第12話 後鳥羽院之章②
「貫之、終わったぜ。久しぶりに本気になった。やっぱりこうでなきゃな」
服は焼け焦げボロボロの状態の不比等はしかし満面の笑みで僕に勝利を告げた。傍らでぼろ雑巾のように倒れ込む順徳院が口を開く。
「……そうか、義孝に実方、貴様は藤原の魂そのもの、か。なれば我の拳では届かぬはず、すまない父上、後は頼み申した」
順徳院の体が光の粒となって散った。そしてもう一人、床に倒れ込んでいるのは
「不比等、身体は大丈夫か? まだ後鳥羽院が残っている。急ごう」
「ああ俺は大丈夫だ。『
倒れた旧作は一先ずおいて、僕達は真理の元に走る。黒髪の少女も回復したのか動けるようになったようだ。
「さっきの爆発、あれやっぱりあんたの仕業ね。びっくりさせないでよ、もう」
「まあまあ、順徳院を倒したんだしいいじゃないか。それよりこっちは大丈夫かい?」
「ええ、
真理の詠人、清少納言が『
「後鳥羽院、順徳院は既に倒れた。
「ふむ、そうか順徳が負けたか。余も全ての力を出し切れぬ今、こちらの敗北は必至。よかろう、これまでにしよう」
それは潔いまでの敗北宣言、後鳥羽院が覇気を納めてこちらに近付いてくる。
「貫之、と言ったな、見事だ。
後鳥羽院が僕の傍らに佇む少女に視線を向ける。
「その
彼女が詠人? でも服装はともかく何というか物腰が詠人のそれではない。何人もの詠人と向かい合ってきたが詠人にはそれとわかる気配があるのだ。
「ああ余の悲願もここまでか。しかし今ここで其方に許しを請うてまで生き永らえようとは思わぬ。余の心の奥底には未だ晴れぬ無念が渦巻いておる。それを克服せぬままに人との共存を懸想したが故の結末、その矛盾が余を敗北せしめたのであろう。余の心は強くは無かったということか」
人も惜し人も恨めしあぢきなく、世を思ふゆゑに物思ふ身は……後鳥羽院の詠んだ歌は正に彼の思いそのものだった。僕の胸に確かに刻まれたそれは楔。
「では余はゆく。お前の選択、楽しみにしておる」
少女の事を詳しく聞こうと口を開きかけた僕を遮り、後鳥羽院は光になって消えた。僕の選択……優柔不断なんだよな、僕。
兎にも角にも、これで脅威となる詠人はこの場にいなくなった。僕は再び旧作の元へ向かう。
「キュウちゃん、大丈夫かい? まだ生きてる?」
「……うぐっ、貫之、俺は負けたのだな」
旧作が掠れた声で呟いた。
「キュウちゃんの詠人、順徳院は倒した。もういいだろう?」
「貫之……俺は、俺は正義のために戦った。この東京を守るため、この国を守るために」
その目にはもはや先程までの狂気は宿っていない。
「俺の正義は間違っていたのか?」
旧作が僕に問う。
「知らない。君の正義が間違っていたかなんて、僕は知らない。正義なんてものはさ、人の数だけあるものだろう? 正しいとか間違っているとか、そんなものじゃないよ」
そう、旧作の思いは多分間違っていない。僕のそれと違っていただけだ。二つの思いがぶつかって、そしてたまたま僕が勝った。それだけだ。
「でもキュウちゃんが間違っていたのはそのやり方さ。キュウちゃんはこの少女を生贄にした。誰かを犠牲にして得られる正義なんて僕は認めない」
旧作が僕から目を背け項垂れる。自分でも解っていたのだろう、その行動が正しくないという事を。そして解っていながら止めることが出来なかった、進むしかなかった、それが彼の弱さだ。そう、彼もまた弱い。
「キュウちゃんは言ってたじゃないか、自分が小説を書くのは人を楽しませるためだって。そこには主義も主張も無くて、一人でもただ楽しんでくれる人がいればそれでいいんだって。嬉しそうにそんな事を話していたキュウちゃんが僕は好きだよ。さあ、
「……ああ、わかった。その、悪かったな、手間を取らせて」
起き上がりとぼとぼと入口に向かう彼を僕は無言で見送る。後鳥羽院が自ら語った己の弱さ、戦いの末に垣間見えた黒野旧作の弱さ、その二つの弱さが重なり合って
そして、後鳥羽院が去ったからだろう、いつの間にか部屋は元の広さを取り戻していた。さて、残るはこの少女だ。
「終わったよ、君の名前を聞いてもいいかい?」
「名前……私の名前は……マチコ」
振り絞るように囁かれたその声は耽美な響きで。マチコ、それが彼女の名前か。肩まで伸びた
「ええと、僕は
「……わからない、何も覚えていません。わかるのは……そう、マチコという名前だけ」
困ったな、これじゃ帰るべき場所もわからないか。とはいえ、ここに一人置いていくわけにもいかないだろう。
「わかった、取り敢えず一旦僕の家に戻ろう。いいかい、真理?」
当然了解の返事がくるだろうと思っていた僕に真理が難しい顔を向けた。
「貫之、この娘を連れてゆく気? 駄目よ、この娘は
「でも放ってはおけないだろう? それに後鳥羽院だって何だか難しい事を言ってただろう、人にあって人に非ず、とか。全くの詠人というわけじゃないと思うんだ。せめて何か思い出すまでは一緒にいるべきじゃないかな?」
たとえ彼女が本当に詠人だったとしても、危害を加えてくるようには見えない。ええと、僕の好みだからってわけじゃないよ?
「どうしても連れてゆくのね……わかったわ、あなたとはここでさよならね。後は好きにしなさい」
「ちょっと待てよ! いったいどうしたっていうんだ、真理!」
しかし真理は僕の呼び掛けに応えることも無く、一人部屋を出て行ってしまった。全く、本当にどうしたっていうんだろう。何か理由があるなら言ってくれてもいいのに。だけど行ってしまったものは仕方ない。
「あの、ごめんなさい、私のせいで。それと助けてくれてありがとうございます、貫之様」
「え? いや真理が勝手に出て行ったんだ、仕方ないよ。それと僕のことは貫之でいいよ、様とか言われるとなんだかくすぐったいからさ、ええとマチコさん」
くすっ、と彼女が笑う。初めて笑顔を見せた彼女は透き通るように可憐で……そして少女とは思えない程に妖艶だった。
「はい。では貫之さん、改めてありがとうございます。私の事もマチコとお呼び下さい」
「じゃあ帰ろうか、今後の事はまた戻ってからにしよう」
『詠人召喚開始……サモン
あれ? 蝉丸さんの二つ名が変化している。前はジャグラーだったはずだ。システムをアップデートしてもらったせいだろうか。まあ、考えても仕方ないか。
「久しいのぅ、マスター。おや? 連れのお嬢ちゃんが代わったんか? ふふん、マスターもなかなか隅に置けない男じゃのう」
にやにやしながら僕とマチコを交互に見つめる蝉丸さん。前に、召喚していなくても状況がわかるって言ってたから知っているんでしょうに、まったく。
「とにかくここでの用は終わりました。一旦僕の部屋に戻りましょう。お願いします、蝉丸さん」
「ちょいと用事を済ませたみたいに言っとるが、
ほら、やっぱりちゃんと知ってるんじゃないか。
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