母の手当て


 空は相変わらず分厚く黒い雲に覆われていて辺りは暗いが、小雨になっていた雨は止み、邸へ向かう道すがら俺は少し肌寒いなと感じていた。


「ねぇ、マグちゃん、あの連中、魔獣化した奴らは王都の神殿の関係者なのかな?」

「さぁてね……? ただ、あの元司祭だとかいう男は、いいように操られていたんじゃないかとは思うがね……ま、これからの取り調べで分かるだろうさ」


 マグダレーネの話では、子爵邸に訪れた元司祭とその仲間達は姉を出せと喚きだした。すると、その内の三人がいきなり魔獣化し、暴れだす。それを見た元司祭達は驚いていたそうだ。


 マグダレーネは遠ざかる姉の気配に陽動だと気付いたが、警備隊に被害が出たので、そいつらを倒してから俺達を追って来た。


「あの大男と対峙しているのがレオンハルトだとは一瞬、分からなくてね。少し戸惑っている内に、領都の方から近づいてくる気配があったのさ。身を潜めて待ち構えていたんだが、上手くいって良かったよ。恐らく領都の近くで何らかの妨害工作をしていたんじゃないかね? 神殿の裏組織的なものなのか、全く別の組織なのか……エリザベート、レオンハルト、二人とも充分に気を付けるんだよ?」

「ふん、上等よ! あんな奴ら私がぶっ潰してやるわ!」

「フッ、なら修行を頑張らないとね?」


 マグダレーネに背負われた姉が、なにやら気合を入れた辺りで邸が見えてきた。

 邸の前には大勢の警備隊員が居てざわついている。邸の前に着くとマーサが飛び出してきた。


「お嬢様! 坊ちゃま! よくぞご無事で……マグダレーネ様、本当に何とお礼を申し上げていいのやら……ありがとうございます……」

「マーサ、この子たちを頼むね。恐らく、もう残党はいないとは思うが、まだ気を抜かないように。フュルヒデゴットたちへの連絡は?」

「それが……領都に繋がる橋が破壊されたとかで……」

「そうか……厄介な……」


 マグダレーネとマーサが話し込んでいるところへ、俺は割り込んだ。


「マーサ、ユッテは大丈夫?」

「ええ、今は使用人数名による治療を済ませて、別館にて安静にしています。坊ちゃまが助けてくれたのでしょう? 本来は私たちがお守りする立場ですのに……本当に申し訳ありません」


 ユッテが無事だと知りホッとしたのだが、本当に申し訳なさそうにこうべを垂れるマーサへ何と言って声を掛けるべきか考えていると、お手伝いさん達がわらわらと集まって来て、俺と姉は邸内に連れて行かれる。


 途中、玄関の軒下に数人の男達が縛られた状態で転がっていた。その中の一番太っている男が姉に気付くと、口汚く罵る。多分、こいつが姉にやり込められた元司祭なのだろう。


「精々、今のうちに喚いておくといいわ。アンタたちを地獄に送り込んだ後、寂しくならない様アンタのお仲間も送り出してあげるから」


 姉はそういって太った男に邪悪な笑みを浮かべると、司祭だった男は黙り込んでしまった。


 邸に入ると、俺達は風呂へ入って身体を温めるように勧められる。姉に順番を譲り、俺は自室へ向かう。

 ついてきたお手伝いさん二人は、俺を着替えさせながら謝ってきた。


「申し訳ありませんレオ様、私たちの力が及ばず……」

「そんなに気にしなくても……空から突入してくるなんて誰も思わなかっただろうし、俺も姉さんも無事だったんだからさ」

「そう言っていただけると、助かります……後もう一つ謝罪すべきことがありまして……昨日、レオ様に頂いた花のブローチを、私たち二人とも失くしてしまったのです。エリー様の魔術で、二人とも麦藁帽が吹き飛んでしまいまして。あの後、麦藁帽は見つかったのですが、ブローチはいくら探しても見つからなくて……本当に申し訳ありません……」

「あ、ああ、アレね……」


 しまった! 後で回収しようと思っていたのに、姉の予想外の魔術に、マグダレーネとの邂逅ですっかり忘れていた……

 俺が具現化したブローチは、ランヴィータ湖を去った時点で俺の魔力供給が届かず消えてしまったのだ。


 何度も謝ってくるお手伝いさんに、本当に気にしなくていいよ、とか、ありふれたもので大した価値は無いから、とか言い聞かせ、仕舞いには、また今度あげるね、と言ってなんとか納得してもらった。


 変身の事を秘密にしておいた方がいいのであれば、その大本である具現化の魔術も秘密にした方がいいのだろうか? 


 洗礼式を終えれば、本格的な魔術指導が始まる。そこから徐々に具現化の魔術を使い始めて、変身まで持っていこうと計画していたのだが、あの魔獣化する奴らのせいで状況が変わってしまった。

 気軽に具現化の魔術すら使えないとなると、これからどうすべきなのだろう。


 そんな風にあれこれ考えても良い案が浮かばないまま、風呂に入ったり食事をした後、ベッドで横になる頃、俺は、ああこれはマズいな、と感じていた。


 その予感は正しく、案の定、翌朝になると俺は熱を出した。昨日、雨の中を動いていたせいで風邪でもひいたのだろう。前世でもあったこの熱が出る時の予兆は、今世でも感じるようだ。


 朝、起こしに来たお手伝いさんに、体調が悪いので朝食はいらない、と伝えると、暫くして母とマーサがやって来た。


「レオ、体調が悪いと聞いたけれど、どんな具合なの?」

「おはよう母さん、戻っていたんだね。ちょっと熱があってしんどいかな……」


 そう告げると、母は俺の額や首筋に触れてくる。


「そうね、少し熱があるわ……風邪かしら? マーサ、常備薬と医師の手配を」

「かしこまりました。それと坊ちゃまは昨日、足を怪我しておいでです。どうか診てあげてくださいませ」

「あら、そうなの? レオ、起き上がれる?」

「うん」


 そうして、母の手を借りながらベッドに腰掛けるような姿勢になる。右の足首はほんの少し腫れていて、そこに鈍い痛みを感じていた。


 身体の一箇所にずっと魔力を集めているのは難しい。集中力とでもいうのか、そういうものが途切れると、集めていた魔力が散ってしまうのだ。


 疲労感を伴うので、一日中やる訳にはいかない。なので、時々思い出した頃合いに魔力を集めていたのだが、流石に半日程度では治りきらなかった。それでも、昨日の状態よりかは幾分マシになったとは思う。


 母が俺の足首に触れる。


「――!」

「痛かった?」

「ううん、大丈夫。ちょっとビックリしただけ……」

「そう?」


 母は俺に微笑むと、両の手で俺の右足首を優しく包み込む。ポカポカとした温かさを感じながらも、何かがスーッと引いていく感じもする。

 自分でやっていても、こんな感覚になった事は無い。不思議な感覚を味わいながら俺は母に尋ねた。


「領都の方は大丈夫だったの?」

「う~ん、人的被害は無かったけれど、一の橋と二の橋が壊されたおかげで、これからが色々と大変ね。物流が……ええっと、商品や食料品なんかの移動や保管、検査なんかが滞る筈なのよ。これから商人たちが忙しい時期を迎えるのに、困ったことだわ……こんな話、レオには解り難いかしらね?」

「何と無くは分かるよ? けど商人が忙しくなるってのは?」

「“秋の終わり”の季節に数日間のお祭り……収穫祭があるのよ。まだ、キチンとした日程は決まってないけれど、商人たちはそこに向けて準備を始める時期なの。大きな店の商人にはそこまで影響がないかもしれないけれど、個人でやっているような小さなお店だと、生き死にを分けるような問題になるかもしれないわね」

「クレープ屋さんとか?」

「フフ、そういえば王女様とクレープを食べたのよね。そうね、そういうところが困らない様に、お父様たちは復興作業の会議があるし、昨日、捕らえた王都の神殿の者たちの取り調べもあるしで大忙しなのよ」

「ふぅん、大変なんだね」

「そう思うのなら、レオもこれからいっぱい勉強をして、私たちを手伝ってくれるようになってくれれば助かるわ」

「う、うん」


 くっ、なにか話がマズい方へ転がろうとしている……正直、部屋に籠ってお勉強しているより、外で身体を動かしている方が好きな俺は、話題を変えるために何かないかと考える。


「そ、そういえば、そのお祭りにお忍びで参加することはできるのかな? そこで王族から貰ったお金を使いたいんだけど……」

「ええ、構わないけれど……何か欲しい物があるの?」

「実は……お手伝いさん二人に、ブローチをあげることになったんだ」

「うん? それは一体どういう……?」


 お手伝いさんにブローチを上げると約束した経緯を、母へ簡単に説明する。すると母は大きなため息を吐いた後、俺に語り出した。


「レオ、貴方は貴族なの。だからある意味、公平さを保たなければいけないのよ。人の上に立つようになるのだから、何か特別なことでもない限り、その二人にブローチを贈るのは良くないわ。贔屓されたその二人は、貴方の為に色々と手を尽くしてくれるようになるかもしれないけれど、他の人たちはどう思うかしら? 自分には目を掛けてくれないのだと思われてしまっては、貴方を思い測って配慮するという気持ちが削がれてしまうでしょう。第一、貴方を一番世話している筈のユッテには何か贈り物をしたことはあるの?」

「ないけど……だったらお手伝いさん全員に送ればいいのかな?」

「それなら、まぁいいかしらね……それから、そういうことは私か、家宰であるマーサに相談なさい。マーサにはこの邸内のことを任せてあるからね。レオはこれから貴族としての、立ち居振る舞いも学ばなければいけないわね」

「はぁい……」


 どうあがいても、お勉強からは逃れられないようだ……


 暫くして、母が俺の足に魔力を充てていた手を放す。


「これくらいでどうかしら?」

「お? おお?」


 最初、右の足首をそっと動かしてみた。それからグネグネと廻してみる。全く痛みを感じない。


「すごい、母さん完全に治ったよ?」

「フフ、そう、良かったわね。さ、横になりなさい。そろそろ、マーサが薬を持ってくるはずよ」


 横になろうとすると扉がノックされる。部屋に入ってきたのは姉とマーサだった。何と無くこの光景に見覚えがある様な……

 ああ、魔力症になった時と同じような光景なんだな……あの時と違うのは、キチンとノックしている点か。


「おはようございます、お母様。レオ、具合が悪いそうね? 大丈夫?」

「うん、少し熱があるだけだよ。姉さんこそもう動いて大丈夫なの?」

「フン、この私を見くびらないことね! もう全然平気なんだから!」

「全く……エリー、暫くの間、邸で大人しくしているようにね。邸もだけど領都の方も色々と大変だから。それからマーサ、薬をレオに」

「はい、心得ております。さ、坊ちゃま少し苦いですが、こちらをお飲みください」


 差し出されたお盆の上には、紙の上に乗った粉薬があった。それと小さなケトルからコップに注がれた液体は薄い緑色で、日本の緑茶を思わせる。

 この世界だと、まだ錠剤は存在しないのかな? と思いつつ俺は粉薬を口に含み、緑の液体で飲み込んだ。


「うぇ、にっが~!」

「さぁさぁ、坊ちゃまこちらで口直しをしてくださいませ」


 粉薬は何とも思わなかったのだが、緑の液体がすごく苦かった。マーサに渡された水を口の中を洗い流すように含む。幾分マシになったが、口の中にまだ、苦い物が残っている感じがした。


 そうして、母とマーサは俺達に、邸で大人しくしているよう告げると部屋を出ていった。


 姉は俺が寝ているベッドの側へ椅子を持ってくると、そこへ腰かける。なんでも、姉の部屋は昨日の襲撃のせいで荒れてしまい、修復中なのだそうだ。


「全く、あいつらのせいで客室で寝なきゃいけなくなったわ。しかも、私のお気に入りの物までメチャクチャになっていて、とんだ災難よ……」


 そんな風に昨日の件に関して悪態をついていた姉は、何か思いついたように俺に問い掛けてくる。


「それでレオ、アンタの“変身”って私にも使えるのかしら?」

「へ? 姉さんも変身ヒーローになりたいの?」

「違うわよバカ。アンタの使っていたあの銃が便利そうだから訊いてるの! それともアンタにしか使えない『チート』な訳?」

「はて? どうなんだろう? そもそも俺が貰った恩恵って変身じゃないし……」

「ハァ? じゃあ一体何を……って、ああ、あのスマホにそういう能力があるのね?」

「当たらずとも遠からずって感じかな? 俺が貰ったのはこういう能力ちからだよ」


 俺は手を姉に見えやすいようにして、フォークを具現化する。


「うん? フォーク? アンタ、手品が『チート』って言うんじゃないでしょうね?」

「違うよ、こうやれば分かるかなぁ?」


 フォークを消し去り、今度は警備隊が持っている、抜き身のままの剣を具現化する。


「ちょ! アンタそれ何処でパクって来たのよ!? ってか、もしかして『アイテムボックス』の能力な訳?」

「へ?『アイテムボックス』? 何のことか分からないけど違うよ。俺が貰ったのは想像した物を形にする“具現化の魔術”だよ」

「具現化……そういえば、昨日あの大男の魔術を大きな盾で防いでいたわね……ふぅん、成る程、具現化ねぇ……」

「そういう姉さんはどんな能力を貰ったの?」

「私? もう気付いていると思っていたけれど、案外アンタも抜けているわね。私のは単純に、“膨大な魔力量”と即座に魔力を補充しようとする“魔力の回復力”よ。初めは“無限の魔力”を願ったのだけれど、たとえ神であっても無限なんてものは実現不可能なんだって言われたのよね。まさか、理力なんてものが足枷になるとは思いもしなかったわ。ま、これはこれで燃える展開よね」

「燃える展開?」

「そうよ、既にあるこの圧倒的な魔力量という能力ちからを如何に自在に扱えるようになるのか……ククク、滾るわ……」

「もしかして、姉さんって修行して強くなる『少年漫画』とか好きなの?」

「う~ん、そうでもないわよ? あ、でもあのバスケの作品は最高よね……特に最終戦が熱いのよねぇ……」

「ああ、最後にライバル関係の二人がハイタッチするのいいよね」

「それもあるけど、やっぱり――」


 そうして、俺と姉は何故か前世のマンガについて熱く語り合うのだった。



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