第5話 えんま様からの依頼


 そう。きっと数瞬にも満たないくらいの身近な時間だったと思います。

 なにか目眩に襲われ、思わず目を閉じた次の瞬間、僕は自室ではなく、場所も分からないどこか大きな屋敷の庭に立ちすくんでいました。

 いや、分からない訳がない。

 遠くに見える雷雲、赤く染まる山。それだけを見ればここがどこであるか位は簡単に理解出来るのです。

「ふう、お疲れさまでした、ご主人さま。道中ご不便ありませんでしたか?」

 隣を見ると、やりきった表情を浮かべられた女性が一人。

 彼女もこんなに真剣な表情が出来るのだから、出来る限りそう振る舞って欲しいなと思う。

 ただ何の説明もないままに、ここに連れて来られたのはさすがに納得する事は出来ないので、先程までと同様にぶっきらぼうな態度のまま、

「いや、一瞬だったのに不便とかないから……」

 努めて冷淡に言葉を返したのだが、やはり彼女の表情に浮かぶのは笑みだけ。

「あぁん、怒ってらっしゃるお顔も素敵です! やっぱりあの御方にそっくり……」

 うん。もう自由にさせておきましょう。

 咳払い一つ、喜びに悶える彼女に僕は質問をし続けます。

「ねぇ、瑠璃さん。何でここに連れて来られたんですか」

 そう。現世に戻り、全てが解決したのだと僕は思い込もうとしていたのです。

「そうですね。その点について、私から貴方様にお伝え出来る事はそう多くはないのです」

「出来れば、その伝えられる事だけでも言ってくれたら助かるんだけど……」

「……いい」

「え、もしもーし、瑠璃さん、聞いてます?」

「良いわぁ! 強気なご主人さまが召使いである私なんかにお願いしてくれるなんて……あ、私こんな性癖もあるのね! ご主人さま〜貴方様ってやっぱりすばらし……ブヘッ!」

 思わず正面から彼女の両の頬を左右に引っ張り上げていました。

 事もあろうに人に変な性癖を押し付けるなど言語道断。こうゆう時だけは実力行使に出ておかなくてはいけない。

 僕は満面の笑みを浮かべたまま、彼女に努めて優しく語りかけます。

 決して、決して拒否をさせまいと。

「ちょっと、ホントに黙ろうねー」

「ヒャイ……シュミマセン」


 僕の怒りを察してくれたのでしょう、ようやく瑠璃さんは静かになり、佇まいを正してくれます。

 そうやって静かにしておいてくれれば、綺麗だと褒めてあげる事も出来るのですが、如何せん既に彼女の変態ぶり見てしまったため、次の情報を得る事が出来るまで何も言いはしません。

 彼女は少し複雑そうに顔を歪め、

「と、とりあえず私から言えるのは一つだけなのです」

「うん、それさっきも聞いたね」

「私が教えられたのは、貴方様があの御方と『同一の存在となり得るから』と言う事だけなのです。正直、私としては半信半疑でありましたが……貴方様の御姿を拝見し、間違いないと確信する事が出来ました! えぇ、それは間違いなく!」

 本当に興奮します。と彼女はそう言いながら鼻息を荒げていた。僕は煩いと頭を小突いた。これ以上話を中断させる訳にもいかなかったし、ぼやけてはいるけれど、自分の中に確信めいたモノが渦巻いていたのだ。

「あースイッチ入る前に止めてくださいねー。また怒るよー」

「ご主人さま、いけずです。でもそんな所も良い……」

 ダメだ、この人。

 もう放っておくしかないだろうと、今まで瑠璃さんが口にした情報を整理しようとすると、宮殿の御簾の奥から何やら声が響いてきました。

「その声は瑠璃かー? もう連れて来たのかえ?」

「あ、ご主人様。我が真の主様がお呼びです」

 放心状態だった瑠璃さんが正気に戻ったかと思うとそう僕に告げてきた。

 なるほど。この声の主が僕をここに誘った人なのだろう。

 それが本当ならば、今回の件はその『真の主様』が原因のようだし、これ以上話を勝手に進められては困る。

 直々に話をして、僕も納得のいく説明をしてもらう他ないでしょう。

 ん、何でそんなに物わかりが良いのかって? まぁもうこの場から逃げ出す事が出来ないっていうのは、最初から気付いていた事ですから。

「あんまり瑠璃さんの言葉は参考にならなかったので、今からはその『真の主様』のお言葉を参考にでもしようかな」

 憎まれ口を叩きながら、声のした方に足を進めその正面で待っていると、やはり先程間でいた場所で震えていらっしゃいます、変態さんが。

「もーどうしてそんなに私の喜ぶ事を言ってくださるんですかぁ」

 ダメだ、本当にダメだよ、この人……というかそもそも人なのだろうか。

 僕が冷めた瞳で見つめていると、さすがにまずいと思ったのであろう。

「主様—! 道幸さまをお連れしましたよー!」

「ご、ご苦労! 少し待つが良い」

 よく通る澄んだ瑠璃さんの声に、軽やかな鈴の音のような響きで、応えは返ってきた。

 それを聞くに、声の主は女の子であろうか。いずれにしても自分より若い姿をとっているのだろうという事は想像に容易いものでした。

「もう。主様も初心なんだから」

 ニヤニヤしながら、わざと僕に聞こえるくらいの声で瑠璃さんが呟きます。

 この人は僕に一体なにを期待しているんだろうか。いずれにしてもろくなものではないのだろうなと、無理に自分を納得させます。

「いや、まだもう少し暇な時間が続くってことかな……」

 そう。まだもうしばらくは何も出来ないのだ。ならばその間に自分の置かれた状況を整理する必要がある。

 宮殿の廊下に腰掛け、自分の世界に入り込もうと自らの顎に手を持っていこうとした刹那、その手が乱暴に掴まれます。

「……ッ!」

 いきなりの事にビックリしながら顔を上げると、そこには餌を待っているかのごとく、ハアハアと息を荒げた女性の姿。

 まぁ瑠璃さんだったんですけど。

「では私で暇を潰してくださいー!」

「いや、マジ静かにしといてよ……」

 結局この後数分間、瑠璃さんと先程までと同じようなやり取りをする羽目になったのは、想像に容易い事でしょう。


「ん、ん! 遅くなって済まなかった」

 軽やかな声が響いたのは、それから本当に数分も掛かりませんでした。

 ただ瑠璃さんの押しの強さに辟易してしまい、放心状態になってしまっていた僕は完全に反応が遅れてしまったのです。

「道幸様。こちらが我が真の主様でございます」

 つい先程まで僕の足下で跪きながら、幸せそうに笑みを作っていたのが嘘のように、キリッとした表情を作る瑠璃さん。

 変わり身はや過ぎるでしょ……女性って凄く怖いぞ。

「あ、すいません。呆けて、しまって……」

 今日何度目でしょうか。また言葉を失ってしまいました。

「……赤い、髪」

 最初に目を引いたのは、後ろに纏められた長い髪でした。まるで燃えるような、先程遠くの空にみた炎のような色。

 瞳の色は対照的な深い、あまりに深い藍色。目に入るもの総てを見透かすような、深淵を覗いたような深い色。

 それらを目にした瞬間、思わず彼女の虜になりそうになったのですが、次の瞬間僕は冷静さを取り戻す事が出来ました。

「いきなりの呼び出しにも関わらず、ご苦労だった」

 胸を張りながら、少し偉そうに少女が声を発します。

 そう。御簾の奥にいたのは少女。あまりに艶やかな雰囲気を醸し出してはいましたが、彼女は年端もいかない少女だったのです。

 それを認めた瞬間、張り詰めていた緊張の糸が一気に緩んだのか、少し大きく溜め息を吐き出してしまいます。

 これなら何の臆面もなく話す事が出来るだろう。

 そう思いながら胸を撫で下ろし、正面から赤い髪の少女を見据えると、気を効かせてくれたのか、瑠璃さんが咳払い一つ、紹介をしてくれたのです。


「こちらが我が主。次代の閻魔大王さまでいらっしゃいます」


 いや、閻魔大王って……秦広王とか他の十王の何人か面識があるけど、閻魔大王? それってあの絵本とか昔話に出てくる閻魔さまの事ですよね?

 いや、実は自分でも気付かないうちに閻魔さまにあった事あるのかな。


「うむ。我こそ次代の閻魔大王にして、十王を統べる閻魔大王の孫娘よ!」

 本人も胸を張りながらそう言っていらっしゃる。

 そもそも閻魔大王に孫娘がいるって言う事自体、納得いっていないこの現状で勝手に話を進められても。

 しかしあの世が理不尽である事くらい、もう嫌というほど味わったのだ。自分でどうにか出来る事以外は素直に受け入れるしかない。

「初めまして。僕は道幸 錬です。よろしくお願いします」

 あの世でよろしくって、おかしなものだなと内心思いながらゆっくりと頭を下げる。

「我は、知ってるのに……」

 そう一言呟き、彼女はグッと黙り込んでしまいます。

 心なしか顔が赤くなっているのは気のせいではないとは思いますが、何故なのかがよく分からない。

「どうしました?」

 僕の事を知っていると言ったのでしょうか。

 それにしても僕個人としては面識がない上に、かなり高い身分の人のようだし、礼儀は尽くさなくてはならないでしょう。

「べ、別に何もないわよ! 揚げ足を取らないで頂戴!」

「も、申し訳ありません、閻魔さま。以後気をつけます」

 慣れないながらも深々と頭を下げ、少女の言葉が返ってくるまでそのままの姿勢を保つ。

 僕の様子を察してくれたのか、頭を上げるように僕に促し、彼女はモジモジとしたままこう言い放った。

「閻魔さまだなんて長ったらしくて面倒でしょう? 貴方は我のことを『めぐり』と呼びなさい」

 うん、気のせいだ。初対面の、しかもあの世でも身分の高そうな人がいきなり呼び捨てにしろなんてどこかおかしい。

「で、次の閻魔さまが僕に何の御用で?」

 自分の中で気のせいという事にし、話を進めようと口を開きます。

 しかし僕の言葉にすぐ返る響きはなく、代わりに響いたのはグスグスと涙を堪える口籠もった声でした。

「……どう、しました?」

「……呼べって言ったぁ……」

「え、何が?」

「めぐりって呼べって言った!」

「いやいや、閻魔さまをそんな風に呼ぶって……」

「『めぐり」で良いって言った!」

 どこかこのやり取りに既視感を覚えつつ、少女の今にも泣き出しそうなその表情に気圧されてしまいます。

 全く、女の人の涙は悉く武器になるようだ。

「じゃ、じゃあめぐり様で……」

 溜め息をつき、肩を落としながら彼女の提案を受け入れ、言葉にします。

 この強引さ、先日の赤い髪の男性と同じような印象を受けてしまう……瑠璃さんといい、この子といい、あと秦広王もだけど、何故自分のペースで話す人ばかりなのか。

 これで話が前に進むだろうと少しほっとして再び前を見ると、そこには耳まで真っ赤にしためぐり様の姿。

「うん! すっごくうれし……って! さ、最初から我を名前で呼べば良いのよ。本当に物わかりの悪い魂は困るわ!」


 うん。確信した。この子、この一言に尽きます。


「この子……ちょっとめんどくさい?」

 しかし、もっと面倒くさいのが傍にいた。

「あ〜主様羨ましいですわぁ。道幸様にそんなにいじめてもらえるなんて!」

 まぁ言うまでもなく、瑠璃さんだったんだけれど。

「お主は少し黙っておれ!」

「貴方は少し黙っててくれませんか!」

 めぐり様とほぼ同時に厳しい言葉を投げかける。

 僕も変態さんの扱いに慣れてきたのかもしれない。いや、決して慣れたくはなかったんですけど。

「あぁん! お二人とも……素敵!」

 どんな言葉を選んでも、瑠璃さんにはご褒美でしかなかったようなのですが。

「……さて、煩いのは放っておくとしようかえ」

「そうですね。放っときましょう」

 悦にひたる瑠璃さんを残し、僕はめぐり様に導かれるままに、屋敷の中に入る事にしました。

 まぁそのうち正気になって、合流してくれるでしょう。


 御簾を除け屋敷の中に入っていくと、そこには純和風な外観とは違い、どこか洋風な作りが広がっていました。

 いや洋風というよりも、並べられているものは、机とワーキングチェア。僕の部屋にあるモノなんかよりも作りも緻密で、高価なモノでした。

 机の前に置かれたワーキングチェアに腰掛けながら、めぐり様は僕を見据えます。

 彼女の机の前に立ちながらゆっくりと部屋、そしてゆったりと座る彼女を見ると少し笑みが零れてしまいました。

 うん、どこからどう見てもアンバランスと言う言葉が似合う。どこか無理してるんじゃないかなと思う位に、大人を演じようとしているのではないかと思えた。

 しかし今はそれを指摘する場合ではないのでしょう。

 こちらを見据えるめぐり様がゆっくりと口を開きます。

「さて、まず確認しておかねばならぬ事があるのだが……」

「ここがあの世だって事ですか?」

 それについてはずっと気が付いていた。

 それにここは生きた人間が来て良い場所はないは、直感的にこの身体が覚えていたのだ。

「……なるほど、なかなか勘は鋭いようだ」

「そりゃね……何かだいたい分かっちゃいますよ」

 そう。先程からビリビリと身体が震えるのだ。痙攣に似た、痛みを伴う震えが。

 ここにいてはいけない、ここから速く逃げなければと必死に身体自体が訴えていた。

 ただすぐ出なくても良いと思えたのは、僕が既にあの世がどういった場所であるのかを知っているからでしょう。

 なにが面白かったのでしょう、満足げな笑みを浮かべてめぐり様がこう続けます。

「ふむ。秦広王や他の王から聞いていた通り面白い者のようだな」

「いや、面と向かって面白いって……もしかしてバカにされてる?」

 少女が頬を膨らませた。次の瞬間、その表情が怒りに染まって、

「そんなことない! 我が貴方の事を、その魂を嘲笑う事など……そんな事は決して有り得ない!」

 机を両の手で叩きながら、厳しい目つきで僕を睨みつけていたのだ。

 その怒りに満ちた表情が、何処と無く悲しく思えてしまった。

「貴方は本当に自分の事を、貴方が持つその魂を過小評価し過ぎなのです。だから我がこんなにもヤキモキしているというのに……!」

 今日初めて会った人間に対して、ここまで自分の事のように怒ってくれるなんて。

「ちょ、とりあえず話を進めて」

 話をはぐらかそうとそう口にしましたが、それが凄く嬉しかった。

 彼女は言い足りないような表情を浮かべたが、何かグッと呑み込んで、

「……ッ! と、取り乱してしまったわ。とりあえず今の貴方の現状から説明して上げるけどね。貴方の魂は完全な状態で肉体に戻ってはいないわ」

 本当に、何であの世の人はこんなにも大事な事をサラリと言うのか……。

 こんな重要な事を、さらっと、もののついでに語るだなんて。


「ん、え?」

 心の中に広がっていためぐり様に対する暖かな感情が、一気に引いていくのを感じた。

 いや、もちろん基本的には良い人なのだと認識はしているのですが。

「つまり貴方は未だ半死半生の状態であるということ。まぁ無理矢理肉体と魂を縫い付けている状態とでも思ってもらって良いわ」

「半死半生って……また随分な状態ですね」

「何よ、人ごとのように語って。少しは危機感を持ったらどうなの?」

「まぁ確かに緊急措置だって言ってたし、仕方がないんでしょう?」

 そもそも最初から『緊急措置』だと言われていたのだから、心の準備くらいはしていた。それに現世に戻ってからの自分の変化を考えれば、緊急措置の代償を払わなくてはならないのだろうなという事も、心の片隅では理解していたのです。

 だから今更焦る事はない。

 いつも通り、自分に出来る事をするしかないのです。

 しかし、そうだとするならば、更に納得出来ない事があった。

「でもそれで僕がまたあの世に呼ばれた理由が分からないんですけど?」

 そう。僕が肉体を持ったまま、ここに呼ばれた理由だけは本当に理解する事が出来ませんでした。それこそ瑠璃さんのようなメッセンジャーを使ってでも、コンタクトを取り合う事位で良いはずなのに。

「そうね。今の貴方の現状説明するのと少しばかり提案があってね」

 ニヤリと笑みを作るめぐり様。

「うん、これ提案って感じじゃないよね」

 確実に僕にとっては良くない提案なのだろうと言う事はすぐに分かった。

「へぇ、本当に貴方は聡明なようね」

「……」

 いくら聡明などと言われても、気分が良くなる訳ではない。

 表情は知らず知らずの内にしかめっ面になってしまうのだが、それを目にしためぐり様の表情が泣き顔に変わってしまったため、不満をグッと押し込み、ハハハと笑いを浮かべた。

「……い、いいわ。今の貴方については先程言った通りよ。今は魂と身体の繋がりが微弱になっている状態なの」

「それって、僕が身体と離れ過ぎていたのが原因ってことですか?」

「それもあるわね。後は三途の川を越えた魂を無理にその身体に返してしまった事も原因の一つだわ」

「うわ……本当に無理矢理だってことか」

「そうゆう事。こんな特別措置、どれだけ善人であっても……それこそ偉大な英雄に対しても有能な為政者に対してだって為されなかった事なのよ」

 コツンと机の天板を叩きながら、めぐり様は僕の身に起こった事が特別であったのかを教えてくれます。

「まぁそれについてはありがたいんですけど……」

 そう。ただどうしようもなくありがたい事なのですが、それによって彼女たちにメリットがあるとは思えないのです。

 それこそ英雄や賢い人たちの魂を甦らせたりする方が、世の中のためになるのではないのでしょうか。

 頭を過ったそんな考えにどうしても答えを出す事が出来ず、僕が物思いに耽っていると、

「で、此処からが貴方に対する提案なのだけれど……」

 めぐり様は何か申し訳なさそうにそう言った。

「えぇ、とりあえず伺いますよ」

 僕の言葉に、彼女は複雑そうに笑みを浮かべる。

「今、貴方の魂と身体が結び付けているのは、彼ら王の力だったのよ」

 王。つまり十王たちの事だろうか。

 確かに何人かは面識があるのだが、多くの亡者を見ているはずの彼らが、僕なんかの為に時間を使う事自体がおかしいではないか。


 ただ、僕がこれまでの話の中で確信出来た事は……。

「まぁ秦広王がそれを担っていたんだけど、あの人も結構なお年でね。今は我がそれを引き継いでいる訳」

 めぐり様は何か重大な隠し事をしている。


 そしてそれは今の僕の現状に大いに関係のある事なのだろう。

「何だかとてつもなく壮大ですね……」

 それにしても秦広王、こんな所にまできて引き合いに出されるなんて。その上にお年って……どれだけいじられキャラなんですか。

 とにかく今はなにを判断するにも情報が少な過ぎる。

 もう少しでも情報を引き出そうと、何も分かっていない振りをして、そう呟いてみたが、

「まぁ追々詳しく話す事にするわ」

 やはりめぐり様も僕の思惑に気付いているのだろう。そう言ってはぐらかされてしまった。

「いや、大事な所なんだけどなぁ……」

「とりあえず貴方が自らでその魂と身体を結び付けるには……大元になる魂を強固なモノにするしかない。功徳を積んでいくしかないのよ」

「……」

「魂を強固なものにするには、苦難を乗り越えたり他者への愛を強めていったりするしかない。でもそれは人が一生の中で培うものであって、今の貴方にはそんな悠長な時間はない」

 なるほど。確か昔のローマの詩人が『健全なる精神は健全な肉体に宿る』という文章を書き残していた気がする。

 つまりその精神と肉体を繋ぎ合わせるものが魂であり、それが強固なモノとなれば、結びつきは強くなる……という意味だろうか。いや、正解なのかは分かりませんけど。


 しかし一つだけはっきりとした事は、

「切羽詰まった状況ってことですか?」

 という事だろう。

 今の僕の現状が、めぐり様の言う通り予断を許さないものなら、すぐにでも対処しなくてはいけない。


「その通り。また死んじゃってあの世に逆戻りは嫌でしょう?」

 その声に感情はない。

 表情にからは何も読み取れない。

 本来ならば死んでいたはずの人間が元の場所に戻るだけの事。無関係なめぐり様立ちからすれば、それは無関心を貫いていいはずの事なのである。


 しかし……当事者の僕は違う。

「嫌に決まってるじゃないですか!」

 感情が迸る。

 必死に押さえ込んでいた感情だ。

 温厚であれと努めていた。こんな感情は決して表に出さないでおこうと。しかしこの事だけは譲ってはいけない。

「どれだけ親も友人も泣かせたと思ってるんだ!」

 そう。死は自分だけのモノだと思っていた。

 何も残るものはないと思っていた。

 でも違った。残るものがあった。

 それは悲しみで、苦しみだった。

 両親が友人が、そしてソラちゃんが悲しんでいた。そんな感情をもう味わってほしくはない。

「あんな風には……絶対になってやらない!」

 だから、ハッキリ言ってやる。

 僕は再び死んでやらないって。それだけは認めてやらないと。

 一気に言葉を吐き出し、息が上がってしまった。

 突然の僕の変化に、僕の言葉を受けていためぐり様も茫然とし、言葉を失ってしまったようだ。

 ん、話し言葉が変わってしまいましたね。

 あまりに乱暴な言葉遣いになってしまった事を反省しながら、溜め息を深く吐き出して、気持ちを切り替えます。

「すいません、急に乱暴な言葉遣いで」

 素直に頭を下げ取り乱した事を謝罪すると、茫然としていた彼女もようやく正気に戻ったのだろう。

 咳払いを一つ、彼女は不敵な色を浮かべ彼女は高らかに声を上げる。

「だから、そうならないように我が計らってあげようと言う事よ!」

 うん、やっぱり意味が分からない。

「あーそれってつまり……?」

「つまり、我の仕事を手伝いなさいって事よ!」

 更に意味が分からない。

「えーっと……」

 鼻の頭を掻きながら、何故めぐり様の仕事を手伝わなければならないのかを考える。

「ふふん、貴方は頷くしかないの。他に選択肢はないのだから!」

 その不敵な笑みも、その決め付けも何か違和感を覚えてしまう。

 何かこう……無理に丸め込もうとしている感をヒシヒシと感じる。

 とりあえず少し動揺させ、彼女の真の目的を推察するしかない。

 僕は言葉を探してみたのですが、

「と、とりあえずそれって拒否権はないんですよね?」

 上手な言葉が浮かばなかったので、拒否を口にする事にしてみました。

「ふえ……?」

 茫然とした表情を浮かべるめぐり様。

 何かを言いたげにパクパクと口を開け閉めするのだが、言葉の整理がついていないのでしょう。

 言葉を紡げないまま彼女は僕の言葉を受け続けていました。

「いや、それなら秦広王辺りが、僕に力を分けてくれないかなーって……それで万事解決じゃないかと思ったんですが」

 ごめんなさい、秦広王。別に貴方の事、嫌いな訳じゃないんですよ。

 ただ僕に与えられた選択肢は限りなく無いに等しい中で、何かを切欠にしてでも情報を引き出す必要があったのです。

 何よりこれから始まる事の内容が分からないうちから、安易に手伝うなんて言える訳がない。


 しかし僕は大きな過ちを犯していた。

 目の前の少女が、あの世の住人がどうゆう人たちの集まりかを、失念していたのだ。


「い、いやなのぉ……? 何でそんな意地悪言うのぉ……」


 その声に思わず顔を上げる。

 目の前には今にも泣き出す寸前の、いやむしろ既に泣いてしまっているめぐり様。

 いくらなんでも打たれ弱過ぎる。しかしさすがに女の子に泣かれてしまっては、僕も無下にする事は出来ない。

「いやいやいや、嘘です、冗談ですから! 勿論手伝いますから!」


 この時の僕は、それが計略とも知らずに、ただ女の子が泣いてしまったからという理由で、安易にそう言ってしまった。


「さ、最初からそう言えば良いのよ。ホントに!」


 勿論、今となっては後悔しているのです。

 しかしめぐりさまの、涙を拭きながら無理に作る笑顔がどうしても愛おしくて、それだけに満足してしまった。

 何故だかこの子の事を自分が守ってあげないとなんて思ってしまったのです。

 おかしいですよね、相手はえんまさまなのに……。

「あ、はははは……よろしく、お願いします」

 頭を深々と下げてそう口にすると、目の前の少女は満足げな表情を浮かべた。

 うん、やっぱり女の子が一番魅力的な表情は笑顔だと思う。とりあえず今は貴重なその表情を見れた事に満足する事にしましょう。


 ただ自分の身体はどうも正直らしい。

 身体が強張っていた。

 顔には、乾いた笑みが張り付いていました。

 この選択は間違っていると、身体は教え続けてくれていたのです。


 結局彼女が考えている事や、僕が陥った現状について何一つ理解の出来ないまま、僕と彼女の奇妙な協力関係が此処から始まりました。


 一体どうなる、僕の明日……。

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