必死に彼女の舌を追いかけ、それを絡ませる。


東条さんは、時折、息を漏らし、小さく声を出す。


その声が僕の耳から侵入し、僕の性器をがっちりと固めていく。


彼女の手が僕の力が抜け、ぶらりとぶら下がった手に触れ、そしてその手を新しい場所へと連れ出していく。



彼女の手に誘導された僕の手は、彼女の乳房に到着する。


彼女の胸は下着がつけられておらず、いきなりその柔らかいものに僕の手がぶつかる。


先ほど、彼女の舌を感じた時にこの世にこんなに柔らかいものがあるものかと思ったが、それはそこにあった。


彼女の胸は柔らかく、そしてあたたかく、安心感を覚える。


僕の手が彼女の手に誘導される形で、その柔らかい物体を包み込んでいく。


僕がその柔らかいものを自分の意思で揉みしだいていくと、彼女の手は役目を終えたようにすっと僕の手から離れていく。


彼女は時折艶やかな声を漏らしながら、僕の一挙手一投足を見つめていた。


僕は無我夢中で彼女の体を愛撫し続ける。


なにも考えることはせず、ただ欲望だけが僕をコントロールし、手や舌を動かし続けた。


彼女はなにも言わず、そのすべてを受け入れてくれた。


そして、気付くと彼女の細く綺麗な手が僕の醜い愚息をしっかりと握り込んでいた。


彼女の手は徐々にゆっくりと上下に動きだす。


自分の手とは異なる、なんと言うか不正確なその存在により刺激を受け、僕は筆舌に尽くし難い興奮を覚えていた。


その後も彼女は様々な手法で僕の性器に奉仕をしてくれた。


僕は横になりながら、その快感に酔いしれていた。


我が息子も僕以上にその奇跡体験に感動し、涙を流している。


そして、横になりながら僕はふと冷静になる。


なぜそのタイミングでこうも冷静になったのか、自分でもわからない。


しかし鮮やかな色合いに包まれた風景が突如として、モノクロになり、僕の頭はクリアになった。


そしていま置かれている状況を、客観的に考え始める。


これはもしかすると、昨夜見た夢が現実に起こったのではないか。


あの天使にした願いがいま叶っているのではないだろうか。


そんなことを考えるとまた、横から今度は別の思考が浮かんでくる。


とはいえ、この状況も手離しで喜べるわけではない。


まず、専務と対峙しなければならない。


それに彼女は、目的のためには性交渉も厭わないと言っていた。


つまりは専務との事が解決したら、僕はまた捨てられるのではないだろうか。


そうなれば会社での僕の立場は……


それもそうだが、この子はいったいこれまで何人と関係を持ってきたのだろうか。


僕は気持ち悪いかもしれないが、女性に対して処女性を求めてしまう。


その点で彼女はその理想とはかけ離れていた。


なにより、僕への奉仕が圧倒的に上手すぎたのだ。


「ねえ、さっきから黙ってるけど、なに考えてるの?」


東条さんの言葉で僕の思考は一旦停止する。


「いや、その気持いいなあと思ってさ。」


「そ。良かった。じゃあ入れよっか?」


「……う、うん。」


僕は体を持ち上げて、ヘッドボードに設置されているコンドームを手に取る。


そして、手順を頭の中で確認しながら、それを装着していく。


手に力が入らず、上手く装着が出来なかった。



何度目かの装着を試みたその瞬間、僕の心の中にひとつの懸念が浮かびあがってくる。


「(本当にこれでいいのか?やってしまえばもう後戻りはできないぞ。)」


いや、これで良いんだ。こんなチャンス二度とないんだ。リスクを背負ってでもやるしかないんだ。


僕の心の中で天使と悪魔が闘っているように、心が右に左に動いていく。


しかし、僕は意を決し、自分の魔物にゴムをかぶせる。


その間、彼女はそれを子どもを見守る母親のような優しい眼差しで僕を見つめていた。


いざ、戦地へと意気込んだ矢先に、僕はある異変に気付いた。


そう、僕の魔物がどんどんと小さくなり、塩をかけられたナメクジのように小さく縮んでしまっていたのだ。


僕は様々な事を考え、センシティブになっている間に性器が思うように機能しなくなってしまっていた。


絶望だった。あと一歩で敵将を打ち取れるというところまで来たのに、僕としたことが刀が折れてしまっていたのだ。


このビッグチャンスを掴むことが出来なかった僕は、きっと今後も東条さんのような人を抱く機会はないのだろうな。


まあ思い返せば僕の人生はそんな事ばかりだった。


ただそれでも、今回の事はその歴史の中でもひどい結末だった。


もしこれがアニメならば、きっとネットの掲示板で袋叩きにされているだろうな。


僕はそんな事を考えながら、ただただ項垂れていた。


情けなさと申し訳なさで僕は東条さんの顔を見ることが出来なかった。



しかしながら、東条さんは柔らかい笑顔で微笑み、僕の手を握ってくる。



「そんな事もあるさ。大丈夫だよ。」



その優しさが僕の心の柔らかい場所を突いてくる。


僕はただ黙って頷く。



「お酒たくさん飲んでたからね!しょうがないよ。また今度はうまくいくよ。」



東条さんは、そう言うと僕の使い物にならなくなった性器を優しく手で包み込む。



僕の性器は力を発揮することはなく、萎んだ風船のように力なく彼女の手に寄りかかっていた。


彼女の優しい言葉は、逆に僕のプライドを切り裂いていった。



情けなさで僕は俯く事しかできなかった。



そんな僕の気持ちを察したのか、彼女は何も言わず顔を近づけて、僕に口付けをし、軽く抱きしめてくれた。



「さてと、そろそろ寝ようか。」



「そうだね。電気消すね。」



「うん……」



電気を消し、二人でベッドに横たわる。



彼女は僕に体をぴったりと寄せ、僕に抱きついてくる。


そして頬に口付けをし、おやすみと呟く。



彼女の温かい吐息が僕の頬にかかる。



艶やかな髪が僕の頬を擽る。



そして彼女の柔らかな乳房が僕の脇腹あたりに触れその感触、温度を正確に伝えていく。



僕は暗闇の中で、部屋の天井を見つめていた。



そして今日一日、自分の身に降り掛かった事を振り返る。



冷静に考えれば考えるほど、それはどこか遠くの御伽噺のようなものに思えてきた。



そして何度その物語を繰り返したところで、行き着く結末は同じだった。



チャンスを活かしきれない男が、哀れに項垂れるシーンで幕は引くのだ。



さっき見た映画の方がよっぽど良い結末だった。



後悔と情けなさとこの不思議な状況で、とても眠れそうにはなかった。



僕の体に絡まった彼女の腕を解いて、僕は起き上がる。



彼女は、何事もなかったかのように、穏やかな表情で眠っていた。



彼女の寝顔は、これまで見たことのある寝顔のどれよりも美しかった。



僕は先程飲み残したハイボールを、一口だけ飲む。



そして昨晩の夢を思い出す。



ひょっとするとこれは夢の続きなのかもしれない。



夢の中で天使が出てきて、僕の理想が叶う。



そんな夢。



きっとそうだ。そうに違いない。



そう思うと気持ちが楽になった。



そして、再び東条さんの方に再び目をやる。



夢だと思い込んだことと、少しだけ彼女と距離が出来たことで、僕は冷静に彼女の体を眺める事ができた。



あの社内のアイドルがいま、こんなにも無防備な姿を晒している。



彼女の寝顔、乳房、そして性器が……



そして僕はベッドに戻り、横になる。



そこで僕はあることに気付く。



そう、僕の性器はここに来て硬くなっていたのだ。



それも異常なほどに、硬直していた。



「やれやれ。」



僕はそう呟き、目を閉じる。



次に目を開ける時、僕はいつもの狭い自分の部屋で見慣れた天井と目が合うだろう。



それもまた良い。



いや、むしろその方が僕らしくて良いのかもしれない。



目を閉じ、出来るだけ僕の日常のことを考える。



明日の仕事のこと、スーパーで安売りになってるもの、実家の犬のこと。



僕の意識は次第に遠のいていく。



突如訪れた特異な状況から切り離され、僕は僕だけの眠りの世界へと沈み込んでいく。



続く…

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