土より出でて雷を生むもの

11.丘のサンゴと二枚貝(horseshoe's kiss)

研究所の床を踏み、白衣の裾をぎゅっと握って、ミネオラはベルベナの前に立った。息を吸って吐いて、頭の中で何度もしたシュミレーションを展開する。

「ねえ、あの、べ、ベルベナ」

「ん? なんだ、ミネオラ。今は自由時間だろう。それとも何か用があったか?」

「う、ウン。あのね、その、今日の髪型、すごくいいね。どんな風にやるって教えて貰って良いかな」

ミネオラは絡みもつれる舌を強いて、おずおずと申し出る。前髪を横へ流すように結っていたベルベナは、ミネオラの顔をじっと見たあとに、額に手をやって、ああ、これか、と言った。

「できないのか?」

「え、うん……頭弄る習慣ってないし……えっなんか変かな……」

顔を伏せ、もじもじと手を組み合わせるミネオラは次第に青くなっていった。ベルベナが答えるまでには少しというには若干長い、言葉の空白があったからだ。頭の中で考えていたように行かなくなった時点でミネオラになすすべはない。どうしよう、怒りだしたら距離を空けて、ごめんなさいって言えば許してもらえるだろうか。考えているうちにベルベナが返事をしたので、ミネオラは謝罪を叫び出さずにすんだ。

「……いいや? 別段変なことではない。だが、そうだな、私では教えられない。ミオソティスはどうだ? 教えられるか?」

近くにいた女が声に振り向き、二人を見た。彼女はミネオラたちと同じように白衣を着ていたが、それは随分と垢抜けたデザインをしていて、違う部署の人間なのは一目瞭然だった。洒落た女は目を瞬いた。それはどこか作為の感じられる嫌な表情だった。

「えっ髪? この子出来ないの? やったことないの? 何で? 歳いく……むが、ちょっと、ヴァーヴェ、何するの!」

口を塞がれてミオソティスが文句を言う。ベルベナは空中を払うような仕草をして黙るように相図する。ミネオラは急なことに驚いて、口を閉ざしたままでいた。

「ミオ、口を慎め。それでも営業か。ミネオラは私たちとは違うんだぞ。失礼の無いようにと言われたのを忘れたか」

「ヴァーヴェ、随分甘いこと言うのね。同部署だから? わたしが試験に落ちたときはあんなにぐちゃぐちゃ言ったくせに」

窘めたベルベナに対し、ミオソティスは随分と棘のある言い方で応えた。ベルベナはそれにいくつかのもっともらしい弁明をしたが、ミオソティスはそれを感情的に突っぱねた。そうしてひとつふたつと言葉が交わされ、ベルベナの表情が濁りだす。早口で喋る二人の声はよく通り、声を抑えているにしてもよく聞こえた。ミネオラはそれをなすすべもなく眺めている。目の前で交わされる明快なやりとりに、ニュースキャスターの喧嘩ってこういう風かな、と思った。

「何が気に入らない?」

「……何って……」

ミオソティスは今気がついたとでも言うようにミネオラを見た。視線を感じたミネオラは身をすくめて、ベルベナとミオソティスを交互に見た。ミオソティスは険のある目で、ベルベナはいつも通りの何を考えているか分からない無表情で、それぞれミネオラを見ていた。ミネオラは今が謝るタイミングかな、と思ったが、何も言われていないことをすんでの所で思い出した。たっぷり二秒待ってからおずおずと口を開く。

「え、な、なんでしょう…… あの、あーし、お邪魔なら出直しますが……」

ミネオラの申し出を聞いたベルベナは額に手を当て、なにかを諦めたように息を吐いた。

「……必要ない。見苦しいところを見せた。全く、何故こうなるんだろうな。ミオ、後で話がある。部屋に来い。続きはそこでしよう」

それで何らかの合意は取れたらしい。ミオソティスは仕方が無いとでも言いたげに首を振った。揺れる髪の隙間から耳のイヤリングが光るのが見えて、ミネオラは、接客業の人だ、とどこか的外れな感想を抱いた。

「わかった。それで、ヴァーヴェ、わたしここで何すれば良いの?」

「ミネオラに髪の結い方を教えてやって欲しいんだ。髪留めの使い方、髪の編み方。必要な分を、必要なだけ」

はあい、と気のない返事をして、ミオソティスはオーダー通りの仕事をこなした。ベルベナに鏡を持たせ、ミネオラに椅子を持ってくる。癖の強いミネオラの髪をするすると手際よく編んでいくミオソティスの手腕は素人のミネオラにもそれと分かるほどで、驚いたミネオラは目を輝かせ、『本職の人みたい』と言った。青いピンの最後の一本が髪を留めたあとも、ミネオラは嬉しそうに鏡を見つめてる。座ったままのミネオラが再び『すごいね』と言ってきたので、むすくれたままのミオソティスは手持ちの鏡をもう一つ回した。そうして結った後ろを見せながら、まんざらでもなさそうな様子で『別に』と答えた。

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