第6話 お仕事


 朝です。

 光り輝く太陽がこれでもかという位に幅を利かせる空は、蒼く澄み渡っています。

 それこそ、僕の隣にいる彼女の名と同じように。

「錬ちゃーん、速く学校行こー」

 フワフワと耳に優しい響き。

 厳めしい音の方が朝には相応しいと言う人がいるかもしれないけれど、十年来、僕はこの声に起こされているのです。

 今更添えが変わってしまったら……まぁ考えたくもない。

「あーうん。すぐ行くよ」

 こちらも恍けた声で返しながら、自らの部屋を出て、玄関まで足を進めていく。


 あ、おはようございます。道幸です。

 今日から学校です。

 本来ならもう少し静養するようにとお医者様からお言葉をいただいていたのですが、

 『家に帰ってくることが出来るのならば、学校くらいは行けるだろう?』

 『もし辛いのなら保健室で寝ていなさい。サボりは許しません』

 という我が父上・母上の言を受け、今日から復帰する事と相成った訳なのです。

 そんな僕を律儀に迎えに来てくれるソラちゃん、マジいい子。


 玄関の鍵を閉め、軽く伸びをします。

 身体は少し痛い。でも違和感はない。


 昨日、あの夢のような空間で耳にした言葉が嘘ではないかと言うくらいに、今の僕は絶好調だった。

「ま、今日もバッチリ見えるんだけど」

 やっぱり周りを漂う幽霊が見える事以外は、完璧だった。


「何だか疲れてるけど大丈夫?」

 伸びをする僕の隣に並びながら、心配そうな表情を浮かべるソラちゃん。

 だから腕に抱きついて来ないでよ、当たってるから!


 おっと、いけない。ついつい顔がニヤけてしまった。

 僕は右手で顔をパンと叩き、笑顔を作りながらこう続ける。

「大丈夫だよ、心配しないで」

「錬ちゃんがそう言うなら……別に良いけど」

 僕の腕を抱きしめる彼女の力が少し増す。

 心地よい痛み。彼女の存在が間違いなくここに在るという事を感じる事の出来る痛みだ。

「あぁやっぱり良かったよ」

 顔を俯かせながらこちらを見つめる仕草も、不満そうに浮かべる表情も、今は僕だけに向けられたモノだ。

 覚えてはいないけど、階段から落ちようと彼女を救った事は間違いではなかった。

 彼女が変わらずに隣にいてくれる事が酷く嬉しくい。

「……錬ちゃん」

 自分でも気付かないうちに、腕を掴む彼女の手に優しく触れていた。

 本当に無意識だった。

「錬ちゃん、どうしたの?」

 少し涙ぐんでいるのだろうか。

 白く透き通る頬にほんのり朱の色が差し込み、声が潤んで聞こえる。

「ご、あ……何で泣いて?」

 ちょっと、何で泣いちゃうの?

 理解が追いつかないまま、ただ慌てるだけしか出来ない。

 そう言えば女心が分からないからーなんて昔母上に言われた事はあったけど……。

「錬ちゃん、私ね……やっぱり私、錬ちゃんの事……」

 だから潤んだ瞳で見つめないで! 本当にドキドキするから!


 ただ彼女が何を言いたいのか、既に理解していた。


 退院した日、あの日だって結局その言葉を聞けないままに終わってしまったんだ。

 今日くらいは、今日だけは、聞いてあげないといけない。

 それが僕たちの関係を変えてしまうモノであっても。


 と、そんな事を考えていたのですが、


「おー朝からいちゃつくなやー!」


 そんなラブコメのような展開、上手く行くはずがないのだ。


 いわゆるお約束の展開と言うヤツだろうか。

 耳まで真っ赤にしながら僕から離れるソラちゃん。

 その姿をニヤニヤと見つめながらこちらに歩いてくるのは、大声で僕らに冷やかしたリーゼント頭の不良だった。

 まぁコイツ、不良というわけではないんですけど。

「別にいちゃついてないよ。おはよう、トーマス」

「トーマスくん、おはよー!」

「だからそのあだ名で呼ぶなって言ってんだろうが!」

 うん、ここまではいつものお約束。

 トーマスは僕の肩をつかみながら、いつも通りに厳めしい表情を作ってこちらを睨みつけてくる。

「いいじゃん、呼びやすいし」

 が、別に臆する必要はないので、ヘラヘラと笑顔で返します。

「……あー、お前らがそれでいいなら別に良いよ」

 トーマスは少し黙ってこちらを睨みつけた後、めんどくさそうにそう呟いて鼻の頭を掻いた。

 どこか顔が赤くなったような気もしたが、いや……男にそんな仕草をされても違う意味で困惑してしまう。

 言葉を出せずに、とりあえずトーマスの仕草に反応しないまま通学路を歩き始める。

 不足そうにトーマスが舌打ちをしたのは聞かなかった事にしよう。うん、絶対に聞かなかった事にしよう。

 そんな居心地の悪さに茫然としていると、視界にはいってきたのです。口の悪い、僕らの救世主が。

「あ、おはよう。コウヘイ」

「うん。おはよう。トーマスも存外に二人の前では素直なんだね」

「……あ?」

 開口一番、トーマスに対して憎まれ口を叩くコウヘイ。

 口元はニヤけており、早速弄るネタを見つけたと言わんばかりに、顔は嬉々としたモノになっている。

 ん? 何かさっきより居心地が悪くなったような気がするんですが……。


 気付けば、朝っぱらから暑苦しい状況になってしまった。

 友人二人が睨み合い、今にも殴り合うのではないかという状況。

 まぁ、僕とソラちゃんはそれを眺めていただけなんだけど。


 特に語らず数分間、しかも通学路のど真ん中で睨み合う二人を少し冷ややかな瞳で見つめなる。

 これもいつもと特に変わらない日常の一幕。

 しかしそれでは語れないモノが今の僕には『見えていた』のだ。

 思わずその光景を目にして、顔を引きつらせてしまう。

「……少し顔色が悪いようだが、大丈夫か?」

「あ、うん……問題ないよ」

 視界の隅に映る、透けた元・人間の魂。

 それがハッキリと『死んでしまっている』と理解出来ているだけに、この違和感に顔を顰めてしまう。

 僕の変化に気が付いたのか、トーマスと睨み合っていたコウヘイが僕の背に手を当ててくる。   

 彼なりに何か思う所があっての行動なのだろう。今はそれが酷くありがたい。

 しかし、そんな中でもいつも通りに振る舞う人がいる。

「おう、コウヘイ……何俺の事無視してんだよ。舐めてっとしめんぞ!」

 まぁトーマスだった。

 僕とコウヘイの正面に周り、二人一緒に見下ろしながらこめかみに青筋を立てていた。

「いや、本来ならばいつものやり取りをしたい所なんだがね……」

 そう言いつつ、僕の背に触れるコウヘイ。

 僕の顔色を伺い、軽く舌打ちをして苛立つトーマス。

「あー、わーった。今日は止めといてやるよ」

 不貞腐れた表情を浮かべ、前を向き足早に歩き始める。僕らもそれに追いつき次第に速度を速めていく。

「錬ちゃん、無理しないで。学校に着いたら保健室に行こ?」

「うん。そうしようかな……」

 後ろからのソラちゃんの提案を受け入れ、とりあえず僕たちは再び通学路を歩き始めた。

 その間も、相変わらず視界に映る彼らは煩く、何かを必死に話しかけようとしていたのです。 


「まぁこれがずっとは……しんどいよな」

 朝。日差しが穏やかな大地を照らす朝。

 あぁ、こんな朗らかななかでも世界は満ち満ちている。

 こんなにも……死で満ちているのです。


 いや、冗談抜きで……魂で溢れ返ってます。


「今日から……お仕事なんだよなぁ」

 そう。今日からやらなくてはいけない事がある。

 さすがにこれを破ってしまうと……舌を抜かれるどころの騒ぎではないかもしれないのだ。


 日常の風景の中にある非日常が、精神を蝕んでいく。

 そんな風に思っていたのだが……。

「もう、何緊張なさってるんですかーご主人サマー!」

 うん。変態さんと一緒に生活する方が、凄くしんどい事を理解しました。


 登校して早々、保健室で寝てしまおうとベッドに潜り込んだ瞬間、その声は響きました。

 勿論、僕の被っていた布団の中から。

 おそらく、端から見れば羨ましがられるシーンなのでしょう。

 美人さんが自分と同じベッドに入ってくれているなんてまさに男の夢! 一度は体験したい事のはずなのですが……この人、本当は鏡です。

「いや完全に貴方のせいで寝不足なんですけど……」

「私のせいなんて……嬉しい!」

 そう頬を上気させる瑠璃さん。

 この人はどれだけ許容範囲が広いのだろうか。おそらくこの一言も彼女を喜ばせてしまうだけなので、努めて冷たく言い放ちます。

「いや、そろそろいい加減にしてくれません」

 ゾクゾクと身体を震わせる瑠璃さん。これもストライクなのか……。

 天に昇るような表情を浮かべた後、彼女は僕の身体に擦り寄り、モジモジと身体をよじらせるながら、腕を首に回してきた。

 いやいや、本当にこのままじゃ唇当たっちゃいますから!

「ご主人サマ。放課後からはお仕事ですが、手順はお分かりですか?」

 そのミスマッチ過ぎる行動と言動に嘆息しながら、僕は昨日の一人の少女との会話を思い出していた。

「うん、それは大丈夫だよ。一応コイツたちからも色々とレクチャーは受けたし」

 僕は自分の肩に目を向け、そこに住まう隣人たちに笑顔を向ける。

 それは自分の弟や妹のように気さくに話す事の出来る友人。


 倶生神。


 人は生まれた時から必ずその肩に、同名と同生と呼ばれる神様を住まわせている。

 彼らは人間の善行と悪行を記録しながら、死した後に地獄で有名な『あの御方』へとその記録を提出するのだとか。

 以前、あの世にいった時に、秦広王と色々話をしてくれたのも彼らなのだ。僕としては感謝してもし足りないくらいの恩人たちなのある。

 今回彼らが僕の仕事を手伝ってくれるという事で、本来であれば姿を見る事は出来ないのだが、特別に姿を見れるようになった。

「よろしく頼むよ。メイ、ショウ」

 そんな彼らを何時までも堅苦しい名前で呼ぶのも疲れてしまうので、あだ名で呼ぶ事にしました。

 まぁ信心深い人が聞いたら多分発狂するかもしれませんが、目の前の二人はいたく気に入ってくれているみたいなので良しとする事にします。

 とりあえず不安は多いが、どうにか手伝ってくれる、まぁ神様もいるという事で、少しは希望が見え始めてきたのだが……。

「ふ、ふーんだ! 実際に使われるのは私なんですからね! つ・か・わ・れ・る! のは私なんですから!」

 一人、かなりの不安材料がいた。

 いうまでもなく、瑠璃さんだった。

「二人には期待してるからね」

「あぁん、ご主人サマ最高ですー!」

 無視してもこの反応って……この人を黙らせる方法ってないのではないのか。

 今日、何度目かの溜め息をつき、ベッドに寝転がって天井を眺めます。

「でも、僕なんかに出来るのかな。ただの一般人じゃないか」

 気付くと、そんな独り言が口から零れ落ちていました。

 そう。やはり何だかんだで不安なのだ。

 つい最近までこの世に、これだけ魂が溢れ返っている事を知らなかった僕が。

 のほほんと友達と過ごしていただけで、何も特別な力もなかった僕が。 

「ただあの世を知ってるだけの僕が、何を出来るのさ」

 そう独りごちて、また溜め息。

 すると僕の頭上に影が掛かり、ジッとこちらを見つめる視線に気が付きました。

 隣で寝転がっていた瑠璃さんが身体を起こし、優しい表情を浮かべながら僕を見下ろしていました。

 艶やかに揺れる藍色の髪をおさえる仕草に、一瞬ドキリとしたのは秘密にしておこう。

 絶対に喜んで、そこばかりをついてくるから。

「そう。貴方様は『あの世』を知ってらっしゃる方。何より『あの御方』と同一の存在となり得るお人なのですから」

「その『あの御方』って誰の事なの? めぐり様じゃないの?」

 その言葉にやはり違和感を覚えながら追求を試みますが、するりとはぐらかされてしまう。

 めぐり様以外にも、暗躍している人物がいるのだろうか。

 何にしても、こんな真面目な表情も出来るのなら、瑠璃さんに対する評価も改めないといけないなと思っていたのですが、

「うふふ。少しは謎を残しておいた方が、ご主人サマも興奮するでしょ」

「いや、貴方と一緒にすんな」

 やっぱりその必要はないようです。



「———誰かいるの?」

 ガラリと保健室のドアが開くのと同時に、芯の通った声が室内に響いた。

 聞き覚えのある、少し苦手な人のその声に、思わず身体をビクリと震わせてしまう。

「ちょ、三人ともとりあえず隠れて!」

 といっても、僕以外の人に三人の姿が認識出来るわけでもないので、三人は悠々としているのですが。ホント、あの世の関係者はマイペース過ぎるよ。

 白の清潔感のあるカーテンに影が映り、声の主が誰であるのか確信出来たので、その声の主に僕は声をかけた。

「すいません、寝させてもらってます」

「……あぁ、道幸くんだったの。身体の方は大丈夫?」

 いやいや、許可もしてないのにカーテン開けないでよ。

 そうゆうズケズケした所も少し苦手なのだが、それをフォローしてあまりある魅力を彼女は秘めていた。


 カーテンを引いて姿を見せたのは、黒髪を短く切りそろえた一人の女性だった。

 ただそれ以外は何の特徴もなく、目立つ所といえば赤い丸みを帯びた逆台形のフレームの眼鏡をかけている事くらいでしょうか。

 知的というか、モダンでハイカラというか……うん。眼鏡は偉大だ。


 彼女の名は兼平 直枝(かねひら なおえ)先輩。

 僕の一つ上の学年で、生徒会の書記をされているらしい。ちなみに生徒会のメンバーが全員女性らしく、力仕事を手伝うという名目で、男子生徒がよく生徒会室に入り浸っているという噂を聞いた事がある。

 そんな中でもこの兼平先輩、物静かな雰囲気もあって中々人気が高いのだとか。

 しかしそんなステレオタイプな文学少女のような容姿とは裏腹に、彼女の口にする言葉は、なかなかに辛辣なものが多い。実際、そのギャップに幻滅する者は非常に少なく、彼女の虜になる者が後を絶たないのだとか。


 ちなみに僕は……ノーコメントとさせてください。


「兼平先輩、ご無沙汰しています。少し寝不足でして……先輩は体調でも悪いんですか?」

「少し、指をね……」

「……だ、大丈夫っすか?」

 そう言いながら人差し指を口にもっていく仕草……グッと来なかったといえば嘘になります。

 うん、そりゃ僕も健全な男子高校生ですから。仕方がない事なのです。

 

「ご主人サマー! なにを興奮なさってるんですかー!」

 そんな声が耳元に聞こえましたが、無視しよう。聞こえない、聞こえない。


 すると指を口に入れたまま、顔をこちらに近付けてくる兼平先輩。

「顔が赤いけど、熱でもあるんじゃない?」

 そう言いながら不思議そうに小首をかしげる彼女の仕草に、自然と胸が高鳴っていく。

 この人、本当に反則過ぎる。

「そ、そんな事……」

 気恥ずかしくなり少し俯き加減にそう返すと、視界の隅から延びてくる白く長い指。

「……ヒッ!」

 額にあてられた掌はひんやりと、どこか心地よく感じる。

 咄嗟の事に身体が動かず、彼女の顔を正面から見てしまう。

 彼女が言葉を発する度に唇が艶かしく、プルプルと振るえる様を目の当たりにし、顔が赤くなっていくのが自分でも分かった。

「ん、平熱だけど……ご、ごめんなさい!」

 彼女も気付いたのだろう。素早く僕の額から手を離し顔を背けてこう続けた。

「……わざとじゃないのよ。誰にでもしないんだから」

 いや、本当にその言葉は、人に勘違いさせますって。

「……っす」

 しかし僕は勘違いしません。

 彼女の行動も言動も、全部一つの目的のために実施されているという事を、僕は既に知っているのです。

「道幸くん、この間お願いしていた件なんだけど、考えてくれたかしら?」

 ほら、僕が一人で思案していた最中、あっさりといつも通りのクールな表情を作ってこういってくる先輩。

「臨時で生徒会を手伝うってヤツですか?」

「そうね。病み上がりなのは承知しているのだけれど、出来れば早く答えが欲しくて」

 そう。以前から兼平先輩には、なんだかんだと僕を生徒会の活動に誘ってきていた。

 個人的には何度もお断りを入れているのだが、僕の言葉の端々にある遠慮を切欠に、明言はまた今度という事で躱され続けている。

 生徒会の小間使いになるのが嫌な訳ではないのだが……。

「僕じゃなくても、例えば会長とかが手伝いの人を連れてきたりしてるみたいですけど……」

 そう。生徒会に入り浸る男連中は、みんな生徒会メンバーとお近づきになれたらと思っている連中ばかり。

 僕も一人の男なので、勿論仲良くはなりたい。

 しかしそんな連中に混ざってまで、必死に気に入られたいのかと言われれば、それも違うのです。

「あの人たちが手伝っていれば、問題ないでしょ?」

 そんな僕の言葉に少し顔を顰めながら、

「彼らはダメね」

 と、斬という音が聞こえるかと言うほどに、ばっさりと僕の意見は切り捨てられた。

 彼女は咳払いを一つ少し遠い目をし、呆れ果てている。

 何か悪い事でもしてしまったのか?

「会長がアレだから、連れてくる人も下心が透けて見えるのよ」

「まぁ会長もアレですからね」


 生徒会長さま。

 かなりの美貌をお持ちの方なのですが、天然の小悪魔というか、少し難儀な方なのである。

 彼女の事は別の機会に語る事にしよう。

 あの人の事となると、兼平先輩もかなり思う所があるようだし。


「そんな人たちよりは少し子どもっぽくても、真面目な人にお仕事頼みたいでしょ?」

「面と向かって子どもっぽいって……」

 馬鹿にされているのだろうかと、思わず眉間に皺がよるのが分かった。

 子ども扱いされている事にも腹が立ち起こしていた身体を横たえ、ふて寝を決め込もうとした次の瞬間、先輩は僕の寝転がっていたベッドに腰掛け、覆い被さるように身体を預けてきた。

「……っ!」

 息が止まる。綺麗な肌。何度見ても飽きる事はないだろうと思えるその容姿に、僕は息をつまらせる。

 ふと白磁のような細い指が僕の額に触れた。

「私は先輩。貴方は……?」

「こ、後輩っす……」

「……ね?」

 それは否定を許さない、まるで魔法のような言葉だった。

 ん? 違う。これ、丸め込まれてるぞ!

「いや、『……ね?』って何ですか。さすがにその手には騙されませんよ」

 身体を預けてくる彼女を乱暴に引き剥がし、強気に僕はそう言い放つ。

「ふふふ、やっぱりダメかー。少しは自信あったんだけど」

 おいおい、何だよ自信って……まぁ完全に陥落寸前でしたけど。

 僕が身体を起こすのと同時に、彼女はスッと立ち上がり、少し乱れたスカートを直す。

 その流れるような動きに、また僕は目を奪われてしまった。全く……この人には敵わないのだと、改めて実感する瞬間だった。

 彼女自身も、僕がそんな事を考えている事くらいお見通しなのだろう。

 一気に攻め立てる事はせず、今日もギリギリのところで踏みとどまり、いつもの笑顔でこういった。

「じゃぁね。サボってばっかりじゃダメよ」

「は、はい……」

 もうね……多分ソラちゃんがいなかったら、僕あの人の事……まぁここからは言わぬが花かな。


「ご、ご主人サマ……」

 あ、この人の事忘れてました。


 何故かブルブルと身体を震わせる瑠璃さん。

 確かにあれだけ暴れ回ったのだ、機嫌を損ねていても仕方がないかもしれない。

 激昂される事を覚悟し、出来る限り穏やかな口調で僕は語りかける。

「あぁゴメン。長い事窮屈な思いさせて」

「許せません……もう許せません!」

 ダメだ、やっぱり怒っている! と思っていたのです。

 恐る恐る、彼女の表情を見るまでは。

「あんな子のどこがいいんですか! 性格ですか、お顔ですか、お胸ですか! 確かにたわわに実った豊満なお胸は同性の私も揉んでみたいなーなんて思えるくらい素晴らしいものですって良い所しかないじゃないですか? うわ、私あの子めっちゃ好きです。ヤバい! ご主人サマ、あの子私にください!」

「……寝るから静かにしてねー」

 結論、やはり瑠璃さんはただの変態です。

「あぁん、でもやっぱりご主人サマの『ほうちぷれい』が一番好きですっ!」

 うん。どんだけ特殊なんだ、この人。


 喧しい瑠璃さんを無視し、一人夢の世界へと旅立つ。

 ただ眠れない今は、仕事がどんな内容だったのかを、思い出す事とします。



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