第13話 後鳥羽院之章③

 蝉丸さんのゲートで僕達は部屋に戻った。蝉丸さんの言葉じゃないけれど、よく考えれば昨日と今日で違う女性を部屋に連れ込むなんて、僕も大したプレイボーイだよ。まったくどうしちゃったんだろうね、僕。

「ごめんね、昨日真理が使ってたんだけどマチコはそこのベッドを使って。僕はこのソファを使うから。じゃあちょっとお茶を入れるね」

 そう言って席を立とうとする僕をマチコが遮る。

「私がやります。貫之さんはどうぞ座っていて下さい」

 トコトコと台所に向かうマチコ。何もわからないって言ってたけど、お茶の淹れ方はわかるのだろうか? まあ出来るのであれば彼女に淹れてもらうのも悪くない。

「せっかくだから蝉丸さんも一緒にいただきましょうか」

 二人ソファに並んで待つ僕と蝉丸さん。マチコを見るとガラス棚に収められた僕の紅茶コレクションその一つ一つに顔を近付けている。香りを確かめているんだろうか。そして彼女が選んだのは僕が真理をを唸らせたダージリンファーストフラッシュ202X、あの中で一番の高級品だった。あの女、出来る!

 ダージリンを淹れるのは実はとても難しいのだが、一番大事なのは技術ではなく飲む人を思いやる気持ちだと僕は思っている。だからたとえどんな出来栄えのものが出てきても喜んで飲む。飲むのだが……

 なんとマチコは徐に茶葉をミルで曳き始めた。僕の想像の遥か斜め上をゆく展開。やっぱり記憶が無いというのは本当だったのか! いや、でもミル上手に使えてるしな。

 僕の心配とは裏腹に子気味の良い音を立てながら粉々に砕かれていく高級茶葉。

「貫之さん、茶筅はありませんか?」

 ……茶筅? あの箒みたいなお茶を混ぜるやつか? そんなものあろうはずが無い。ってまさか!?

「仕方ないですね、これをお借りします」

 そう言って彼女は箸を数本束ね、粉末紅茶を入れた茶碗にお湯を注ぎ混ぜ始めた。

 ……シャカシャカシャカ。

 やっぱり! お茶を点てている。

「できました、どうぞ」

 僕と蝉丸さんの前に二つの茶碗が置かれる。初めて見る代物、いやこれは抹茶、そう抹茶だ。綺麗に泡立ったそれを手に取り顔に近付けると、はたして春の柔らかな香りが僕の鼻腔をくすぐった。茶碗に口をつける。

「……美味い」

 細かく滑らかな泡は口当たりが良く、お茶の持つ苦み、甘味、旨味、それらが一つにまとまりながら絶妙の調和を保っていた。これなら粉々にされた高級茶葉も本望というものだ。

「ほぅ、これは美味じゃのぅ。マスターの淹れた茶も旨いがありゃ薄くていかん」

 蝉丸さんも思わず感嘆の吐息を漏らす。薄くて悪かったな、おい。

「こういう時は確かこう言うんだよね、結構なお点前で」

 ふふっ、とマチコが笑う。

「ありがとうございます、貫之さん。私も頂きます」

 美味いお茶に可愛い女の子の笑顔、これほどの贅沢が他にあろうか。僕達はお茶を飲み終えた蝉丸さんをシステムに戻し、明日の予定を話し合った。

「……というわけで、僕は新宿に向かうからマチコは部屋で待っていて。鍵を預けておくから自由に出入りしていいけど、外は危ないから気を付けて。なるべくならずっと部屋に居たほうがいい」

 しかしマチコは僕の提案に首を振った。

「いえ、貫之さん、私も連れて行って下さい」

「新宿は東京駅の地下街よりもずっと危険なんだ。多分戦いになると思う。君を連れては行けないよ」

 これまでの池袋や東京駅とは違い、新宿では最初から戦うつもりでいる。囚われの天智天皇を助け出すのがその目的だ。真理もいない今、僕一人で戦わなくてはいけないが、そうするとマチコを守っていけるか心配だった。

「お願いです、私も連れて行って下さい。足手まといにはなりません。皆さんの前では言い出せなかったのですが、私はどうやら特殊な力を使えるようです。それに……それに、新宿ではファーストが私を待っている」

 特殊な力……それはやはり詠人の力なのか。いや、それよりも彼女が言ったファースト、その呼び名が歴代皇帝ロイヤルナンバーズ一番目ファーストを指すのならばそれは紛れもなく天智天皇のことではないか。彼女は天智天皇を知っている?

「そのファーストというのは何者なんだい?」

「……わかりません。今、新宿という名前を聞いて、ふっと頭に浮かんだのです。自分で言っておきながらすみません」

 マチコの顔に翳りが差す。何かを必死に思い出そうとしているような、そんな表情だ。

「わかった、一緒に行こう。今はこれ以上思い出そうとしなくていいよ、大切な記憶は必ず戻ってくるから、ゆっくりでいいんだよ」

 彼女は力があると言ったが正直それは当てにできない。しかしいざとなったら蝉丸さんに彼女を逃がしてもらう手もある。彼女の記憶、その鍵が新宿にあるかもしれないし、僕は彼女を連れてくことを決めた。


「ひさかたの光のどけき春の日に、静心なく花の散るらむ」

 ……暗い、そうか、そういえば外は霧だった。これは確か紀友則だったか、ふぅん、光のどけきね、光は射してこないんだけどな、やっぱり心は落ち着かないよな。

「人はいさ心も知らずふるさとは、花ぞ昔の香ににおひける」

 ……これは紀貫之。真理はどうして出ていったんだろう、わからない。そしてたった一日二日で東京は僕の知らない街へと姿を変えてしまった。

「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも……」

 ……これは蝉丸さんの歌。出会いと別れ、別れたその先は。

「……貫之さん、……貫之さん?」


「はっ、あ、おはよう」

 目の前には巫女姿の美少女。マチコ、そうかもう朝か。

「大丈夫ですか、貫之さん。なんだかうなされていましたよ」

「何でもない、うん、今日も良い朝だ」

 そうか、僕は夢を見ていたのか。でも腹を踏まれて目覚めた昨日よりは確かに良い朝だ。

「今、お茶を淹れますね」

 昨日の夜と同じ、抹茶風の濃茶。マチコは巫女装束をきっちり着こなし既に主発の準備を終えているようだ。彼女の服をどうするかということも考えたのだが、ここには男服しか無い。結局この非日常、別に巫女服のままでも構わないという結論になった。

「よし、じゃあ今日は予定通り新宿だね。さっそく出かけようか」

『詠人召喚開始……サモン蝉丸ファンタジスタ

 実は僕は新宿という街をあまり知らない。吉祥寺から会社のある日本橋を往復する毎日、新宿に足を運ぶことはあまり無かった。蝉丸さんの移動は僕の記憶が頼りということで、うぅん、どうしよう、歌舞伎町は新宿駅の東側だから……

「シネマズ新宿、ここでいいか。蝉丸さん、お願いします」

 それは新宿コマ劇場の跡地に完成した都内最大の映画館、僕はホテルが同居するそのビルとひょっこり顔を覗かせるゴジラのオブジェを脳裏に思い描いた。

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