あの子


 私の受け持つクラスで、ある国語の時間に作文の課題を出した。テーマは「自分のこと」。

 なんでもよくて、みんなに紹介したい自分のことを書くのが、このテーマの意味だ。私はこのテーマで作文を書かせるようカリキュラムで指示されてるのを見た時、少し気に病んだ。数年前、同じテーマを子どもたちに出した。その中にこんな作文があったことを思い出したのだ。


「ほんとうの自分」

 というタイトル。そして名前が続く。色は薄く、整った字。

「もしかしたら僕は他の人とは全く違う生物なのかもしれない」

 と言う一文目から始まる。その作文は当時取り憑かれたように何度も読み、そのせいでその文章はほとんど記憶に残っている。私から見て変わった子だとは感じた事がなかったし、環境が他の子と違ったわけでもなかった。少し頭が良かったのは感じていたように思う。それも曖昧だ。


 家に帰って、パソコンのファイルを開き、写真にとった過去の作文を探して、その夜久しぶりに読んだ。


【ほんとうの自分


 もしかしたら僕は他の人とは全く違う生物なのかもしれない。そう思ったのは少し前のことです。僕は他のみんなとは全く違う生物です。それは顔が違うとか、性格が違うとか、そういうことではなくて、ほんとうに全く違うのです。人間ではないとかいうわけでもありません。何か違うのです。

 けれど家族や友達や先生たちはみんな、演技をして僕を他の同じ人間と同じように扱っています。家族は母と父と姉と弟がいますが、彼らも僕をほんとうの家族じゃないけれど、ほんとうの家族のように扱います。友達も、先生も、そして家族も。みんな僕が違う生物だということを、僕自身に気づかれないように、同じように扱って、僕を騙しているのです。それに僕は気がつきました。

 みんな口裏を合わせて演技をしているのです。だから僕はたまに、

「さあトイレに行こうかな」

 と言ってトイレに行ったフリをして、みんなが僕のいない間にどんなことを話しているのか聞いたりします。けれどみんなはそんなことも承知です。そういう時も、絶対僕にばれないように、わざと何気ない会話を続けたりします。けれどやっぱり何かぎこちない会話になってしまって、僕にはわかるのです。最近わかるようになってきました。「ああ」とか「ふーん」とかが多くなるのです。

「ごめんね」

 と言ってみんなのところに戻ると、みんなも僕が実はトイレになんて行ってなかったことを知っていながら、「長かったな」と言い、それに対して僕も「そうだろ」と言います。

 家にいる時はもっと大変です。彼らはすごく気を引き締めてやっているので、全く尻尾を出しません。晩ご飯の時の母を見てると怖くなります。彼女がたまにほんとうの母かもしれないように見えるのです。まるで信頼してるかのように僕の背中を叩いたりします。そのたびにぞっとするのです。

 ある夜僕は姉の部屋に入ってその話をしました。すると彼女は笑いました。

「そんなバカな話があるか」

 それでも彼女の目は笑っていません。とっさに色々なことを考えるような顔つきをしたのです。それを見て僕は走って家を出ました。

 そして決定的だったのは、ある学校の帰り道のことです。

 途中で友達と別れて、一人で歩いていると、コートを着た見たこともない女の人が

「カケル」

 と言いました。僕はカケルじゃないです。〇〇(実際は名前が書いてあったが、ここでは伏せる)です。と言うと彼女はこう言いました。

「私があなたのほんとうのお母さんよ」

 僕はびっくりして家へ走って帰り、晩ごはんを作った母にそのことを怒鳴りながら、言いました。その時も母は演技を続け、

「そんなことない。そんなことない。〇〇はほんとうに私の子どもだ」

 と泣いて僕を抱きしめました。僕は母から離れると家を出て、さっきの女の人のところへ走りました。けれど、彼女はもういませんでした。

 それから何週間もたって母は、僕を病院へ連れてゆき、血液検査をしてその結果を見せ、ほんとうに血が繋がっていると言いました。けれどそれだって母が病院の先生に頼み、嘘の結果を作って、それで口裏を合わせて僕を騙そうとしているのです。僕は「うん」と頷いて騙されたフリをしてやりました。

 けれどほんとうは知っています。僕は全然違う生物なのです】


 彼は中学生になって事故死したと聞いた。自殺したという噂も流れた。本当かどうかはわからない。台所での事故死。校長先生に本当は自殺だ、と教えられた。真実はさておき、この作文は、私が担任した当時すこし話題になった。職員室内での話題。誰かに相談しようと隣の教師に確認してもらうと広まったのである。この話題はこの職員室の中だけにしようということで話はまとまり、私はこの作文を半ば知らなかったことにしたのだった。

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