3パック 愛の告白

みるくはナツキにブラジャーの付け方を教えてもらった。



「ちゃんと、カップの中に手を入れて直すんだよ」


ナツキは、ぎこちなくブラジャーを着けたみるくの胸に手を入れて、カップの中に収めて整えた。


「ありがとう」


「練習して自分でやれるようになりな」





結局、ナツキはみるくの下着のみならず、服まで買って揃えた。




「あー、楽しい!」




ナツキの手には幾つもの買い物袋があった。



ナツキはみるくを連れて駅ビルの服屋を夢中で歩き回り、みるくで着せ替えごっこをして楽しんだのだ。


いつの間にかみるく自身も楽しくなり、

調子に乗って軍資金十万をほとんど使ってしまった。




お腹が空いた二人は、地下の食品売り場でオニギリを買って、ベンチに座って食べていた。



「あんた、家は何処なの?」



ナツキがオニギリを口いっぱいに頬張りながら聞いた。



「家?家は…牧場だよ」



「へぇ、牧場やってる家なんだ。そうすると山の方だよね。一人で帰れる?」



みるくは口をつぐんだ。


「家、遠いの?」



「えっと、家…帰れないんだ」



「帰れないって何で?」


「お金稼いで、払わなきゃならないんだもん」


「何でよ?自分の家なんだからお金稼がなきゃならなくたって帰ってもいいでしょ?」



みるくは首を横に振った。



「あんた真面目だね」



すると、突然ナツキのジーンズのポケットでケータイが鳴った。

ナツキはみるくに背を向けて電話をとった。


「もしもし、何か用?タケル。うち、今忙しいんだけど。

…はぁ?女?知るかよそんなもん。あんたの取り巻きなんかイチイチ覚えてる訳ないじゃん。

…何、あんたの女じゃなくて?尚更知るか!

もう、ウザい。うちは関係ないから。切るよ」



ナツキはため息を吐きながら電話を切った。



「何だ?タケルのやつ」



「どうしたの?」



みるくが顔を覗き込んだ。

ナツキはペットボトルのお茶を飲んだ。


「…うん。ちょっとね。何か、知り合いが女捜してるんだって。うちがそんなの知るかってかんじ」





「あいつ、話しの途中で切りやがった」



ナツキの電話の相手、タケルは、通話の切れたケータイ画面を見て呆れ顔で言った。



「ぇえ!?あのオトコ女。異性に冷たいんだよな」



そう困り顔で言ったのはジローだった。



「わりぃ。オレも、知り合いあたってみるけど、見かけたら連絡すっから」


「ありがと。あと、お前の愛馬借りるぜ」



「おぅよ」



ジローはタケルの愛馬ならぬバイクに跨がり、おもいっきりエンジンをふかして走っていった。


タケルはその後ろ姿を見ながら呟いた。


「とうとうあの童貞少年にも彼女ができたのか。めでたい、めでたい。何か昨日思いつめてたなって思ったら、女のことだったんだな。これであいつも童貞から卒業か…」


タケルは手持ちの扇子を広げて仰いだ。

すると、


「なーんだ。ジロくんの筆おろし役、狙ってたのにな」



タケルの腕の中に囲っている派手な取り巻き女が言った。



「お前、そりゃ趣味悪いぜ。童貞なんて面倒臭いだけじゃん」


タケルが笑う。


「そう?ジロくんカワイイよ。っていうかタケちゃぁん、クラブ行こうよぉ。コンビニなんてダサい」


「ごめん。今、金欠で無理」


「えー、コンビニ前なんて中坊じゃん」



タケルは自分達が居座るコンビニの外観を眺めた。


ごみ箱から空き缶が溢れ出ている。

寂しく道路の並木の葉が揺らめいたりして。


「懐旧に浸れていいかんじ」


タケルが苦しまぎれに言った。


コンビニ前の風景に似合わず派手なジャケットにミニスカの女は、

「あーん。もう帰る!」と、立ち上がり、タケルの肩をバッグでバンッと強く殴った。



「あ、待ってよ。ほら、中坊ん時ってよくコンビニでデートしたじゃん。ほら、素敵な青春の思い出が甦ってこない?オレは十三の時だったかなぁ、一つ上のヨーコちゃんと…」



「もう!他の女の話なんか聞きたくない!」


「あ…」


どんどん歩き去っていく女に、タケルはひらひらと手を振った。


「バイバイ…」



頭を掻いて、ポケットから煙草を出して、煙りをふかした。



「さてと…」



タケルは寂しい背中で、あくびをしながらコンビニの中に入って行った。









どうしてずっと、

体の真ん中に風穴が開いてしまったみたいに、

風の寂しさの中を漂っているんだろう。




何かが足りない…

何かが欠けてる…




「また泣いてるの?」



「うん…」



「どうしてそんなに悲しいことがある?」



「会いたい…」



「誰に?」



「ジローくんに、もう一度会いたい…」





大事な

大事なものが

欠けてしまった気がする。



それがないのなら、このざわめく寂しさの中を永遠にさ迷い続けるんだろう。




「ジローくんに会いたいよ!」


ナツキは

みるくを強く抱きしめた。



「うちがいるから!そんな苦しそうな顔するんじゃないよ。ジローくんってのはあんたの彼氏?」



「彼氏?」



「恋人なの?」



「彼氏…恋人…まだなれてないよ」



「じゃあさ、大事な人の名前が、ジローっていうんだね?」


「うん。そう」



「ジローねぇ。うちもジローって名前のやつ知ってるけど、あれは、ボケだよ。牛ボケ。色気のある話が成り立つ男じゃないからね。色んな意味でガキんちょだから。同一人物ってことは有り得ないわな」




「ジローくん?」




「いんや、違うと思うよ。うちの知ってるジローは、あんたみたいな巨乳の可愛い娘になんか話し掛けることすらできないね。女に免疫ないもん。確実に別人」




みるくは言い切るナツキに首を傾げてみせた。




「え?マジで別人だと思うよ?ってかさ、何であんたがあんな所で働かされようとしてたのかも気になるんだけど、よかったら教えてよ」


「うん…」



みるくは深呼吸をして今までの経緯を話した。



話し終えると、ナツキは首を傾げながら、

「…みるくは…元は牛だったけど、百万円の水晶玉で人間になって、それで、お金を百万稼がなきゃならないっての?」


と、みるくの話しを確かめるように繰り返した。


「うん。ジローくんのために人間になったけど、ジローくんには自分で何とかしろって言われちゃった」




「ふぅん」




ナツキはまゆをひそめ、思った。

このコの言ってること妄想だよね?

そりゃおっぱいなんか牛くらいありそうだけど…

想像力が豊かなコなんだ。

人魚姫みたいな例え話なのかな?

本当はどうしてそんなことになったかなんて人に話せないのかも。

しょうがないよね。見ず知らずのうちなんかに本当のことは話せない。



「みるくは、人魚姫なんだね」



「人魚姫って?」



「おとぎ話だよ。

人魚姫は世界の違う陸の上の人間の王子様に恋をしてしまって、人間になる薬で海の世界から陸に上がるんだけど、その薬の副作用で口がきけなくなってしまうの。だから、王子様の近くに居ることができても気持ちを伝えることができない。そして人魚姫は結局…」


みるくはナツキの話にじっと耳を傾けた。



「人魚姫は結局、王子様に想いを知ってもらうことすらできずに、泡になって消えてしまうの。悲しい結末」




「人魚姫…可哀相」




「そうだね。結末は置いといても、違う世界から人間になったっていうのは似てない?」




「似てる。みるく、人魚姫だ」




駅ビルを歩き回っていた二人は本屋で立ち止まり、絵本の棚から人魚姫を取り出して見た。


表紙には、ステンドグラスのような彩りの水彩画で、キラキラした海と、美しい人魚姫の姿が描かれていた。



「これが人魚姫…」



「このおとぎ話、小さい頃大好きでさ、読書する方じゃなかったけど、人魚姫だけは何回も読み返したよ」




ナツキの横で、みるくは真剣な顔をして物語りを読破した。



「な!?あ、あんたまた泣いてんの?」



ナツキはみるくの頬を涙が流れているのを見てビビった。



「王子様のこと大好きなのに…消えちゃうなんて…酷いよ」



「みるく…」


二人はあてもなく歩いた。



「どうして、みるくはジローくんのために人間になったのに、あんなふうに言われなきゃならないんだろう」



どうして自分だけが一人でこんな不安な思いしなきゃならないんだろう。


みるくが呟いた。



「ジローくんならきっと、みるくを助けてくれるって思ってたのに」




ナツキが立ち止まり、みるくの瞳を見つめた。




「ねぇ、みるくにとってジローは大事な人なんだよね?」




みるくの瞳の中で、感情が風に吹かれたように揺らめいた。




「大事な人だよ。とっても」




「それは、嘘なんじゃないの?」


「嘘?

何で!?みるくは、本当にジローくんが好きだよ。好きじゃなかったら人間になったりできないもん!」




「どうかな?うちには、みるくは自分が人間になったのをジローのせいにしてるように見えるよ」




「…ナツキちゃん、何でそんなこと言うの…」





みるくはショックを受け言葉を失った。好きだと思う気持ちが嘘だなんて、思ったことすらなかったのに。



人通りの少ない橋の上で足を止めた。



ナツキは、飲みかけのペットボトルのお茶を橋の手摺りの上に置いて、脱力するように気だるく腕を乗せた。


ナツキの長い髪が風に舞う。橋の下に流れる川に映る太陽の光みたいにキラキラしている。


みるくはそんなナツキを見つめた。



この女の子は、自分に何かを言わせようとしてる。そんな気がする。




「人魚姫が人間になったのは何でだろ?」



突拍子もなくナツキが言い出した。

みるくはすぐに答える。


「人魚姫が人間になったのは、王子様に近付くため」



「でもさ、人魚姫は結局王子様に自分の気持ちも気付いてもらえず泡になっちゃうんだよ。それは、誰のせいなの?」




「王子様が気付いてくれなかったから」


「王子様のせい?それは違う気がする。だって王子様は、人魚姫に自分を好きになれなんて言ってないよ」




みるくはドキッとした。



「でも、それじゃ人魚姫が可哀相過ぎるよ」




「人魚姫自身はどう思ってたかな?王子様を好きになって人間になることを選んだのも、泡になってしまったのも、全部自分のせいじゃん」




「人魚姫自身が…?」




「みるくは、ジローを好きになったことを後悔してる?」




『みるくは、選んだこの現実を後悔なんかしない』




確か、そう誓ったはず。



「みるくは…」



みるくは一つの答えをみつけた気がした。


ナツキはお茶を飲み干し、

また再び歩き始めた。



「コンビニ寄っていい?お母ちゃんに何か飯を買っていかなきゃ」



「うん」



二人は橋を渡った並木道の所にあるコンビニに寄ろうとした。


…のだが、

コンビニのガラス張りから見える雑誌の棚に、ナツキにとって見覚えのある人物が雑誌を手に取り見ていたのだった。



「あー、やっぱり、別のコンビニにしよう」




ナツキはコンビニに入る寸前で、クルッと後ろに向き直り。



「あ!ナツキじゃん」


しかし、その人物はナツキに気付き。



ナツキは気付かない振りをしてみるくの手を引き歩いた。




「待てよナツキ。オレに気付かないの?」


と、その人物は去っていこうとするナツキの肩を掴んだ。



「タケル!何で気付くんだよ!」



「何でって、気付いちゃ悪いのかよ?」



「悪いよ!あーあ、ウザい奴に会っちまった」


ナツキは頭を抱えた。



「てかさ、お前オレの電話途中で切ったけど、ジローの女知らねぇ?巨乳で、えーっと、巨乳…しか覚えてねぇわ。とにかく巨乳の女」



タケルは、そう言い終わるとみるくに目をやって、


「あ、まさかジローの女?」



みるくはタケルの顔をじっと見た。


「ジローくんと一緒に…?」



いつもジローを連れ去っていくバイクの男の人だと思った。


「まさか!?確かに、みるくはジローって奴を知ってるみたいだけど、同名の別人じゃん?」


ナツキは驚いた顔して、みるくを見た。



「ジローくん、みるくのこと捜してくれてるの?」



「え、マジでジロー?」



「ジローに直接聞いてみるか?」


タケルはケータイのカメラでみるくの姿を撮った。



「写メしたから。ジローの捜してるコと同じならなんか反応あるかも」


そう言ってあっさりとした口調で、タケルはケータイをポケットへと戻した。



「そっか、それじゃ、ジローから返信があるまで買い物してくる」



ナツキはそう言うと、コンビニの中へ入って行った。

みるくもナツキの後について入って行こうとしたが、それをタケルに引き止められた。




「君、可愛いね。ナツキと女の子が二人でいるのって珍しいんだけど、ナツキと何してたの?」



「…服の買い物」



「へぇ、珍しいな。ナツキでも普通に服選びとかするのか」



「何で珍しいの?」



「うん。あのね、ナツキって、女に惚れられる女だから、大抵ナツキの周りにはあいつに憧れてる女がいるけど、一緒に買い物とか行ってるかんじじゃないからさ」


みるくは首を傾げた。



「つまりね。ナツキはいつも男っぽくしてるから、女の前で女っぽくなることはないんじゃないかな?って思ってたんだオレは」



「ナツキちゃん、ブラジャー買う時に、来たくてもなかなか来れなかったって言ってた」



「へぇ、ブラ買いに行ったんだ。いいなぁ、オレも一緒に連れてってくれればよかったのに」



「タケルくんもブラジャーするの?」



「いやいや、そうじゃないよ。男の憧れだね。女の子と一緒に女物の下着買いに行くの」



タケルは笑った。


「てかさ、君、名前何ていうの?」



「みるく」



「名前も可愛いな。見慣れない制服着てるけど、どこの学校?」



「学校?…学校って?」


「学校って…あの学校だけど…?」



しばらく沈黙が流れた。


タケルは話題を代えることにした。

「買い物楽しかった?」


「…うん」



「そう、よかったね。みるくちゃんはどんな服買ったの?」



「えーっと、ピンク色のとか、フリフリの付いたやつとか、そんなの」


「見てみたいな。きっと可愛いんだろうね。みるくちゃんにはピンク色やフリルがとっても似合いそうだから」


みるくはまたもや首を傾げた。



タケルくん…この人はいったい自分にどうして欲しいんだろうか。質問ばかりしてくるけど…。


と、みるくが考え込むのも無理はなかった。



タケルはみるくを軟派しているつもりなのだが、みるくはそういう男に今まで出会ったことがないため、対応ができないでいるのだ。



すかさず、買い物の終わったナツキが会話に割って入った。



「タケル、みるくはやめとき。みるくには想う人がいるんだからさ」



「え、みるくちゃんそうなの?」



「うん」

みるくはナツキが来たことで内心ほっとしながら頷いた。



「なーんだ。残念だなぁ。あわよくばイイ関係に成りたかったのに。そいつよりも出会うのが早ければなぁ」


と、タケルは表面上は諦めた顔をしたが、

性格の上で腹に一物を持っているタイプだった。


それを見抜いているナツキは、

「キモいよタケル。あんたが訛りの抜けた喋り方をする時って、ホストみたいだ」



「そうか?でも、キモいはねぇだろ」



タケルは軽く笑った。


きっと、彼の心の中じゃみるくが獲物として確定してしまったに違いない。なぜなら、タケルには彼氏がいようが想い人がいようが関係ないからだ。



「一応念を押しとくけどね、みるくはやめといてよ。マジで。このコはあんたが軽く遊べるような女とは違うの。純粋なコだから。判ってる?」



タケルはギクッとなった。

「お、おう」



ナツキは大丈夫かな?という目付きでタケルを見ながら言う。

「ジローから返信はあった?」


タケルはケータイを取り出し着信を調べた。


「ねぇな」



「ふぅん。じゃあ、みるくのジローと、あのジローは別人だったのかな」



みるくは心の中で祈っていた。

ジローくん…




「そんじゃあ、どうする?オレはここでジローと待ち合わせしてるんだけど」



「じゃあ、うちはお母ちゃんに飯を持って行ってやらんといかんから、行くわ」



と、ナツキはみるくの手を握った。



「あ、あの、みるく、ここに残る」

みるくは自分を連れて行こうとするナツキに言った。

「え、でも…」

ナツキは心配だった。軟派のタケルの側にみるくを置いておくのは。


「あのね、会って、確かめたいの。みるくのジローくんかどうか」



みるくが真っ直ぐな瞳をしていた。

ナツキはそんなみるくにみつめられて、深呼吸をした。

このコが自分で選んだのなら無理矢理連れて行ったらいかんか。自分で確かめたいんだと思うし。タケルの側に置いておくのは心配だけど、自分でそうしたいなら、仕方ないね。

ナツキはみるくをタケルの見てない所まで引っ張って、耳打ちをした。


「タケルはあんたを落とそうと色んなことをいうかもしれないけど、どれもまともに聞いたらいけないよ。もし、ジローをやめて自分にしないかとか言われたら、必ず嫌だって言うんだよ。判ったね」



ナツキとみるくは顔を見合わせた。

みるくは頷いて。



「うち、またここに来るから。待っててね」



ナツキはみるくを抱きしめた。


すると、タケルがひょっこり顔を出した。


「二人で、オレを取り合ってるの?」




「げ!!」





「あ…違うみたいだな。」


タケルは抱きしめ合うナツキとみるくをじっと見て。



「もしかしてナツキがオレのライバル?」



ナツキの顔は赤くなった。



「あんたがあんまり信用ならないから、みるくに忠告してたんだよ!」




「えー、信用ならないってどういうことよ?オレはみるくちゃんを置き去りにしてどっかに行ったりしないぜ」



「そういうことじゃないの。あんたがケダモノだから心配だって話だよ」



みるくは笑顔を造って、ナツキの肩を撫でた。



「ナツキちゃん、みるくは大丈夫だから、心配しないで行って」



「そう?じゃあ行くけど、タケルに何かされそうになったら金蹴りでもカマしてやるんだよ」



「うん。みるくは一人で大丈夫。(でも、金蹴りってなんだろう?)」



「金蹴り…されちゃ敵わんな」


タケルは頭を掻いた。



そうして、ナツキは心配を残しながらも、みるくに背を向け去って行った。



「ふー、やーっと面倒なのが行ってくれた」



「え、タケルくん何か言った?」



「いや、何も」



タケルはそう言いながら何食わぬ顔でみるくの肩に手をまわした。



「これからどうする?もうジローなんか知らんわ。どっか楽しい所でも行こうか」



「や、ヤだ!

みるくはジローくんを待つんだもん」



みるくは勘で危険を察知し、タケルの腕を振りほどいた。



しばらく沈黙が流れる。


ウブなコなのかな?と思ったタケルは、



「どこでジローを待つ?暇つぶしにコンビニの中に入って雑誌でも見てようよ」



と、みるくを引っ張りコンビニの中に入った。



キョロキョロするみるくに、ガラス張りの向こうを指差して、



「ほら、ジローがここに来たらすぐ判るよ」



「…うん」


みるくはタケルの隣りで外を見続けた。



タケルは適当な雑誌を手に取り読み始めた。


みるくは何を見ているんだろうと思い、雑誌を覗き込んだ。



すると、そこには、

人間の男と女が裸で抱き合っている絵が描いてあった。


何これ…と考え込むみるくに、タケルはニヤついて言った。


「オレらもしてみる?」


「え?」



みるくはキョトンとしている。


「オレのマシンガンの威力はスゴイぜ」

タケルは懲りずにまたみるくの肩に手をまわした。



「あのね。みるく、何のことだかよくわからないの」



「ふぅん。なら、オレが教えてあげる」



タケルが得意げに囁く。みるくは悪寒がしてタケルから跳び除いた。



「いいよ。要らない」


みるくは焦りながら言った。


「えっと、あのね、あの、タケルくんってバイク乗ってるでしょ?バイクに乗って、いつも何処に行くの?」



「ん?何でバイク乗ってるの知ってんの?うーん…バイクに乗って何処に行くかっていうと、色んな所としか言えないなぁ。行ける所まで行くよ。海にも行けば、山にも行くし。まぁ、全部暇つぶしだから、特に目的があってやってることじゃないけど」



「ふぅん。そうだったんだ」


みるくは遠い目をした。


ジローが雌牛みるくに日課の餌をやり終えた後、この、目の前にいるタケルのバイクにニケツして出掛けていったのは、海や山を見に行っていたからだったのだ。


みるくはジローの見たその景色を知らない。






いつも、去っていくその背中をみつめていただけ。







「何なに?みるくちゃんオレのこと知りたいみたいじゃん」



タケルの声がジローを想うみるくを呼び覚ました。みるくは寂しそうな表情で呟いた。



「いつか、海や山を、みるくも見ることができたらな」




すると、タケルの瞳が輝く。


「じゃあさ、今から行く?」



「え!?」



と、みるくが驚いたのもつかの間。

タケルは携帯を取り出し、何者かと会話したのち、さっさとみるくの手を引いてコンビニを出たのだ。


「ジローくんは!?あそこにいないと会えないんじゃ…?」



「いいじゃんジローなんて。海でも見に行こ!」


「よくないよ!ジローくんに会いたい!」



「ふぅん。でもさ、オレと一緒じゃなきゃジローとは会えないよ。ジローと連絡できるのはオレだけだからね」



「でも…」



「大丈夫。悪いようにはしないから」


みるくはそうしてタケルに言いくるめられ、

コンビニを背に、

道路へと出た。




それからのみるくの意識は奥に潜み、変化する状況をただ受け入れるのみだった。



感情を押し殺して。




タケルはみるくと共に、迎えに来た自身の友人達の車に乗り込み海に山に遊び歩いた。



「ねぇ、ちょっと疲れてる?元気ないよ」


タケルの友人の一人がみるくの顔を覗き込んだ。


みるくは無表情で、楽しそうに笑うタケルの服の端を掴んでいた。



「タケル…このコなんかさぁ…」



「ん?」



「もしかして辛い?」



と、みるくの顔の前で手を振った。


みるくはハッとして、取り繕うように口の端を上げ、笑顔を造った。


「ねぇタケル、このコが海に来たいって言ったのマジ?なーんかつまらなそうじゃん」




知らない人間に沢山囲まれて、

喧騒の中で孤独を感じた。



誰も知らない。

そんな人間達の中で、何もできずに人形のようにしていた。



海は灰色だった。


波のように不安が押し寄せる。




ジローくんにはいつ会えるんだろう…



時間はそんなみるくに構うことなく進んでいった。



日も暮れた頃、

タケルはみるくと友人達で、

山の中の廃墟になったラブホテルで先に寄ったコンビニで用意したビールの缶を開けた。



「今日は楽しかったなぁ」



タケルはそう言って、車のライトで照らし出された友人達と乾杯をした。


結局、みるくはジローに会えないままだった。



実は、コンビニのあの時タケルがしたジローへの写メールは、みるくではなく別人の写真だったのだ。


タケルは、みるくを側に置いておくためにわざとそうした。



みるくはそんなことも知らずに、タケルについていればいつかジローに会えると信じて、目の前で展開する宴会をじっと無言でみつめていた。




「ホントに無表情だね。皆で楽しむ気ないのあんた」


「さっきっからだんまりで、何聞いても話し弾まないし」


「しょーがないでしょ。もともとそういうコなんじゃん」



タケルの友人達は口々にみるくをそう言った。


「てかさ、タケルがこーいうコを連れてるのかなり珍しいよね」


「そうか?」


「うん」


「タケルはさぁ、もっと喋る女が好みだと思ってた」


「そうそう」


「オレは限定した覚えはねぇなぁ。女の子なら誰だって来い!ってかんじだけど」




酒と酒のつまみを囲んで、野外でのタケルと友人達の宴会は盛り上がった。



「なぁなぁ、何にも食べてないじゃん」


タケルの友人の一人がみるくに話し掛けてきた。手にビールを持ち、勧めてくる。


みるくは首を横に振った。

「そっかぁ、見てわかるけど学生だったね。そりゃ飲めないか」




みるくはタケルに請う。

「いつジローくんに会えるの?」



「…もうどうでもいいじゃん」



タケルはみるくの肩に腕を回した。




タケルやその友人達はよく、この廃墟のラブホテルを宴会の場所にしていた。

この廃墟は国道沿いとはいえ山の寂しい場所に在り、忍び込んで勝手をやってもバレないため、夜な夜な若人の集まる集会場のようになっている。




夜な夜な若人達は、暗い廃墟で酒を酌み交わし、愉しい気分になったあと、獣のようなノリで秘密の快楽を味わうのである。



誰かが照明代わりの車のライトを消した。



辺りが真っ暗闇になった。



何も見えない。




みるくの心は恐怖でいっぱいになった。





「イヤー!!」





叫び声がボロボロの廃墟に反響して響渡る。


誰かが歓声を上げた。

「よっしゃー!はじまったな!」




それは、愉しい遊びのはじまり。


たちまち複数の手がみるくに伸びてきた。


「ちょい、オレに先やらせろよ」

「待てよ。オレはおめぇの後なんて嫌だぜ」

「そんじゃ間をとってオレが先ってことで」

「なーにが間をとってだよ。バカ」


「つーかさ、ウチらとも遊んでよぉ。何でそのコのトコばっかいくのぉ」

「そうそう、ウチらの方が知ってるから愉しいよ」



「嫌だよ前は」

「後ろでやろうよ」

「そんなトコ触らないで。くすぐったい。笑える」



笑い声のような悲鳴ともとれるような会話がうごめいている。




みるくは何をしているのか、何をされてしまうのか判らず、不安で、

みるくへと伸びる手を振りほどき、振りほどき、逃げた。



『助けてジローくん!』


何度も叫んだ。



暗闇で幾度も躓いて転んた。

膝が痛い。


今日はこんなことばっかりだ。



独りになって男の人に追い掛けまわされる。

今度こそダメかも。

ジローくんに会えないまま…




暗闇に目が馴れた頃、みるくは逃げ場を失った。





何人かの影がみるくを覆う。

まるで魔物のような黒い影が。


この夜は月が出ていなかった。沢山の星の朧な光りに、脅える小さなみるくが照らし出される。







すると突然ケータイの着信音が鳴った。


〈あー、何?ジロー〉


〈うん。俺、今ラブホの跡の所〉



電話に出たタケルは通話を切ろうとした。



〈あ、待てよタケル。車見たぜ。今同じ所にいるんだろ?探してる。それからあの写メの女、ふざけんなよ。俺の言った特徴と合ってねぇじゃん。巨乳で目のパッチリしたサラサラのセミロングの髪形で、マシュマロっぽい女だっつったのによぉ。巨乳でもセミロングでもねぇじゃん〉




〈あー、わかったわかった。どうでもいいじゃんそんな女〉




〈どうでもよくねぇよ。協力してくれるんじゃねぇのかよ〉



電話の向こうでジローは舌打ちをした。



〈ったくよぉ。相変わらずこんな不気味な所で趣味の悪いことやってんのな〉



〈切るぜ〉


〈おぅ。もう見つけたしよ〉




急に眩しい強い光りがみるくを包んだ。



バイクに乗ったジローが颯爽と現れたのだ。



ジローは眩しさに顔を顰めるタケル達の間をくぐり抜け、みるくを庇うように腕の中に寄せた。




「ジローくん…」

みるくは安堵の表情を浮かべた。




「タケル、俺が言った女はこいつだぜ」


タケルは素知らぬ顔で横を向いた。




みるくはジローにしがみついている。




「悪かったなみるく。まさか、あのまま居なくなるなんて思ってもみなかったんだ」




みるくは小さく頷いた。




「見つかって良かった。独りで恐かったろ。マジでごめんな」




みるくはジローの広くて温かい胸に顔を埋めた。

頭を優しく撫でられると細い肩を震わせて、涙を流すのだった。





「あーあ、興ざめ」

タケルはそう呟くと、友人達を引き連れてこの場所を去って行った。


二人きりになったジローとみるくだったが、


みるくはジローにしがみついたまま動こうとはしなかった。




「…ごめんね」





そんな声がして、

ジローはみるくの瞳をみつめた。




みるくはジローを見上げて言い直した。

「ごめんね。ジローくん。」




「…何で?」




「迷惑かけてごめんね」




「迷惑って…」





「みるくのせいでジローくんの一日が台なしになっちゃった」






「え…まぁ、そりゃ、みるくは、俺の…うん…牛だし。そう、ほら、飼ってる牛なわけだし、捜すのは当たり前じゃん」






「…うん」

そんなぎこちない会話の中で、みるくは少し残念な顔をした。

人間になった今でも飼ってる牛っていうポジションなんだ…





「さ、帰るか家に」



「え?でも、みるくは百万円を…」



「いいんだよ。あれから皆で話し合ったんだけど、みるくは家の家族だし、お金なら畜産を手伝って稼げばいいよ」




「でも、家計が苦しいんでしょ?」




「だからってお前独り放り出すわけにいかねぇだろ」

ジローはみるくを抱く腕にギュッと力を入れた。


「え!?」


みるくは自分のほっぺたから涙がこぼれ落ちていくのを感じた。



「どうしたんだよみるく。お前、何も心配しなくていいんだぞ。ナンちゃんだって少しキツく言い過ぎたって言ってたし、大丈夫だって」




ジローは困った顔でみるくの頭を撫でた。


「よしよし、独りぼっちで恐かったな。もう安心しろ。俺がいるから」




「ありがとうジローくん…」





「ん?何だよ」





「ジローくんと会えて嬉しいんだ。とっても。嬉し涙なの」




ジローは驚いた。

泣いてるのに悲しいんじゃなくて嬉しいってことがあるのか。



みるくは自分の涙を拭いながら、微笑んでいた。



「とにかく帰るぞ」




ジローは照れ隠しなのか顔を背けると、みるくの手をとり歩きだした。




「ってか、帰るにしてもバイクはタケルが持ってちゃったんじゃん」



帰るための足をなくしていたジローはうっかりしていた。立ち止まり、ケータイを取り出し電話をかける。


〈もしもしジロー。みるくはみつかったの?〉


電話に出たのはナンちゃんだった。


〈おう。みつかった〉

〈よかったわ。無事なのね?〉


ナンちゃんの声は心底みるくを心配していたようだった。


ジローはみるくを見て、

〈ちょっと膝に擦り傷ができてる〉


〈傷ですって!?女の子の大事な体に大変!早く帰ってらっしゃい〉



〈や、あの、早く帰りたいのはやまやまなんだけど、足がなくってさ。帰れないんだよ。車で迎えにきて〉



〈判ったわ。何処にいるの?〉



〈山の中の国道沿いのラブホの跡ん所。知ってるよな?〉



〈あんな物騒な所にいるの!?気をつけなさいよ。あんた女の子連れてるんだから、痴漢に遇ったら守ってやるのよ。近くに民家がないし、本当に危険だわ。すぐ行くからね。いい子で待ってるのよ〉



ジローは電話の向こうでそう言うナンちゃんを、何だか母親みたいな言い草だなと思いつつ、みるくに目配せした。



〈なぁ、みるくと話す?〉



〈え?〉



ナンちゃんは戸惑うようだった。

ケータイを渡されたみるくは、ジローがしたようにケータイを耳にあててみた。



すると、恥ずかしそうなナンちゃんの声が聞こえてきた。

〈みるく、心配したわよ。とにかく早く迎えに行くから、それまでジローにくっついて待ってるのよ〉



ナンちゃんは一方的に電話を切った。



「ナンちゃん、照れてるのかもよ」


ジローが言った。



みるくの瞳には、ジローの背中に拡がる満天の星空が映っていた。


「綺麗…」



さっきまでの世界とは違う。ジローの居る世界はキラキラした無数の光りに照らされて幻想的な雰囲気に包まれていた。

みるくは、自分の心の中が安らかになっていくのを感じていた。



真っ暗な藪の木と木のざわめきも、怪しい廃墟も、ジローがいてくれるなら恐さも影を潜める。



さっきまで嵐のように荒廃していた心の中が、

凪のようにゆったりとした穏やかさになっている。




たった一人の存在の有無で、自分はこんなに変わってしまうものなのか。




みるくは、改めてジローの存在の大きさを確かめた。




「ねぇ、ジローくん聴いて」



ジローが振り向くと、

みるくの姿は星の光りに照らされてか、

透き通っているように見えた。


雪のような白い肌、絹糸のような髪の毛が冷たい銀色の風に吹かれてなびいた。


朧な水色の世界で、

彼女は微笑んだ。


ジローはみるくの手を掴んだ。



消えてしまいそうな気がしたのだ。







「ねぇ、ジローくん。大好きだよ」






みるくはジローの掴んだその手を握り返した。



「大好き。


でも、大好きになってごめんね」







少し悲しげな表情を浮かべていた。






「ジローくんが、彼女ができないって言ってたのを聞いた時、みるくはチャンスだって思ったの。これでジローくんの近くに行ける理由ができるって。嬉しかった。浮かれて何も考えずに人間になった」






キラキラしてるのは、



星空じゃなくて、



目の前にいるこの人といるこの世界。









「ジローくんのせいにしてたんだ。ごめんね」



冷たい風の中で、

みるくの瞳に熱い焔が揺らめいていたのを

ジローは確かに見ていた。




「でもね、それが解った今でもジローくんのことが好き」





ジローは思わず目を反らして。






「好きなことだけは、どうにもならないよ。

今日ね、決めたの。

ずっとジローくんの側にいたい。いさせて欲しい。自分勝手な願いを、それでもやっぱり思っちゃうよ」






ジローはみるくを真っ直ぐ見れなくなっていた。





「ジローくんの彼女になりたいです。

ジローくんのせいじゃなくて、みるくの願い。

ずっとジローくんの側にいさせて。一緒にいたいです」






ジローは背けた背中に温かい感覚を覚えた。





「ジローくん…」



みるくが体を寄せていた。

「みるく…?」


みるくは目をしょぼしょぼさせてフラフラしながら、ジローの背中に捕まっていた。




「ジローくん…みるくの言ったことちゃんと聴いてた…?」





みるくは口をもにょもにょと動かすと、まぶたをゆっくり閉じた。


「寝た!?」




言いたいだけ言って…いい気なもんだ。ジローはみるくの体をよっこいしょっと背負うと、叫んだ。


「重い!!」


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