最後の勝負

 園内のホテルを前にして、俺となじみは向かい合っていた。


「いいって……、本当に意味わかっているのか」


「うん……」


 うつむくようにうなずく。

 まっすぐ俺を見つめていた瞳が、今は逃げるように足元を見ていた。

 顔は耳の先まで赤く染まっている。


 よくよくみれば、膝上に下ろされた両手が固く握りしめられていた。

 本当に恥ずかしいんだろう。

 それはつまり、自分の言葉の意味をちゃんと分かっているということだ。


 だからこそ、俺は言った。


「なじみ、今日のルールを覚えているか」


「ルール……?」


「デート中は嘘をつかないっていうルールだ」


 話を逸らしたり、誤魔化したりすることはいい。

 でも嘘だけは絶対に言わない。

 それが俺たちの約束だった。


 俺が言いたいことを察したのか、なじみが勢いよく顔を上げる。


「嘘じゃない! だって、アタシたち付き合ってるんだから、そういうことも、するのが普通でしょ……」


「もういい。何年一緒にいると思ってるんだ。嘘をつくならもっとバレないようについてくれよ」


「本当だもん! コウとならなにをしたっていいもん! だから……」


「だったらなんでそんなに悲しそうな顔をしてるんだ!」(傍点)


「……ッ!」


 なじみがはっとして言葉を失った。


 相手を想っているからこそ、嘘だけはつかないし、つきたくない。

 なじみにとって「約束」はとても重い意味を持つ。

 だからこそ、その約束を破るということは、それほどの決意があったってことだ。


 その決意がなにかはわからない。

 俺たちは幼なじみだが、エスパーじゃない。

 伝えたいことは言葉にするしかないんだ。


「なじみ、話してくれないか」


 優しく語りかけると、なじみがのろのろと目を向けてきた。


「なじみが理由もなく嘘なんてつかないことくらい、俺にだってわかる。だから話してくれないか」


「コウ……」


 なじみの両目に涙がにじむ。

 それはあっというまにあふれ出し、大粒の涙となってこぼれ落ちた。


 泣きじゃくりながら言葉を吐き出す。


「アタシね、コウが好きなの」


「知ってるよ」


「誰よりもコウが好きなの。コウがアタシを思う気持ちよりも、アタシがコウを思う気持ちのほうが、何倍も大きいの!」


「それも知ってるよ」


「なのに、コウと付き合うようになってから、毎日がつらくて……。どうしてこんなにガマンしないといけないんだろうって……。もっともっといっぱいしたいことがあるのに、全然できなくって……。

 昔は、コウとしたいことはいつでも、なんでもできたはずなのに。

 だから……今日を最後のデートにしようって思ったの。コウとしたいことを全部して、言いたいことも全部言って、アタシの気持ちを正直に伝えたら、それで終わりにしよう。アタシたちは友達に戻ろうって。

 そうしたら、前みたいに、毎日楽しく……」


「ダメだ。もう友達には戻れない」


 俺が答えると、なじみの体がびくりと震えた。

 見つめる瞳が涙に揺れる。


「アタシたち、もうダメなの……?」


「ああ。だって俺は、なじみのことが今まで以上に好きになっちまったんだからな。

 いまさら友達で満足できるわけない。恋人になりたいし、結婚もしたい。恋人同士ですることも、夫婦でなければできないことも、全部なじみと経験したい。今さら友達なんかで満足できるわけないだろ」


「コウ……。アタシだってそうだよ……! コウとずっとこうしていたい。デートもしたい。もっと色んなことがしたいよ!」


「じゃあしよう。もっとたくさんのことを。死ぬまでずっと一緒にさ」


「……いいの? アタシ、コウのことが大好きなんだよ? こんなにこんなに大好きなんだよ?」


「そんな心配なら必要ないよ」


 俺は笑顔で答えてやった。


「俺のほうがなじみを好きだからな。だから俺の勝ちだ」


 きょとんとした瞳が俺を見る。

 やがて涙を流したまま笑顔を浮かべた。


「……ふふ。なによそれ。変なの。あんなにアタシのほうが好きだって言ってたくせに」


「負けず嫌いなんだよ」


「それならアタシだってそうかな。だってアタシのほうがコウを好きなんだからね」


「なにいってるんだ。俺の方が好きだぞ」


「なにいってるのよ。アタシの方が好きに決まってるじゃない」


 ふふんと強がるような笑みを見せ、やがて俺たちは同時に笑いあった。

 なんで笑ってるのかもよくわからない。

 きっと、ずっとガマンしていたものが全部解放されたからなんだと思う。


 やがて笑い終えると、なじみが不敵な表情を浮かべる。


「だったらさ、証拠を見せてよ。アタシを好きだっていう証拠を」


「いいぞ。そのかわりなじみも見せてくれよ。俺を好きだっていう証拠を」


「いいの? そんなことしたらコウが負けちゃうよ?」


「心配するな。俺が勝つに決まってるからな」


「ふーん。じゃあ見せてもらおっかな」


 えへへ、と赤く染まった笑みを見せ、なじみの顔がゆっくりと近づいてきた。

 こつん、と額を軽く合わせる。


 体育館裏以来となる超至近距離で、なじみが密やかな声でつぶやく。


「ねえ。約束覚えてる?」


「なじみとの約束はいっぱいありすぎてどれかわからないな」


「勝負に負けた方が相手の家に行くって約束」


「それなら忘れたことはないよ」


「これを最後の勝負にしよ」


 決意した瞳が俺を見つめる。


「今からコウを、アタシに惚れさせるから。今よりも、もっともーっとアタシのことを大好きにさせて、アタシ以外のことを考えられなくしてあげちゃうんだから」


「だったら俺は、そのさらに上を行くくらい俺のことを大好きにさせてやるよ。寝ても覚めてもいつでも俺のことしか考えられないくらい、俺のことを大好きにさせてやるからな」


「えへへ、そんなすごいことしてくれるんだ。いったいなにをしてくれるのかなあ?」


「そういうなじみこそなにをするつもりなんだよ」


「わかってるくせに」


「なじみだってわかってるんだろ」


「じゃあ、答え合わせ、しよっか?」


 俺たちは似た者同士だ。

 だから考えていることもわかる。

 こんなにすぐそばにまで寄って、額同士までくっつければ、まるでエスパーのように相手の考えが読めても当然だった。


 もっともっとこの関係を続けていたい。

 今すぐにでも結婚したいくらいだ。


 けど、焦る必要はないだろう。

 だって俺たちはすでに恋人同士なんだから。

 今すぐじゃなくたっていい。

 お互いの気持ちを確かめて、ゆっくりと距離を縮めていけばいいはずだ。


 だから、今だけは、全部忘れて正直になろう。

 勝負とか、家との約束とか、そういうことを忘れて、自分たちのしたいことをしよう。


「じゃあ、いくぞ……」

「うん……」


 なじみの背中を抱き寄せる。

 細い両腕が俺の首を抱きしめる。


 いつの間にか周囲は様々な色でライトアップされていた。

 恋人たちを魅了する光の魔法が俺たちを祝福する。


 美しい夜景と。

 宝石のようなキラメキに囲まれながら。


 俺たちは相手のことしか見ていなかった。


 たくさんの輝きも、目を奪うような美しい光景も、たった一人の女の子を前にしただけで全部色を失ってしまう。


 これを恋と呼ばないのなら、なにを恋と呼ぶんだろう。


 ゆっくりと、ゆっくりと、お互いの距離が近づいていく。

 頬をくすぐる髪の毛が、触れそうで触れない距離を意識させる。

 甘い息づかいが肌に触れて、緊張で心臓が破裂しそうだった。

 あともう一押しで勝負は決まるだろう。



 そのとき、俺たちの関係は終わる。



 それがどういうものなのかはまだ分からない。

 今よりもっと仲良くなれるのかもしれないし、逆に意識しすぎてギクシャクしてしまうのかもしれない。

 もしかしたら何も変わらないかもしれない。


 だけど、なにかはきっと決定的に変わってしまうだろう。

 こんな駆け引きのようなことも必要なくなるはずだ。


 それを寂しいと思う気持ちが少しだけあった。


 今のはっきりしない関係を終わらせたい。

 だけど、今の関係のままでいたい。

 そんな矛盾を抱えるのは、わがままだろうか。


 たぶんそうなんだろう。

 だから俺はあえて何も言わなかった。


 これからすることは俺のわがままだ。だからなじみに無理に付き合わせる必要はない。

 なじみが別の結末を望むなら、俺はそれを受け入れようと思う。

 でも、何も言わなくてもなじみは同じ事をするだろう、という確信があった。


 唇が触れるその直前に。

 俺たちは同時に目を閉じるだろう。


 だって。

 先にキスしたほうが負けなのだとしたら。






 同時にすれば引き分けのはずだから──────




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