エピローグ 終わりと始まりと

「しかし、もう一か月も経ったのか。結構早いもんだね」

 首都シウダから郊外に向かう一両の車の中で、助手席に座る丸眼鏡の少女は運転手の男にそう話しかけた。男は荒れ果てた道路と廃墟のようになった街並みの中を運転しながら、少女の言葉に応じる。

「何かと事後処理に追われていたからな。やることがあれば時間が過ぎるのは自然と早く感じるものだ」

 ハンドルを握る男の名はサイラス。

 元オルゴのレジスタンス代表であり、『アウルム国解放戦線』においても組織の幹部として重要なポジションにいた。その実力と人脈を買われ、武装蜂起成功後も復興と新政権発足の為に奔走していた。

 助手席に座る少女の名はルーシー。

 かつてはPW実験の被検体として軍に捕らわれていたが、いくつもの幸運の助けもあって脱出に成功しレジスタンスに所属していた人物だ。武装蜂起成功後は、軍から押収したPWの解析を行っていた。軍の研究員の中で重要なポジションにいたと推測される者達の中には、研究資料と共に行方を眩ませた人物もいる。そのため、彼等の行っていた研究の全容を解明する事には時間が必要だった。

「それにしたって、国連軍も随分と派手にやったよね。どうせ自分たちの住む国じゃないし、目的のPW関連の情報はこの程度じゃ消えないって考え方は、分からないわけじゃないけど」

「俺達は彼等に慈悲や救済を望んだわけじゃないし、それを期待したわけでもない。ただ単に利害が一致したというだけの話だ。無償の愛で救いの手を差し伸べるなんて話は、少なくとも国家間では成立しない」

 そんなサイラスの言葉に対して浮かべるルーシーの不服の表情は、まだ年相応の少女のものだった。

「私だってもちろん分かってるよ。分かった上で文句を言っているのさ。こんな物を残されたら、例え命の恩人にだって文句の一つも言いたくなるんだよ」

 外の瓦礫と廃墟の続く景色を眺めるルーシーは、ため息交じりにそう言った。

 軍と『アウルム国解放戦線』の戦いが、各地に深刻な爪痕を残したのは確かだ。しかしそれ以上に、国連軍の行った空爆の被害は凄まじかった。それが都市の機能に壊滅的なダメージを与えたこともあってか、国内の復興は遅々として進んでいない。

 サイラスも表情を曇らせながら言った。

「……確かにな。物的、人的被害の総計を把握することは最早不可能なほどだ。この戦いの内幕を詳細まで知ろうと試みれば、そこには膨大な労力を伴うことになるはずだ。こうでもしなければどうにもならなかった、と言ってしまえばそれまでだが、失ったものはあまりにも多すぎるし大きすぎる」

「医療関係者の話は私の方にも色々と入ってきているよ。ハッキリ言って死傷者の総数を把握するのは不可能っていうのが現状だね。各地の病院ではとんでもない数の負傷者が収容されて治療を受けてるみたいだし、中には、意識を取り戻せないまま眠っている人も多くいるみたいだ」

 サイラスの運転する車が首都近郊を抜けた。

 首都が甚大な被害を受けたことは間違いないが、それ以外の場所が無傷であるかと言えばそんなことは無い。

 例えば今サイラスたちが目指している場所、オルゴ。

 首都からそれなりに離れた場所にある、貧困層の人間が多く暮らす町である。

 ここは『アウルム国解放戦線』が蜂起する前の、軍とレジスタンスの戦いでかなりの被害を受けていた。

 やがて二人が乗る車は目的地にたどり着き、停車した。

 そこは一軒の廃工場だった。

 中から一人の少女が出てきた。

「お久しぶりです。サイラスさん、ルーシーさん」

 辛うじて雨露をしのげる状態にあるその工場にやって来た二人を、最初に出迎えたその少女はソフィアだった。

 サイラスとルーシーはソフィアに招かれ、その廃工場の中に入る。

 壊れかけの工具と粗大ゴミ同然の家具が置かれたその場所には、ソフィアの他に二人の人物がいた。その一人、ラルフがサイラスに向けて会釈する。

「お久しぶりです、サイラスさん直接お会いしたのは、見送っていただいたあの時以来ですね」

 続いてもう一人、ラルフと共にヴォルク共和国国境線付近に向かい国連軍の空爆を約束させる交渉の鍵となった人物、エミリーが挨拶した。

「久しぶりです。……えっと、お隣の方が、もしかしてソフィアの言っていた人?」

 エミリーの言葉を受けて、ソフィアは二人にルーシーのことを紹介する。

「はい、私がお世話になったお医者さん、ルーシーさんです」

「厳密に言うと医者って訳じゃないんだけどね。初めまして、ルーシーだよ。二人のことは色々と聞いている。妹がいるとは聞いていたけど、なるほど噂通りのしっかり者の様だ」

「あの、……兄さんの、クリスの事は……」

「それを含めて、今日は私達が今持っている情報を、可能な限り伝えようと思ってね」

 椅子を進められたルーシーはそこに腰かける。

 そして改めて、ソフィア、ラルフ、エミリーの三人に向けて話し始めた。

「結論から先に言うと、今のところ私達はあの戦いの後に、クリスの姿を確認出来ていないんだ。クリスが最後に向かった場所は、都市の中心部近くにある対空電探連動型高射砲を運用する施設なのは間違いないんだけど、その後何があったかは正直言って分からないんだ」

 これを受けて、サイラスが補足として説明をする。

「俺は確かに命令を出したし、〈アルゴス〉の出撃も確認している。それに、施設からの脱出に成功した突入部隊が〈アルゴス〉の戦闘を目撃している。クリスがあの場所で戦っていたことは間違いない」

 ルーシーは頷き、再び話し始める。

「そういうことになるね。そして、首都に設置された防空施設は、どれもかなり激しい空爆にあっている。クリスの乗っていたウォーカーは、廃墟同然の施設内で、戦っていた相手のウォーカーと一緒に発見されているんだ。戦闘と爆撃のせいで殆ど原形を留めていなかったけど、クリスが乗っていた〈アルゴス〉なのは間違いないよ。……ただし、コックピットの中は空っぽで、周辺から回収された遺体の中に彼と似た特徴の者はいなかった」

 ルーシーはそこまで言うと言葉を区切った。

 少しの間、沈黙が続いた。

 あの戦いの後、クリスは帰ってこなかった。

 可能な限りの聞き込みと現場捜索も成果が上がらず、彼の生死は不明のまま一ヶ月という時間が経過したのだ。

 今回のルーシーの話は、そんな状況がこれから先も続くという、そんな報告に過ぎなかった。

 最初に重い沈黙を破ったのは、クリスの妹であるエミリーだった。

「……そう、ですか。でも、じゃあ、もしかしたら……」

 対するルーシーは、エミリーの言葉に頷きながら応じる。

「気休め程度にしかならないとは思うけど、死んだと思っていた人間が何食わぬ顔で返ってくるなんて話は、最近のアウルム国じゃありふれた話だからね。根拠の無い言葉にどの程度の意味があるか分からないけど、少なくとも私はまだ諦めていない。必ず生きていると信じているよ」

「……私も信じています。兄さんは、必ず生きているって」

 エミリーの言葉にラルフが続いた。

 空元気だとは分かるが、それでも彼は明るい口調で言った。

「クリスは約束を守る性格だ。生きて帰ると言った以上は、必ず帰ってくるはずだ」

 エミリーも頷きながらこれに続く。

「はい。クリスさんは、約束してくれました」

 そんな彼等の様子を見ながら、サイラスは自身の無力さを呪った。

 クリスが戦士として優秀だった事は間違いない。

 彼が、自分の意志で進んで戦いの場に足を踏み入れたことも事実だ。

 しかし、だからと言って本当に彼を戦わせるべきだったのだろうか?

 彼だけではない。

 ラルフも、エミリーも、ソフィアも、ルーシーも、本来であれば戦いの当事者になるべきではなかったのだ。

 『この国をまともな形に変える』。

 その手段が暴力の他になかったとしても、そこに子供を巻き込まないことが、大人の果たすべき役割のはずだった。

 しかし現実は理想と違った。

 あろう事かその子供達は、『アウルム国解放戦線』における極めて重要な役割を担い、作戦の成否に関わる局面で戦うことになったのだ。

 それはサイラスにとって、己の無力さの証明に他なら無かった。

(だが、嘆いていたところで何も変わらない、か)

 そう考え、新たに手に入れた情報の話を切りだした。

「軍の技術部が進めていたPWの研究はとんでもない物ばかりだった。君たちもソフィアと一緒に戦っていたわけだし、精神波を兵器として利用する兵器群のことについては少しぐらい分かるだろ?」

 これを受けて、まさしく当事者としてその調査をしているルーシーが続いた。

「人間の脳を取り出して演算装置に使うだの、精神波の受信装置として利用するだの、趣味の悪い空想科学小説のような物が様々な場所から見つかったんだ。ウォーカーに搭載されていることまではあの戦いの最中に突き止められたけど、まさか防空装置にレーダーのバックアップとして搭載されていたとはね。……でも不思議なことに、その殆どが壊れちゃっていたんだ」

 これに対しては、最初の頃に〈アルゴス〉の調整をしていたラルフが応じた。

「耐久性の限界、みたいなものなのでしょうか?」

「合理的に考えるならね。見た感じまだ試作段階の装置みたいだし、そう考えるのが一番普通かな。だけど、壊れたそれらはまるで自身の意志で壊れたかのように見えるんだ。取り出された脳が、最後に残された僅かな自我で、抵抗の手段として自壊したなんて考え方は、いささかロマンチストが過ぎるだろうけど、でもそのぐらいの奇跡なら信じてみるのも悪くないかな。私は人間の底力みたいなものは、奇跡を起こせるって信じているんだ」

 ルーシーのその話に、ソフィアは思い当たることがあった。

(私の願いは、無駄じゃなかったんだ。みんなに届いて、ちゃんと力を貸してくれた)

 証拠になる物など何もない。

 ましてや、名乗り出て英雄を気取るつもりもない。

 それでもソフィアには、自分が何か意味のあることが出来たという、その確信だけで十分だった。

「クリスが最後に戦った相手のウォーカーには、私達の常識では考えられないような改造が施されていたみたいでね。死体として発見されたその機体のパイロットは、胴体を貫かれていたんだけど、生物学的な死因はそれではないと推測出来るんだ。外科手術によって頭蓋骨に付けられたいくつもの配線が機体に接続された上に、血液中の成分から考えると出撃時には既に身体的な自由は存在しなかっただろうね。あの状態から考えると、脳以外の身体機能全てを停止させた上で機体に接続して、指一つ動かすことなく、文字通り意のままに機体を動かせるような改造を施されていたと推測出来るんだ。それに加えて、他の機体を精神波で遠隔操作する事すら出来たと思う。何にせよ、規格外の化け物だよ」

 まさしく趣味の悪い空想科学小説のような話だった。

 少なくとも、常識で捉えるなら到底現実の話だとは思えない。

 しかしここにいる全員は、程度の差こそあれ、この国の冗談じみた計画の当事者である。今更ルーシーのその言葉を否定することこそが、よっぽど現実から目をそらした行いなのだとよく理解していた。

 ややあって、ソフィアが言った。 

「……だけど、クリスさんは負けなかった」

「そのはずだよ。現場から死体が見つからなかった以上、クリスが対決で負けたとは考えにくいからね。……ん? どうしたんだい、ソフィア」

「こ、この感覚、……もしかして――」


×××


 廃墟のようになった町の中を、一歩一歩踏みしめて歩く。

 いざとなれば徒歩で移動できるように、拠点にした場所の位置関係を把握しておいたのが幸いした。

 記憶障害が一時的で、致命的な後遺症が残らなかったのは不幸中の幸いとも言うべきか。

 命に別状のない患者に、貴重な医療リソースを割いている余裕がないことは、あの場所にいれば嫌というほど分かった。

 作戦が終わった後に合流する場所は決めてある。

 だけど、本当に全員無事なのだろうか?

 空爆は確かに実施されたし、ソフィアは後方に預けてきた。

 最悪を想定すればいくらでも可能性を思い描くことは出来るが、考えたところでどうにもならないのは確かだ。

 火傷、打撲、切り傷、擦り傷、今でも治りかけの傷から血がにじんでいるし、全身のどこと言わず痛覚は刺激され続けている。

 それでも、内臓と骨に致命的なダメージが入らなかったのは、渡されたパイロットスーツの恩恵と考えるべきか。

 少し方角に自信が無くなったので、通行人に尋ねる。

 良かった、どうやら間違っていないようだ。

 やがて、懐かしい町の面影が見え始めてきた。

 荒れ果てて様変わりしているが、確かに知っている場所だ。

 無意識のうちに早足になる。

 今すぐに眠りたいような疲労感と、気を失いそうな痛みをこらえ、ただひたすらに前に向かって進む。

 やっと視界に入ってきた。

 戦いの跡が生々しく残る、壊れかけの廃工場。

 そこから、誰かがこちらに向かってくるのが見えた。

 今にも泣き出しそうな表情の少女。

 その後ろに続く、何人もの見知った顔。

 ああ、そうだ。

 これで良かったんだ。

 俺は勝った。

 勝って、確かにこの場所に戻って来たんだ。

「……ただいま、みんな」

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鐵―クロガネ― ある少年のアウルム国奪還戦争 タジ @tazi0910

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