第3話 上杉憲政景虎に援を乞う

 景虎にとって新たな試練が訪れていた。関東の動静であった。小田原北条氏が勢力を伸張し、関東一円を支配する様相を呈してきたのである。

 景虎が黒滝城主黒田秀忠を討伐した天文十五年(一五四六)の前年十四年の八月に武州河越で、河越城を囲んだ上杉憲政の軍勢八万を北条氏康の八千の軍勢が夜戦で攻め立て、潰走させたのであった。氏康の名声は高まり、憲政の威厳は落ちていった。


 憲政には菅野大膳と上原兵庫助という側近がいたが、才能に欠けたうえに、官位と禄高が高いことをことのほか望み、恩賞をだれよりも頂戴することが生きがいにような人物であり、憲政に気に入られて、政務も思い通りのままに進めていた。当然、上杉の家臣の風紀は乱れていった。弱肉強食の様相を呈していった。

そのような時に甲州から浪人が現れて吉報を報じたのである。

「この三月に、信州戸石におきまして、武田晴信と村上義清が戦いましてござる。巷では武田の勝ち戦と言われておりますが、実を申そうと武田は負けたのも同然でござる。おいうのも甲州勢は千を越すものが討死しており、傷を負うたものを含めれば三千に達すると思われます。ことに甘利備前、横田備中といった剛の者が数多討死にしており、大きな痛手を蒙り、巷の評判とは大いに異なります。さらに、主晴信は生死の境をさまよう病気にかかっていると聞いております」

菅野は意外な話に驚いたが、こやつ信用できるかとも思った。

「まことか、それは間違いないか。嘘ではあるまいな」

「某、この戦いに参陣いたし、実際この眼でみたままでござる。敵の首を取りましても何の恩賞にもあずからず、いたしかたなく逐電した所存。偽りなどござらぬ」

「兵庫、これを捨て置くことはなかろう。武田を破れば再び上杉の力は天下にしめされよう。さっそく主殿に進言いたそう」

「さよういたしましょう」


 二人は早速支度を整え、憲政に屋敷を訪ねた。

「管領殿、甲州に詳しい者の話にて、耳寄りな話がございました。武田が村上との戦をした結果、武田が村上を打ち破ったの流布されておりますが、武田も相当の痛手を受けており、晴信も生死をさまよう病気にて伏せっておる由と聞き及びました。晴信は悪逆非道の行いが激しく、父をも追放したほどの者。自然に滅亡していくのは道理の沙汰というもの。武田は氏康とも誼を通じており、関東進出も視野にいれておると聞きまする。晴信が伏せておるのは好都合。さっそくご成敗の軍を起こし、武田を潰しておくときと存じます」

「大膳、道理である。ここ北条に思うようにやられ、わが士気は落ちておる。ここで、武田を打ち破りて、士気を回復することが必要であろう。兵庫、ただちにこの平井に大将等を集めよ。武田攻めの軍議を起す」

「はっ、ただちに参集いたします」

成田、深谷、上田、三田、新田、館林、山上、前橋、沼田、安中、膳、中根、白倉、和田、小幡、松枝、倉賀野から平井に集まってきた。


 軍議は始まったが、まったく拉致があかない軍儀となり、本来の北条氏との対決を忘れて、今武田が弱っているから武田を討つべしとか、静観すべきとか意見はまとまらなかった。そんななか、上州箕輪城の長野信濃守が口を開いた。

「誰もが皆根拠のないことを言うのは道理のこと。近頃の上杉家の軍事や近隣の政治面に渡るまで逆逆の流れとなり、氏康に幾度となく痛い目に逢うております。なにとぞ氏康には成敗されぬよう工夫していただきたい。今はそれのみに心がけていただくのが、第一と考えます。敵対していない武田と戦いをはじめ、勝機を見出せればよいが、武田に後れをとることは明白なこと。戸石の合戦でも、晴信であるからこそ一芝居うったのだ。だいたい戦において芝居をうつことは勝ち戦であり、それが古今を通じての戦の仕方というものでござる。討死の多い方が負けというのは戦を知らぬもののいうこと。ご貴殿らはたびたび合戦におよんでおろうが、負け戦には芝居はうてぬと思わねばならぬ。こたび甲州からきた浪人が、晴信の噂を悪く言うのは、戸石の合戦において臆病風をふかせた己の卑怯さを隠そうとして、人をそしっているのであるから、ご貴殿らはそれを事実と受け止め、われらが甲州を襲撃するのがよいと言われるが、それでは『晴信は重ねて武蔵・上野にも出撃されよ』との触れをしたのと同じこと。ご貴殿らは武田への忠節を尽すこととなり申そう。よくよくご思案めされよ。のちのち武田と北条の双方から挟まれたならそれこそ一大事でござる。それにしても上杉の家運も末になったものよ。某はこののちは傍らにて望見いたそう。敵である晴信に仕えることはない」

 と座を立って出て行ってしまった。武将らは唖然としていたが、

「静まれよ。信濃守殿がいずとも戦はできよう。碓氷峠を越えて佐久へ攻め込むに依存はござらぬな」

「おう!」


 関東諸国から二万五千の兵が集まり、碓氷峠に向けえ出陣したが、真田がこの進軍を知り、晴信に報告した。晴信はすぐさま板垣信形を先陣の大将として派遣して碓氷峠において迎え撃ち、上杉の先陣を撃破した。上杉勢は一旦後退したものの、後続の部隊を集めて峠を越えて武田軍に備えて布陣させた。晴信は本隊を率いて軽井沢に陣を構えて、上杉勢に対し攻撃を加えた。上杉方は防戦一方に終始して、四〇〇〇余の首をとられて敗走するに至った。長野信濃守の言った通りのこととなり、関東の諸侯は、上杉氏の元を離れて、北条氏康のもとに降ったのである。

 当然、氏康にとって自ら墓穴をほる上杉憲政を成敗する好機がめぐってきたのを、見逃すはずもなかった。むしろ、好機到来が思ったより早く向こうからやってきたのである。


「上杉憲政を討つ。平井を攻め落とすのだ」

と号令し、北条は三万の軍勢を集めて、平井城攻略に向った。

「管領殿、北条の軍勢がこの城を攻めるやもしれません。凡そ三万の軍勢を整え、出陣の儀を整え向う様子でございます」

「何と?・・くるべきときが来たか。直ちに兵を集めよ。大田美濃守、長野信濃守、曽我兵庫助に援軍を依頼いたせ」

急遽馳せ散じた関東の諸将は、軍議の結果、城外にて待ち伏せして先制攻撃をかけるべく布陣した。


 小田原の先陣は北条左衛門大夫綱成を大将とし、子息の膳九郎、新六郎、横井越前、大谷、諏訪らが陣立てを行い、上杉方の曽我兵庫助、長野信濃守らの兵と対陣した。

「上杉は腰を抜かせてすぐ逃げようぞ!一気に攻めよ」

「おう!」

迎える、上杉方もここが最後とばかり、いつもとは違う勇猛さを見せた。

「ものども!引くなー、我に続け」

と、長野信濃守は馬首を廻らし、北条の兵を蹴散らし、突き進んだ。死にもの狂いの攻撃にさしもの北条勢もたじろんだ。しかし、ここで引いては士気にかかわると踏んだ、左衛門大夫は部下を叱咤した。

「ここで引いては、北条の名折れぞ!踏みとどまれ」

 と、自らも信濃守の陣営に切り込んだ。戦いは数時間に及んだが、決着はつかなかった。


 両軍とも引き揚げの合図が吹かれ、戦いは一旦小休止となった。

新たな戦は、小田原の山角が布陣しているところに、上杉の倉賀野六郎を大将とし、深谷と館林が加わり、攻め立てた。混戦が続くなか、倉賀野は退却の合図を送ったため、北条勢は一気に討ち取ろうと背後から追い討ちをかけたが、これは倉賀野の計略でもあった。


 北条が難所へとさしかかると、伏兵をもって逆襲に転じたのである。これにはたまらず、

「敵の計略ぞ。引けぃ!」

 と、逆に攻めに攻められ、敗走するに至ってしまった。

 三度目の戦いは、太田三楽の陣に対して、北条の本隊である松田・大道寺・多目・荒川らがおそいかかった。太田三楽は魚鱗の陣形をもって、北条を迎え撃った。北条もこの魚鱗の陣形を見て、鶴翼の陣形をもって相戦った。鶴翼は包囲する戦法であり、敵よりこちらが多ければ有利な戦法である。三楽は、先手が疲労すれば、二手が先頭に進んで北条を押していくが、北条も陣構えを変更して整え、どちらが勝敗を決するかは全くわからない状況であった。北条は疲弊していない後備えを出して、攻め立てたが、上杉は長野信濃守が騎馬隊を持って、横合いから切り込んでいった。


「ここから先は一歩たりとも通してはならぬ!」

それを見た北条の武将はさらに奮いたった。

「あの武将を討ち取れ!」

 と北条方の武将はさらに殺到した。北条勢はこれが最後の機会とばかり、一気に攻めに転じてきた。

「太田美濃守と長野信濃守を討たせてはならぬぞ」

 と、憲政は唱え、自らも馬にまたがり陣を進めた。上杉勢も一気に前面に出たため、両軍入り乱れての乱戦となった。


 決着の勝敗は全くつく様子がなかった。しかし、このあとにはやはり北条の勢いと上杉との勢いの差があった。もともろ、北条に好意を抱いて誼を通じていた上杉方の武将は、参陣はしていたが、傍観しており、もうそろそろよかろうと陣を取り払って戦場から引き上げをし始めたのである。これは、前線で戦う他の兵士たちに動揺をきたす結果となり、上杉方は徐々に後退をはじめ、だんだんと戦場から逃れ始めたのである。

 信濃守は「戻って戦え!」と力説したが、逃れる波を止めることはできず、憲政もついに平井城に戻っていった。

 

北条はからくも勝利を遂げたが、死傷者も多く一旦引き揚げることも考えたが、ここは一気に平井城を落とさんと決し、部隊を整えた。

 平井城に一旦戻ったものの、北条の軍勢に包囲されるのは寸前となりつつあった。

「ここでは数日しか持ちますまい。我方に不利は必定。厩橋城に移り兵を集めねばなりますまい。北条家の狙いは平井から殿を追い出すして、この一円のご安堵を目指すものと考えます。一刻の猶予もござらぬ。早く脱出を。この三楽、必ずや兵を集めて再び厩橋に向かいますれば」

 太田三楽のすすめに憲政は頷いた。

「あい、わかった。直ちに支度をいたせ!」

 憲政は直参の家臣ともども厩橋城に向ったが、城に到着したところ、譜代の家臣らのうち顔ぶれが減っていた。

「野田兵衛尉はいかがした?」

「姿が途中から見えなくなりました。おそらく不利を悟り逐電したやもしれませぬ」

「筑後左衛門も見ぬな」

「野田殿が筑後殿を誘ったものと思われます」

「あの者ども、わしの恩義を多分に受けながらも、ここへ来て心がわりをしおったか!」


 ここまで忠義を尽した家臣がなにゆえ離反したか、それは憲政の素行の振る舞いにあったからにほかならない。家老は私腹を肥やし、憲政自信も遊興三昧な日々をすごした結果であった。忠義一途な家臣がここぞとばかり見限ったのである。

 残った家臣侍は五〇〇ばかりであり、雑兵を含め二〇〇〇足らず。これでは北条三万の軍勢と戦にはならなかった。頼みとなるのは、太田三楽と長野信濃守であり、智謀雄略にすぐれた二人がいたからこそ、憲政は何とか生き延びた。太田三楽が応援の手勢を率いて厩橋にしばらくして到着したが、北条と対等できる兵力ではないのは当然だった。

太田、長野両武将を揃えての今後の対策を話し合った。


「わが上杉家の今後いかが処すべきか皆で話し合わねばならぬ」

憲政が弱体化した上杉家をどうすべきか迷っているので、重臣らを集め聞いた。

「管領殿、北条は今や勢いを得ており、関東一円の武将の大部分は北条に誼を通じていると考えねばなりませぬ」


 三楽が口を開いた。重々しい空気の中である。

「そこじゃ、少し前まではわが上杉とともに戦ってきた武将が、わが力が衰えると北条に寝返り、上杉に味方することはない。これでは上杉家は滅びてしまうであろう。どうすればよい」

「この厩橋では北条の大軍は支えきれませぬ。箕輪の城ならば少しは持ちこたえましょうが、後詰めがおらぬのでは、落城するのは時間の問題。三楽殿をお頼りなされてしばらく様子をみるのもよかろうと。三楽殿とご一緒ならば、関東の諸将も易々と手出しはできぬと思われます」


 長野信濃守が言った。

「殿、一つ考えがございます」

 重臣の一人である曽我兵庫助が言った。

「何じゃ。兵庫助、言ってみよ」

「はっ、長野殿、太田殿は御忠義を忘れぬ御大将ではございますが、将兵一同疲労困憊の情況ならば、小勢ではとうてい勝ち目もなく、防戦することもままなりせぬ。ここは今勢いをつけている武将に援を請うのが肝心と考えまする」

「それは誰じゃ」

「越後の長尾景虎でございます」

「長尾、長尾景虎。長尾為景の子か」

「いかにも、ここに至っては義と勇を持つと噂が高い景虎を頼るしかありますまい」

「長尾に助けを求めると言うか!」

「元々長尾家は当家譜代の家臣。為景は謀反を企て、民部大輔義公を討ち、管領顕定公をも討ち取りました敵ではございますが、相模守房正によって討ち取られとおりますゆえ、長尾家をお許しになり、景虎に大将の称号をお与えになれば、きっと忠義を従いわが上杉家のため旗をお立てになるでしょう。景虎は義には人一倍強く、頑強で智謀に富んだ名将と聞き及んでおります。諸豪族が割拠し政情乱るる越後の国を統一した力量は若年ながら見事な采配を致す剛の武将と推察いたします。景虎は武田と比べても劣らぬと思います。景虎に上杉の称号をお与えになれば、二心を抱くことはござりません。必ずや策を練り、当家のために鬱憤を存分に晴らして、北条を成敗してくれましょう」

 

 憲政はしばらく考えていたが、

「もはや関東には北条と互角に戦える将はおらぬのか。ここは長尾景虎を頼るしかないのか。仕方あるまい。すぐに越後に使者を遣わす準備をいたせ」

「はっ、直ちに」

 憲政は仕度を整えると、簗田中務以下僅かばかりの共を連れて、越後に向った。息子の竜若丸は信頼のおける家臣らに託して、厩橋城から脱出した格好になった。憲政は自分の身の上だけが心配であり、血縁の子供は見捨ててしまうこととなった。まさに無情の戦国の世であった。

 しばらくしても、憲政と景虎からは何の音沙汰もなく救援など来ることはなかった。

「管領殿からは何も言って来ぬな」

「このままでは、小田原から攻められれば、一日とて持ちこたえられぬ。討死するか、流浪の身になるかじゃ」


 竜若丸と乳母の夫である目方新介と目方長三郎、伯父九里采女正らは、憲政からくれぐれも竜若丸を後見するようにと言いつかったが、小田原がいつくるかと思うと不安で仕方がなかった。

 竜若丸を後見するよう託されたが、自分の命が危ないとならばと、その不安を解消する手だてを話しあった。


「どうであろう、新介殿。菅野殿、上原殿の重臣が主人を見捨てて逐電したのでござれば、われら管領殿を頼ってこの命を失うのであれば、竜若丸をいっそう小田原に差し出して、領地の一つでも安堵していただくのはどうじゃ」

「うーん、それは尤もなこと。某もそのことを考えておった。われらみすみす命を棄てることはない」

 目方らは竜若丸を捕縛すると、小田原に使者を送った。笠原能登守が氏康からの命をうけて、竜若丸を受け取った。縛り上げた上に馬に乗せ、中間二人に馬の口を引かせて、小田原城下に入った。人々はまことに五逆、十悪を犯した罪人が、手かせ足かせをされ、えんまの台に連れていかれたのもこれには及ぶまいと涙を誘った。幼少の身の上とはいえ、血統を絶つのは武門の習いである。神尾治郎右衛門が竜若丸の身柄を引き取ると、翌日には首をはねてしまったのである。

 北条氏康は竜若丸を差し出した者を許せなかった。氏康とて武士として主の子を裏切る行為という義に反する事は生かしておく道理はなかったのである。


「忠義を忘れず、他人の身代わりとなり、かなわぬまでもその心を胸の奥底に秘め、時を窺って家運が開けますようにと神仏に祈るのが家臣としてのつとめ、まことに大逆非道のやからよ。この者どもを成敗して、戒めてくれよう」


 目方らは北条から安堵状を拝領するものと思っていたが、捕縛されて斬首され、その首は小田原の一色という河原にさらされた。武士の忠義を守って死ぬか、裏切って死ぬか、どちらも死ぬことには変わりはないが、彼らの選択は自分自身の命運や名声を左右したのである。

 

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