第4話 プリンの消費期限が過ぎている

 そんな生活を繰り返していた。


 プリンの消費期限が過ぎていることに気付いたある朝、着ていける服がないことにも気付いた。洗濯は彼女がいつもしてくれていたから、洗濯のタイミングが随分ずれてしまった。

 仕方なく生乾きのロンTを着て、作業着を着て出社した。

 事務のおばさんが匂いに気付いて顔をしかめたが、僕になにかを言うことは無かった。多分後で噂されるに違いない。


 自転車にまたがって寒風を切る。帰り道に、ぼんやりと美羽花みうかと付き合い始めた頃のことを思い出していた。


 僕は一度美羽花に告白したのだけれども、友達のままでいましょうと言われた。彼女の言う通り、その日からも距離感などは変わらなかった。まるで告白が無かったかのような振る舞いだった。断られているわけだから、当然恋人のような関係ではないが、僕からの好意があると解っていたからか、クリスマスやバレンタインなんかの日にはよく呼ばれた。いわゆるキープというやつだ。行かなきゃいいのに、僕は律儀に彼女に合わせて予定を組んだ。彼女に会うとヒャッキンで買ってきた手袋やお菓子を大仰な包み紙にくるんで渡された。その代わりにその日一日彼氏のような振る舞いをしなければいけない。でも性交渉には至らない。シンデレラでもまだもうちょっといるだろという時間にお開きになる。ちなみにそういう言う日のディナーは僕がいつも支払いをしていた。何度も、行かなきゃいいのにと思ったが、そうやってぞんざいに扱われることも、嫌いではなかった。だからそれを続けた。


 けれどもしかし、そんな関係も終わらせなければいけない日がついに来た。僕に好きな人ができたのだ。同じ職場で働く同い年の女の子だった。くるんくるんの茶髪と僕の胸より低い位置に頭が来る背丈が特徴的な、物静かな女性だった。失恋と言い切れない失恋のあとに、新しく恋などできるのだろうかという不安と疑念はあったが、それでも訪れるものなのだ。恋ってやつは。


「好きな人ができたから、告白して付き合うことになったら、もう会えないかも知れない」


 そう言うと彼女は、項垂れて、泣き崩れた。


「そんなぁ……そんなぁあ……」


 と子供のように泣いていた。


 でも仕方のないことだ。いつまでも代用品でいるわけにはいかないのだから。

 しかしその日、彼女は今までの付き合いでしたことのないスキンシップを自らしてきた。彼女の柔らかな指が絡んでくると、僕は心臓まで絡め取られてしまったような感覚に陥った。今まで手を握ることだって無かったのに、腕を組んで胸を押し付けてくるようなことまでし始めた。


「初めからこうしていれば良かったな」


 そのセリフを吐いたときの彼女の声は、いつもよりほんの少しだけ高かった。なまめかしい色っぽいなどという表現はそぐわなかったが、それでも十分に女性性を感じた。普段僕の前で女性らしい行動を取らない彼女が、女性っぽく振舞うという事実だけで、彼女はとても魅力的に見えた。


 今更になってそのようなことをする彼女を、普通は怒るのだろうか? 分からない。でも僕はとりあえず、彼女に必要とされているということだけで、心が満たされてしまった。そして、そんな恋人でも友達でもないようなよく分からない関係を、だらだらと続けてしまった。


 しかし彼女から告白を受けたわけでは無い僕としては、ようやくできた好きな人にアプローチをしないわけにはいかない。このままずるずる行ってしまって、美羽花と別れられなくなる前に、きっぱりと断れる状態を作っておかなければいけないと思っていた。しかし片思いの恋が簡単に実ることは無く、いたずらに日々だけが過ぎていき、その過ぎ行く日々の中で美羽花の存在は徐々に大きくなっていった。


「触ってみる?」


 彼女が少しだけ頬を染め、自らの胸を強調するようにこちらへ向けた。ボーダーのニットの奥の二つの果実がはち切れんばかりに主張していた。服越しとは言え、女性の胸を揉んだことのない僕にとって、それは初めての体験で、高鳴る胸の鼓動を押さえることができなかった。そしてそのとき、触らないという選択肢は存在し無かった。好奇心と性欲がまさりにまさって、美羽花と離れなくてはいけないことや、片思いの女性のことなどは忘却の彼方へ置き去りにしていた。

 恐る恐る触れた指先は、ぽこんという音に弾かれた。僕はそのときブラジャーの感触をただただ味わっただけなのだったが、それでも女性の胸に触れたという喜びが内側から湧き上がってきて、その日は興奮して眠ることができなかった。朝起きたとき、なにか大事なものを置き忘れてきたような感覚に襲われたが、仕事に行かなければいけないという使命感が、その感覚をなおざりにした。


 美羽花との関係性が深まっていく一方で、片思いの彼女へのアプローチは空振りし続けていた。不思議と焦りは感じなかった。惰性の中で生活を続けていくことで感覚が鈍ったのか、それとも恋心が薄らいでいったせいなのか、当時の僕には分からなかったし、今になっても分からないままだ。


 初めてキスをしたとき、成り行きで性交渉も行った。童貞卒業の記念すべき日のはずなのに、そのときのことはあまりよく覚えていない。ただ、どうしてキスしてくれたのかを尋ねたら、彼女はとても不機嫌そうな顔をしていた。ただそれだけを覚えている。


 そうして僕は、告白もせずに片思いを終わらせてしまった。美羽花に恋心を溶かされてしまったから。と、人のせいにしているが、僕の決断力の無さがそもそもの原因だし、胸を揉んだりキスをしたり性交渉をしたのは、すべて自動的だったわけではない。なあなあでまあまあであったにせよ、その都度自分で選んでいたわけなのだから。それに、こうして美羽花と付き合うことになったことを今では後悔していない。というか、そもそも片思いの女性に思いを告げたところで、実るようには到底思わなかったわけで。

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