最終話 そこにはなにも無いのだろうか

 自転車をアパートの駐輪場に停めて、階段を上がる。


 最近は、朝に焼いてバサバサになったパンを食べるのにも慣れてきた。冷めたコーヒーもレンジで温め直すことを覚えた。さすがに寒くなって来たから、そうした方がいいかなと思ったところ、昔美羽花みうかがそうやって温めていたことを思い出したのだ。


 冷蔵庫の消費期限切れのプリンをゴミ箱に捨てたとき、漠然とした不安が脳裏を掠める。このまま彼女はどうなっていくのだろう。今はまだ冬だからいいが、春になったらその温かさに、佃煮つくだにの柔らかさは消え、蒸海苔むしのりのようになってしまうのではないか。そうしてそのまま夏にはパリパリの焼き海苔に変貌してしまうのではないか。その考えに思い至ったとき、どうしようもないほどの焦りが自らを満たし始めた。

 蒸海苔ならまだいいかも知れないが、焼き海苔はいけない。きっと抱きしめたらバリバリと音を立てて粉になってしまう。それに生焼けのシーフードグラタンの匂いはどうなるのか。乾燥したらしなくなってしまうのではないか。決して良い匂いとは言えないそれだけれども、無くなってしまうということは、大変悲しいことのように思えた。


 僕は寝る前に裸になって、電気を常夜灯モードにした。


 美羽花の布団をゆっくりと開けると、納豆のようにネバっぽい糸が引いた。中には海苔の佃煮が鎮座している。よく分からないけれど、良かったと思った。まあまだ冬だから、蒸海苔になるのは早いし。とこれも良く分からない理由を頭の中で付け足す。


 足先を入れると、ずりゅずりゅという感触と冷たさが伝わって来た。あまりに冷たいので、死んでいるのではないかと不安になる。

 でゅるでゅるの美羽花に体を重ね合わせると、全身が冷却シートに包まれたかのように冷やされた。抱きしめようとしても、でゅるでゅるとするだけで、抱擁ほうようの感覚はまったく味わえなかった。しかしそこに美羽花が居るのだという事実を考えただけで、僕の陰茎はそそり立っていた。おそらく恥部であろう場所にそれをあてがい、押し込んだ。ぐしゅりと音を立てて飲み込まれていく。腰を振ってみるが、彼女から声が漏れることは無い。ちょうど自分が気持ちの良いようにずりゅずりゅと腰を動かす。それは実際、僕が陰茎を、ローションが塗りたくられた敷布団に擦り付けているような状況なわけで。不意に先端がむず痒くなる感覚が訪れた。射精のときが近い。先んじて漏れ出る、宛先の無い言葉。


「美羽花」


 そこにはなにも無いのだろうか。無いのだろう。無い。

 胸が締め付けられて苦しかった。込み上げるものがあった。


「美羽花ぁ、美羽花ぁあ……!」


 たまらず叫んだ。叫んでいた。たまらなかった。ただたまらなかったんだ。


 いつの間にか僕は泣いていた。するとその涙を拭うように、美羽花がでゅるでゅるの体を僕の頬に押し付けていた。いや、実際は、体勢を保てなくなって僕が顔から美羽花に突っ込んだだけなのだけれども。口を開けていたために、彼女の体が僕の口の中に入ってくる。鉄と生魚の味が口いっぱいに広がり、焼きあがらなかったシーフードグラタンの匂いが鼻を抜けて行った。


 息もできない状態で僕は絶頂に達した。どろどろとした塊が尿道を潜り抜けていく快楽に落ちて行きながら、同時に意識も遠退いて行った。



 多分僕は、おそらく僕は、やっぱり僕は……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クラゲ虫が湧く、十二月 詩一 @serch

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ