幕間・第四騎士団


 “秋の半ば”とされる季節。街路樹から散り始めた落ち葉を、少年少女達が箒を手に掃いている。


 レーベンリッヒと呼ばれる王都では季節の風物詩とでも言える程、街に住む者ならばよく見知る光景だ。行き交う人々はそんな光景を見ると、誰もが冬支度の準備を始めなければ、と足早になる季節でもある。


 そういった人々とは対照的にゆっくりとした歩調で進む女性の姿があった。

 白いタートルネックの上に着たベージュのショートコートは前をはだけていて、両の手をコートのポケットに入れている。


 紫の髪を秋の風にさらされながら歩く彼女は、不意に金物屋の角を曲がると路地裏へと進んでいく。


 古くて長い歴史を持つ王都の道はかなり複雑になる。馬車が行き交う幹線道路と呼ばれるような大通りを使ってさえ、目的地に辿り着くには、幾度も交差点を曲がらなければならない程の煩雑さを有していた。


 それでも王都に住む多くの住人達は、近所に散歩に出るくらいの距離ならばともかく、遠く離れた別の地区へ向かう場合には遠回りになろうとも大通りを利用する。


 道に迷って時間と労力の両方を消耗するのなら、時間だけの浪費の方がマシという考えもある。が、多くの住人は余計なを避ける為、遠回りをするのだ。それが自身の良く知らない地区であれば尚の事であった。


 そう例えば――


「よう姉ちゃん、これからオレたちと一緒に一杯ひっかけにいかねーか? モチロン、アンタの奢りでな」

「ギャハハハ」


 ――と、この様なたちの悪い輩に絡まれる事があるのだ。

 毎回、路地裏に入れば必ず何某かの事件に巻き込まれる訳でもないのだが、やはり多くの人々は危険を避けるのである。


 成人を迎え、それほど年が経っていないであろう若い三人組の男達は、女性の行く手を遮った。鼻や耳にピアスを付け革の服を着た彼等は下卑た表情を浮かべている。


 そんな彼等に彼女は怯えた様子もなく、逆に口角をニッと上げ男達に歩み寄っていく。その様子に男達は眉をひそめた。


「なんだぁ、テメェ、オレたちをナメて……」


 男達の一人が女性に手を上げ肩を掴もうとする。

 しかし、その手は彼女の肩に触れる事は無く、男は女性の膝蹴りを腹に食らっていた。うぐっ、と蹲る男の顎を彼女は更に蹴り上げる。


「なっ!?」


 ニヤついていた男達の表情が一変した。そして即座に短剣や剣を抜こうと腰に手をやる。

 が、彼女は既に軽やかなステップでクルリと回転していて、後ろ廻し蹴りを繰り出す。男の一人が顔面を蹴り飛ばされ、続いて軸足を入れ替えた廻し蹴りがもう一人の男を襲い吹き飛ばした。

 三人組の男達は微動だにせず、意識を失っている。


 彼女は倒れ伏した男達のポケットや道具袋を漁ると、そこから銅貨や銀貨だけを取り出し自身のポケットにしまった。


「チッ、しけてるねぇ……」


 軽く舌打ちをした彼女は、倒れた男を跨いで路地裏の更に奥へと進んでいく。


 暫く進んでいくと、今度は白と青を基調とした騎士服を着た二人の男性が通りを塞いでいた。剣を腰に佩き、槍を手にした二人は彼女の姿を見つけると、居丈高に声を掛ける。


「これより先は我ら第四騎士団により通行不可だ。引き返すのだな」

「触れ書きを見なかったのか? この辺りは危険を伴うので、立ち入り禁止とあったろう」

「アンタらの意見には大いに賛成だね。ただ、アタシもそっちの指示でこんなところまで出向いているんだ。アンタらの上司にでも“マグダレーネ”という女が来たが、自分たちの判断で追い返したとでも伝えてもらえるかい?」

「む?」


 二人の騎士は互いに顔を見合わせると片方が、しばし待て、と声を掛けその場を立ち去る。残った騎士はマグダレーネと名乗った女性を訝しんでいた。


 しかし、彼女はどこ吹く風といった具合に建物の壁にもたれかかる。そうしてショートコートのポケットから小さな紙包みを取り出すと、中に包まれていた飴を口に含み、包み紙をその場に捨てた。


「おい、ゴミをその様に捨てる物ではない。全く、これだから下町の者と関わるのは嫌なのだ」

「フッ、こんな掃きだめのような場所で何を今更。ついさっき、アタシは大きなを三つも片付けてきたところなんだがね。大体、アンタらが手を抜いているからこんな風に掃きだめになっちまうのさ」 

「なんだと?」


 互いの間に剣呑な雰囲気が流れる。そこへ、立ち去った騎士がもう一人、緑のローブを着た青年を連れて戻ってきた。


「こちらでしたか、マグダレーネ様。まさかこのようなところを通ってくるとは……おや? どうかされましたか?」

「どうもしちゃいないさ。それでアタシはどうすりゃいいんだい?」

「あちらに今回の件に当たる騎士団の中隊長がいますので、先ずは挨拶をしておきましょう」

「そうかい」


 緑のローブを着た青年の案内で連れて行かれた先は、安宿の一階だった。一階は飲食の出来る食堂だったが、店員はおらず二十数人の武装した騎士達と、平民のような普通の恰好をした四人の男女が集っていた。


「タウベルト中隊長、こちらが今回の件で協力を仰いだマグダレーネ様です」


 マグダレーネが紹介された男は、三十代くらいの割と大きな男だった。騎士達の中でも取り分けて良い装備をしている。


 その場にいる騎士達は胸当てに小手、脛当てという軽装だったが、中隊長と呼ばれた彼の青白い鎧には複雑な紋様が刻まれていて、その上に膝丈まである白いサーコートを羽織っていた。腰にした剣も見事な鞘に納められている。


「フン、漸くか……王よりの指示故に参加するのは認めるが、我らの邪魔だけはするなよ。おい、イルセ、この女に付いていろ。アレバロ、レクセル、ブル、配置につけ。出るぞ!」


 中隊長が声をかけると、その場にいた騎士達が安宿を出ていく。残ったのはマグダレーネに付くように言われた女性騎士、緑のローブを着た青年、四人の平民風の男女だった。


 マグダレーネは食堂の入り口の近くにあるテーブル席に着くと、食堂内を見廻していた。マグダレーネ以外の者達は事の成り行きを窺おうと安宿の入口へと集まっている。そこへマグダレーネを案内してきた青年が声をかけた。


「あの、よろしいのですか? マグダレーネ様。王からは協力するようにとの要請でしたが……」

「向こうに協力させる気がないのなら、どうしようもないさ。つたない連携は場を乱す要因でもあるしね。そんなに気になるのなら、アンタたちが手伝ってやればいいじゃないか」

「御冗談を……我らは調査専門の部隊です。荒事は門外漢ですよ」

「フン、そんな気構えだから王女を見逃しちまうのさ」

「うっ……それを言われると……私の部隊で起きたことではありませんが、肝に銘じておきましょう」


 そんな風に二人が話し合っていると、騎士達の配置が終わった。


 この辺りは騎士団によって通行止めがされ、行き交う人はおらず閑散としている。その上、住人達は騎士団の命によって、二階以上の上階にいるよう指示されていた。危険が及ぶ可能性がある為、許可が出るまで上階で待機するよう命じられているのだ。


 とはいえ、騎士団による捕り物は滅多にないので、住民達は誰もが二階以上の部屋から窓越しに騎士団の様子を窺っていた。中には金を取って自分の部屋を提供する者もいるくらいだ。


 好奇の目にさらされた衆人環視の中で、中隊長が手を上げて合図すると、四人の武装した騎士達が建物に入っていく。

 そこはマグダレーネ達がいる安宿と似たような宿で、通りの一番端に位置していた。


 先ずは宿の従業員や客とおぼしき人達が飛び出してくる。その後ろに騎士が二人ついて、マグダレーネ達が待機している安宿に駆け込んできた。

 そのタイミングで騎士達が入って行った宿から、三階の窓を割って飛び出し、通りに転がり落ちる男が一人。


 下手な着地のせいかゴロゴロと転がった男は蹲り、なにやら呻いていた。

 そこへ待ち構えていた、数人の騎士が槍の穂先を男に向けて取り囲んだ。


「ノーマン・フーカーだな! 貴様を重要参考人として我ら第四騎士団が……」


 騎士の一人がそう大声を上げた瞬間だった。蹲っていた筈の男の手が伸び、叫んだ騎士の首を掴む。


「グガッ」

「うわああぁああ!」


 騎士が槍を手放してもがき、男が叫ぶ。伸びた男の腕が、着ていた服の袖を破り肥大化し、ボコボコと泡立つ。


「やめろ!」


 騎士の仲間の一人が手にしていた槍で、男の腕を打ち据える。しかしその腕は微動だにせず、逆に打ち付けた槍が弾かれてしまう。


 囲んだ騎士達の間に僅かながら動揺が走る。


 そして騎士の首を掴んだ腕が騎士の身体を持ち上げると、泡立っていた状態から甲殻が覆うように変化した。

 手が大きな鋏のように変わると、掴んでいた騎士の首が胴と分かたれる。ボトリと落ちた首と、ドサリと倒れた胴からは夥しいほどの血が溢れ出た。


 騎士達、それを見ていた周囲の平民達には衝撃的な光景だった。


 誰もが唖然としている中、男が叫びを上げるとその身体は衣服を破って泡立ちながら大きくなる。そして騎士を縊り殺した腕のように、全身が甲殻に覆われた。

 その甲殻に覆われた長大な腕を振り回すと、槍を向けていた騎士達を弾き飛ばす。


「オワッ」「グアッ」「ガッ」

「オォォーオオォオォォン!」


 悲嘆とも哀願ともとれるような男の叫びは、騎士達の身を竦ませるには充分な効果があった。


「総員、戦闘態勢!」


 そんな中、中隊長が大声を張り上げる。

 ハッとした騎士達は、剣や槍を構え身体強化を始めだす。すると、身に纏っていた鎧や手にしている武器に複雑な紋様が浮かび上がり、ほんのりと光り輝く。

 光の強さは十人十色と言った感じで、それぞれ違っていた。


「オラアァッ!」


 一人の勇敢な騎士が気合を入れて、甲殻に覆われた男の背中に剣を振り下ろす。しかし、ガキンと弾かれてしまう。


 そこへ振り向き様に突き出された男の鋏のような爪が襲い掛かった。騎士は咄嗟に剣の腹で爪を受け止めるが吹き飛ばされる。

 囲っていた仲間の騎士達によって受け止められるが、盾代わりにした剣は真ん中からポキリと折れてしまっていた。


 それを見た騎士達は固唾を飲む。


「オオォーン!」


 そうして雄叫びを上げる魔獣化した男は、長大な両の腕を振り回し囲んでいる騎士達を襲い始めた。一振りで数人の騎士が吹き飛ばされる。

 そこへ火炎弾が撃ち込まれた。


「うろたえるな! 訓練を思い出せ! 距離を取っての火炎陣だ!」


 大声で指示を出したのは中隊長だった。構えた手から次々と火炎弾が放たれる。

 それを見た騎士達の約半分が火の魔術を撃ち始めた。全員が火の魔術を扱えるわけではないようだ。


「こ、これで何とかなりますかね……?」

「んー?」


 緑ローブの青年が不安そうに、マグダレーネへ問い掛ける。やる気の無さそうなマグダレーネは、側にある窓を開けて外の様子を窺う。


「さて、どうだろうねぇ……魔獣化なんてアタシにはさっぱりだよ。ただ、あの爪と色は……」

「爪? 爪がどうしたのです?」


 青年がマグダレーネに尋ねた時、炎に包まれた男が石畳の上に倒れた。


「や、やったか?」


 騎士の一人が呟いた。


 その一言が切っ掛けになったかのように、黒焦げた男の身体全体がブクブクと泡立ち始めた。その泡はどんどん大きくなっていき、成人の倍ほどもあろうかという大きさになると、泡がその内側に吸い込まれるように消えた。


 中から現れたのは、赤い甲殻を持った巨大な蟹だった。初めて見る巨大な魔獣の姿に誰もが絶句する。


「やっぱり、あれはマーダーグラブじゃないか。しかもあの赤い甲殻を持つのは希少種の、パラサイド・マーダーグラブだね。よかったじゃないか、王都ここからだと、遥かに遠い海辺にしか生息しないが、地元の住民ですら滅多にお目に掛かれるものじゃないよ?」

「な、なにを暢気なことを! 彼ら第四騎士団は対人組織です! 魔獣の討伐は不慣れなんですよ! ああ、イライザ!」


 緑ローブの青年が唾を飛ばしながら、マグダレーネに食って掛かるのとほぼ同時に巨大な蟹の魔獣、パラサイド・マーダーグラブが暴れ出す。


 うらぶれた路地裏のみすぼらしい地区とはいえ、そこは王都の建物だ。しっかりとした頑丈な石壁の造りになっている。


 しかし、魔獣がその爪を振るうと、子供が砂山を壊すようにいとも簡単にその石壁を崩した。そうして騎士達を薙ぎ払っていく。あちこちから住人達の悲鳴が聞こえだした。


 そんな中、中隊長が豪華な剣を引き抜き躍りかかる。

 流石は中隊長と言ったところか。それとも彼の手にする剣が業物なのか。ともかくその一撃は、巨大蟹の硬い甲殻にひびを入れた。


 そこへ巨大蟹の爪が振り下ろされる。ガシンと剣で受け止めるが、蟹の逆側の爪が横殴りに振るわれ、吹き飛ばされた。転がった中隊長を助ける為、騎士達から様々な魔術が飛ぶ。


 そこからの戦いは混迷を極めた。

 騎士達は吹き飛ばされ、建物は壊される。

 平民達が思い描いていたような華麗な騎士の姿はそこには無かった。

 それでも騎士達は立ち上がり、魔獣に向かって行く。仲間を庇い、中隊長が攻撃をする機会を作る為、魔獣の注意を惹き付ける。

 或いはそれが本来の騎士というものなのかもしれない。


 だが、それだけで魔獣を討伐できるほど甘くはないのが現実だった。

 騎士達が手にしている武器や、身に着けている鎧から徐々に輝きが失われていく。魔力が枯渇しかけているのだ。


「ヤアァーッ!」


 そこへ壊れた建物の上階から身を翻し、跳び掛かる一人の女性騎士。彼女の手にした槍が蟹の魔獣の目を貫く。


「グボアァアアー!」

「やった!」


 彼女の喜びも束の間の事だった。魔獣の巨大な鋏が彼女の胴を掴む。女性騎士はジタバタともがくが抜け出せない。


「イライザ! マグダレーネ様! か、彼女を、どうか彼女を助けてください!」


 緑ローブの青年がマグダレーネに助力を乞う。マグダレーネは溜息を吐くと、のそりと立ち上がった。


「ったく、アンタら全員、減給処分ものだね。うちの領じゃとてもやっていけやしないよ? ホラ、貸しな」

「あ……」


 そういって、彼女は側に付いていた女性騎士の槍を奪い取ると、安宿を出る。


「コイツの弁償金はそこの男に請求するんだね」


 マグダレーネが振り向きもせず女性騎士に告げると、パリッと手にしている槍に紫の雷光が走る。雷光は徐々にその激しさを増し、やがて槍本体が見えなくなるほどの紫電に包まれた。


 マグダレーネは助走をつけると跳躍する。その高さは周囲の建物の屋根を軽く越えていた。

 そして紫電の槍を上空から蟹の魔獣に向けて投げつける。


 それはまさに青天の霹靂といってもいいだろう。良く晴れた昼下がりの空から、突如として紫の雷光が魔獣を打ち抜いたのだから。


 紫電の槍に貫かれた魔獣は、その頭部から股下までに大きな穴を開けていた。

その下の石畳にも穴ができていて、槍は地中深くまで埋め込まれ、未だに雷光を発している。


 ザアッと魔獣が灰化すると、鋏に捕らえられていた女性騎士は地面に転がり落ちた。緑ローブの青年の知り合いらしき女性騎士が助かったのを見て、彼は安堵したかのように大きく息を吐く。


 彼は、助けてもらった礼を述べようと振り返るのだが、そこにマグダレーネの姿はなかった。



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