第二十九話 桜が咲き、桜花様が姿を見せる。
春休みが終われば二年生になる。
進路どうしようって、たまに思うけど、やりたいことは特にない。二年生になったら、見つかるだろうか。
おばあちゃんの家の庭の桜の蕾が少しずつ成長している様子を、ツバキとユズが毎日報告をしてくれていたんだけど、今日、咲き始めたのだ。
あたしは朝、一度見て、それで満足したんだけど、ツバキとユズが姫乃に電話しろってうるさいから、すぐに電話をした。
その結果、姫乃が急いで遊びにきて、今はツバキとユズと共に、桜のそばではしゃいでる。
いちかさんは今日は忙しいらしくて、こなかった。
ガラス戸が開いた縁側から、猫のきなこと一緒にその様子を眺めていると、ふわり、桜の木から、薄紅色の着物をまとった女性が姿を現した。
つややかな長い黒髪。白い肌。ここからじゃあ横顔しか見えないけど、
彼女を見て、「えっ?」と、動かなくなった姫乃。
「おうかさまだー!」
「おうかさまだー!」
と、喜ぶツバキとユズ。
「知ってるの?」
「うん!」
「うん!」
びっくりしている姫乃に、ツバキとユズが頷いた。
「おうかさまはね、さくらのせいだよ!」
ツバキが元気よく姫乃に教える。
「桜の精霊なんだねっ! すごーいっ! 初めて見たっ! かざっち、桜の精霊さんが出てきたよっ!」
こっちを見て、ブンブンと片手をふる姫乃。
今日も、姫乃の肩にはハリネズミのトゲッシュハリーが乗っているけど、
あたしはゆっくりと縁側から足を下ろし、黒いスニーカーを履くと、彼女たちに近づき、桜花様に頭を下げた。
「桜花様。おひさしぶりです」
「うふふ。ひさしぶりね。元気だった?」
「はい」
あたしは顔を上げてから、答えると、嬉しそうな桜花様が口を開いた。
「みんな、元気?」
「はい、お姉ちゃんは島にいますが元気ですし、家族みんな元気です」
「そう。よかったわ」
嬉しそうに微笑んだ桜花様は、再び口を開いた。
「今年も、花が咲いたのよ」
「そうですね」
「アタシ、幸せよ」
桜花様はそう言って、太陽の下で一人、踊ると、ふっと消えた。
「――消えたっ! かざっち、消えたよっ!」
「うん。長く外にいることができないんだ」
「えっ? そうなのっ? なんでっ?」
「なんでって……いろいろあって……」
「いろいろって何っ? 教えてっ」
「知らない!」
あたしがそう言って、縁側ではなく、自分の家の方に向かって進むと、「待ってよ!」って言いながら、姫乃が追いかけてきた。
無視をして、敷地から出ると、あたしは立ち止まり、空をあおいだ。
春の空だ。ひんやりとした風が吹く。
「ねえ、かざっち! どこ行くの?」
「ん? あやかし山の桜でも見に行く?」
そう言いながら姫乃に視線を向ければ、「いいね!」という答えが返ってきた。
「ねえ、かざっち。あやかし山にも、桜の精霊っているの?」
「うん、いるみたいだよ。道の近くの桜の木は若いから、そこにはいないんだけど、古い桜の木にはいるって聞いたことがあるから」
「そうなんだ」
なんて話したあと、あたしは歩き出した。
隣を歩く姫乃が、「ねえ、かざっち。外に出たってことは、ツバキたちに聞かれたくない話でもあるの?」とか言い出したので、「そうだね」と答えたあと、「知りたいなら教えてあげるけど、誰にも言わないでね」とあたしは告げた。
「ママにも?」
「うん。
「あっ、そっか。昔恋した相手が恋してる相手か……」
「そういうこと。恋なのかはわからないけど、とても大切な相手なのは確かだと思うから」
そこまで言ってからあたしは、昔の話を始めた。
これは、あたしが幼い頃に、おばあちゃんと二人で、金色の王様みたいな銀杏の木を見に行った時に聞いた話だ。
とても大事な話だと言われて、緊張したのを覚えている。
あたしが生まれるよりも、ずっと前。
ツバキとユズがあたしのご先祖様と出会うよりも前の話だ。
昔、あたしとおばあちゃんの家があった場所に、あたしたちのご先祖様が住んでいた。
ここにあった村の中では大きな家で、昔は蔵もあったらしい。
その家に、
穂高は人間が嫌いで、草木や花や山や月や鳥やあやかしの絵を描いたり、畑の作物や、庭の植物の世話を好んでいたため、村の者たちや家族に、変わり者と言われていたのだそうだ。
穂高の絵は人間にはあまり売れなかったが、あやかしには人気で、隠れ里の長である
穂高は幼い頃から、庭にある古い桜の木を愛していた。その木に宿る桜の精霊――桜花様のことも、同じように愛していたという。
穂高と同じように、桜花様も、彼のことをとても愛していたのだそうだ。
そして、彼の子どもを産みたいと望んだという。
人間の子どもを産んだ桜の精霊など聞いたことがない、そんなことをすれば消えてしまうかもしれないと、惺嵐様は止めたらしいのだが、桜花様は首を横にふったそうだ。
穂高は、彼女の願いを叶えたいけど、消えてほしくないと思ったので、悩んだらしい。
そんなある秋の夜、穂高が家の縁側で、満月を眺めながら酒を飲んでいると、桜花様が姿を見せた。
彼女はいつもと違い、薄桃色の
その姿を見て、驚き、動けなくなる穂高。
桜花様はゆっくりと穂高に近づき、彼の肩にそっと手を置くと、『愛しています。アタシは貴方のことが、愛しくて、愛しくて、たまらないのです。苦しいのです。貴方の子をください。アタシに産ませてください』と真剣な顔つきで言い、優しくて熱い口づけをしたのだそうだ。そして二人は結ばれた。
結ばれたあと、桜花様は、三日に一度しか、木から出ることができなくなったのだそうだ。
穂高はとても心配したようだが、惺嵐様が、桜の木に触れながら、桜花様と話すことができたため、彼女が身ごもったことを知ったらしい。
秋に身ごもった桜花様は、春に双子を産んだ。黒髪黒目の可愛い男の子と、女の子だったそうだ。
その双子は、木に入ることもなく、普通の人間の赤子のようだったという。
木の中で乳を与えることができないので、桜花様は二人に乳を与えるために、木にもどっても、何度も何度も、姿を見せた。
そんなことをくり返し、七日ほど経ったある日、ふっと、桜花様が姿を消した。
胸騒ぎがした穂高が庭に出ると、桜の木が消えていたという。
穂高が大きなショックを受けて、
完全に消えてしまったわけではないようだが、姿は見えない。
穂高が嘆き悲しんでいると、家の中で寝ていたはずの双子が目を覚ましたようで、声を上げて泣き始めた。
おろおろする穂高に、しっかりしろと言い残して立ち去った惺嵐様は、すぐに隠れ里から乳飲み子のいる女のあやかしを連れてきたという。
乳飲み子を連れた女のあやかしは、双子を見ると優しい顔で乳を与えた。
惺嵐様は、彼女が乳を与えたり、世話をしている間に、あやかし山から小さな桜の木を持ってきて、前の桜があった場所に植えた。
その時植えた桜の木が、今、あたしのおばあちゃんの家の縁側から見える桜だ。
桜があった場所に、小さな桜を植えると、その中に、魂となった桜花様が入ったのだが、とても弱っていて、しばらくは眠る必要があると、惺嵐様が穂高に説明をしたらしい。
穂高は、まだショックだったが、そうかと受け止め、双子に乳をくれたあやかしに礼を言うと、乳がいらなくなるまでの間、一緒に育ててほしいとお願いをしたのだそうだ。
そうして、双子は乳がいらなくなるまで隠れ里で育てられた。
三年が過ぎても、桜花様は眠ったままだった。
桜花様が目を覚ましたのは、五年ほど経ってからだ。
穂高と双子の子どもたちは、桜花様との再会を喜んだ。とはいっても、双子は母親を覚えてなかったが、それでも、とても綺麗で、優しい人だと聞いていたので、会うのを楽しみにしていたようで、とても喜んだという。
だが、桜花様は子どもを身ごもる前のように、長い時間、姿を見せることはできなくなっていたのだそうだ。
それでも、穂高は寿命がくるその時まで、ずっと、桜花様を愛し、大切にしたと伝わっている。
穂高と桜花様の子どもたちは、美しく、賢く成長をしたという。
双子の兄は家を継ぎ、妹は、遠くに嫁に行ったようだ。
その子孫があたしだと、姫乃に教えると、歩きながら話を聞いていた彼女が足を止めて、「これがほんとの、
「うん」
「桜の精霊って古い桜の木に宿るんでしょ? 普通は、桜が枯れたら消えちゃうのかな?」
「うん、そうみたい」
「そっか。生まれたばかりの双子を残して死ぬとか、嫌だもんね。生きようという強い意志が、奇跡を起こしたのかもしれないね」
「うん」
「惺嵐様が小さな桜の木を持ってきたのは、消えなかった桜花様の魂が、ずっとその木で生きられるようにっていう、惺嵐様の愛なのかな」
「そうかもね」
そう言って、あたしは歩き出す。
桜の精霊の血が流れているなんて言えば、普通の人は信じないだろう。
だが、姫乃は普通に受け入れてくれるので、とても不思議な感じがした。
まあ、姫乃なら大丈夫だろうって思ったから、話したんだけど。
「あやかし山の桜、咲いてるといいね」
姫乃の明るい声がして、あたしは「うん」と頷いた。
了
今日もあやかし。時々、お菓子。 桜庭ミオ @sakuranoiro
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