第4話 変わってしまったもの


 そう。僕は見えるようになってしまったのだ。

 死んでしまった生き物の魂、ユラユラと自分の状態を理解出来ないままに漂っている人間の魂を認識する事が出来るようになってしまったのです。

 これが原因で休まる時間がないというか、どんな時でもいろんな魂が話しかけてくるようになり、一心地つく暇がないのです。

 先程からずっと視界の隅に映っていたのは、金髪でリーゼントの幽霊。

 どうやらトーマスについてきてしまったのでしょう。僕の事を認識した途端、ずっと僕に声をかけてくるようになったのです。


「と、とりあえず早く帰ろうよ。もうソラちゃんの料理楽しみだなーって!」

「そ、そこまで言ってくれるんだったら早く行こう?」

 とにかく今は家に避難しようと、彼女の腕をとって再び歩き始めます。


 しかし歩き出す僕たちに関係なく、金髪リーゼントの幽霊さんは僕の前に立ちふさがり、相手をしてくれと言い続けてきます。

「おーい、そこの兄ちゃん。見えてるんでしょ? 相手してくれよー」

「あーまた今度に……」

 そう。ついつい応えてしまった僕も悪かったのです。

 満面の笑みを浮かべて、僕の肩に腕を回しながら金髪リーゼントさんはこう続けます。

「約束だぞー! 破ったら祟ったるからなー!」

 いやいや、そんな満面の笑みを浮かべて物騒なこと言わないでくださいよ。

 一息ついたら後で話をしに来ようと半ば諦めからの決意をし、コクリと頷いて歩く速度を速めます。

「いや、普通に会話しちゃってるよ。あれって……あれだよな」

 今まで試した事はなかったのですが、本当に幽霊……いや魂と会話が出来るなんて思っていませんでした。

 こうなってしまうとますますあの世で聞いた言葉が気になってしまいます。如何せん、今のこの現状では事実を確かめる術もないのだからどうしようもない。


 仕方がないなと溜め息をつきながら、空を見上げます。

 快晴の空。澄み渡る空。薄く透けた魂が飛び交う空だ。

 そして地上に目を向ければ、それぞれ思い思いに街を闊歩する魂もあり、ある意味あの世よりも魂が自由に過ごしているように思います。

「実はこんな風になっていたなんてさ。本当に言葉を失くしちゃうって言うか……」

 しかし不思議と驚いたりしない自分がいる。

 これはあの世の記憶があるからなのか、それとも元からその事実を心のどこかで認識していたからだろうか。

 ただ不思議と、こんなにも彷徨ってしまう魂がいるのだから、それを導いてあげなくてはいけない。それを為す何かが必要なのではと思ったのです。

 そう思い至った理由は簡単に答えを出す事は出来なかったのですが。

「もー錬ちゃん、さっきからブツブツどうしたの? やっぱり疲れてるの?」

 とりあえず今はソラちゃんが元気良く過ごしてくれている事がたまらなく嬉しい。

 そんな彼女に心配をかけ続ける訳にはいかないのだ。

 とりあえずは少し落ち着いてから今後の事を考えようと思いながら、彼女の方に向き直り笑顔を見せます。

「大丈夫だって。速く家に帰って、ソラちゃんの料理食べたいよ」


 ただこの時の僕は、あまりに楽観的だったのかもしれません。


 あの世から還って来ることが出来た。

 魂が見えるようになった。

 そんな魂と会話が出来てしまうようになった。


 それにどんな意味があるのかを、僕は全く理解していなかったのです。

 なによりそれが人の道理を覆しているという事にも、気付く事すらしていなかったのですから。


「あー食べ過ぎたかな」

 ゴロリとベッドに身体を横たえながら、口にするのはまさにお約束の一言。

 それにしても今日のソラちゃんの料理も、ハッキリとした味付けだった。

 辛いものは辛い。甘いものはとことん甘い……うん。僕は美味しいと思うのですが、他の人からすれば確かにキツいでしょう。

「ホント……一体何だったんだろうな」

 一心地付きながら天井を見上げ、今日の出来事を反芻します。

 思い出すのはソラちゃんの笑顔。そしてついでにトーマスとコウヘイの意地悪な笑い声でしょうか。

 本当に友達がいのある良い奴らだと、改めて思います。

 しかし今日何より自分の中に残ったのは、チラチラと視界の隅に映り果ては図々しくも話しかけたりもしてきた、彷徨える魂たちについてです。

「見えるようになったんだよな……」

 ほら、今だって老人の魂がフヨフヨと僕の傍を通っていきましたよ。

「魂が見えて、会話も出来る」

 これじゃただの中二病の痛いヤツじゃないですか。

 乾いた笑い声が室内に響き渡ります。思った以上に僕自身もこの現状についていく事が出来ていないようです。

 ただこれで終わりという事はないんだろうなと、心のどこかで確信している自分がいました。

「後は、何が出来るんだろ? たかがあの世を知ってるってだけだよ……そんな僕に何が出来るんだよ」

 寝返りをうちながら、そう独りごちます。

 そう。僕はあの世を知っているだけの、ただ高校生なのです。

 そんな僕が、そんな無知な僕が急にこんな中二病的な力を与えられて、なにか出来る事があるのでしょうか。

「こんな子どもに……出来る事なんてそんなに多くないよ」

 でも、出来ないとは決して言わない。

 それこそ僕みたいな子どもでも、出来る事はきっとあるはずなのです。

「だから、とりあえず話だけでも……」

 後から聞いたのだが、霊的耐性がない人間が無防備に彷徨える魂と関わりをもってしまうと、その心身に害をもたらす可能性があるらしいのですが、この時の僕はそれすら知りませんでした。

 まぁ既にあの世を見てしまった僕にとっては、杞憂な事だったらしいのですが。

 しばらく天井を見ながら思案していると、ふと視界の隅にキラリと光るものが映った。 

「ん、何だこれ」

 それは少し離れた机の上に置かれていました。

 片手で持てるくらいのサイズの、長方形のシンプルな鏡。

 ソラちゃんなら、もう少し可愛らしいモノを持っていたよなと思い出しながら、ふと手に取ってみます。

「僕こんなのもってなかったはずだけど」

 そう。そもそも無精な僕が鏡など準備している訳もない。

「でもこれ、どこかで見た事があるような」

 確かこれはあの時、少女のような可愛らしい声に話しかけられた時に見たような……。

「これって、あの世で……ウワッ!」

 刹那、光を受けて情景を写し出すだけの鏡が、自ら光を発した。

 それに目が眩み、それを細めながら事の成り行きを見守っていると、ふと手にしていたはずの鏡の感触がそこからなくなったのです。


 そして次の瞬間、僕の鼓膜をけたたましい女性の声が叩きました。


「はーい! おはようございまーす! ようやく呼んでくださいましたー! もう待ちくたびれて、待ちくたびれて肩凝っちゃいましたぁ!」


 予想もしていなかった事態になった瞬間、人は言葉を失くすと言いますが、今まさに僕の状態がそれでした。

「え……え?」

 すぐに認識する事は出来飼ったのですが、どうやら僕が先程まで手にしていた鏡が姿を変えたようだ……って考えている僕が一番その事実を信じたくない。

 しかしその事実は覆す事は出来ない。

 ただ深い藍色の髪を翻しながらクルクルと踊るその人は、息を呑んでしまうほどに美しかったのです。

「どうも始めまして、ご主人さま? マスター? それともあ・な・たってお呼びした方が良いでしょうか。貴方の瑠璃(るり)ちゃん、此処に参上いたしました!」

「いや、ちょ……」

 僕の言葉を待たずに、いきなり現れた女性……瑠璃さんでしょうか。彼女はケラケラと笑いながら、自分のペースで話す事を止めません。

 僕はというと、突然の事に未だに頭が追いついていないようです。

 ただ今のこの状況、以前に体験した事があるような気がする。いや、もうそれが何時だったのかは思い出しているんですが、本人の口から明言を得るまでは……。

「もう、こんなに待たせたのに何で何も言ってくださらないんですか? ハッ! まさかこれが今現世で流行中の『ほうちぷれい』というヤツなのですね。あぁん、ご主人さまがそんな特殊な性癖をお持ちだなんて、あの御方からは聞いていませんでしたけど、瑠璃ちゃん頑張っちゃいます! 何だって来いでし! あ、かんじゃった……」

「……すいません、ちょっと本当に黙ってもらえません?」

 もうここまで来ると綺麗だとか、そんな事は関係ない。

 会話が成り立たないと、話を進める事が出来ないので、少しキツめの言葉を彼女に投げかけてみます。

 刹那、彼女はパタリと動きを止め、僕の方を見据えます。

 さすがに初対面で失礼だったかと謝罪を口にしようとすると、視界に入ってきたのは天に昇るのではないかと思えるほどの至福に満ちた笑顔。

「あぁん、そんな冷たい瞳も……す・て・き! 瑠璃ちゃん興奮しちゃいます!」

 あれだ……この人そうゆう人だ。

 そんな至福な表情を見せられても、全く話が進まないので、特に気もせず僕は僕で話を続けます。


「いや、結構本気で怒ってるんで。これ冗談じゃありませんから」

「……あ、怒っちゃいました?」

 瑠璃さんは急に言葉を止め、ビクリと身体を震わせます。

 さすがに少し言い過ぎた。やはり初対面なのだから、一定の礼儀を以て接しなくてはと反省しながら、僕は申し訳なさそうにこう呟いた。

「いやね、さすがに僕もいきなりの事にビックリしただけですから。大人気なく怒っちゃったりしてごめんなさい。自己紹介もしてませんでしたよね? 僕は道幸 錬です。貴方はえーっと、瑠璃さんでしたっけ?」

「もうっ! 瑠璃ちゃんって呼んでください」

「あのね、瑠璃さんは……」

「瑠璃ちゃんって、呼んでください!」

 うん。この人に礼儀なんて要らない。

 指摘したい事は山ほどあるのだけれど、今はこの現状を説明してもらわなくては仕方がないのだ。

 僕は嘆息一つ、机の前に置かれたワーキングチェアに腰掛けます。

「いや、今そんな事どうでも良いって言ってるでしょ。それくらい分かってよ」

 極めて冷たく、突き放すような一言。

 自分でもそんな声が出せるのに驚いてしまうくらいのその冷ややかさに、瑠璃さんも何か思う所があったのでしょう。

 先程まで嬉々とされていた瑠璃さんは俯き、足下を見つめながらモジモジとされています。

「そ、そんな冷めたお言葉を下さるなんて……」

「ご、ごめんなさい。さすがに少し言い過ぎました……」

 声が心なしか潤んでいるような気がして、彼女の傍まで言って顔を覗き込みます。

 次の瞬間僕の右手を掴む、透き通るような白い指。

 かたく僕の手を握りながら燦々と輝く女性の姿が、そこにはあったのです。

「さすがはあの御方と同じになり得る方ですわ。貴方様、やはり最高です!」

「あーれー?」

 まぁ言うまでもなく変態……もとい瑠璃さんだったのだけれど。

 つまりこの変態さんには、苦痛も快楽も簡単に喜びに変えてしまえる、そんな嗜好をお持ちのようなのである。

 初対面の人をそう断じるのは失礼かとも思ったが、この人の話を聞かないその自分勝手さは、どうしたってフォロー出来るモノではない。

 半ば諦めつつ、開いたままの左手を彼女の頭にのせます。

 何だか大きなペットを飼う羽目になった気分だなと独り言を呟くと、真っ赤な顔でこちらを見つめる瑠璃さん。

 しかしその上気した顔が次の瞬間にはまじめなモノに変わり、彼女は何かを思い出したようにこう続けます。

「ん。お楽しみはこれくらいにして、私もそろそろお勤めを果たしましょう」

「いや、お楽しみって……」

 完全に流されてしまっている。これではいけない。もしかするとまた何も理解出来ないうちに、状況が変化してしまうかもしれない。

 だが僕の考えとは関係なく、瑠璃さんは僕の手を握りながら満面の笑みでこう呟いた。

「ではお連れします。我が真の主様の所へ」

「いやね、さっきも言ったよね? この全然理解が出来ていないままに物事が進んじゃうのが凄く嫌なんだって……」

「では少し揺れますよー」

「だから人の話聞けや!」

 デジャヴだ。また急に意識が飛んで、別の場所へと景色が変わってしまう。

 この時、確信したのです。瑠璃さんは間違いなく、あの赤い髪の男性の関係者であるのだと。

 あの世関係の人が、僕が呼び出しているのだと。


 ただ直感していた。僕には拒否権はない。

 予定調和のように、粗筋にそって物語が進んでいくように、誰かに決められた道を、今僕は進み出そうとしているのだろうと。


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