003. 化け猫火車お燐

 自己紹介を終えるとお燐は踵を返して歩き出す。

 シニエも後ろを付いていこうと足を前へと動かす。チャリ。ズズズ。シニエの耳に聞きなれた鎖と鉄球が磨れる音が聞こえた。物心付く前からシニエの右足には足かせが付いている。成長と共に足かせを軸に反って歪んだ脚はシニエの歩みを阻害していた。長時間火煙に囲まれて酸欠気味のシニエは足かせの重みに耐えられず前のめりに転んだ。途中お燐へと手を伸ばし、むぎゅ、と目に付いた小さな毛玉を掴む。


「きゃあ!?」


 かわいらしい悲鳴だった。ビックリして手を放すと掴んだ毛玉の高さ分浮いていた上半身が硬い床に打ち付けられる。顔面の痛みをこらえて胸下まで腕を引て肘をつく。上半身を起こすと伏せた顔を上げて先ほどつかんだ毛玉を改めて目にした。毛を逆立てた二つの毛玉が目線の高さにあった。それがお燐の短い尻尾だとシニエが気づき、獣が毛を逆立てる行為の意味を思い出す。

「ごめんなさいごめんなさい・・・・・」

 シニエの肩を震わせながら誤るシニエ。ガチガチと歯がかみ合わない。激昂する白い人を思い出してシニエは恐慌状態に陥る。

「ん~にぎゃあもう。そんな怯えるんじゃないよ」

 尋常じゃない怯え方をするシニエに毒気を抜かれたお燐が声を上げる。

「ただし次はないさね」

 ぽんぽんうりうり。頭を軽く叩いて撫で回す。ムニムニとやわらかい肉球の感触が不思議とシニエの気持ちを落ち着かせてくれた。

脇の下に手を通してシニエを持ち上げ立たせると。

「まったく。こんなもんがあるから転ぶんだ」

 お燐が屈んで足かせを爪でなぞる。チュインと一筋の赤い線を描いて足かせがカランと音をたてて外れ落ちた。そうしてようやくお燐はシニエの右足がいびつに歪んでいること裸足であることに気がつく。こんな踏ん張りも利かない足じゃまともに歩けやしないだろう。ましてや人は弱いから衣服で身を守る生き物だ。裸足じゃ火を除けても焼け石に足の裏がすぐに焼け爛れる。照らす火の色で分かりづらいがよくみれば皮膚がだいぶ赤い。すでに十分な火傷を起こしている。汚い巻頭衣にもたくさんの穴。どれだけ火の粉を浴びたのやら。

 他には何もないか。興味もなく見もしなかったシニエを改めてみる。一本の爪を振って長い前髪を切り落とすと左右色の違う瞳が姿を現した。左は菖蒲あやめ色。右は赤茶。菖蒲色の目に思い至ることがあったが今確かめることでもない。立てた爪をすっと横に動かすとどちらの目も爪を追った。目に障害はなさそうだ。落ちた白髪を摘まんで見る。くすんだ白髪は明らかに色素が足りていない証拠。何らかの理由があって色づけなくてできる白髪だ。こけた頬といい。明らかに栄養が足りていない痩せ細った体。シニエの過去を物語る痕に外へ出ても無事でいられるかどうかと思う。

チッ。舌打ち一つ。嫌なもん見ちまったね。

 あたしゃ。吾が子かわいさ知って子供の守り神になったどこぞの鬼子母神ほど殊勝じゃない。でも自分から差し伸べた手を引っ込めるほど白状でもない。愛情深い猫は他人の子だって育てるものさね。

 チッ。踏ん切りをつけるように大きく舌打つ。


「猫は愛情深いんだよ。地獄の裁判で聞かれるから死後まで覚えときな」


 お燐がつめ先を振ると輪淵に火をともした車輪が二つ現れる。それはシニエの足の下に潜り込むと手のひらが通るくらいの高さでシニエをわずかに持ち上げた。

「これで付いて来られるさね」

 お燐は再び踵を返す。驚き戸惑うシニエを置いて進んでいく。おっかなびっくりシニエが地面から少しだけ浮いた足を動かすとスーと宙を滑るように体が前へと進んだ。引きずられない足。もう一歩。もう一歩と確かめるように進む。スイスイと進む初めての感覚。うれしくなってシニエの口元がほころんだ。足元から顔を上げると開いたお燐との距離に慌てて後を追いかけた。これが走るということだろうかと白い人の走る姿を思い出し、はじめての感覚にシニエははしゃいだ。


 化け猫という種類のお燐は不思議な猫だった。考えてみれば人の言葉を話すし、足かせをはずしてくれた上、シニエが歩きやすいように足の裏に輪をくれた。今も火を掻き分けて進むお燐の後には火も煙もなく。その背を追いかけるだけで息苦しさが和らいだ。いつしか前を進む大きな猫の背にシニエは安心感を覚えていた。でもその安心感が逆に、これはシニエの夢で目を覚ませば太陽の中で燃えている途中かもしれない、と心の不安を掻き立てる。

 お燐の足が止まる。これで五度目だ。このあとお燐は決まって火を覗き込み。しばらくすると興味を失ったように、ふいっ、と顔を背けてまた進み始める。

せっかくだとシニエはわざと急停止できないフリをしてまたお燐の毛に埋もれる。一度目に急に止まれずお燐の毛に飛び込んだ際、そのフワフワモフモフの心地よさを知ってしまったせいだ。心の不安もあってまだ子供のシニエは安心できるモフモフに抗うことができない。

 シニエのモフリにお燐は何も言わない。好きにさせていた。

 本当はシニエにもこれが現実だとわかっていた。頬ずりすれば焼けた肌がヒリヒリと痛みを返していた。それに。短い人生でこんな心地よさや安心感は初めてのものだ。こんな知らないいいことを夢で見られるとは思えないし見たこともない。

 シニエもわざわざ足を止めてお燐がしていることが気にならないわけではない。実はお燐が足を止めた火を一度覗いてみた。ただ火の中に異臭を放つ黒い塊があったぐらいで何をしているのかさっぱりわからなかった。

 シニエはパッとお燐背から離れて横に並ぶ。邪魔にならないだろうか?と思いつつ。思い切って聞いた。

「何してる?」

「仕事さね」

 思いのほかすんなりとお燐は答えてくれた。

「仕事?」

「そうさね。もともとあたしゃ仕事でここに来たのさね。あたしゃ火車かしゃっていう化け猫の妖怪でね。罪深い人間の遺体や怨念のこもった物――憑きものを集める仕事をしているのさね」

 知らない言葉が多い。わかる言葉だけを拾い集める。要は仕事で探しているものがあって、それを集めているということだろう。

「(集めて)どうする?」

「地獄に持っていって火にくべるのさね」

「なんで?」

 大きな口をωの形にしてお燐は笑って言った。


「この世がきれいであるようにさね」


 正直言うとお燐の仕事の意味はシニエにはわからなかった。ただ雰囲気的に大事な仕事をしているのは分かった。


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