第六章 仕組まれた罪

第一話

 ほう家の作業部屋をあとにした白影はくえいは、とにかく苛立っていた。


 ――まさか、こんなつまらぬことを仕掛けてくるとは……。


 胸中を支配する焦燥感をおさえきれずに、つい握った拳に力が入る。


 もしや、と予想はしていたものの、自分を出し抜くようなかたちで事件が起きた。

 しかも、自分の婚約者である莉璃りりを罪人として。


 ――未然に防げなかったのは、私の落ち度と考えるべきか。


 別れる間際の莉璃の、強がっているけれども心細げな表情を思い出せば、自分に対する怒りがこみ上げてくる。彼女の腕を我が物顔でつかんでいた刻周こくしゅうにもそうだ。とにかく腹が立っていた。

 もし彼女に何ごとかあったら、あの男を全力で潰してやる。

 そう決意しながら、白影は早朝の冷えた空気の中を歩き続けた。


「ちょと待ってくださいよ、白影さま……! いったいどちらに向かわれるおつもりですか!」


 あわてた様子であとを追って来たのは悠修ゆうしゅうだ。

「婚約者殿を庇われたいのはわかりますが、残念ながら結果は変わらないのでは?」

「彼女は陥れられただけだ」

 莉璃が仕立て上げられた犯人であることは、火を見るよりも明らかだった。


「ですが莉璃姫の部屋から証拠が!」

「いいからわめかないでくれ」

 これ以上、苛立ちという炎に糧をくべられてたまるものかと、悠修を黙らせる。


 白影が向かっているのは外朝にある王の執務室。

 この時間、王はそこで朝議の準備にとりかかっているはずだった。


「あの主上は、間違いなく面白がっているだろうな」

 呟いた声が聞こえたのだろう。悠修が隣に並んだ。

「まさか白影さま、主上に婚約者殿の解放を願われに行くつもりですか?」

「そんなつまらないことを私がすると思うか?」

「ではいったい何を」

「盗人を――今回の件を仕組んだ人物に心当たりがあるからな、主上に知らせに行くまでだ」

「って、誰ですか、いったい!」

 血相を変えた悠修が、白影の顔をのぞきこもうと小走りになる。


「誰も彼もない。りゅう圭蘭けいらん殿に決まっているだろう」

「まさか!」

「逆に彼女を疑わない理由を教えてほしいものだ」

 溜息混じりに言えば、悠修は困惑したように眉根を寄せた。


「……悠修、たしかおまえは柳圭蘭殿とは以前からの知り合いだったな」

 だからどうにも信じたくないのだろう。彼は白影に睨むような視線を向けてくる。


「実は昨夜、柳圭蘭殿が外をうろついているところに遭遇してな」

「それで犯人だと?」

 悠修は食い入るように問うてきた。

「彼女が立ち寄った箇所を探ったら、柳家の衣裳が出てきたんだ。もう間違いないだろう?」

「なっ……では自分で衣裳を隠したというのですか!?」


 衣裳を盗んだ犯人が狙っているのは、白影の婚約者である莉璃を陥れること。

 ひいては鳳家を陥れ、四星家しせいけの二の位から引きずり落とすことだ。


「だいたい莉璃姫が犯人なら、柳家の衣裳があの部屋にあるわけがない」


 もし彼女が競争相手を減らそうと事に及んだなら、衣裳の全てを修繕できないほどに切り刻むはず。

 そして自分とは無関係の場所に捨てるだろう。

 だが見つかったのは衣裳の一部。ということはそれを傷つけられては困る誰かが、あとで修復できるようにと考え、衣裳をどこかに隠したに違いない。


「ですが圭蘭さまがそんなことをするでしょうか。彼女は気位は少々高いですが、根は素直な方ですよ」


 あれが少々という度合いだろうか。

 彼女の言動を思い返せば、白影はついうんざりする。


「白影さまは、彼女のことを誤解されていると思います。……それに昨夜、衣裳を見つけられたのなら、なぜ先ほどそのことを明かさなかったんですか?」

 もっともな疑問だった。

「考えがあってのことだ。まずは主上に報告する義務があるからな」

「ですが」

「いいからもう黙っていろ」

 話は終わりだと言わんばかりに、白影はさらに足取りを速める。

 そうしてたどりついた王の執務室の扉を、蹴破るような勢いで開けた。


「主上、白影です。失礼いたします」

「遅いな。あと一刻ほど早く来るかと思ったが」


 白影の訪れを予測し、人払いをしておいたのだろう。

 部屋の中には王一人きり、蓮の花の彫刻が見事な朱色の椅子に悠然と腰をかけている。

「悠修も一緒か。早朝から珍しいな」

 二匹の龍が泳ぐ衣を身に着けた王は、頭に金色の冠を載せていた。

 やはり朝議の準備をしていたのだろう。卓子たくしの上には数枚の書類が並べられている。


「主上……完全に私で遊んでいらっしゃいますね?」

 白影は王の卓子の上に、勢いよく両手を付いた。

「なんだ、白影。なかなかいい顔をしてるな」

「これ以上、私を怒らせないでください」

 ぎろりと睨みつければ、王は楽しげに口元をほころばせる。

「ははっ、このところ有能な部下の顔で澄ましていたが、久々にキレているではないか」

 その態度がまた、白影の苛立ちをあおった。


「なぜ私に黙って彼女を捕らえたのですか」

 どうせわざとでしょう? 胸の中でつぶやいた。

「捕らえたのではない。御史台ぎょしだいに一任したのだ」

「結果、彼女はえい刻周に連行されました」

「ということは証拠が出たのか」

「それが、たっぷり出ちゃったんです」

 答えたのは悠修だった。

 白影はひそかに舌打ちをすると、自分の前髪をかきまぜる。


「白影、なぜそんなにも苛立っているのだ。証拠が出たならしかたあるまい」

「それは……」

 なぜここまで腹が立つのか、白影は自分でもよくわからなかった。


 自分の目の前で、自分の婚約者である莉璃がひどい目にあった。

 だから彼女を救うため、白影はここにやって来た。

 自分が頭の中で計画していることをこれから実行すれば、じきに彼女は自由になる。したがって、そう焦る必要はない。


 そうとわかっているのに、じっとしていられないほどの焦燥感に駆られる。

 脳裏の片隅に、別れた時の莉璃の、唇をかみしめた様子がちらつくのだ。


 ――彼女が、私に関すること以外であのような顔をしていることが腹立つのだ。


 そう。つまり白影は面白くないのだ。自分以外の誰かが、自分の妻になるであろう彼女をどうにかすることが。

 だから今も、すぐさま彼女を取り戻したくて気が気でない。


「なんだ、白影。あの娘を気に入っているのか」

「どうやらそのようです」


 無意識にうなずいたあとではっとした。

 ひと月半ほど前、自分は彼女にまったく――強いて言うなら血筋と美しい黒髪以外には興味がないはずだった。

 それなのに、今は違う。

 どうやら白影は、彼女自身のことを好ましく思い始めている。


 落ち着いた性質に、強固でまっすぐな意志。仕事に対するひたむきな態度に、絶世の美女というわけではないが、凛とした外見と雰囲気。

 そして何より、出自が複雑である白影のことすら受け入れてくれた寛容さ。

 彼女の価値観が――それにもとづき発せられる言葉が、白影の胸を打つのだ。


 ――そうか。私は彼女に惹かれているのか。


 今初めてそうと認識した白影は、上衣の胸元部分、心臓があるあたりに手をあてた。

 鼓動がいつもよりどくどくと脈打って、どういうわけか落ち着かない。

 胸の中が熱いような、温かいような、けれど苦しいような。不思議な感覚を抱いている。


「で? そなたは文句を言うためだけにここに来たのか?」

 主上に問われてはっとした。

 そうだ。今は呆けている局面ではないのだ。


「真犯人を知っています。彼女は――莉璃姫は陥れられただけなのです」

「ほう。で、その真犯人とやらは誰だ」

「それは――」

「白影さま! いくらなんでも早急すぎます!」

 拳を握った悠修が、王の執務机の上に身を乗り出すようにしてきた。

「せめて証拠の品となる衣裳をお持ちになってからのほうがよろしいのでは? それが柳家の衣裳とも限りませんし……」

 拳を握って訴えられ、白影はなるほど、とうなずく。

「ならば悠修、おまえが取ってきてくれ。中書省の私の棚に入っているはずだ」

 棚の鍵を差し出せば、悠修は任せてくれと言わんばかりに顔色を明るくした。

「すぐにお持ちしますので、それまでしばしお待ちください」

 彼は白影と主上に向けて一礼し、さっそく部屋をあとにする。


「――で? 悠修を退室させて、いったい何をするつもりだ?」


 扉が閉まるなり、王は呆れ顔で腕を組んだ。

「どうせ何か魂胆があるのだろう?」

 白影はふたたび王の執務机の前に行き、その上に両手をつく。

「私で遊んだことを今すぐ詫びてください」


 今回、王が御史台を使って莉璃を捕らえたのは、白影を窮地に陥れるため。

 普段は冷静な部下が、血相を変えてここに飛び込んでくる様を楽しみたかったからに違いなかった。


「詫びる、か。どうやって?」

「隣室に控えている主上の警備を三人ほど貸していただきたいのです。今すぐに」

「今すぐとは……なるほど、そういうわけか」

 おおよその察しがついたのだろう。王は壁の向こう側に待機している武官をすぐさま呼び寄せた。

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