第38話 何言ってるかわからないと思いますが

 何言ってるかわかんないと思いますが、自分もよくわかりません。

 オイラーの等式ってあるじゃないですか。これってどういうことなんだろうと思ったりします。

 e^iπ+1=0

 偉そうに解説できるほど、数学に精通しているわけではないですが、物事には何かしらの意味があるのだろうと常日頃感じています。それらはすべて無意味だとも思うのですが、何度も言ってるので割愛します。


 代数学、幾何学、解析学と言っても正直なんのこっちゃです。

 

 昔の人は1ってなんだろうなと色々考えたわけです。

 

 1とは点であって、点は円であって、波であって、極微量な差のだったり、集合体で焦点であると言う話です。そう考えていたら都合が良く便利だったのです。

 そういうのを色々考えてたら、関係性はこうなっちゃいましたてことなんですね。


 1という概念を見る方法はいろいろな手段があるということです。

 つまり正しい手段というものは何通りもあって、それぞれ正しいわけです。正しい手段というのは物事の考え方や見かた(観測)からその手段をつかって答えを導く訳です。

 アタリマエのことを拗らせて言っているのですが、方法論は色々あってそれぞれ限定的な所ではみな正しいのだということです。


 みな正しいことを言っていたら争いなど起きないはずですが、現実世界は争い諍いばかりです。主張というものは、なにかしらの経験とか法則があって出されるものです。博愛主義もあるでしょうし、利己的なこともあるでしょうから千差万別の意見があるわけです。。

 一つの主張があって、多くの人が間違ってるよという主張には意味は無いのでしょうか。その主張を否定してよいのだろうか封殺していいのか。と言う話です。


 現実が見えてないと思われるような主張はよくあることです。ですが仮に、その主張否をした別の人が主張をした人と、全く同じ人生を歩んで来たとしたら、どうなるんでしょうか。たぶん否定した主張と同じ主張をするんじゃないでしょうか。


 相容れない主張も、同じ状況下に置かれたら誰であろうとその相容れない主張をするわけです。


 よくわからんと思いますが、つまり三角形とかの比率を考えることと、二次関数とか三次関数で答えを出したりとか、微分でごく僅かな差を考えることや、想像上の数字を回転させていくことは、それぞれ独立した考えであるわけです。ですが、いろんな知恵を絞って工夫すればどこかの点で関係性がわかって、交わるのだろうということです。

 もっとかんたんに言えば、いろんな主張のイイトコドリをすることはできるんじゃなかろうか、そしてもっと研ぎ澄まされた主張ができるはずだと言うことです。


 ならそんな回りくどく難しいこと言う必要もなかろうということですが、説得力の問題でまえにも言いましたが、直感的に正しそうなことを言っても意味はなくはないですが、帰納的なことはなるべく多くのことを考えないといけないんですよ。

 

 

 

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