第37話 相互評価って

 帰納法の説明はしたつもりなんですけど、演繹法の議論ってわりと不毛だったりすると思うんですよ。

 証明されたことに文句をいっても仕方ないですし、証明されてないことで対立しても答えが出るわけないです。


 相互評価は害悪である。

 相互評価は有益である。


 この二つの命題があったとしましょう。

 演繹法では正しいことがあって初めて成り立ちます。つまり一つ反例があれば理論が成り立たないのです。

 

 つまり演繹的に相互評価は害悪だとという主張をしている人がいれば、反例を一つ上げるだけでその理論は崩れてしまいます。

 意外とそういう人って多くて、物事を一面しか見ていなくて正しいと思い込んでたり、わかってても暴論で押し通しちゃうんですよ。

 まあ耳当たりが良いことはそれで通っちゃうこともあるんですけどね。例えば消費税増反対とか。それだけ一面だけとらえて見せて正しそうにみせちゃう手法です。

 愚かなことですけど、反例を一つ上げればその演繹的手法は崩れちゃうのに大きな声で押し通すみたいなことです。

 正しいと思い込んでる人はもっと厄介で、手がつけられないです。


 まあ、話をもどします。

 相互評価についての一般論って存在しないんですよ。

 まあ厳密にはあります。

 お互いに評価してることが相互評価です。これが一般論です。それ以上でもそれ以下でもないこれから発展することはなにもないんですよ。あるなら何かが飛躍しています。それが一般論で証明されていることなら良いんですが、まあそこに議論の余地はありません。


 で、まあ一般論の証明が難しい物事は帰納的に考えなきゃいけません。でも帰納的に自明なことは演繹的に使うものです。

 答えはより害悪である。より有益である。という感じの比較にしかなりませんけどね。

 

 相互評価だろうが、一方的だろうが、無交流だろうがなんでもいいからとりあえずやるべきという主張をしたいです。

 もっと言えば無法でも良い。それでプレミアムを創る。サッカーみたいな一部二部三部みたいな感じです。派閥や権力ももっとあった方がいい。

 ただそこには人に与えるという精神を持たないといけないということです。ネット文芸というものは素晴らしい可能性があると普及しなきゃいけないです。


 こういうのはビジネス的な手法であって、みんなそうやってるんだなぁと普段眺めてるんですが、自分の机上の空論です。

 でも人はだれしも自然に演繹的や帰納的に考えてるんだと思います。たぶん。

 

 まあそれがより有益であろうという理由がいろいろとあってそういう仮説をたてるんですけど、まあいずれ書いてみます。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る