第八章 決着(後編)


×××


 声が聞こえていた。

 どこか遠くから、幾つもの小さな声が聞こえていた。

 ひたすらに痛みと苦しみを訴える、悲痛な叫び。

 世界の全てを呪うかのような嘆き。

 小さくとも果てしなく響き渡るそれは、心と体を内側から締め付けるようだった。

 周囲には何もない。

 天地の在り方すらも分からないような、ひたすらに続き広がる漆黒の闇だった。

 声の響く闇の中で少女は一人、佇んでいた。

 白く長い髪、透き通るような肌、細い四肢、小柄な体躯。

 彼女の名はソフィア。

 かつてPWの被検体として囚われていた少女。

(この声、この感じ、これは……、精神波? だけど、こんなに沢山、いったい何処から? 戦ったウォーカーからも似たような精神波は感じたけど、これは少し違う)

 ソフィアの中に強烈なイメージが流れ込んでくる。

 自由を奪われ、地面に縛り付けられた者達。

 天に向かう無数の視線。

 段々と、声の内容を聞き取れるようになってきた。 

 痛い、怖い、苦しい、助けて……。

(人の声、こんなに沢山の、苦しみの叫び。きっとこれは実験の被害者達。……そうだ、もしかしたら私も、この声の一つになっていたかもしれない。……だけど、クリスさんが助けてくれた)

 無限に広がる暗黒。

 決して途絶えることのない悲鳴。

 人によっては地獄とも悪夢とも言える光景だが、ソフィアは不思議と恐怖や不快感を覚えることはなかった。これはむしろ、彼女の日常的な感覚に近い。無意識に人の精神波を受け取ってしまう彼女にしてみれば、他者の曖昧な嘆きを聞き続けることは、慣れ親しんだ状態に近かった。

 研究施設に囚われていた時、ウォーカーに乗って戦っている時、これに似た声は常に響き続けていた。

(……胸騒ぎがする。この感覚、この違和感、……何か、大変なことが起ころうとしている、そんな嫌な予感がする)

 ソフィアは、自分の中に広がり続ける不吉な予感の正体を探る。

 最初の日に聞かされた作戦の概要。

 防空施設の破壊。

 空爆。

 PW。

 空へと向けられる視線。

 自我や思考すらも失いながら、それでもひたすらに放たれる精神波。

(……まさか、でも、もし本当にそんなことになっていたら、国連軍の空爆も、地上での戦闘も、何もかもが無駄になって失敗する。負けて、そしたらみんな死んでしまう)

 ソフィアは一つの可能性に思い至る。

 決して兵器に詳しいとは言えないソフィアのその考えは、もしかしたら的外れな妄想なのかもしれない。しかし、ソフィアはどうしてもその可能性を無視することが出来なかった。

(……私達が破壊を命じられた対空防御装置、そこに『心眼』みたいな装置が使われていて、それが簡単に壊せないようになっていたりしたら、飛行機を撃ち落とすなんて簡単に出来る。そして、このどこまでも苦しみを訴える精神波、ほとんど自我すらも無くしているのに、それでもひたすらに使われているような感覚。……きっと、これは)

 投薬と装置の使用に留まっていた自分が、施設の中では恵まれた存在だったこと。

 収容されている檻のような部屋の前を通る台車の上に乗せられた、首のない死体。

 たまに目にした、頭の中にいくつもの管を通され、それを何かの機械に繋がれた者達。

 巨大なガラスケースに入れられた脳。

 いつしか見慣れてしまったそんな光景の裏で、いったい何が行われていたのか。

 法律も、常識も、道徳も、倫理も、何もかもを超越したあの施設が、いったい何を作っていたのか。

 ソフィアは幼い頃に読んだ小説を思い出す。

 生首だけの状態の人間を、それでも自我を保ったまま機械的に生かし続けることは理論上可能であると、物語の中では語られていた。

 もしそれが本当だとすれば、この国の研究機関はその小説よりも余程性質の悪い研究をやっていたことが簡単に想像出来る。

(……人間の体の一部、例えば生きた人間の脳を取り出して、それを道具として利用しているとすれば、……本当に馬鹿げた考えかもしれないけど、……でも、もしそうだとすれば、この精神波を説明することは出来るはず)

 確たる証拠があるわけではない。

 明確な根拠があるわけでもない。

 それでもソフィアは、自分の導き出した、余りにも悍ましい可能性が真実だと確信した。

 自分を研究対象として監禁していた、施設の中で断片的に見聞きしたこと。今自分が感じている、無数の精神波の状態。たったそれだけだったとしても、ソフィアにとっては十分すぎる証拠だ。

(……この声を発している人達は、たぶんもう助からない。何らかの方法で装置の一部にされて、ただ力を放つだけの部品にされている。だとしたら……)

 ソフィアは目を見開き、耳を澄ます。

 無限に広がる暗黒の中で、それでも声が聞こえてくる『どこか』を探り出すために精神波の流れを追う。

 そして意を決し、口を開いて語りかける。

「……お願い、聞いて、私の声を。こんなのが、私の身勝手だって事は分かってる。だけど、私には助けたい人がいるの!」

 必死で叫んでいるつもりなのに、喉から声が上手く出ない。

 どうしようもない無力感。

 それでもソフィアは叫び続ける。例え言葉が出なかったとしても、自分のその思いを精神波に乗せて発し、ひたすらに喉を枯らす。

「私を助けてくれた優しい人は、きっと今でもボロボロに傷付きながら戦い続けている。だけど、このままではきっと死んでしまう」

 いつだって、何があったって、クリスさんは戦い続けるはずだ。生きて帰ると約束をしてくれたけど、そんなことで無茶をやめない性格だとソフィアは知っている。

 出会ってから、流れた時間で言えばたいした長さではない。それでも、初めて出会ってから今までのことを思い返せば、そんなクリスの性格を理解することは誰にだってできる。

「あの人が負けたら、この作戦が失敗したら、あなた達と同じような目に遭う人達が、これから先も沢山現れてしまう。……逃げ出せた私の、身勝手な願いだって事は分かっている。だけど、どうか力を貸して欲しいの。協力が嫌だというなら、こんな事をした国に対する復讐でもいい。……だからお願い、私達に、私に力を貸して!」

 この声が、この思いが、届くことだけを信じて、ソフィアはひたすらに叫ぶ。

 持てる力の全てを振り絞り、ありったけの精神波を放つ。

 激しい頭痛と目眩、耳鳴りと吐き気が、ソフィアを容赦なく襲う。

 今にも意識を失いそうになるのを必死に堪えて、歯を食いしばりながら力を振り絞る。

(……捕まっていた頃は、こんな風に抵抗しようなんて思わなかったのに、何もかも、自分の命だって諦めていた筈だったのに、あの日だってもう死んでもいいと思っていた筈なのに、なのにあなたが、クリスさんが来てくれたから、クリスさんに出会えたから、私も戦うことを選べるようになったんです。だから私は、今この瞬間に、私に出来る戦いを戦うんです。エミリーさんに、ライルさんに、クリスさんに生きていてほしい、生きてまた会いたいという、他でもない私自身の我儘の為に!)

 意識を集中する。

 響き渡る無数の叫び声がどこから来ているのか、それを探りながら、それぞれの場所に自分自身の意思を投げかける。

「反応の攪乱と、可能であれば装置の自爆、とにかくあなた達を利用しようとする全ての兵器を無力化して! こんなことは言いたくないけど、だけどあなた達はもう助からない。だったらせめて、これ以上あなた達をこんな目にあわせた人達の思惑を壊すの! もうこれ以上犠牲者を増やさないために! こんな願いは私の身勝手なワガママだって分かっている。だけど、今私にできることは、あなた達に呼びかけることだけなの!」

 自分の声が本当に届いているのか?

 届いたとして聞き入れてもらえるのか?

 聞き入れてもらえたところで、本当にうまくいくのだろうか?

 疑問を上げればキリがないだろう。

 不安が無いと言えば、自身があると言えば、そんなことは嘘になる。

 それを承知の上でソフィアは叫ぶ。

 足掻いてみせると、抵抗すると、ワガママを言うと決めたのだ。

 今のソフィアが誓ったその思いには嘘も後悔も躊躇いもない。

 無駄だと疑うことも、諦めて否定することも、今はその時間と労力が惜しかった。

「――!」

 ふと、奇妙な感触がソフィアのことを包んだ。

 空に向かって流れていた幾つもの精神波が、その向きを変えたように感じた。

 同時にいくつもの声が上がる。

 しかしそれは、先ほどまでの嘆きの声ではない。

 勇気と怒りと、そして優しさを乗せた戦士の声。

 やがてそれは、『彼等』と呼べるほどに、鮮明な自我を伴っていく。

 ソフィアは様変わりしたその声に、確かな命の力を感じた。

 そして――。


×××


「……ここは……」

 まだぼやけた視界のまま、ソフィアは呟いた。

 しっかりと目を開き周囲を見渡すが、視界に入ってくる天井に見覚えはない。

 寝かされている場所は簡易ベッドだろうか? いつの間にか身に纏っていた検査服には、少しばかり懐かしさのようなものも感じていた。

 薬品臭や慌ただしく走り回る足音。外から聞こえる叫び声。ソフィアはそれによってようやく、今自分のいる場所が野戦病院のような施設の簡易ベッドの上だと理解し始めた。

「私は、あの時……」

 クリスと共に〈アルゴス〉に乗って戦った。

 精神波を使う敵が現れ、自分はそれに対抗した。

 そして、その負荷に耐えられずに、意識を失った。

 ソフィアは今になってようやく、さっきまで自分が見ていたのが夢のようなものだったことを理解した。

 やけに喉が渇いていた。

 体は火照ったままで、心臓の鼓動は早い。

 服とシーツは、まるで水をかけられたかのように汗でぐっしょりと濡れていた。

 少しだけ頭が痛むが、大した問題はないと判断する。

「大丈夫かい? 随分とうなされていたけど」

 ソフィアは隣からそう声をかけられた。

 そこにいたのは、女性、と言うには余りにも幼い少女だった。もしかしたらソフィアよりも年下かもしれない。髪をお下げにした、丸眼鏡をかけた白衣の少女だった。

 ソフィアは体を起こして振り向くと、彼女の言葉に応じた。

「は、はい、大丈夫です。……あの、貴女は?」

「ルーシーだよ。一応医者みたいなものでね、君を診させてもらったんだ」

「……それは、ありがとうございます。迷惑をかけてしまいました。えっと、私は……」

「ソフィアだよね? クリスから聞いているよ。一応、君のことを任されているからね」

 そう言いながらルーシーは、ソフィアの右手首に触れた。

 その時になって初めて、ソフィアは自分の手首に何かが巻かれている事に気が付いた。

 それはバンダナだった。

 ソフィアはすぐに、普段クリスが巻いているものであることに気が付いた。そして、それを自分が持たされているということの意味を察した。

(……クリスさん、……やっぱり、今一人で戦っているんですね。……私がもっと強ければ、クリスさんの為に一緒に戦えたけど……)

 それは、いまさら後悔したところでどうにもならない事だった。しかし、それでもソフィアは悔しかった。

 ……もっと自分が強ければ。

 ……もっと自分に勇気があれば。

 救い出されてから、〈アルゴス〉に乗ってクリスの背中を見ながら戦う時、ソフィアの心には常にそんな思いがあった。

 ソフィアは俯いたままベッドのシーツを掴む。

 そんな彼女に対して、隣に立つルーシーは優しく声をかける。

「立って、一人で歩けそう?」

「……はい」

 そう応じたソフィアは、ベッドから降りる。少し足がふらつき、全身にはどうしようもない倦怠感がある。それでも、立って歩くぐらいであれば問題なく出来た。

「目が覚めたばかりで申し訳ないけど、何せ事態が切迫していてね。間もなく例の空爆が始まるんだ。巻き込まれないように脱出しなくちゃいけない」

「……車とかは、ありますか?」

「残っている装甲車に全員押し込んで脱出だよ。私は他の人も診なくちゃいけないから、ソフィアは先に行っていて」

 頷いたソフィアはベッドの脇を抜けて外に出る。その時になって初めてソフィアは、自分がさっきまでいた場所がテントの中だったと気付いた。

 何人もが撤収の為に走り回っていた。正面の建物の中からいくつもの機材と、担架に乗せられた重傷者が運び出され、ボロボロの装甲車の中に運び入れられていく。

 どうにもならない程に壊れたウォーカーが何機も放置されている。

 ソフィアは空を見上げた。

 鉛のような曇り空は、充満する闘争と死の香りを染み込ませ、未来や希望などと言う言葉からは、どこまでも遠い印象を拭えない。

(……クリスさん、絶対に死なないでください。クリスさんだけが、今の私の、ただ一つの生きる意味なんです。だから、私はどんなことをしてもクリスさんを助けたかった。今の私に出来ることは、もう、信じる事だけです。……どうか、必ず帰ってきてください)

 ソフィアは自分の手首を、巻かれたクリスのバンダナの上から強く握る。

 あの時『彼等』の声は、確かにソフィアの願いを聞いてくれた。

 なら、絶望にはまだ早いはずだ。


×××


「まだだ、まだ俺は!」

 クリスが吠える。

 対峙する二機の〈スコーピオン〉からの攻撃をどうにか防御し、反撃の機会を窺う。

 空爆開始までにはもう殆ど時間がない。

 全ての防空施設を無力化した以上、今のクリスがここに残っている意味はない。巻き込まれる前にいち早く脱出するべきなのは間違いない。施設内に突入した『アウルム国解放戦線』のメンバーが撤退を開始していることを、サブカメラからの映像で確認している。

 だが、クリスはこの場所から退くことが出来ずにいる。

 対峙している二機の〈スコーピオン〉の執拗な攻撃が、クリスに脱出の隙を与えない。

(あいつ等が俺の思考を読んでいるのは間違いない。〈アルゴス〉の性能のおかげで何とかここまで持ちこたえたけど、少しでも隙を見せたり判断を間違えれば、その瞬間に殺される。だからッ!)

 殺される前に相手を動けなくして脱出する。

 クリスはその為に戦う。

 何かに憑りつかれたかのような二機の〈スコーピオン〉の猛攻は続く。

 〈アルゴス〉の装甲は既に修復不能なまでに傷付いている。内部フレームは致命的に歪んでいる。モニター上の機体ステータスの表示は無数の警告を放ち続けている。正常な部分など一つも見当たらない。

 一撃を避け、一撃を防御し、その度にクリスの体力は削られていく。

「まだだ、まだ諦めてたまるか! 必ず帰るって、そう誓ったんだ! 俺はまだ、こんなところで終わらないッ!」

 未だに碌なダメージを受けていない赤い〈スコーピオン〉と、どう考えてもパイロットが死んでいるはずの超硬質ブレードを装備した〈スコーピオン〉の動きには、攻撃にも防御にも付け入る隙が無かった。

 爆撃機は首都に接近している。正確な爆撃タイミングを知る術は無い。

 しかし、その時は刻一刻と近付いている。

 ――そして、その現象は何の前触れも無く始まった。

 クリスが赤い〈スコーピオン〉に向けて、自棄気味に撃った右腕の十二.七ミリ機銃。

 先ほどまでであれば超硬質ブレードを装備した〈スコーピオン〉が割り込んできて盾となり、攻撃が届くことは無かった。

 しかし、〈アルゴス〉から放たれたその射撃は、赤い〈スコーピオン〉に命中した。

 小口径な上に数発当たっただけで残弾が尽きてしまったが、攻撃は確かに当たった。

 盾となるはずだった超硬質ブレードを装備した〈スコーピオン〉は、急にその動きが緩慢になり、遂には足を止めてしまった。

「いったい何が起こって……――ッ!?」

 次の瞬間、クリスは何か強烈な感覚が嵐のように吹き荒れるのを知覚した。

 今まで完全に消えていたサブモニター上には、精神波の反応を検知する表示が明らかに正常ではない形で点滅を繰り返しながら、幾つもの情報を表示し始める。当然サブシートにソフィアはおらず、クリスには精神波を用いることなど出来ないにもかかわらず、だ。

 しかし、クリスはこの状態を引き起こしているのが誰なのかすぐに分かった。

「……ありがとう、ソフィア」

 一瞬だけ感じたその奇妙な感覚は、先日の戦いでソフィアが『心眼』を無理に使った時に感じたものに似ていた。

 超硬質ブレードを装備した〈スコーピオン〉は目の前で動きを止めている。

 赤い〈スコーピオン〉の動きにも、明らかな動揺が見えた。

「ここならッ!」

 〈アルゴス〉に増設された全ての追加外装をパージ。フットペダルを底まで踏み、フェイントを織り交ぜた軌道で赤い〈スコーピオン〉へ間合いを詰める。

 そして、腰のウェポンホルダーに格納されていたコンバットダガーを抜刀し、すれ違いざまに振り抜く。

 その一閃は型ランスで迎撃を試みた赤い装甲の〈スコーピオン〉の右腕を、鮮やかに切り落としていた。

 その勢いのまま赤い〈スコーピオン〉の背後に回り込み、コンバットダガーを構える。

 対する赤い〈スコーピオン〉は即座に反転して〈アルゴス〉の方を向き、三、四本目の腕の掌に内蔵された機銃を構える。

 だが、〈アルゴス〉の攻撃はそれよりも早い。

 〈アルゴス〉の装備するコンバットダガーの、力強く、真っ直ぐに突き出された必殺の刃は、寸分の狂い無く赤い〈スコーピオン〉の正面装甲を刺し貫いた。

 操縦桿を握るクリスの手には、確かな手応えが伝わった。

「……これで、終わった、のか?」

 クリスはコンバットダガーを引き抜く。

 明確な理由こそ分からないが、あの強烈な感覚を境にして、相手の動きは明らかに悪化した。しかし、今はその理由を探っている暇など無い。

 今この瞬間にも空爆が開始されるか分からない以上、悠長にこの場所へ留まることが得策でないことは明らかだ。

 クリスは動きを止めた赤い〈スコーピオン〉に背を向け、施設からの脱出を開始する。

 その直後だった。

「まさか、嘘だろ!?」

 赤い〈スコーピオン〉は、確かにコンバットダガーによってコックピットを貫かれたはずだった。あれでパイロットが生きているはずがない。だが、背後の様子を映すサブカメラからの映像では、その機体が再び動き始めていた。

 そして、こちらに向かってまっすぐに迫ってきていた。

 クリスは迷うことなくフットペダルを踏み込み、応戦することなく逃げようとしたが、〈アルゴス〉の耐久は既に限界を超えている。

 離していた筈の距離は一瞬にして詰められ、施設の外に出る事すら出来ないうちに追いつかれてしまう。

「チクショウ、こいつは、まだ動けるのかよ!?」

 赤い〈スコーピオン〉は〈アルゴス〉の背後から、残された三本の腕を使って組みついてくる。今の〈アルゴス〉には、それを振り解くようなエネルギーは残されていない。

 力任せに締め付けられ〈アルゴス〉の装甲が軋む。

 遠くでは爆音が聞こえ始め煙も上がっている。今までの戦闘とは明らかに違うその破壊の気配は、恐らく国連軍の空爆によるものだろう。

 爆発音とその直後に上がる火柱と煙、そして上空を飛行する航空機のプロペラ音が少しずつ近付いてくる。

 暴力的な実態を伴う『死』が、あらゆる角度からクリスに向かって迫っている事は間違いなかった。

「まだだ、まだ俺はこんなところで終わらない、約束したんだ、絶対に帰るって、だからッ!」

 クリスは正面のコックピットハッチを開き〈アルゴス〉から飛び降りる。

 受け身も碌に取れないまま、叩きつけられるようにして外に脱出する。

 立ち上がり、一度だけ振り返る。

 今の〈アルゴス〉は、軍の施設から強奪した時とは比べ物にならない程に壊れていた。

 煤と泥と傷と弾痕で、白かった装甲は見る影もない。

 クリス自身がパージしたことで左腕は既に存在しない。

 複眼状の光学センサーを曝した頭部は、赤い〈スコーピオン〉に掴まれて今にも握り潰されそうだった。

「……ごめん、ありがとう」

 クリスはそう言うと〈アルゴス〉に背を向け、施設の外を目指して残された気力を振り絞り走る。

 金属の軋む音がする。

 何かが砕かれた音が聞こえる。

 どこかが引き千切られた音がした。

 それでも振り向かずクリスは進む。

 次の瞬間、一層大きく爆撃機の飛行音が鳴り響く。

 甲高い風切り音は、爆弾が投下される音だろうか?

 それから数秒と待たず、背後で強烈な炸裂音がいくつも響いた。

「……やっと来たか」

 防空施設の最深部、対空電探連動型高射砲に対する、国連軍の空爆による破壊が始まったのだろう。

 背後からは空爆による炸裂音と重なるようにして、ウォーカーが駆動用燃料に引火して爆発する音が二機分響いた。

 赤い〈スコーピオン〉が〈アルゴス〉諸共空爆に巻き込まれて破壊されたことは容易に推測出来る。

 だが、クリスには追手が消えたことを安堵する暇など与えられなかった。

 すぐ傍に投下された爆弾が炸裂した。

 高熱を帯びた爆風が、既に満身創痍となっていたクリスを容赦なく吹き飛ばす。

 クリスの意識は、この瞬間に途絶えた。

 作戦の成功と、仲間の無事の確信と共に。


×××


 ついに国連軍による空爆が本格的に開始された。

 その圧倒的火力は、シウダの各地で戦闘を繰り広げていたアウルム国陸軍をことごとく壊滅させた。それと同時に、機能を停止して沈黙を貫いた首都防衛用防空施設を、一発の反撃も許すことなく破壊した。

 爆撃機は遂に首相官邸上空に到達し、その地上施設を破壊。

 直後、待機していた『アウルム国解放戦線』の白兵戦部隊が官邸に突入。混乱に乗じて地下に潜伏していた首相グラテア・ザナンの所へと到達し殺害に成功する。

 このことを、今までレジスタンスに匿われていた副首相ファウラ・ザナンがテレビ放送で宣言。首相死亡時の緊急法の適用によって、アウルム国臨時首相となり、全権を掌握する事になる。

 かくして、『アウルム国解放戦線』の仕掛けたアウルム国奪還戦争は、当初の計画通りの成功という形で終結した。

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