12.ファイアオパールの瞳(self-ignite)

「あの、ど、どうです?」

「うん? 調子は良いよ。ああ、今日はいつもと違う格好をしているんだね。新しい実験かなにかやっていたのかな」

自販機の前にはいつも通りアズールが座っている。技巧的なまとめ髪を『邪魔にならないための』アップスタイルと解釈されて、ミネオラはたじろいだ。

「あー、や、そういうわけでは…… や、それより、どうです? に、似合い、ます?」

へへ、と頬を引きつらせて、ミネオラはなんとか言い切った。喋っている途中に答えだけ叫んでくれたらどんなに良いだろうと思ったのが恥ずかしくて、今すぐ逃げるか消えてしまうか、選べるならどっちかしたいと強く願った。沈黙に耐えられない。早く答えてくれ、と思う。

「よくまとまってるよ。髪の質と合っているんだろうね。髪飾りを挿せば式典にだって出られる」

「えへ、その、どうも……さ、さっき、ミオって人から教えて貰ったんですが、うまくできてたなら……えっと、えっと、よ、良かったなって……」

返った答えにほっとして、ミネオラは頬を赤らめたままそう言った。アズールは椅子に座ったまま鷹揚に頷き、ふと考えるようなそぶりを見せた。

「ミオってミオソティスのこと?」

「え、ウン、多分……そう呼ばれてたような、え、どうして?」

アズールは腕を組み、うーん、と言ってから、少し考えるようにしてミネオラの問に答えた。

「僕の知るかぎりミオソティスって名前の人は営業にしかいないはずなんだけど、彼女が化学班のミネオラと親交があるっていうのが不思議でね。髪を結ぶくらいの仲ならちょっと顔を合わせただけって事も無いだろうし、どこで会ったんだろうって思ってさ」

「別にあーし、仲は…… ほとんど他人って言うか、ベルベナの友達みたいな感じだったですけども。あーしは、なんだろ、えっと、まずベルベナに聞いたんすよ。この、髪、やるから方法聞きたいって言って。そしたら自分じゃ無理だからミオさんにって、任せた、みたいな」

手をくるくると動かしながらミネオラは説明した。それを聞いてちょっと首を傾げたアズールは、ややあって合点がいったように頷いた。

「なるほどね。そういうことか。ベルベナが呼んだなら納得だ」

そこでアズールは言葉を切る。それから少し迷うように立てた指をくるくる回し、誰か特定の人を悪く言うつもりは無いんだけど、と続けた。

「営業のいる部署が別の棟にあるって話は聞いたかな。知らないなら知らないで良いんだけど、何も用事が無いならそっちの方には行かないようにね。さっきの話を聞くかぎりあんまりこの手の心配は要らないとは思うけど」

一応ね、と、忠告めいた言葉を発するアズールにミネオラは首を傾げる。

「それは……なにゆえ?」

「もっともな疑問だね。あのへんは排他的と言うか、外の文化に理解がないからさ。無論それ以外にも理由はあるよ。あの辺は冬になると風邪が流行る。まあそれはいいや。……あんまり表立って言わないでね、怒られるから。ああ、それで、うん。文化理解度が低いんだ。化学班のメンバーはわりとその辺大丈夫だと思うけど、相手が多くなるほど問題って厄介になってくものだしね」

ミネオラは、はあ、と気の抜けた返事をした。アズールの言葉が実際のところ何を意味するのかはよく分からなかったが、とにかくあちこち出回らなければ大丈夫、と理解して、ミネオラは軽く頷いた。

「了解です。ところで、あの、聞こうと思ってたんすけど、女に生まれついて髪結べないのってなんか、変なことなんです?」

ミネオラは耳の上を跳ねる後れ毛を片方の手で摘まみながら、気持ち俯き気味に尋ねた。アズールは頭頂付近をふわふわと浮かぶ髪に目を向けて、そうだねえ、と言った。

「S型第二世代の女性で髪が結べないっていうのは、うん、あんまり良いことは言われないかな。その様子だと何か言われたみたいだね。きみの立場ならまず間違いなく不当な言いがかりだから出来るなら早いところ忘れた方がいいよ」

やっぱり変なことだったんだ、という気持ちと、自分は悪くなかったんだ、という気持ちが一緒に湧いてきて、胸の中を温い安堵が満たす。なによりアズールがそういったことで、これはよくあることなんだ、という認識がミネオラの中に現われた。

「そう? そんならそうしますわね」



「……こんなこと誰にでもは言わないですけど、この髪ここだと目立つからやなんすよね……あーしもみんなと同じだったらあんまし目立たなかったのにな、って」

ミネオラは頬に垂らした髪をちょっとつまんで神経質に引っ張った。アズールは白衣のポケットの中に手を突っ込んで、取り出したものを口に入れた。からからと音がするのできっと飴だろう。

「髪を染めるのはやめた方が良いよ。どうしてもって思うならカツラをかぶった方が賢明だ。S型の人間は作為のあるものを嫌うから」

作為、とミネオラは繰り返す。作為、調整、意図。不自然。人工物。

「あんなにクローンを作っておいて? ……作ってるんですよね? 見た事ってあるわけじゃないけど、聞いた話だとなんかすごい人の手が加わってるんですよね?」

「そりゃ、何もないところからは生まれてこないからさ。概ねその認識で間違いないけど……でもそれとこれとは話が別だ。うん、まあ、確かに君の言うことはもっともだけれど。その視点は僕らにはないものだな。……でも髪はそのままが良いよ。髪型を変える程度の話なら僕の出る幕じゃないけど、無理にどうこうするのは勧められないな。せっかくの綺麗な髪なのに」

ミネオラはちょっと目を上げて、つまんだ髪をじっと見る。オレンジ色のくせ毛を。それからアズールを。頭部を彩る空色の髪を。綺麗な髪。いま、アズールはそういったか? 綺麗な髪? このぐるぐるの髪を?

「……綺麗、です? そう、思います?」

「きみがどう思ってるのかまでは分からないけど、その色もウェーブも全部生まれ持ったものなんだろ? わざわざ染色で濁らせることはないよ」

アズールが続けて、きみの渾名を付けた人だって困っちゃうだろうしさ、と言ったので、言葉の意味に思い至ったミネオラは吹き出す。

「渾名ってそういうものです? ……おっかしい!」

夏みかんって呼ばれちゃう、とミネオラが言ったので、静かに聞いていたアズールも笑い出した。陽光でオレンジは青くなる。タンジェロの名のつくこの髪が青くなったなら、それは枝のオレンジにカラースプレーを掛けるがごとき所業であろう。ミネオラは笑い、もう髪を染めようとは言わなかった。

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