煮えたぎる星のスープ

10.卵の中身(a potential)

ミネオラは扉を開けて、休憩スペースへ踏み込む。進もうとする心とは反対に足取りは重い。顔を上げると、聞き慣れた自販機の唸りの中に見知った男が手を振った。アズールは晴れ渡る空そのものの軽快さでミネオラに挨拶をした。ミネオラは頭が痛いのも忘れて、目を見開いた。

「元気にしてた? 気分はどうかな?」

「あんまり良くはないですわね……ちょっと頭が痛くって……」

ミネオラはベンチに腰掛け、かけていた眼鏡を外した。眉間のあたりを指で押す。酷使したわけでもない目がかすんでいた。まぶたが意に反して動く。ミネオラは唸った。

「そっか、大変だね。寝不足? 偏頭痛? 見る限り普通の頭痛かな。ストレスかもね、最近寒いし」

ジュースを買ってあげよう、と言ってアズールは自販機のボタンを押した。ミネオラに手渡されたのは温かいボトルだった。ミネオラはぼんやりと礼を言い、ボトルを握ることでぬくまった手のひらを両目に当てた。じんわり広がる熱が頭の痛みを和らげる。しばらくあとに目を開けてラベルを見ると、ビニールのフィルムにはホットレモネードと書かれていたので、ミネオラは冷め切る前にそれを飲んだ。甘くねっとりとした質感のジュースはどうも一般的なレモネードという感じではなかったが、ミネオラはそれをわりかし気に入った。アルコールが入っていれば、もっとおいしいだろうな、と反射的に思って、ミネオラは表情を曇らせた。

「………家に帰りたい……」

ぽつりと零された独り言はアズールの耳にも届いた。溢れるほどいるS型第二世代のなかでたった一人、異邦人として迎えられたミネオラの孤独はいかほどのものであろうか。アズールは首を傾げ、ミネオラの顔をちょっと覗いた。良いとも悪いとも言い難い顔色は、ほんの少し、僅かだけ青ざめているように見えた。

「大丈夫? あんまりしんどいようなら医者を紹介しようか。ああでも薬出されても飲んじゃダメだよ、ここらじゃ低容量の薬なんか無いから、慣れない身体で飲むと死んじゃうかも」

発された言葉に、ミネオラは顔を上げた。死んじゃう。それはこんなに軽く口に出すようなことだっただろうか。体調の悪いのを慮ってくれたのだろうことへの感謝と、あんまりな言い様のギャップがミネオラを混乱の渦へと絡めていく。手の中のボトルは未だ温かく、ミネオラの心は、さっきのジュースおいしかったな、と思った。

「実例が?」

「あったって話だ。直接見たわけじゃないけどね」

黙ったままミネオラはボトルを手の中で回す。酒が飲みたいな、とぼんやり思う。

「……そういえば薬物ってだめなんじゃなかったでしたっけ? 治療用だと別枠なんです?」

「精神を患ったときには専用のテープがある。自傷をする前に意識を逸らさせるような、そういう働きをするものがね。まあ、治療って言っても閉鎖病棟なんだけど」

「ええ……」

沈黙が場を支配する。ぶうん、と低い駆動音だけが空気を伝播して伝わってくる。ミネオラは口を開き、あのさ、と言った。

「なんか、あーしの知らなそうな事教えてくんない。詳しいでしょ」

「いいよ。じゃあ学校の話しようか。きみのいた学校ってどんな風だった?」

普段より一段低いぶっきらぼうな声へ何も聞かず、アズールは話題を変えた。ミネオラは背もたれに腕を預け、自分の学生時代を思い出す。たいした事はしていない。モラトリアムと称されたような生活を送っていたわけではない。自分はどんなことをしただろうか。ミネオラは思い出したことを舌に乗せる。

「どうだろ、普通だったかな。大学には勉強しに行っていて……たまに酒飲んで大騒ぎして、課題と授業適当にサボって好きなことして……割合普通の大学生をやってた、かな。ウン、多分。あんまり評判の良いとこじゃなかったけど、あーしはちゃんと卒業したよ。四年でね。院には行かなかったんだ。なんだろね、勉強するのいやんなったから。あと働いてお金欲しかったから? んん……」

そんなかんじ、とミネオラは言った。バイトで金を作って起業するやつ、行方不明になるやつ、中退してそれきりのやつ。周りには色々な人間がいた。比べてみれば、ここはお行儀の良い人間ばかりだな、と思う。綺麗で、整っている。そうでない人間が抜けた結果としての集団なのかも知れないが。

「前もってた錠剤はそのとき覚えた感じ?」

質問に対し、ミネオラは少しむっとした顔をした。つつかれて嬉しい部分ではなかったのもそうだが、大学の『遊んでいる』メンバーの中にはドラッグパーティーを開くような奴らがいて、ミネオラの中には明確な線引きが存在していた。ミネオラはアズールの問にその手の含意がないことを認識しないまま、さしあたっての弁明をするために口を開いた。

「別に違法じゃないからあれこれ言われる筋合いは……薬やってたって勉強はできるし、実際オーバードーズでぶったおれたやつだっていた。それを思えばあーしのやつは、実害だって無いし……と、とにかく、ほっといて」

聞いてもいないことを話し出したミネオラに驚きつつも、アズールは、おや、と言うだけで殊更に詮索することはしなかった。

「あんまり触れないほうが良かったみたいだね。今度から気をつけるよ。しかしオーバードーズかあ。学校の制度が結構違うからかな、聞いてると不思議な感じがするよ。この辺じゃ過労死は御法度だ。身体に悪いからね。まあ、何年かいると死ぬ同級生もいるんだけど」

さらりと言ってのけられた言葉に、ミネオラは意識を引かれる。変な顔をしたミネオラがそれってどういうこと、と言うので、アズールは少し考えてから話し出した。

「進級の時に適性検査があるんだよね。『テープ』の勉強には向き不向きがあるから、適性のない人間は進級前に跳ねちゃうんだけど、たまにどうしても上位の教育工程をパスして専門性の高い仕事がしたいっていう人がいてね。試験の結果をごまかして裏口入学をするんだ」

「それって最終どうなるの? ばれたりするとなんかある?」

「黙ってれば気付かれないよ。罰則だって無い。まあ黙ってると他の優秀なメンバーと同じスケジューリングを詰められるから脳が耐えきれなくなって……なんだろうな、神経が摩耗するんだ。良くて入院、悪くて死亡、もっと悪いと……廃人コース? ああ、大丈夫だよ。終末医療っていう概念はS型第二世代の社会にもあるからね。ただ、入院してドロップアウトすると不適格の烙印を押されるから中には居づらくなるかな。うん、大体ろくな事にはならないから未然に止められてる。やる人はよほどの野心家か向こう見ずだけだ」

まあやる人はやるし、死ぬ人はすっぱり死ぬんだけど、とアズールは続けた。ミネオラは理解できないものを見たような顔になる。

「薬物の話といい、なんか思い切ったあれしかないんすか?」

「なんだろうね、お国柄かなあ。テープの学習法が世界的・恒常的に使われるようになったらこのへんもありふれた社会問題になるかもね」

それまで何年かかるかな、さすがに僕らの生きてる間には拝めないんじゃないかな、とアズールが言ったので、ミネオラは『いや見たくないですから』と返した。

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