第27話 話を最後まで聞かなかったりする人

 長い話を二つくらい書きたいなあと、おもうのですが……。


 政治について。

 相互評価について。


 政治はある人のエッセイを読んだことがきっかけで、農業や漁業っていっぱい問題あるよなぁと思ったことが始まりです。

 で。行きつくところは、そういうのって政治だよなぁということで、なんやかんや思いますということです。


 相互評価についても、これは色んなとこで目にしますし、こういうカクヨムで活動するには避けて通れない問題でもあります。でもみんな本質的なところは見えてないなぁと思うわけです。

 というと語弊があり、みんなというと、僕が考えていることは既にほかの人も見えていることもあるはずで、さらに先の考えに行き着いている人も居るはずです。

 というか当たり前に実践している人も居ることでしょう。敢えて言うなら戦略は幾らでもあるし、何をやっても戦略であるということです。


 その語弊というとこなんですけど。

 エッセイで前置きはあまり書きませんし、意味のないことだと思ってます。前置きに見えるように書くことはありますけどね。でもそれは思考を具現化するための――文字化するための手段で、それ自体が主題の一部としたいと思っています。


 ここまで書いてあれなんですけど、大体テーマも無く適当に書いてますし、テーマがあったとして、それ以外の一部分にコメントを貰うこともこの上なく嬉しいことであります。有難いことです。それを言葉にすることはとても難しいくらい、です。


 いやべつにコメントが少ないとかそういうことを言いたいわけじゃないですよ。


 その二つの長い話を書きたいがための前置きを書いています。まだ書いてないので書くかどうか分かりませんけどね。

 ただ多分書くだろうなと思います。


 なぜ書くかということで、そもそもエッセイを書いている目的がなにかということです。


 下手の考え休むに似たりという言葉があります。

 疲れているときなんか特に、ぐだぐだといろんなことを考えてしまいます。

 すると余計に疲れます。結論など出るわけないんですよね。

 疲れていますから、思考も鈍ってますし、結論が出ないという結論も出せなくなります。

 AだからBだよね。BだからCかDかもしれない。ならCだったらAといえるかもしれないが、DならAとは言い難い。といった具合にぐだぐだの思考が展開されます。


 素人がいくら考えても、しょうもないことしか出てきませんし役にも立ちません。だからコメントもつかないのです。何度も言いますが、欲しいのでなくてそういう道理だと言いたいだけです。


 文字にすることで、結論を出すという工程を踏んでいるわけです。仮の結論ですけどね。そうすることで思考は終わります。

 それがエッセイを書く目的の一つだったりします。それが全てではないですが。


 で。その語弊という本題に戻りたいんですけど。


 DだからAの部分を引っ張ってくる人も居るわけですよ。くどい様ですが、それを否定してるわけではありません。

 というかそういうことも言われる想定をしてエッセイを書いています。

 文章を書いて、それが示す意味というものを理解しているです。

 

 そういう意味では想定外のコメントを貰ったことはありません。返すコメントに困るようなことを言われたことはありません。なのでコメントを返すことは楽しいものです。

 まあ、裏で言われてたりするかもしれませんし、読んだ方の頭の中では馬鹿にされていることもあるかもです。

 幸い誹謗中傷のコメントはされてないですし、そこまで多く読まれてないでしょうし、理解されてないのかもしれません。


 沈黙は金雄弁は銀という言葉があります。

 こんなエッセイなど発信しなければいいんですよ。自分はそういう愚かな人間であるからしゃーないということですか、よくわかんないですけど。


 で、まあその二つは長い話になりそうだということですけど。

 デリケートな問題です。ちょっと指先の爪が引っかかったら指が腐っちゃうようなもんです。ちょっと何言ってるかわかんないです。


 ある種の思想なり集団なり馬鹿にするような表現になるかもしれません。

 実際そう思ってないにも関わらずですね。


 ぶっちゃけ言いますと、この世のすべてのことを自分は馬鹿にしていますけれど、同時に敬愛もしてます。リスペクトです。

 嫌いなものもいっぱいあります。でもなんかの役にたってるんですよ。最悪でも役にたたないという役があるんです。この世のすべての悪とか醜さとか汚さを象徴するものでも、そういう汚らわしさという愛すべき特徴があるんです。


 例えばゴキブリとか。見たくないし、気持ち悪いです。部屋にキンチョールは常備しとかないと落ち着かないくらい嫌です。もしキンチョールがなかったら叩き潰さないと気がすみません。潰れたらつぶれたで嫌ですけど。

 でもなんかきっと役にたってるんです。その理由は知りませんけど。探せばあります。ありますけど面倒なんでもう書きませんけど。


 日本の今の政治家は馬鹿だと書くと思うんです。短い話なら今の日本の政治家は偉大だとも書くと思います。

 長い話になりますと、そういうこと書いてたら意味わかんなくなると思うんですよ。そういうこと含めてエッセイかもしれませんけど、省略したいなと思うわけです。という前置きでした。


 ついでももう一つ前置きを。


 なるべく専門用語は使わないようにしてます。だって専門家じゃないですからね、素人の戯言なわけです。専門家向けに書いてるわけでもないですから。

 というか、いろんな専門用語がありますけど、けむに巻くために使っても意味がないわけです。

 概念を伝えるのには使ったほうが早く短くなります。相互評価、妬み、能力、権威、ギバー、パイ、キャパ、セルフプロデュース、プロダクト・ライフサイクル、価値、パブリックリレーションズ、戦国、蟲毒、英語、西洋哲学への偏見、日本文化、


 相互評価について考えてたら、日本文化にたどり着いたよ自分はいったい何考えてんだと自己嫌悪に陥るわけです。思考のノードがそれらの単語ということです。

 ほんと自分は馬鹿だなぁと思うわけです。

 

 カクヨム初めた頃はそれら一つくらいでエッセイ書いてたんですけど、めんどくさkmいやぁ、なんかちょっと溜まるようになりまして、ながながと書いてます。


 これはこういうことだ、これならこうだというのが思考だと思いますが、世の中には超絶理解しがたいことですが、思考しない人も居らっしゃいます。

 思考停止してる人ですね。答えを出せない人がいます。一つの結論を伝えればその通りには動きますから、知性はあるはずです。たぶん。

 一つの結論を固持する人も居ます。

 反対に僕のことを思考停止してると思ってるかもですし、頑固者だと思われてるかもしれません。

 つまりまあ常識が違いすぎるんでしょう。


 ノードといったそれらの単語は知ってて当たり前のことであって、知らなくて当たり前の単語なわけです。その一つに研究とか、仕事とかで命を懸けてる人が居るわけで、その上辺をさらっとなぞってるのが自分なわけです。

 それを人に伝えることは恥であってつまり銀なわけです。


 その超絶理解できない人たちは発達障害みたいなもんなのかもしれませんけど、それはそれで、そういう知識も常識も自分は持ち合わせていないので、やっぱり常識が違いすぎるんでしょう。


 つまり、自分にとっては当たり前のことをいつも書いてるんですけど、理解されるもされないもあるでしょうね。という前置きでした。


 小説の面白さってのはそういうもんだと思うんですが、それはまた別の機会で。






 


 




 


 





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