人気のない体育館裏で

 体育館は校庭の端っこにあり、その裏には学校と敷地外とを隔てるフェンスしかない。

 つまり生徒が来ることはまずない場所なんだ。

 俺たちのような、特別な例外をのぞいて。


 俺は昼休みになると同時にここにやってきた。

 今はまだみんなお昼を食べている時間だ。

 だから、普段は昼休みになると体育館を利用する連中も、今はまだいない。

 外を走る車の音だけが静かに響いていた。


 俺はなじみに時間の指定をしなかった。

 それでも、体育館裏で待つ俺の耳に、土を踏む小さな足音が聞こえてきた。


「こんな人気のないところに呼び出して、なにをするつもりなの……?」


 なじみの言葉にも勢いがない。

 まるでなにかを期待するようにモジモジとしながらうつむいている。


 人気のない場所は他にもある。

 屋上とか、旧校舎とかな。

 でも「昼休みに体育館裏に呼び出す」というシチュエーションが、すでにひとつのメッセージを伝えている。


 俺は無言でなじみへと近づいていった。

 やがて目の前に立つ。

 震える大きな瞳が俺を見上げた。


「なじみだってわかってて来たんだろ」


 俺がそういうと、しおらしい態度を一転させて口元をゆるませた。

 指先でそっと自分の唇をなぞる。


「アタシと同じ気持ちってことは、期待してもいいんだよね……?」


 指先では主張しつつも言葉には出さない。

 まずは俺の出方を見ようというんだろう。


 しかし昼休みは長いようで短い。

 細かい駆け引きは抜きにして、俺は直球で迫ることにした。


「昨日キスガマン選手権の動画を見たんだろ」


 なじみがニコッと笑顔を作った。


「ということはコウも見たんだね」


「ああ、見た。そのときに思ったんだ。これなら俺たちのどちらがより好きなのかを決められるってな」


「やっぱり、アタシたちは似た者同士だね。同じこと考えてたんだ」


「やけにキスしようと迫ってきてたもんな」


「それはコウも同じでしょ」


 なじみが小さく笑い、俺も無言のまま笑みを浮かべる。

 俺たちは少しずつ歩み寄っていく。

 もうすでに目の前にいるのに、更にお互いの距離を縮めていく。


 つま先が触れ合うほどの距離で、俺たちはついに歩みを止めた。


「………………」

「………………」


 正面から向かい合っているのに、無言で目を逸らしあう。

 恥ずかしすぎて直視できない。


 静寂の中に鼓動の音だけが響いている。

 わかっていたし、覚悟も決めてきたつもりだったけど、今更になって猛烈に恥ずかしくなってきた。

 だって、なじみとキスをするんだぞ!? 緊張しなかったらそいつは絶対男じゃない。


 というか、ここからどうすればいいんだ。

 いきなり顔を近づけていいものなのか?

 それとも肩に手をかけるべき? いきなり腰とかを抱き寄せてもいいのか!?


 どうしたらいいかわからず、腕が上がったり下がったりを繰り返して挙動不審な動きをしていた。

 せっかくマイと練習をしたのに、その経験をまったく生かせていない。


 というか、あのとき俺はどうしたんだっけ?

 頭が真っ白になってなにも思い出せない。

 勝負のこととか、結婚のこととか、そういうことも全部頭の中から消えていた。

 ただただ目の前の女の子に見とれている。


 なじみもまた、赤くなった顔で目を逸らしていた。

 固く引き結ばれた口元がかすかに震えている。


 やがて体育館の扉を開く音が聞こえてきた。

 昼食を食べ終えた生徒たちがやってきたんだろう。

 歓声とボールを叩く音が混じり合い、しばらくしてそれも聞こえなくなる。

 もう昼休みが終わろうとしているらしい。それくらい長い時間俺たちはなにもせずに立ち尽くしていた。


 扉を閉じる音が響くと、周囲は再び静寂に包まれた。


 そのあいだ、俺もなじみも、一歩も動けなかった。


 いつ生徒が来るかもわからない場所では、こんな恥ずかしいことはできない。

 そんな言い訳が俺たちの中にあった。

 だから、あと一歩を踏み出せない自分の意気地のなさをごまかすこともできたんだ。

 最後の一押しができないのは、周りの騒がしさが原因なんだと。


 でも、再び静寂が戻ってきて、その言い訳も通用しなくなった。

 堤防が決壊するとせき止められていた水が一気にあふれ出るように、なじみの口からぽつりと言葉が漏れた。



「……ねえコウ、アタシ、キスがしたいよ……」



 思わずもれた声に、俺も素直な思いで答えた。


「俺もすっごいしたい」


 潤んだ瞳がゆっくりと俺を見上げる。


「じゃあ、しよ……?」


「……いいのか?」


 なじみの顔がすぐそばにある。

 上気した頬は赤く染まり、瞳が潤むように揺れている。


 見つめ合うこと数十秒。


 やがて、こくり、と。

 なじみが無言でうなずいた。

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