18.騒然。登校していたらまた香織が違う物に轢かれそうなんだけど

 もうね、意味わからないってこのことだと思う。


 私と鈴音が交差点に差し掛かったところで、香織がまた意味わからないモノに轢かれそうになっている。



 そもそもまた今日も、鈴音が一緒に登校することになった時点で、嫌な予感はしていたんだけど。鈴音の通っている保育園が、近所のがけ崩れでまた再開未定になったって、朝になって連絡が入ったみたい。

 鈴音を見たら首を横に振っていたから、ただの自然災害で鈴音とは関係なかったみたいだけれど、何だか釈然としない物を感じた。


 家を出て、駅前に差し掛かったところで、また勝手に時間が止まった。


 自販機でジュースを買って、駅前のベンチに座って鈴音と二人で待っていると、やがて時間が動き始めたからそのまま一緒に電車に乗る。

 いつもの景色。

 もう時間が停まるのは慣れたかな。いちいち構えていたって勝手に止まるんだし、今は鈴音が一緒にいて動いていてくれているから、色々喋ってたらあっという間だった。


 駅を出てしばらく真っすぐ歩いて、四つめの交差点の角を学校に向けて左に曲がる。


「あー、おーい。琴音っ、おはよー。鈴音ちゃんも一緒なんだねー」

 声に振り返ると、横断歩道の向こうから香織が手を振りながら走ってくるところだった。奇しくも、昨日と同じように歩行者信号が青に変わったところだった。

 信号に合わせて止まっていた車も、一斉に走り始めた。


「おはよう香織ー」

「二人とも待っててー、今そっちに行くよー」

 何だかこの時点で嫌な予感がしていた。私の機微を察してか、手を繋いでいた鈴音の握る手にちょっとだけ力がこもったような気がした。


「ん? 鈴音、どうかしたの?」

「私も、何か嫌な予感がするの……」

「えっと、それってこのあと何かが起きるってことかな?」

「うん。大型トラックは琴音お姉ちゃんが持っているから、何も問題ないような気がするの……でも何でかな、ちょっと空気が重い……」

 顔を向けると、鈴音が何だか泣きそうな顔で私を見上げてきた。

 正直、同感だよ。


 言われてみれば空気が重いような気がするし、今気がついた。さっきまで綺麗な澄み渡る青空だったのに、今はどんよりと曇っている。


 おかしいよ。

 こんなに急に、天候が変わるなんてどう考えてもおかしい。


「香織、十分に気をつけて渡ってきてね」

「えー、大丈夫だよー。今日も歩行者用の信号は青だか――」

「だから昨日ー、って……あ、また時間が止まった」

 香織がまた、横断歩道の途中で笑顔のまま固まっていた。この光景って、どう考えても昨日の朝と同じ状況だよね……。

 慌てて、周りを見回す。


「こ、ここ、琴音お姉ちゃん……馬が、真っ黒な馬っ!」

「……はあっ? 嘘でしょ?」

 交差点の遥か向こうから、大型トラックほどもある真っ黒な馬が二頭、豪華絢爛な馬車を牽いてゆっくりと走ってきている。


 もちろん、香織に向かって。


 その馬の巨大さに、思わず息を呑んだ。

 一頭が大型トラック程もあるから、当然二頭いれば車線も二車線使うよね。道中で踏み潰された車がぺしゃんこになっているし、他にも蹴っ飛ばされたらしい車がビルに突き刺さっている。

 馬車も重いのか、車輪がアスファルトにめり込んで轍ができているし。


 時間が停止しているから、立ち止まったままの人たちが巻き込まれてぐちゃぐちゃになってるし。吐き気を感じて、さっと目をそらした。


 まさに阿鼻叫喚地獄だよ。


 私の異能のせいで時間が止まっているから、時間が動き出したときにはある程度はなかったことになるはず。だけどいつからあの馬車が突進してきているかわからないから、どう見ても全部なかったことにはならない気がする。


 そもそも黒い馬が怖い。

 輪郭が陽炎のように揺らめいていると思ったら、全身が真っ黒な炎でできているよ。口からは青白い炎を吐いているし。


 馬車も普通じゃない。

 金や銀できらめく馬車にはたくさんの宝石が散りばめられていて、それだけでその馬車がものすごい高いことがわかる。悪く言えば、悪趣味。綺羅びやかなはずの馬車は返り血に黒く染まっていて、おぞましく見える。

 御者台に座っている人なんて、全身が真っ白だよ。

 着ている服は真っ白な執事服で、顔も手もすべてが真っ白。唯一、真っ赤に煌めいている瞳がものすごく怖い。背筋が凍るって、このことかな。


「やばい、やばいよ鈴音。どうしよ」

「ふ、普通に走ってきてるよね」

 愚鈍な馬車だから走る速度は遅い。


 でも今って、私の異能が勝手に動いて、勝手に時間が止まった世界なんだよね?

 それなのに、馬車は当たり前のように普通に走っている。

 なんでなんの影響も受けずに、動いているのよっ。絶対にこれおかしいよ。


「急いで香織を助けなきゃ」

 鈴音と繋いでいた手を離して、慌てて香織のいる場所まで駆けていく。後ろから鈴音も付いてきているのがわかる。

 走り始めた途端に、また空気の塊に足止めされる。泥のように重い空気をかき分けて、必死に香織のもとまで進んでいく。

 早く。早く行かなきゃなのにっ。


「間に……合う……よねっ」

「こここ、琴音お姉ちゃんの、暴走トラック出せないのかな?」

「無理だよ、私の異能は私の意思なんて一切考慮してくれないんだよ。そもそも異能持っていても、暴走トラックなんてどうやって出したらいいの、ぜんっぜんかわからないんだから」

 黒馬の蹄が一歩一歩地面を踏みしめる。だんだんに伝わる振動が、激しくなっていく。


 気ばっかり焦る。

 ものすごく長い時間がかかった気がしたけれど、やっと香織の元まで辿り着いた。

 ここからはもう慣れたよ。

 香織に触れて、私の世界でも動けるように必死に念じた。


「――ら大丈夫……って、あれっ? 何で目の前に琴音が? 嘘っ、もしかしてまた?」

「うん、そうみたい。早く、無駄かもしれないけれど、また逃げなきゃだよ」

「まさか昨日の今日だよっ? って、どうして……っっ!」

 二回目だからか、香織もすぐに交差点の向こうから馬車が向かってきていることに気がついて、一気に顔が青ざめた。


 香織と繋いだ手が、一気に凍えていく。

 香織の異能だ。触れたものが全て凍りついていく、ある意味で私の異能に似ている意図せず効果が出る異能。

 でもそんなことお構いなしに、歩道に向けて香織の手を引っ張った。やっぱり、理がおかしいのか空気が重い。全然進んでいかないんだけど。


「無理だよ琴音お姉ちゃん、馬車の進む勢いが早すぎるよ。なんとか私が……」

「鈴音、ダメッ」

 大鎌を構えた鈴音が、私と香織の前。黒い馬の馬車との間に対峙するように立ちふさがった。白く可愛らしいワンピースが、漆黒のゴスロリドレスに変わった。完全なる死神の姿に、並ならない覚悟を感じた。


 でも私は、慌てて鞄を放り出して鈴音の腕を掴んだ。

 一緒に逃げようと思って鈴音の腕を引っ張るんだけど、こっちは全然微動だにしない。


「鈴音、一緒に逃げるんだから。あんなの絶対に勝てないよ」

「駄目なの。私はこういう時のために、琴音お姉ちゃんが危なくなったときに盾になるために、そのために生きているの。だからここは絶対に死守するっ」

「だから駄目だって。あれは普通じゃないよ」

「えっ、す、鈴音ちゃんが普通に動いてる……? それに、何その大きな鎌……?」

 それでも私は、必死に鈴音の腕を引っ張る。


 徐々に近づいてくる黒馬馬車から並々ならない威圧を感じて、足が震え始めた。

 やばいよ、力が入らない。


『ゴウッ――』

 ここで、私の異能が勝手に働いて、暴走トラックが私達の脇を駆け抜けていく。

 猛烈な速度で馬車に向かって突っ込んでいった暴走トラックは、悠然と駆けてくる黒馬馬車を吹き飛ば――せなかった。


『琴音の暴走機関が喪失しました』


 唐突に頭に流れるアナウンス。


 私の目の前で、暴走トラックが粉々に砕け散った。

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