最終話

『ぼくのお父さんとお母さんは、とてもなかよしです』


ここまで書いて、気がつけば1時間たってしまった。

僕はなやんだ。

けれど1時間考えて何も出てこなかったのに、これ以上考えたっていい文章が浮かんでくるわけがなかった。

僕はあきらめた。


「おじさん」


僕のお家は広い。

そして両親以外にも人が住んでいる。

おじさんもその一人だ。


「どうなさいましたか、坊ちゃん」


おじさんに学校の宿題が家族を題材にした作文であることを伝える。


「では、わたくしの言うとおりお書きください」


そうして書き上げたぼくの作文は、どこにでもいる普通の家族風景と子供らしい文章で、先生からも良く出来ましたと並の評価はもらえそうな仕上がりになった。


「ありがとうおじさん」

「とんでもございません」

「それじゃあぼくもう寝るね。おやすみなさい」

「承知しました。ところで坊ちゃん、旦那様と奥様にはご挨拶されましたか」

「ううん、まだ。これから行くね」

「はい。おやすみなさいませ、坊ちゃん」


僕のお家は本当に広い。

表はお父さんとお母さんが経営するレストランがあり、そのお店の奥にぼく達の家がある。

もう夜の10時を過ぎていて、1時間も前に閉店時間を迎えたお店では、もうお父さんもお母さんも自分達の部屋に帰ってしまっているだろう。

その2人の部屋は2階にあるので、作文を書き上げてすっかり安心しきってまぶたの重くなった目をこすりながら、ぼくは階段を上った。


「あら、もう寝る時間なのね」

「うん、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ。『パパ』と『ママ』にはまだかい?」

「うん、これからだよ」

「あそこは寒いから、体冷やさないようにね。おやすみなさい」

「うん、わかってるよ」


お父さんとお母さんの部屋をあとにして、階段を下りる。

さらに下りる。

すると気温がぐっと下がったように体がぶるっと震えた。

お母さんの言ったとおりふかふかのブランケットを体に巻き付けるようにしてきたけど、ここは夏でもぞくぞくして寒い。

鍵を使って扉を開く。

昔は背が届かなくて、その度におじさんに開けてもらっていた。

最近ようやく鍵に手が届くようになり、こうしてひとりでここに来られるようになった。



ぼく、大きくなったんだよね。

もっと大きくなって、早く大人になりたいな。



扉の向こうは一段と気温が低く感じる。

ぼくはまたぶるっと震えたあと、部屋の中に入った。

電気を点ける。

部屋の真ん中がぱっと明るくなった。

その明かりの下で椅子に腰掛けているのが『ママ』で、膝の上に抱えられているのが『パパ』だ。

ぼくは2人にそっと近づいた。

ママはぼくがそばに寄っても特に反応を示さなかった。パパも同じ。

ぼくは2人に会えて嬉しいんだけどな。

ママは笑ったりしないから。

ママは目も鼻も耳も無い。つるりと丸い顔をしている。

でも口はある。


もぞもぞ。


ママの膝の上にある鉢植えの土が動いた。

にょきにょきと緑色の太い1本の茎と葉っぱが生えてくる。花は特に咲かない。

それからしばらくしてまた何か生えてきた。

丸い頭に小さな手足のあるもの。

それが10個くらい、土の下からぞろぞろ這い出てきた。

今にも鉢植えから落っこちそうになっている。

そこに間一髪、ママの手が伸びてきて、ひょいと拾い上げた。

ママはそれをぱくりと食べた。

他のやつも全部食べた。

ふと足元を見ると小さな手足を必死に動かして逃げ惑うそれが見えた。

ぼくは特に何も考えず踏み潰した。

そして踏み潰されず運良く逃げ延びたのがぼくだ。


「坊ちゃん」


いつの間にかおじさんが後ろに立っていた。


「もう遅いですから、お部屋に戻られたほうがよろしいかと。ここは冷えますから、お体に障ります」


「ありがとう。もう行くよ」


部屋を出ようとして、後を着いてくる気配のないおじさんに振り返って声をかけた。


「いえ、わたくしは掃除を済ませてから戻りますので」


おじさんの足元には潰れた小さな手足があった。


「そっか。じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみなさいませ、坊ちゃん」


今日もぼくが潰されずに生かされた理由をきけなかった。




夜、寝る前はいつもそうしてるように、ぼくはぼくが生まれた理由を考える。

ぼくは自分が普通の人間ではないことはずっと前から知っていた。

でも普通の人間の子供として育てられ、学校にも通って、ごく平凡な生活を送っている。

不思議なことに周りの人達から不審に思われたりしたことはない。

授業参観や運動会といった学校行事には“お父さん”と“お母さん”が両親として参加してくれたし、休みの日にはスーパーで買い物をしたり、公園に連れて行って一緒に遊んでくれたりもする。

お店も街ではそれなりに評判のあるレストランで、クラスメイトの母親達が集まって食事会をすることも少なくなかった。

食材は地元で採れるものを使っていて、メニューも定番のものから季節ごとに旬の食材を取り入れた新作まで、常に飽きのこない工夫を重ねている。

ごくごく普通のレストランだ。


ぼくのパパとママは、あのお店のお客さんだったらしい。

お父さんとお母さんのお店…………だけど、違うあのお店。

あのお店はいつも突然現れる。

いつもそこにあるけど、そこにはないお店だから。

ぼくもくわしくは知らない。

ただおじさんは、こう教えてくれた。


『その人が望めば、この店はお客様のすぐそばで、ずっと待っているのですよ』


その言葉の意味はぼくにはよくわからなかったけど、あのお店はお客さんの気持ちや思いを、すごく大事にしてくれる場所なのだと思った。

パパとママのいるあの部屋はとても寒く感じるけど、2人のそばに寄ればなぜがあったかい気持ちになる。

マネキン人形みたいなママと、鉢植えみたいなパパは、2人でひとつなんだ。

多分ぼくは2人の笑った顔や、ぼくの名前を呼ぶ声や、ぎゅっと抱きしめられたりする感触を一生知ることはないのだろうけど、それでも構わない。

もちろん少しさみしいような気がするけれど、でもいいんだ。

パパとママ、2人が幸せなら、それで。

ぼくも嬉しいから。



僕達、これからどうなるんだろう………。



これも毎晩考えていることだ。

パパとママはずっとあの姿のままなのだろうか?

ずっとっていつまでだろう。

パパは今日みたいにあの小さな手足のやつを土から出して、ママはそれを食べる。

動いてるから、生きてるってことなんだと思う。

ぼくは何なんだろう?

将来、パパやママみたいになるんだろうか?

今は人間みたいな見た目で人間みたいな生活をしているけど、この先どうなるかなんてわからない。

人間として生きるには、セケンと同じじゃないと許されない。

学校の中の小さな教室の中でさえ、みんなそのルールに従わなければならないから。


いまはこのまま…………ずっとこのままでいたい。

その“ずっと”が終わるまで。

いつかはわからないけど、それまではずっと幸せだ。

それまでは…………僕が“何か”なんて、どうだっていいんだ。



ただそこにいるだけが許される存在であれば、ぼくはじゅうぶんに幸せなのだから。








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培養人肉 烏籠 @torikago

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