19.喪失。私が得たものと失ったもののバランスが悪すぎるんだけど

 砕け散った暴走トラックが私の目の前で光の粒に変わっていく。

 ただその甲斐があってか、黒馬馬車は私達の数メートル先で動きを止めていた。黒馬が口から青い炎を吐き出すたびに、空気がビリビリと震えている。

 御者台では、相変わらず真っ白な執事が真っ赤な瞳でこっちを見つめていた。


 その恐ろしいほどの迫力と、間近で感じる威圧感に私達は完全に足がすくんでその場に立ち止まっていた。

 どうしよう、どうすればいいんだろう。

 感じたことがない押しつぶされるような感覚に、頭が徐々に真っ白になっていく。


 私の前には鈴音が立っていて、さっきから私が鈴音の腕を掴んだままなんだけど、その掴んだ鈴音の腕が微かに震えている。

 それに気がついて、薄れていた意識が一気に戻ってくる。

 そうだよね、鈴音は私よりも小さいんだから普通に怖いよね。ここで私が気絶なんかしたら、姉として失格だよ。


 軽く頭を振って、しっかりと前を見据える。


 白執事がスッと立ち上がった。

 それ似合わせて鈴音の体がビックっと反応する。


「だ、ダメッ、来ないでっ」

 それまで絶対に動かなかった鈴音が、私の方に後退ってきた。

 私のすぐ前にいたから、そのまま私にぶつかってきた。

 鈴音が冷たい。

 それに、やっぱり体が震えている。怖いんだよね。私だって怖いもん。


「ちょっと琴音、手の色が変わってるよ。早く手を離してっ」

「あっ……忘れてた」

 すでに感覚がなかったから気が付かなかったけれど、ちらっと視線を向けると香織と繋いでいた私の手が凍えて真っ黒に変色していた。表面には白く霜がついている。

 慌てて手を離そうとしたけれど力が入らなくて、無理に動かしたからか、逆に脆くなっていた私の腕が粉々に砕け散った。ただそれも一瞬のことで、私の異能が勝手に私の腕をあっという間に元に戻した。

 腕だった場所に光が集まってきて、何事もなかったかのように腕の感覚が戻った。

 さっそく手をつないで、香織を動かす。


 その間にも、止まっていた黒馬馬車の方に動きが起きていた。


 真っ白執事が、御者台から降りてきていた。

 はっきりと分かる、アレはヤバいやつだ。


「鈴音、逃げるよっ」

「む、無理なの。絶対に逃げられない」

 鈴音がびくとも動かない。

 私も謎の泥に包まれたような重い空気のせいで動けない。それは香織も同じみたいで、恐怖からか顔から血の気が引いていた。


 完全に詰みだよ。

 さすがに今回ばかりは、助からないかも。


 そんなことを考えている間にも、ゆっくりと近づいてきていた白執事は私たちの数メートルほど前まで来たところで、止まった。

 左手が急に重くなる。慌てて視線を向けると、香織が気絶して崩れ落ちていた。


「失礼。お声をおかけして大丈夫でしょうか」

 慌てて視線を戻すと、正面の白執事と目があった。

 遠目に見たら真っ赤に見えた瞳は、ちょっとだけ違っていた。人間で言う白目の部分が真っ黒で、虹彩が真っ赤だ。なるほど、悪魔ってこんな感じなのかな。


 知らないうちに、強張っていたはずの身体が軽くなっていた。よく見れば真っ白だと思っていた肌は、ちょっと青みを帯びている感じ。髪の毛が真っ白だから、何だか顔が浮き上がって見える。

 来ている執事服はシャツからタキシードに至るまで全てが真っ白だから、これってわざわざ『白』を意識してるんだよね?

 何だか変なの。


 私がじっと目を見ていたのが面白かったのかな、白執事が笑ったような気がした。


「なるほど……魔皇ベルフレア様が屈するだけのことはあるというわけですか」

「あっ、えっ? ごめん、話をする話だったんだよね。えっと、なんでしうか」

 ちょっと噛んだ。顔が熱くなる。


「ええ。ありがとうございます。しかし……上級悪魔の魔気を浴び、そのうえで平然としていられるとは、余程の胆力をお持ちのようですね」

「そんなこと無いよ。普通に怖いし、身体だって震えて……あれ? 震えていない?」

「少なくともこの距離で、私と目を合わせて発狂しなかった人間は、あなたが初めてですよ。その証拠にほら、あなたのお友達は先に意識を失っていますし。魔皇ベルフレア様ですら立ったまま意識を飛ばしていますよ」

「えっ?」

 さっきから言っている『マコウベルフレア』が誰のことか分からないけれど、香織は人間だから普通にマコウベルフレアっていうのは鈴音のことなんだよね?

 ブルブルと震えていたはずの鈴音も、震えが止まっているし。てっきり落ち着いたんだと思っていたんだけど。


 香織と手を握ったままだったから、また壊死していた左手を砕いて、鈴音の前に回り込んだ。

 案の定というか、大鎌を構えたまま白目をむいていた。うん、これは完全に意識がない。

 っていうか、無駄に器用だよね。確かに鈴音は後退った時に私にもたれ掛かかっていて、自然に支えていたような感じになっていたけれど、前に回り込むために体を離しても立っていたから意識があると思っていた。

 うん、大丈夫。息はしているから、気絶しているだけだ。


「魔の皇と書いて、魔皇です。魔界において各地にいる魔王を率いてトップに君臨されている御方で、絶大なカリスマと圧倒的な力を持っています。先日行方不明になり探していたところ、人間界にいることがわかりこうしてお伺いしたところですが……」

「……ですが?」

 私が鈴音の状態を確認し終わったタイミングで白執事が話しを始めたから、改めて振り返った。振り返ったらさっきより白執事が近くにいて、整ったきれいな顔にびっくりした。

 あ、白執事また笑ったよ。


「……私は動いていませんよ。貴方が……失礼。名を名乗るのが遅れてしまいましたが私は、魔界において魔皇の補佐、宰相をしているウォルド、ロインドスパークと申します」

「あ、私は琴音。葛城琴音だよ」

「琴音様ですね。よろしくおねがいします。それで私ではなく、琴音様が近くに寄ってこられたのですよ」

 白執事改め、ウォルドが目を細めながら冷たく告げる。


 うん、すごく様になる。

 モノホンの執事って感じ。宰相だから偉い人なんだろうけれど、そんな偉いような感じは一切感じさせないような自然な所作が滲み出ている。だからすごくかっこいい。

 これで表情を変えていたら、私の持っている執事のイメージが崩れるところだった。


「……本当に、恐ろしい方ですね」

「えっ? 誰が?」

「琴音様ですよ。自覚が極限にまで無いようですが。すでに私の威圧ですら軽く凪いでいらっしゃるのには、さすがの私も上級魔族としての自信を失いそうになりますよ」

「あ、それはさすがに嘘だよね。そんなに自信満々で言われても、説得力無いよ」

「そうですね。悪魔は嘘つきですからね。ただまあ、琴音様が予想以上で安心はしました。新たな魔皇を継承されたのですから、それくらいで居ていただかないと、下々の魔王に示しが付きませんからね」

「あ、やっぱり嘘だったんだ」

「いえ、琴音様が新しい魔皇に即位されたのは本当のことです」

「……えっ? はっ?」

 どうせ悪魔の嘘だと思って聞き流していたんだけど、訂正されたことでまたもや思考が止まる。

 だって、鈴音が魔皇だっていう話だったよね、さっき。たぶん行方不明なのが見つかって、迎えに来たとかそんな感じだと予測していたのに。


「ええ、最初はベルフレア様を迎えに来たのですが、完全に琴音様の庇護下にありましたので驚きました。そして琴音様は、まだ実力の一端すら出していらっしゃらないご様子で」

 さらっと、心を読んできたし。


 ここに来て、いかにも作りましたっていう笑顔で笑いかけてくる。なんか、すっごくムカつくんだけど。

 ウォルドは胸元のポケットから禍々しい色の板を取り出して、指でタップをし始めた。何だか、私たちが使っているスマートフォンに似ているんだけど、明らかに材質が異質な物質だよ。

 でも何だかすっごく気になる。


 じゃなくて。


「またまたぁ、私はか弱いそこら辺にいるような女子高生なんだよ。蜘蛛だって怖いからさ、今朝だって鈴音に払ってもらったんだよ」

「ええ。魔皇が配下の者を使うのは、自然のことですから。それに私は魔皇を補佐するのが役目ですので、これから末永くよろしくおねがいします」

「ちょっ、はっ? どゆこと?」

 何かを打ち終わったのか、ウォルドは怪しい板を胸元にしまった。その流れで、私に向かって鮮やかなお辞儀をする。


 いや、いやいや。意味分かんないよ。

 補佐とか末永くとか、それこそそのまま私と一緒に生活するみたいに言わないでよ。


「地球の神に理を変更してもらうように連絡をしましたから、数日以内には合流できるかと思われます。私はこれから魔界に帰って、新たな魔皇即位の通達をしてきます。魔皇に専用車両である魔皇馬車はおいていきますので、ご自由にお使いください。それでは、また」

「あ、ちよっ、待ってっ――」

 ウォルドは私の声に笑顔で手を降ったまま、足元ににじみ出てきた漆黒の中にゆっくりと沈んでいった。


『魔皇馬車を取得しました。黒馬を二頭取得しました。異能に組み込みます』

 そのタイミングで、私の無限収納が勝手に収納したものがまた、私の異能として『勝手に』取得されたことになってるし。

 もう嫌。

 っていうか、早く時間戻ってよっ。

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