第4話 上洛

 さて、越後に逃れた憲政は、景虎の出迎えを受けた。

「これは、管領殿、はるばる遠国越後までよく脚を運びなされた。さぞ御心労いかばかりでござろうか。ゆるりと休まれましょう」

「そちが、こちらへ参った訳は」

「そのことは先に頂戴いたしました書状よりご推察いたします」

「ならば、話は早い。小田原の北条めは、早雲がおこしてより、わが領内にて好き勝手な振舞いに及び、領土を奪い、名門上杉家をないがしろにしてきた。このままにはできぬと成敗しようとしたが、上杉家に往時の勢いはなく、関東の諸侯も小田原に誼を通じており、ついに氏康に河越城を追い落とされて、もはや手足をもがれてしもうた。そこで恥を忘れて越後まで頼みに来た所存。亡父為景殿とは刃を交わした縁もあり申したが、すでにこの世になく、景虎殿はまだ若輩ながら、武勇に優れ義にも厚い御仁と聞き及ぶ。これは憲政としては、景虎殿しか頼る者なく、願わくは、養子として上杉の家督を譲り、家の系図を渡したいと存ずる。北条や武田を成敗いたし、末長く関八州の諸侯の上に立つ管領を相続していただきたい。今後余は隠居も覚悟の上で参った次第にてござる」


 そして、上杉家伝刀の“天国の太刀”と上杉家の御印“笹に飛雀”を景虎の眼前に出して見せた。

「管領殿、武田と北条は近年力を蓄え、隣国に攻めいっております。其の所業は極悪非道の振舞いにつきます。管領殿はじめ関東の諸侯は敗北しましたが、それは策略が間違っていたからではなく、御運のめぐりあわせがなかったからと思います。この景虎まだ若輩の身ながら、上杉家の称号をいただき、管領の職を与えられることは、これほど名誉なことはございません。きっと策をめぐらし、敵を成敗してみせましょう。いずれご本懐を遂げて差し上げまする」

「力強いお言葉、この憲政感服いたしました」

憲政は、感慨深くつい頭を下げて伏せて、礼を尽した。


「管領殿、頭をお上げくだされ。さてさて、管領殿には、近在に館を築造いたし、家臣ともどもそこに居住されるがよろしかろう」

「これは何もかも御手筈いただきかたじけない」


 景虎にとっては、越後の平定がやっと整った時機に、関東管領の職は思いがけないものであった。景虎にとって名目ができたことで、関東出陣を果たしたい気持ちはあったが、国内でやれねばならないことがまだたくさんあり、すぐ出陣することはできなかった。

 また、朝廷や幕府にたいしての対応と、官位の賜も計らなければならないし、関東出陣に際しては、大軍を山越えさせるには、それ相応の道路の整備や補給の確保も今後やっていかねばならなかった。

 朝廷から官位の授与にあたって上洛するのであれば、越中、加賀、越前、近江国を横断せねばならず、そこを領地する諸大名や、当時勢力を持っていた一向宗にも手配をせねばならなかったのである。


 四月朝廷は景虎に対して従五位下弾正少弼を叙任された。御礼言上のため上洛をせねばならず、そのために石田定賢、本庄宗緩に対して本願寺一向宗徒との和を計ることを命じた。

 あくる年正月、春日山城に諸将の慶賀を受けた上で、一同を集めて言った。

「我座ながらにして官爵を受け賜うた。しかもまだ朝観して天恩の万一をも報ずるを果たさず、是恐らくは人臣の大義に非ず、将に上洛して親しく天恩を拝謝し奉らん」

 上洛するというのである。越後から京まではそうとうの道程であり、国内外の情勢が不安定のなかの大決断であった。

 先ず、神余親綱を京に派遣して、朝廷への献上を行なった。剣および黄金、巻絹を朝廷に献上した。大覚寺義俊にたいして青銅千疋を贈った。

 いよいよ上洛であった。加賀・越中の一向宗への対応もすすみつつあったが、思わぬ邪魔が入った。甲斐の武田晴信(信玄)が信濃国に触手をのばし、その結果、高梨政頼・村上義清らの有力な豪族が援を求めてきたのである。


 村上義清は、埴科郡を本拠とし、更科、水内、小県、高井の各郡を支配下に置く、北信濃の豪族であり、信州を支配下に収めようとする武田信玄と対していた。同じ信濃の小笠原長時と連合して信玄と戦ったが、義清はついに破れ、本拠葛尾城を失って、越後に逃れるしか手はなかった。頼れる存在は上杉景虎しか思いあたらなかった。景虎という武将の器量はわからない部分は多いが、他にいなかったし、関東管領の上杉が頼ったほどの人物ならばと、信州から越後へと通ずる街道を守護する高梨氏を頼りに、景虎に援助を乞うことにけっしたのである。

高梨氏は越後の高梨(小千谷)から出自し、信濃川沿いに南下して信州に入り、水内郡高井郡を領有して、日野城を本城とした。高梨正盛の娘が長尾能景に嫁して、為景をもうけたので、長尾家とは強い縁戚関係にあった。


 高梨・村上から救援の声をかけられれば、義に厚い景虎は放っておくことはできず、信州に出兵を決め、八月川中島に進出して武田軍と相対した。両軍とも大掛かりな戦にはならず、武田軍が引き揚げたことにより、景虎も春日山に帰った。そして、いよいよ上洛への準備を整えた。


 景虎は二千人ほどの人数を仕立てて、郷津より海路にて能登沖から加賀国に上陸して、越中を経て、京への路を辿った。加賀は当時一向衆徒に支配されており、事前に石田・本庄らに命じて工作させており、本誓寺住職超賢に会い、

「こたびの主の上洛は私事ではなく、天子将軍に謁見して、叙位任官の拝謝に赴くものであるゆえ、戦のつもりもなにもない」

 そのため、景虎一行は何事もなく無事に京に到着し、参内して御礼言上をのべた。将軍義輝にも拝謁する予定であったが、義輝は三好長慶に都を逐われ、近江の朽木谷に隠棲していたので、不首尾に終った。


 しばらく京に滞在したあと、十一月に堺港まで赴いた。このときに南蛮からもたらされた革命的武器である鉄砲というものを見聞し、上杉軍への装備も考えた上である。越後で鉄砲なるものの威力を聞き、また持ち込まれた実物を見たけれど、鉄砲は調達すれども、弾は製造できなければ意味がないと思ったからだった。ここで、その調合方の伝授を受けた。おおいに上洛の効果があったわけである。

 それから大坂本願寺の証如のもとに使者を遣わし、加賀での好意を感謝するとともに太刀や樽代などを贈った。証如の方も、返礼として太刀・緞子・縞織物などを届けた。当然越後国内での浄土真宗の布教も景虎は許すこととなった。

 堺かで出向いたついでというか、高野山まで足を運んでから、京都へ戻った。もう十二月となっていた。この在京中に法号“宋心”が与えられた。その年のうちに春日山に無事に帰ることができた。

 景虎は、国内の統治や、武田との対峙、そして自分の出家の決意と断念を経て、国内の統治を進め、再度上洛への道を歩むこととなる。この戦国の乱世へと向う時代に二回も上洛を実行した武将はいない。


 第一回目の上洛から五年もの歳月が流れていた。京の都の情勢も変わっていた。足利将軍家もその権力は衰え、名目上の存在となり、三好長慶や松永久秀といったなりあがりの武将に政権は握られていた。将軍義輝は一刻も早く謙信に上洛するよう懇願していた。

 永禄二年の雪解けがすすむ頃、春日山城や各近隣の村では、再度の上洛の噂でもちきりであった。

「仁助、仁助はどこにおる」

「こっちじゃ、納屋におる」

「今さっき、大事な話を聞いてきた。ちょっとこっちに来いや」

 仁助は仕事を片付けて、母屋に入った。

「話とは何だい。親父」

「あがって座ってから話そう」

 仁助は足を手拭で払ってから囲炉裏まできて、どっこいしょと胡坐をかいた。

「直江様のお屋敷に庄屋様が呼ばれて、それで聞いたらしいのだが」

 音吉は白湯をすすりながら、続けた。

「御館様が、この春に兵を率いて再度上洛をされるということじゃ」

「エッ、この春にか。また急なことやな」

「前の上洛の時には将軍様に謁見できなかったが、こたびは是非謁見したいとの思し召しがあったそうな。御館様は政事で忙しく、それどころではなかったが、このたび上洛する決心をなされたそうじゃ」

音吉はいっきに白湯を飲みほして話を続けた。

「神余親綱様が去る十一月に御所に赴いて、来年の春に上洛する事を言上し、今回の上洛の運びとなり、御城下では準備を進められておるということじゃ」

 仁助は大きく目を開き、眉をひそめた。

「親父、今度の上洛は俺達もいくのか」

 仁助にとっては、田植えの事は心配であった。

「おお、そのことよ」

 音吉は口元をほころばせなが言った。

「田植えのことを考えておるのだろうが、今度は心配はいらん。上洛する供の者は大方決まっておるそうな。御館様もここ数年の戦続きで収穫が減っておることを心配しておるそうな。また、戦さ仕度ではないから、農民は使役してはならぬと申されたと、直江様が言っておったそうな」

仁助は安心しきった顔つきになっていた。

 

 二月の末、与板城では、直江与兵衛尉実綱が、主だった武将ら集め、上洛についての陣容を決めていた。

今井隆景、安倍友範、樋口兼房、河嶋定実、斉藤小平太、堀江吉俊等八名の武将が広間に集まっていた。

「今度の上洛は、御館様が将軍義輝公よりのたっての願いにより、御館様自ら五千の兵を率いておこなわれる。南に武田、その東には北条と相対している昨今、これだけの兵を割いて上洛することは甚だ大変な事態ではあるが、御館様には、それだけ上洛を果たしたいという御志しが強い。我越後の軍勢には粘り強い強さがある。我ら力を諸国のもの共に見せてくれよう」

息を整えてからさらに続けた。

「今井、安倍、河嶋は上洛軍として行動し、残りのものは、留守の間しっかりのここを守ってもらいたい。上洛の役目も大義ではあるが、ここを守るのがもっとも大事と肝に銘じて、お役目を果たしてもらいたい。上洛の者は、御館様の名を恥ずかしめぬよう心掛け務めるように」

「殿ッ」

「いかがした今井」

「出立の日取りはいつでございましょう」

「うん、出立は四月朔日に春日山に集まり、三日に発つ手筈になっておる」

「帰国するのは夏になるでしょうな」

 安倍が聞くと、

「京までおよそ一月、二月留まるとして、早くても八月になるのではないか」

 今井が答えた。

「御館様は足をのばして堺にも赴きたいとのご所望である。従って、帰国は秋となろう」

直江実綱が眉を寄せて言った。

「隆景殿、見事外れましたな」

皆の顔から笑いが出た。

「さすれば、京の夏は殊更暑いと聞き申す。我々越後の者は堪えますな。冬場の戦も大変じゃが、暑いのはもっとかないませぬ」

「留守の者は、御館様がおらぬ間に、国をとられぬよう用心せねばならぬ。帰ってきたら、他国の者に占拠されてては困るからのう」

「心配無用!われら三ヶ月は篭城する覚悟なれば、安心して上洛されたい」

「申したな」

「アハハハ・・」

「誰かおらぬか。酒と肴を持て!」

「はっ」

 しばらくすると、酒と膳が運ばれてきた。盃に酒を注ぎついだ。

「皆の武運を祈ろう」

「おう」

座の者は皆一気に杯に注いだ酒と飲んだ。それは夜更けまで続いた。


 永禄二年四月朔日早朝、春日山城の毘沙門堂で景虎はいつもと同じように祈りをささげていた。

(我景虎は将軍義輝公を幇助し、この世の悪を退治し、平穏なる世を現出いたす所存、どうか我に力をお貸しくだされ)

春日山城では、突然雷鳴が響き渡り、突風が本丸を吹き抜けていった。城下の町人連中は、何事かと思って空を見上げると、一塊の黒雲が春日山城の上空を西南に向けて去っていくところだった。


 本丸には、直江景綱、柿崎景家、色部勝長、斎藤朝信、安田長秀、甘粕長重、山本寺定長、新発田長敦、本庄繁長、山吉豊守、中条藤資、吉江景資等諸将二十余名が集まっていた。

「今のは雷でござるな」

「春には時々鳴ります故・・」

 皆領主景虎が来るのを苛立ちならが待ちわびていた。

「お館様のお祈りは今日はやけに長ごうござるな。・・景綱殿」

 色部勝長がしびれをきらして口を開いた。

「上洛の祈願でもやっておられるのであろう。もう間もなく出てこられよう」

“お館様、御堂よりお戻りでございます”

 奏者番の一人、忠俊が響き渡る声で告げた。

「おっ、戻って参られたぞ、勝長殿」

「あまりの長さにいささか疲れもうした」

(いやはや、御館様の神仏に対する信仰心は桁外れでござるよ)

と勝長は思いながら平伏した。


 謙信は、いささか早い足どりではいってきて、御座に座った。

「皆の者、待たせたのう」

まず、景綱が先に口を開いた。

「御館様、こたびのご上洛の手配、つつがなく進み本日夕刻には整いましてございます」

「うむ、帝や将軍家への献上品にぬかりはないの」

「仰せの通り、整っておりまする」

 景虎は二度頷いた。

「こたびの上洛は、将軍義輝公に拝謁し、もって四天王の一王となり、義をもって悪を退治し、世を平安になさんがためである。民を守らねば、国は滅びる。上洛の後はその義のためにさらに戦に明け暮れるやもしれぬが、そなたたちにもついてきてもらいたい」

「御館様、皆の思いは同じでございます。われら一心同体、いかようにもご使役下され」

 景家が頭を少し下げ、頼もしげな声で言上した。

「その心意気うれしく思うぞ。京までの道は長い。こたびは先の上洛より大軍ゆえ、宿場での気のゆるみが心配じゃ。町の衆にはくれぐれも迷惑のかからぬようにいたせ。あと、留守をまかされた者は、特に北条、武田の動きには気をつけよ。万一の動きがあらば、急使を速やかに走らせよ」

「はっ、手筈はすべて整っております。万一の事起こらば、この朝信、御館様が帰られるまで、必ず春日山城を守って見せまする故、ご懸念なくご上洛くだされ」

「朝信が在城いたさば、何も心配はいらんな」

「ありがたきお言葉でございます」

「誰かある!」

 景綱が小姓を呼んだ。

「はっ」

「信三郎か。酒と肴を直ちに整えよ」

「ただいま」

 しばらくすると、酒と膳が運ばれてきた。

「今日は無礼講といたす。飲んでくれ」

景虎以下、側近達の上洛前の壮行会となった。

 景虎は酒が好きであったし、また越後の酒は格別に感じた。その酒豪の癖があと少しというところで、病に倒れる結果となったのだが、古今豪傑と酒好きの関係は深い。座は、陽がとっぷりと暮、夜遅くまでにぎやかに続いていた。

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