15.鎌待つ稲穂(call my name)

「しかし、なんなんだ。さっきのメグというのは」

「ミネオラの本当の名前だよ。『ミネオラ』っていうのは、化学班の誰かがつけた渾名だ、誰がつけたのかまでは知らないけれど……」

ノヴァは首を振り、アズールの言葉を遮った。

「説明は不要だ。渾名だというのは把握している。呼びやすいようにとの配慮だろうこともわかっている。私は彼女が配属になった日に『ミノーラです』と本人から直接挨拶を貰った。しかしどういうことだ? ミノーラとメグ、どちらが彼女の本当の名前だ? 名前がふたつあるということか?」

几帳面そうに振る舞っているけれど、お知らせに目を通してはいないんだな、とアズールは思った。忙しい身なのだろうな、と次いで思う。

「どっちも彼女の名前だよ。違うな。メグ・ミノーラ……『ミノウラ・メグ』が彼女の名前なんだ。なんて言ったら良いのかな。ミノーラっていうのは僕たちの言うところの所属だね。複製二課とか、営業とか、化学班とか? いや、出身地の方が近いかな。ともかく、ミノーラと呼ばれる一族のなかで生まれた人間って意味だ」

「……一族、生まれが名前になるということは、私たちがS型第二世代を名乗っているようなものか?」

自分なら、S型第二世代のノヴァといったように? とノヴァは続けた。アズールはちょっと首をひねる。

「間違ってはいないけど、それだとちょっと範囲が広すぎるかな。財産を共有する共同体の分類に使うラベリングだから、規模としてはやっぱり班が近い」

「だとすると彼女は名を明かさず、己の所属のみを伝えてきていたと? それが外のやりかたなのか?」

チリッとした苛立ちが伝わり、面倒だな、と思いながらアズールは首をひねる。ノヴァを説得するのは大変そうだった。

「……まあそう聞こえるよね、今の言い方だと。何から言うのが良いんだろうな。まず大前提の習慣として、対外的な名前と親密な人間で呼び合う名前が分かれているんだ。本人を識別する名前はメグなんだけど、その名前を使って呼び合うのは一族、もしくは一族に関わりの深いものの間でだけだ。それも当然のことだ、彼女の縁者は全員ミノーラだからね。僕らは特定の個人を指してS型第二世代って言い方をしないだろう? それと同じ感覚だって話だよ」

ちょっと変な顔になったままノヴァは続きを促した。アズールは軽く頷いて唇をなめた。

「一族の中では名前で呼び合うんだけど、それとは反対に、ミノーラでないものが彼女を彼女の同意なしにメグと呼ぶのは失礼に当たる。厄介だね。本人かどうかの確認以外で所属と名前を同時に言うのも失礼に当たるらしい。これは、うん、よくわかんない。ともかく、僕たちが呼び合うような『名前』として機能するのがミノーラだったってことだ」

あまり納得のいっていない表情のまま、なるほど、想像以上の異文化なんだな、とノヴァは言う。異文化交流って学校でやらなかったっけ? と言いそうになって、アズールはすんでの所で口を噤んだ。学校でやったとしても、実体験として経験しなければ身体には馴染まないのだ。その上ここで学歴の話をしてノヴァを怒らせるのは賢明とは言えない。幸いなことにノヴァはアズールの不自然な沈黙を訝かしむことはなかった。考え事をしていたのだ。

「……もしあなたが知っていたら教えて欲しいんだが」

「うん、なあに?」

知っていたらでいい、と念を押すノヴァを好機とみてアズールは努めて穏やかに答えた。行為が不信感を与えることはなく、ノヴァは疑問を口に出す。

「『メグ』というのは鮮やかなオレンジ色なのか? 彼女の、髪のような?」

「……いや、違うと思うよ……?」



「さて、処分の方は任せて良いかな? 」

アズールが膝を払って立ち上がると、ノヴァは片方の腕を伸ばして行く手を遮った。アズールは不思議そうにノヴァを見る。

「私からまだ聞くことがある。あなたは、あのミネオラという女に何かしたのか?」

「何か疑われるような事ってした覚えはないけど。ノヴァはなんて聞いたの? 僕が彼女に何かしたって?」

ノヴァは腕を降ろし、つんと尖った目尻を殊更につり上げてアズールを真正面から見据える。これはなにか、そうとう不味い噂が流れているんだな、とアズールはどこか他人事のように思った。

「……彼女があなたと出歩くようになって、急激に打ち解けた、と。あなたの関与について、訝かしんでいるものは多い」

「ああ、薬物を疑っているね? それはバルグラに聞きなよ。彼女のクローンに自白剤を打って使い物にならなくさせたと言っていた。慎重な彼のことだ、どんなやり方をしたにせよ低容量から試していったはずだ。つまりね、僕の手持ちの薬が原因だったならミネオラは死んでるよ。とっくにね」

喋っている間に機嫌を損ねたらしいノヴァが顔をしかめたので、アズールは弁明するように手を振った。

「……でもそうはなっていないだろ、僕にもわからないんだよ。初めて会ったときはS型の人間はとっつきづらいとこぼしていたから、何か彼女の中で変化があったんじゃないかな。具体的にあったことまでは流石にちょっと分からないけれど」

「ああまで変わるような? 来て数日で事務的な連絡と拒否以外の言葉を喋らなくなったと聞いたぞ」

一ヶ月過ぎてからのことは聞いていないが、報告がなかったということは大きな変わりがあったわけではないのだろう、とノヴァは言う。アズールは肩をすくめた。

「それは僕がどうこうしたところで解決する問題じゃないと思うんだけどどうかな? なるほど薬物を疑われるわけだ。言っとくけど治療用テープも使ってないよ。ベルベナが通常のテープを入れて酔わせたって話だ」

これも本当だよ、何なら裏を取ったって良い、とアズールは続けた。表情を変えないまま、ノヴァは首を振る。

「彼女はオリジナルだ。クローンとは違う」

「いやいやいや。そうは言うけど作成者だって下手くそって訳じゃないんだろ? ああ見えて作成依頼が他部署から入るような連中だ。条件が整えば減衰無しだっていけるような腕を持っている。そこへ原本の優位性を持ち出すのは侮りが過ぎるってものだよ。多分、元々の閾値が低いんだ」

そうか、と言ってノヴァは黙った。渋面で黙考するノヴァに、やっぱり面倒なことになったなあ、とアズールはどこまでも他人事のように思った。苦笑いをするアズールにノヴァが、何を笑っている、と言ったので、アズールは、元々こういう顔なんだよ、許してよ、と返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る