黒い毛色の馬は青毛
あれから数日が経った。朝と昼、日が出ている時間帯は、出来るだけ庭で遊んで過ごしていた。
庭の石壁を斜めに駆け上がり、天辺に手を掛けるとヒョイと身を上げそのまま壁の上を走る。そして、ヒラリと身を躍らせ、庭に着地する時、衝撃を逃がすようにゴロゴロと身体を転ばせると、そのまま飛び上がって身体をクルリと捻る。
そんな風して、パルクールを楽しんでいたのだが、姉からはズルいと言われ、お手伝いさんや警備の人達からは、心臓に悪いからやめてくれと言われる。
……こんなに楽しいのに賛同者は少なかった。寧ろもう少し障害物を増やしてくれないだろうか、と思っているくらいだ。
唯一の味方は祖父だけで、時折、様子を見に来た祖父との追いかけっこが一番楽しい。本気で駆けているのにあっという間に捕まってしまう。
姉が言っていた様なくすぐりの刑というのはされなかったが、離されると再び追いかけっこが始まる。
緩急を付けたり、ジグザグに駆けたり、飛び上がって頭上を越えて躱そうとしても、捕まってしまう。そうして、何が嬉しいのかガハハと笑い、まだまだじゃと言いながらグワングワンと俺の頭を揺らすのだ。
そうやって祖父と全力で遊んだ翌日は、昼間まで寝込んでしまい、祖父と二人して、俺が朝食を食べなかった事についてマーサから苦言を呈される。
「レオン、もう少し体力を付けんか」
「そんな簡単には付かないよ。それより、また一緒に遊ぼう? 爺ちゃんと一緒に遊ぶのが一番楽しい。何なら今からでも……」
「ガハハハ、そうかそうか、一番楽しいか。残念ながら今から仕事じゃ、それにアレが煩いからのう……ま、時々にしておこう。しかし、お主は身軽じゃな? あのような軽業、儂も見たことが無い。真似してみたのだが壁に穴を開けてしまったわい。何かコツがあるのか?」
「エェッ!? あの穴って爺ちゃんがやったの!?」
何時の間にか邸の壁に穴が出来ていて、何があったのか訊いても、お手伝いさんは首を傾けるだけだし、警備の人は苦笑いで答えてくれなかったのだが、犯人は祖父だった。
「コラッ、声が大きい、して、どうやっておるのだ? どうも身体強化とは少し違うと思うのだが……」
「う~ん、身体強化がどんなのか知らないから、違いが分かんないなぁ。まだ、教えてもらえないんでしょう?」
俺は壁を駆け上がるが、祖父なら壁にグサグサと足を突き刺して登って行く……何故かそんな映像が思い浮かんだ。
「うむ、今からレオンの洗礼の日が楽しみじゃ。お主なら立派な戦士になれるじゃろう。何せ儂が鍛え上げるのじゃからな、ガハハハッ」
俺も祖父も全く自重する気が無かった。
そんな会話をした二日後、姉と二人、庭で軽い運動……体操みたいなものをしていると祖父がやって来た。うげっと小さく呟く姉は嫌そうな顔をする。
祖父がいないときの姉は、優雅じゃないとか言って適当なところで切り上げていた。運動をするとか、身体を鍛えるのがそんなに好きではないようだ。
俺は姉がズルいズルいと言って来るのが面倒なので、パルクールは姉が引き揚げてからする事にしていた。
「エリー、レオン、これから馬の様子を見に行くのじゃが一緒に行くか?」
数人の警備の人達を率いる祖父に問い掛けられる。
今、父と母、それと何人かの警備の人達がいないので、邸の外に出る機会が無い。いい機会なので、俺は祖父の提案に頷いた。
「私は遠慮しておきますわ、お爺様。だって臭いんですもの」
「そうか? 今は、フローラもディートもおらんから、邸に籠ってばかりで退屈じゃろうと思ったのじゃが……まぁよかろう。じゃがその内、乗馬は出来るようになってもらうぞ、エリー」
「はぁい」
「全く、しょうの無い奴じゃ。ネーポムク、ヴィム、お主等は儂とレオンの共じゃ。他は待機」
「ハッ」
そうして、二人の警備の人が付いて来る事になった。一人は高身長でスリムに見える、三十代か四十代か判別の難い見た目のおじさん。もう一人は濃い緑の髪をした、まだあどけなさが抜けていない若手。
これはアレだ、刑事ドラマとかでよくある、ベテランと新人を組み合わせて経験を積ませる、みたいなのだ。
外に出る為か、三人は腰に剣を佩いていて、警備の二人は簡単な鎧を着込んでいた。
邸の門を出て歩きながら厩舎へ向かう。俺の歩く速度に合わせてか、ゆっくりとした歩調で進む。吹いているそよ風に緑の匂いを感じて、もうすぐ春だなと思わせた。
「しかし、エリーにも困ったものじゃ。フローラの時もそうじゃったが、また、乗馬で苦労しそうじゃ」
「え? あのフロレンティア様が? 俄かには信じられませんな……私の勝手な印象ですが、幼い頃から乗りこなしていたものばかりだと……まぁうちの娘も最近はあまり外で遊ばなくなりましたなぁ……女の子というのはそういうものなのかもしれません」
「そうかのう……その分ハルトムートには期待しておったんじゃが……今はレオンがおる。此奴は鍛えがいがあるわい」
「ハルトムートって?」
「う、うむ……今はもう居らん者じゃ……気にするな」
俺の素朴な疑問に、苦い顔で曖昧に言葉を濁す祖父。どうやら余り触れたくない話題の様だ。話の流れからして、母の兄弟だろうか?
少し気まずい雰囲気のまま、割と近くにあった厩舎に辿り着く。確かに少し臭うが我慢できない程ではない。
髪も髭もボサボサのおじさんが出迎えてくれると、両手を胸の前に持ってきて、右の拳を左の掌で包んでお辞儀をする。何となく中国の映画でしている挨拶に似ていると思った。
「お久しぶりです、領主様」
「うむ、久しいの。して、うちの馬は元気か?」
「ええ、それはもう……」
祖父や厩舎のおじさんの話では、この辺り一帯の土地は子爵家の物らしい。いや、領全体が子爵家の物なのだが、そこに住む人達には税がかかる。
ここの厩舎と牧場で働く人達には、街で暮らす人達に比べ、かなり低めの税で済む。子爵家が彼等を雇っているという体だ。
毎年数頭の馬を売ってはいるが、それ位しないとここの人達に満足な暮らしをさせられないらしく、馬の世話というのは、人手、時間、お金が掛かるものなのだそうだ。
祖父達の会話は長引きそうなので、勝手に厩舎内を見学させて貰う。
放牧でもしているのか、馬房には馬が一頭も居らず、代わりに奥で誰かがごそごそと何かやっているのが見えた。
何をやっているのだろうと近付いてみると、七、八歳位の男の子がおが屑の様な物をスコップでばら撒いていた。
「何してるの?」
「なんだ? 何処から入ってきた? 見て分かんねーなら言っても分かんねーだろうよ。邪魔だから、とっとと失せろ!」
成る程、彼の言う事には一理ある……が、少々ムカつくので言い返しておく。
「言葉で説明もできない程度のバカのやる仕事かい? 精々頑張るんだな」
「んだと! この!」
少年が掴み掛って来たのでサッと躱す。二度、三度と暫く躱し続ける。う~ん、祖父と違い余りにもトロ過ぎて、つまんないな。
「クソ! ちょこまかと……!」
「バカで、ノロマ。あぁ、だから一人だけで残ってたのか。納得だぜ」
「――ッ!」
少年は顔を真っ赤にすると、スコップでおが屑の様な物をこちらにぶち撒けて来た。流石に躱しきれず、いくらか被ってしまう。
「ギャハハ! ザマーミロ!……いで!」
少年が頭を押さえて蹲る。少年の背後には、拳骨を振り下ろした若い方の警備の人が立っていた。名前は忘れた。
「勝手に居なくならないで下さいよ、レオン様……で、どういう状況です?」
「彼をからかって遊んでただけさ、悪かったな少年」
「全く……いいか、坊主。こちらは領主様のお孫さんだ。粗野な言動は慎むようにな……参りましょう、レオン様」
聞いてるのか聞いてないのか、少年は蹲ったままだった。うーむ、こういう権力を笠に着た言い聞かせ方は禍根を残しそうだなぁ……まぁ一応、謝ったから大丈夫かな?
連れられて牧場の方へ出ると、十数頭の馬が、歩いたり、寝そべったり、草を食んだりしていた。
聞けば、祖父と警備のおじさんの方は、それぞれ馬に乗って遠乗りに出てしまったそうだ。若手の彼は子守を押し付けられたのだろう。
「あ~俺も遠乗りしてみたかった……」
彼はそう言って肩を落としていた。まぁ彼も十年、二十年経つ頃には、部下に面倒事を押し付ける立場になるのだから、今は我慢の時なのだろう。
「何が楽しいのか分かんないけど、そんなに乗りたいならその辺りで乗れば? 大人しく見ててやるからさ」
「ハァ……レオン様はまだ子供だから乗馬の楽しさが……いいですか? 馬というのはですね……」
彼は言葉巧みに乗馬の楽しさを語ってくれた。馬は従順で大人しいとか、一緒に走っていると一体感がとか言っていたが、よくよく聞いてみると、女性にカッコイイ所を見せたいと言う不純なものであった。
自分の馬を持って、女の子を乗せたりするのがある種のステータスなのだそうだ。
何となく、日本で若い男性が高級車に綺麗な女性を乗せている絵が思い浮かぶ。しかし、ネットで今の若者は自動車に興味が無いという記事を読んだ事があるので、そういうのはもう流行っていないのかもしれない。
だとすると、今時の男達ははどうやって女性にアピールしているのだろう?
「そうだ、レオン様も軽く馬に乗ってみませんか? オレがゆっくり牽引しますので……」
日本の若者に余計なお世話だ、と言われそうな事を考えていると、そんな提案をされた。
特に乗馬には興味なかったのだが、車社会の日本に於いて未だ乗馬クラブなんて物があるのだから、案外楽しいのかもしれないと思い了承する。
厩舎の人が準備をして、一頭の馬を用意してくれた。
初めて間近で見る馬は、俺が子供だというのを除いたとしても凄く大きかった。競馬中継なんかで観た馬よりガッシリしている気がする。
うろ覚えだが、確か葦毛、栗毛等という毛色があったと思うが、黒い毛色はなんて言うんだろう? 黒毛和牛なんて聞くから、黒毛でいいのだろうか?
助走をつけて飛び乗ろうと構えると、馬は臆病なのでそういうのはやめて下さいと止められ、抱き上げられて黒い馬の上に跨る。
視点が高くなるだけで、同じ風景なのに違ったように見えるのは不思議な感じがした。
すると、いきなり馬が嘶き上体を起こす。振り落とされないように鞍にしがみ付くと、物凄い勢いで走り出した。
何事? と思って、チラッと背後を振り返る。唖然とした警備の若手と厩舎の人達。それとニヤリと笑う少年。
アイツかぁ……アイツは後で泣かす!
飛び降りればいいのだが、思った以上に馬の上は揺れ、バランスをとるので精一杯だった。また、子供だから鐙に足が届かないのも一つの要因ではある。決して俺の足が短い訳ではない。
直ぐ前方に柵が現れた。これで止まるか、引き返してくれるだろうと思っていると、馬は見事な跳躍を見せ柵を飛び越えてしまった。
「うっそぉ? 柵の意味ねーじゃん!」
俺の嘆きを無視して馬は草原を突き進む。最早俺にできるのは、馬が落ち着いてくれるのを待つだけだった。
ちゃんとした馬の乗り方というものがあるのだろうが、そんなものを知らない俺にはどうすることも出来なかった。
流れる景色を楽しむ余裕もなく、暫く走り続けた馬が漸く足を止める。
「ようく走るなぁ、お前。ちょっとお尻が痛いや……うん?」
馬が前方を向いたまま全然動かないので、馬の首から顔を横に出して前を見てみる。前方五十メートル位の所に何かの動物がいた。犬?……或いは狼かもしれない。
ソイツがこちらをジッと見つめていたのだ。
「なんだ? ビビッてるのか?……ったく、しょうが無い」
俺は馬から飛び降りる。あれ程の揺れでなければ全然余裕だった。
そして、馬の頭部の馬具から垂れている綱を取って、方向転換を試みる。最初は嫌がっていたようだが、それでも無理やり引っ張っていると徐々に動き出した。
本当は180度回転させて、後ろに向けたかったのだが、狼がこちらにゆっくりと近付いてきているので、ある程度横を向いたところで、綱を離し、馬の背後に回り込む。
そして、飛び上がって馬の尻を叩き、馬を走らせて逃す。狼の方を見るとそちらも走り出していたので、俺も魔力を脚に込め、狼に向かって駆け出した。
「おりゃあ!」
狼の注意をこちらに引き付けるべく、大声を上げて飛び蹴りを喰らわそうとする。
が、流石、四足歩行。素早い方向転換で躱されてしまう。チラっと馬の方を見ると大分遠くまで逃げられたようだ。
グルルと狼が低く唸る。完全にこちらへ注意を引けたようだ。
「丁度いい。この数日間の成果、お前で試させて貰うぜ」
そう呟いて、俺はスマホを手に具現化させた。
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