紫電


 パラパラと降るように雨足の弱まった土手の上に、灰色のローブを着た二人の人物がいた。小雨になったからなのか、それぞれがバサッとフードを外す。


 一人は白に近い青の髪を後ろで束ねていて、眉間に皺をよせ口をへの字にした何やら気難しそうな表情をした二十代の男。


 もう一人は赤茶けた短い髪に、軽薄そうな表情で口元を歪ませニヤついた十代後半くらいの男。こいつが右手を上にして左手を叩くようにパンパンと拍手していた。

 手を叩くのをやめると、赤茶けた髪の男が話しかけてくる。


「ククク、やるねぇ、お前がエリザベートか。昨日の話では、非常識な魔術行使のせいで気絶したと聞いていたが、あのグスタボを葬り去るとはね。今なら、きっと身動きも取れないだろうと踏んだ俺達の誤算か。その規格外の魔力、やはりお前はで間違いなさそうだ」

「ジャンバティ、油断するな。仮にも魔獣化したグスタボを倒した相手だぞ」


 青白い髪の男がもう一人の肩を掴む。


「へっ、心配いらねぇって。見ろよ、確か弟だったか? 名は知らねーが、ソイツに寄りかからなければ、歩くこともできないんだぞ? きっと魔力が枯渇してんのさ」


 そういって赤茶けた髪の男は肩に置かれた手を払い退ける。


 こいつらは俺が鴉男を倒したのを見ていたのではなく、倒した時の爆発に気付いてこちらに向かってきたのか? おかげで姉が鴉男を倒したと勘違いしているようだが……


 俺は手にしているスマホへ目を向ける。ダルさを感じているこの状態で、二人もり合うのはきついな……せめて、右足首の痛みがなければ……


「アンタたちが私を狙う目的は何? いくら私が清楚で可憐で華やかだからと言っても、少女趣味が過ぎるんじゃないかしら? 犯罪まで起こすほどの拗らせた変態集団なの?」


 姉が大声で男達に問うと、すかさず囁くように日本語で呟く。


『一発だけ、魔力弾を撃つわ。その隙をついて』


 俺は静かに頷くと、決意を固めるようにスマホを握りしめる。


「ハン、よくいう。誰が小便くせーガキに欲情するかよ。お前にあるのはオレたちと共に来るか、殺されるかだけだ。オレたちゃ別に貴族なんぞ、怖かねぇんだぜ?」

「これだからイキがっているバカとの会話は疲れるのよねぇ……いーい? 私はアンタらの目的を訊いてる訳。そのクソみたいな耳は、言葉を脳まで届ける機能が無いのかしら? それとも私の言葉が高尚すぎて、理解の追い付かないおバカさんなの? だったらもう一度母親の下で、お乳を飲むところからやり直すのをお勧めするわ」

「なんだと! このクソガキ……!」


 動き始めた赤茶けた髪の男の胸辺りに、腕を出して止めたのは青白い髪の男だった。


「よせ、ジャンバティ。エリザベート、一応、確認しておこう、貴様は才覚者か? 才覚者とは……」

「洗礼前に魔力に目覚めた者……大体そんなとこでしょ? アンタらはその才覚者を、非合法な手段で集めていると。ま、どうせくだらない目的なんでしょうけどね」

「フッ、ならば我らの要求は分かるだろう? 我らは能力ちからのある者を求めているのだ。大事な弟を害されたくなければ、我らに従うのだな」

「ハァ……類は友を呼ぶってのは、あながち間違っている訳でもなさそうね。バカの元には脳足りんが集うってことなのかしら? 私が何故、わざわざこんな河原にまで攫われてから、あの大男を倒したのか想像することもできないの? その虫ケラ以下のおつむにでも、分かるように言ってあげましょうか? それはね、アンタら程度、何時でも何処でも倒せるからよ!」

「なっ!?」


 ハッタリもいいところだが、姉の言葉を聞いた男達は動揺しているようだ。ここだな、と察した俺は“変身”のアイコンをタップする。


「さっさと魔獣化とやらでもしないと、抵抗らしい抵抗もできずに、無残に死ぬわよ?」


 俺の動きに気付かせるのを遅らせるためだろう、男達に向けて姉が右手を上げた。


 それを見た男達は二人とも慌てたように、ローブに付いているポケットに手をやる。多分、鴉の魔獣になった大男のように、魔獣化するための何かを取り出すのだろう。


 出来れば魔獣化する前に一人は倒したいと考えた俺は、男達に向かって駆け出した。


 しかし……


「ガフッ……」


 突然、赤茶けた髪の男が口から大量の血をこぼす。その胸からは腕を生やしていた。紫の電光を発したその腕が引き抜かれると、赤茶けた髪の男は倒れ、ゴロゴロと土手から転がり落ちていく。


 そこには紫の電光を身体の所々から発している、マグダレーネの姿があった。


 うへ、何アレ? 小雨になったとはいえ、近付くとこっちまで感電しそう、と俺の脚は止まってしまう。


「ジャンバティ! な、何者だ!?」

「フッ、誰何すいかしている余裕があるのかい? 状況判断もできないから、エリザベートのような子供にバカにされるのさ」

「クッ」


 青白い髪の男は跳び下がりながら、空中から氷の球を数発撃ち出した。迎え撃つマグダレーネは左腕だけで氷の球を砕いていく。

 そして着地する男に指を向けると、紫電の矢とでもいうのだろうか、放たれたそれが男の腹を貫く。


「ぐぅう……」

「大口を叩いていた割には大したことないじゃないか? あの程度の攻撃、領都の子供なら出来る子はたくさんいるよ? しかも、無駄に跳び上がるからアタシの攻撃も避けられやしない。能力ちからのある者を集めているとか言っていたが、その程度でいいのなら、犬や猫でも飼ってみたらどうだい?」 

「クッ、後悔するなよ!」


 そう叫ぶと、鴉になった大男のように、既に手にしていた試験管のような物から何かを飲み込み、黒い霧に覆われる。


 領都で倒した豹男は、魔獣化する前に身体がボコボコと変化していたが、鴉になった大男も青白い髪の男も黒い霧のような物に覆われている。

 この違いに何か意味はあるのだろうか?


 黒い霧が晴れると中から、顔中が青白い毛だらけになった魔獣男が現れた。ローブが破れていないところを見ると、魔獣化しても体格が大きく変わらない場合もあるようだ。


 あれは何の動物だろう? 三パターン目にして早くも俺の知らない動物が出てきた。

 前世で動物図鑑を詳しく見ていた訳でもないし、この世界なりの動物もいるだろうから知らないのは当たり前なんだが……敢えて言うならネズミ……う~ん、ビーバーかな? その額に小さい角が二本生えている。


 魔獣化した男はバンザイするように両腕を上げてから、振り下ろした。中世の騎兵が用いた槍……ランスのような長さが一メートル以上はある円錐状になった氷がマグダレーネに向かって飛ぶ。


 マグダレーネの身体から発している紫電の光が強くなったかと思うと、一瞬で魔獣男の背後に回り込んだ。


「――?」


 そして、何か呟いたかのように見えた魔獣男の首が落ち、やや遅れてその身体も倒れる。

 マグダレーネは片足を上げると、死体になったであろう身体を踏み抜く。ここからでは見えないが、恐らく灰化したのだろう。


 正に一瞬の攻防だった……離れた位置から見ていたので分かるが、あの一瞬、マグダレーネは土手の坂になっている部分を駆けて、瞬時に魔獣男の背後に回り込み、手刀でその首をねたのだ。

 あの速度で移動されては、魔獣男にはマグダレーネが消えたように見えたんじゃないだろうか? 


 ――恐らくマグダレーネは本気ではない。その上で、あれだけの速度を出す強さとは一体どういったものなのだろう……俺はあれに対応できるのだろうか? 

 さっきまでダルさを感じていたのに、何故か身体の奥から力が湧いてくるような感じがした。


「二人とも、少し待っててくれるかい?」


 そう言ってマグダレーネはしゃがみ込むと、なにやらゴソゴソとしだす。どうやら死体を検分しているようだ。


 俺は手にしていたスマホを霧散させると、装着されていたベルトも消える。姉の方へ振り返ると、姉は再び膝をついていた。


「姉さん、大丈夫?」

「ええ、私は平気よ。マグダレーネのおかげで助かったわね……ハァ、マグちゃんはともかく、アンタにまであんなに差を付けられているなんてね、自分が情けなくなるわ……」

「姉さん、魔力は、まだまだある感じ?」

「ええ、たっぷりね。何故だか上手く動かせないんだけど……あの時、魔力弾を撃つとは言ったけれど、自信が無かったのよね……」

「じゃあ、マグちゃんの言っていた理力が不足しているんだよ。もう覚えてないかもしれないけど、俺も魔力症を終えて、庭でパルクールをやっていて倒れたんだ。その時、魔力はあるのに全然動かせないなって不思議に感じていたから。今思えば、あれも理力が無くなったんだろうね」

「ああ、そんなこともあったわね。なるほどねぇ……理力、か」


 そうして、姉に肩を貸してマグダレーネの方へ歩いていく。俺達に気付いたマグダレーネも坂を下りてきて合流する。


「すまなかったね、二人とも。まさか、こんな連中だったとは思いもしなかったよ……エリザベート、アンタの機転とか度胸は中々のものだったよ。うん、悪くない。アンタにならこの子爵領を任せられそうだ。ホラ、代わりな、アタシが背負ってやるよ」

「ま、あれくらいはね……レオのおかげでもあるけど」


 俺達に背を向けてしゃがむと、マグダレーネは姉を背負う。邸に向かって歩き出した俺を見て、マグダレーネが話しかけてくる。


「レオンハルト、その足で邸まで歩けそうかい? 癒しの魔術を使ってやってもいいが、アタシとアンタとでは魔力の質が大分異なっているだろうからね。痛みが相当あると思うがやってみるかい?」

「ううん、いいよ。母さんに頼んでみる」

「そうかい、その方がいいだろうね……っと、ちょっと待ってな」


 土手を上りきったところで、マグダレーネは引き返していった。土手の上にはやはり、灰色のローブと中からこぼれた灰があった。

 マグダレーネは最初に倒した男に手を翳す。すると死体が凍り付き、氷の棺とでもいうのか、大きな氷に閉じ込められた。


「この死体を後で調べるのかしら?」

「ああ、魔獣化なんて聞いたことも無いからね。夏場だから、腐っちまう前に凍らせているんだ。……よし、こんなもんかね」

「マグちゃんでも、知らないことがあるのね」

「フッ、寧ろこの世は知らないことばかりさ……アンタたちの使っていた暗号しかり、レオンハルトの異形の力しかりね……」

「――! そ、それは……レオのあの能力ちからは私も今日、初めて知ったわ……」


 き、汚ねぇ……姉は俺に上手く誤魔化させるつもりだ。いや、姉は嘘をついている訳ではないが……


「い、いつから見ていたの?」

「アンタが大柄な男に、飛び蹴りをしたあたりからだね……フッ、言いたくないのは分かるよ。誰にだって言いたくない秘密を一つや二つ抱えているものさ。このアタシも含めてね……」


 そう言ってマグダレーネは邸の方へと歩き出す。俺は足をヒョコヒョコさせながらついていく。

 何と無くだが、マグダレーネは俺から打ち明けるのを待っているような気がした。暫く歩いたところで俺は、あらかじめ考えておいた言い訳を使う事にする。


「信じてもらえないかもしれないけど、魔力症の時、夢を見たんだ。真っ暗な空間なんだけど何かがキラキラと輝いていて……そこですごく大きな水晶と話をして……あの能力ちから……“変身”の能力ちからを手に入れたんだ」


 それを聞いたマグダレーネは足を止め、俺に振り返る。そうして、目の前でしゃがむと俺の頭に手を置いた。


「やはりそうか……アンタもある意味、可哀想な存在なんだね……こんな幼い頃から世界との契約だなんて……」

「うん? 可哀想? ってか今の話、信じるの?」

「ああ、あんなものを見せられた後じゃあね。かくいうアタシもアンタと同じ契約者なのさ……アタシの時はただ声が聞こえただけだが……その時、手に入れたのがこの“永遠の若さ”さ……あの時はこれで何時までも何処までも強さを追い求めていけるだなんて、甚だしい思い違いをしたもんだ。取り返しのつかない過ちだったって気付いたのは随分と経ってからさ……」


 眉尻を下げ俺を見つめるマグダレーネの紫の瞳は、何故か悲しげだった。


「マグちゃんに何があったのか知らないけど、この“変身”の能力ちから、俺はすごく気に入ってるよ? だって姉さんを助けられたんだから!」

「フッ、アンタが良いってんならそれはそれでいいさ。ただ、その能力、今後はアタシとエリザベート以外には秘密にしておくんだね」

「ええ!? なんで!? 洗礼式が終わったら皆に披露しようと思っていたのに!」

「バカねぇ、レオ。そんなの危険だからに決まっているじゃない。アイツらは能力ちからのある者を集めている、とか言ってたでしょ。その能力がバレたら確実に狙われるのはアンタよ?」

「そうだね、エリザベートのいうこともあるが、その能力……“変身”だったかい? 何も知らない者が見ると、アイツらの使う“魔獣化”と大して変わらなく見える筈だよ? 本来は味方であってくれる筈の者に、アンタは害されるかもしれないんだ。抱え込まなくてもいい苦労を、アンタは強いられることになるよ?」

「えー? 俺の場合、あんな毛むくじゃらにならないじゃん!」

「だからその見分けが……ああ、そうか、レオンハルトは知らないのか。魔獣じゃないが、人の型をとって人を襲う存在を……この手の者を魔物と呼ぶんだが、アンタの“変身”した姿は鎧の魔物に見えなくもない。こいつは打ち捨てられた鎧に宿る魔物でね、鎧が覆っていない部分は黒い魔力で出来ていて人の型を取るんだ。だから下手をすると、討伐対象に見られてしまうかもしれないよ?」

「むぅ」

「それと、幼いアンタには理解できないだろうけどね、人には自分と違う異様なもの、異質なものを排除しようとする性質があるんだ。異質なものを受け入れられない、寛容さが無いと言えるかもしれないが、これがあるおかげで、人は人らしくここまで発展できたという一面もある。だからある意味、それは正常な反応だともいえるんだよ」

「……じゃあ、爺ちゃんや母さんにも秘密にしておくの?」

「そうだね、その方がいいだろうね。秘密は出来る限り少数で守るのが良いからね」

「ハァ……だったら洗礼式が終わっても、夜中に抜け出すしかないのか……」


 俺の言葉に姉もマグダレーネも目を丸くする。


「レオ、アンタもしかして夜中に抜け出して“変身”の能力ちからを試していたの!?」

「うん、そうだよ?」

「あきれた……アンタ無茶し過ぎよ!」

「えー? そうかな?」


 姉は驚いて少し間の抜けた表情をしていたが、マグダレーネは口角を上げる。


「それについては、アタシが何とかしてあげるよ。ククク……レオンハルト、アンタも立派なグローサー家の一員だね」


 そう言って俺の髪をクシャクシャにしながら、マグダレーネは微笑んでいた。 



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