第20戦 Big Brotherとスターリン 『虫表現注意! 次話にあらすじを載せるので飛ばしてもOK!』

 肥えた男は私の腕を引っ張り、無理矢理立ち上がらせた。そして、そのまま私を突き放し「そこの椅子に座れ」と指を指して言った。

 断る。この一言だけでいいので、男に言ってやりたいものだ。だが、反抗するのはよしておこう、今のところは。

 私は渋々、その鉄とゴムで出来た緑色の見るからに怪しい椅子に座った。すると、肥えた男は私に近付いてきて、私の両腕、両脚、そして首を椅子に付いた金具で固定した。さらにとどめと言わんばかりに私にアイマスクを付け、私から一時的に光を奪った。もちろん、流石にじたばたと暴れて抵抗したが、そんなのは肥えた男にとって大したことではなさそうだった。

「っ……、何をするk」

「自己紹介がまだだったな、アイアンマンよ」

 肥えた男は私の言葉を遮り、資本主義的な語句で私を呼んだ。

「俺の名は……そうだな、オブライエンとでも名乗っておこうか」

「『1984年』か!」

 私はほぼ反射的に言った。

「おおっ、なんだ知ってるのか! あのスターリンが、あのスターリンがか!」

 オブライエンは派手に喜びながら言った。

 私は若い頃から熱心な読書家だった。大祖国戦争(WW2の独ソ戦)の前は日に5,6冊の本を読んでおり、少年だった頃には詩をいくつか詠んでいる。私が生涯に集めた本は4万ものの31の分野と12の人間に関する本だ。なので、当然、『1984年』にも触れている。

「そうかそうか、で、どうだった?」

 オブライエンは言った。それと共にぎいぃっと鉄のドアが開き、台車のようなものが入ってくる音がする。

「非常に面白い作品であり、是非ともあのような世界が作られないことを祈ったが……?」

 私は言った。そして、なぜかオブライエンは「それだけか?」と聞き返してきたので、私は、自分の本心である「そうだ」という言葉を伝えた。

 すると、オブライエンは自身の笑い声を辺りに少しづつ混じらせ、声を跳ねさせて口を開く。

「ほ、本当か! お前は『1984年』を読んでそんなことを感じたのか! わはっはっはっ、こいつは傑作だ。自分がBig Brotherのモデルだったことはおろかオセアニアがソ連をイメージしていることさえも感じなかったのか、わはっはっはっ」

 『1984年』の舞台はオセアニアという架空の国家であり、Big Brotherはオセアニアの最高指導者だ。

 何を言ってるのだろうか? たしかにところどころやり口が似ている部分があったが、あの国はないものが我々にはある。それは共産主義というイデオロギーだ!  我々ソヴィエト連邦にはイデオロギーのおかげで、正義を見失うことはなく、人民には私と同志レーニンと共にソヴィエトに属しているという誇りを持たせれた。

 我々の理論は完璧だったのだ。しかし、現実の世界は創作物のようには上手くいかない。『1984年』では主人公によってBig Brotherの体制が揺らぐことはなかったが、どこかの誰かが我々を邪魔したから今のロシアの大地にソヴィエト連邦がないのだろう。やはり粛清が足りていなかったか、最高の言語である暴力をもっとふんだんに使うべきだったな。

 しばらく笑い続けたオブライエンは過呼吸ながらも口を開いた。

「はぁ、はぁ、いや、いいんだ。遅かれ早かれいつか気付く。己の人生がどういうものだったかがな」

 オブライエンはそう言うと、何やら金属的な音を立て始めた。

「さて始めよう。で、だ。スターリン、虫は好きか?」

 オブライエンの突拍子もない質問に私は驚く。

「あ、いや、あまり見たことはないが、嫌いではない……」

 私のその回答にオブライエンは「そうか、なら仲良くするといい」と答えると、私の軍服の袖に何かを入れた。

 そして、私の軍服の袖で何かがもぞもぞっと動き、そのまま中に入っていった。私はこの奇妙な事態に何とも言えない感覚を覚えた。

「特別に今お前の袖に入れたものを見せてやろう。おい、アイマスクをとれ」

 オブライエンの指示を受けたらしき人間が私のアイマスクを取ると、私に光が戻ってきた。それと共に私は絶句した。

 私の目の前にはピンセットで握られた、数本の足を持つグロテスクな虫がいた。その異様な形はこの世のものは思えない。

 そして「このウデムシがお前の軍服の中に入っている」というオブライエンの言葉を聞いた瞬間、私の肌の上で動く虫が恐ろしく思えてならなくなった。

「それじゃあ、アイマスクを戻せ」

 再び私は光を奪われると、より一層この虫の動きが敏感に伝わってきて思わず声を上げる。

「やめろっ! 解放してくれ! あんなものが私に張り付いているなんて耐えられない、頼む、この虫を取ってくれ」

 私の背筋は凍り付き、顔はすっかり青ざめ、足はがくがくと震えている。虫が動くところ全てが私の体ではなくなっていくような感覚に襲われ、私はそれを防ぐために体を震わせ始めた。しかし、恐怖で硬直しきった体は思うように動かない。

「暴力的なものはに文句を言われるんでな、こういう手法を取ることにした」

 私が虫の恐怖にのたまわっている間にオブライエンはそう言い、さらに続ける。

「さて、スターリン。今から俺がする質問に正直に答えたら、虫を取ってやろう。しかし、噓を付けば虫を追加する、それも別種の奴を」

「分かった、なんでも答えよう! だから早く質問してくれ!」

 私は藁にも縋る思いで言った。

「利口だな、それでは聞こう。お前、連邦クラブとはどんな関わりを持っている?」

 オブライエンは言った。

「どんな関わり? 関わりなど何も無い、私と連邦クラブの奴らと出会ったのだってあの喫茶店が初めてだ!」

 私は早口でありのままの真実をまくし立てた。

「うーん、虫を増やそうか。今度はヤエヤママルヤスデだ」

 オブライエンがそう言うと、細長い生き物が私の軍服の中に入ってきた。私は体をびくっと震わせ、のけぞるように虫から離れようとしたが、椅子の金具がそれを許さなかった。

「もう一度聞こう。お前と連邦クラブには何がある?」

「本当に知らない! 奴らは私の状況について深く知っているようだったが、私には何もわからないんだ! 何のために現代にやってきたのか、何のためにここにいるのか!」

「虫を増やす、お次はオオゲジだ」

 その声が私には無慈悲にも聞こえ、楽しそうにも聞こえる。そして、私の軍服の中に無数の足を持つ虫が入ってきた。私はもう一度体をびくっと震わせ、「ふうー! ふうー!」と声を荒げながら体を左右に動かすが何も変わらない。

「質問を変えよう、スターリン、お前と連邦クラブは何をしようと企んでいる?」

 オブライエンはねっとりとした声で聞いた。

 私は「連邦クラブは知らんが、私はn」とまで言いかけると、ふと脳内にこんな疑問が浮かび、時間の流れが緩やかになった。

 私は何がしたいんだ? 一度は死んだらしいのに、もう一度この世界で活動できるチャンス、人類史が始まって以来誰も手にしたことのないチャンスを得たというのに何がしたいんだ? 一度目の人生で追った理想を再び追うべきなのだろうか。しかし、そんなものは一度目の人生は焼き直しではないか! ならばどうする? そして、今の状況をどう考える? 私は、私は……。

 「虫を増やすか……、次はコウガイビルなんてどうだ」

 オブライエンの言葉に私の思考は止められ、時間の流れが元通りになった。

 恐らく、私が途中で黙ってしまったのに不信感を覚えたのだろう。オブライエンは発言通りに新たな虫を、今度は私の首元から軍服の中に入れてきた。

 ぬめっとしたその感触に私は嘔吐しそうになるが、胃にはなにも残っておらず、ただ気持ち悪い感覚が体中に広がっていくだけだった。

 それからはしばらく、オブライエンが質問をする、私が真実を言う、オブライエンは信じない、虫の追加、というのがひたすら繰り返されていった。あまりにも不条理なこの尋問に私は何度も異を唱えたが、虫のせいで全てが弱々しくなった。オブライエンは私が連邦クラブと繋がっており、共謀して何かを起こそうとしていると頑なに信じており、まるで宗教の狂信者のような様だった。

 私は途中で、オブライエンの質問にYESと言ってしまおうか、と何度か考えた。しかし、そうすると何の関係もないプラウダはどうなる? 連邦クラブと共謀していると私が認めたら、「私とずっと共にいたプラウダも連邦クラブの人間では?」と疑われてしまうだろう。そんなことはあってはならない。

 この時、なぜ、プラウダのためにこの尋問に耐えるのか私にでさえ分からなかった。しかし、不思議なことに「プラウダなぞ所詮赤の他人」と何度思おうとして思えなかったのだ。私は心の底にある何かが拒否したのだ。なぜだろうか……。


「もうそろそろ時間です」

 私の背後にいる男がそう言った。

「そうか、もうそんな時間か」

 オブライエンは半ば残念そうに言った。

 私には尋問が始まってからどれくらいの時間が経ったかを知るすべはないし、知りたいという欲求もなかった。なぜなら、いつ終わるかわからないからだ。しかし、この会話のおかげで「もうじきこの地獄から解放される」ということを私は悟った。

「なら、最後の質問だ、スターリン」

 オブライエンがそう言うと、「何が来る?」と私は虫だらけの体で身構えた。

「お前は誰だ?」

 私はオブライエンのその質問があまりに予想外なため、目を丸くした。

「わ、私はヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリだ……」

 私がそう言うと、オブライエンは食い気味に口を開けた。

「本当にそうだろうか? もしかしたら、お前はヨシフ・スターリンの記憶を植え付けられた全くの偽物かもしれない。第一、転生なんていう奇術を科学で引き起こせるとでも?」

 そのオブライエンの言葉に私はいらつき、最後の力を振り絞って怒鳴った。

「黙れ! 私の記憶と肉体は唯一ものであり、ほかの誰のものでもない、私のものは私のものだ。ここにいるのは、世界中で、歴史上で、唯一のヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリだ!」

 私はそう叫ぶと全身から全ての力を抜き、虫達の動きの認識を少しでもごまかそうとする。

 「時間です」

 私の背後からそう聞こえた。

「そうかそうか、やはりお前は本物だな、スターリン。だが、俺達はお前を偽物にすることができるというのを覚えておけ。それが嫌なら俺達に協力しろ、OK?」

 オブライエンは言ったが、私は無視した。

「まぁいい、それじゃあまたな」


 私は解放された。


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偉大なる同志書記長の転生先はシベリア?! ゴシック @masyujpn

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