エリザベート


 祖父の忠告を受けてからも、楽しくて、暫く庭で走り回っていた。しかし、突如として身体が動かせなくなり、パタリと倒れ込んでしまう。


 魔力はある。ただ、それを指先や、足元に集めようとしても上手くいかないのだ。

 エネルギーを動かす為のエネルギーが無い、自分でもおかしな事を言っている気がするが、そんな感じだった。


「ふむ、やはりな……」


 そう呟く祖父に抱え上げられると、お手伝いさん達と軽い運動をしていた姉の元へ連れて行かれる。


「お爺様、レオは大丈夫なのですか?」

「うむ、暫く休息させれば元に戻るじゃろう。儂もな、寡聞にして良く知らぬのだが、噂話程度に聞いたことがある。ごく稀にな、レオンの様に、洗礼前に魔力の扱いを覚える子がいるそうじゃ。そういう子は総じて、ある日、突然倒れたりする。そして、翌日にはケロリとして普通に過ごすそうじゃ。儂もレオンを見るまではそんな話、忘れておったよ。ガハハハッ」

「わ、笑い事では無いと思いますが……? これからも、こんなことがあるかもしれないのだとすると、レオ様から目が離せなくなりそうですが……」


 お手伝いさんの一人が、俺を受け取りながら祖父に問い掛ける。


「まぁ待て、そう慌てるな、何も昼夜を問わず見張ってなければならん、ということは無い筈じゃ。今日の様に、庭で自由に動き回る間だけでも、様子を見てやればよい。儂が思うに、レオンの様に洗礼前から魔力の扱いを覚える子は、まだまだ、基礎体力が低いのじゃろう。その上、経験が浅いから自身の限界を分かっておらず、簡単に限界を超えるまで体力を使ってしまう。更にレオンは病み上がりで、体力も随分落ちていた筈じゃ。そう思うと、洗礼まで魔術を教えないというのは、理に適っとるのかもしれんの」

「お爺様、魔法を使うのには、そんなに体力が必要なのですか?」

「うん? うーむ、儂は、洗礼後に魔術を覚えたからのう。洗礼までは随分と身体を鍛えたものじゃ。じゃから魔術を使い続けても、倒れるということは無かったな。何故なら先に魔力が枯渇するからな。エリーもレオンの様に倒れたくなければ、身体を鍛えることじゃ」

「ええっ!? それなら私、そこそこ魔法が使えれば、それでいい!」

「ハッハッハッ、そんな訳にはいかんぞ。洗礼式を終えれば、先ず最初に教えるのが身体強化じゃからな。キチンと身体を鍛えねば、怪我をする。これを覚えん限りは、他の魔術は教えん。そんな我儘をいう子には、今からくすぐりの刑じゃ」


 そういうと祖父は姉にゆっくりと手を伸ばす。姉はサッと身を翻すと、駆け出した。それを見てゆっくりとした動作で追い始める祖父。


 流石に大人と子供である。祖父がその気になれば、簡単に姉を捕まえられるのだろうが、意図的に姉に追いつきそうで追いつかない間隔で追い回していた。

 ぎゃーとか言いながら逃げ回る姉と、ほれほれと、煽りながら追い回す祖父。ちょっと楽しそうだ。


 やがて、出発の準備ができた、と祖父を迎えにベルノルトがやって来る。


「ふむ、今日はここまでにしておいてやろう。見送りはよい、孫たちを休ませてやってくれ」


 そうお手伝いさんに指示を出すと、祖父達は去っていった。


「ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ、な、なんとか逃げ切れたわ……」


 息を切らし、足元をふらつかせながら、姉が戻ってきた。


「でも、爺ちゃん、全然本気じゃなかったよ?」

「あ、当たり前でしょう……ハァ、ハァ、手を抜いてるのがバレたら、本当にくすぐり地獄の刑に処されるんだから……レオも魔力症が終わったから、きっと追い回されるわよ……ハァ、ハァ」

「そいつは楽しみだ」

「アンタ、変わってるわね……」


 姉が紅い目をジト目にさせながら、俺達は自分の部屋に戻る。室内はいつの間にか母が運び込んでいた家具類がなくなり、広々としていた。


 ベッドでウトウトしていると、お手伝いさんが昼食としてカルボナーラを持ってきてくれる。祖父の言っていたのは本当のようで、休息したからか、多少動けるようになっていた。


 食事を終えると、食器を片付けるお手伝いさんと入れ替わるようにして、姉がやって来た。朝食の時に話があるとか言っていたが、それだろうか。


『レオ、貴方、転生者でしょう? しかも日本人の』

「!?」


 小さなソファに腰掛けた姉は、開口一番、いきなりとんでもない事を言ってきた。それもで。

 どういう反応を返そうかと、迷っている内に、


『フン、確定ね。元日本人じゃなければ、今の言葉、何を言ったのか理解できない筈だもの。貴方の反応は、少し迷っていたわね。正直に言うか、誤魔化すか。まぁ誤魔化すのなら、即座に今何て言ったのか訊き返す位の反応をしないと誤魔化せないわよ』


 なかなか鋭い指摘をされてしまった。


『ほぇー、姉さんって元は名探偵?』

『ンな訳ないでしょ。元お飾りの会社役員よ』

『お飾り?』

『そう、父が……ああ、前世の父がね、会社をいくつか所有しているオーナーで、その内の一社で役員をやっていたのよ。絶対に出席してくれっていう時以外は、好きな時に出勤して、好きな時に退社して、役員手当だけで、毎月六十万位あったかしらね……』

『うわぁ……ブラック企業、いや、普通の会社でも、真面目に働いてる人からしたら、不愉快極まりない話だなぁ……』

『私だってね、最初は真面目にやってたのよ? でもねぇ……何にも決まらない会議、決まっても実行されない改善案、全く必要が無いのに、税金を誤魔化す為の設備投資。それでも、会社は利益を出すんだからね……その上、オーナーの娘だからって言い寄ってくるバカな男達。正直やってられんわーってなっちゃったのよね』


 金持ちには金持ちなりの悩みがあるらしい。人生経験に乏しい俺では、どう労りの言葉を掛けるべきなのか、見当もつかなかった。


『で、アンタは?』

『俺? 俺は子供の頃から身体が弱くて、多分、入院中に死んじゃったんだと思う』

『多分? 多分って何なの?』

『いやぁ、最期の方は意識が朦朧としてて、自分が何時死んだのか分からないんだよね。それで、魂の世界みたいな所で、巨大なクリスタルに天寿を全うした――って言われたから、そうじゃないかと』

『ちょっと待って、巨大なクリスタル? 私の時は、金髪の女神――今、思えば何と無く、こっちの世界のお母様に似てる気が――ま、いいわ、とにかく女神だったんだけど?……人によって見え方が違うのかしら?』

『う~ん……そうじゃないと思う。だって、先に姉さんが転生したから、俺より早く生まれた訳で。クリスタル自身は転生させるのは初めてだって言ってたから、多分、その女神が姉さんを転生させているのを知って、真似して俺を転生したんじゃないかな?』


 そういうと、姉は腕を組んで眼を閉じ、うーん、と何やら考え込んていた。


『まぁ、真相は分からないわね。仮定の話ならいくらでもできるけど、それは詮無きことよね。それより、この世界がどんな世界なのかは聞いた?』

『えーと、確か、元の世界とは常識や概念が違うくらいかな? あとは魔法があるってことくらい』

『それだけ? 乙女ゲーとか悪役令嬢とか、そんな言葉は聞いてない?』

『乙女ゲーってのは女性用の恋愛シミュレーションゲーム? 悪役令嬢ってのは良く知らないけど、そんな話は聞いてないよ?』

『ふうん、それなら安心してもいいのかしらね……私も、剣と魔法の世界だって言われたのだけど、貴族の令嬢に生まれて、この眼付きでしょう? 実は乙女ゲーの世界で、悪役令嬢に転生したのかもって思っちゃって、焦ったわ。だから早く魔法を覚えたかったのだけれど……』

『悪役令嬢だと、魔法を早く覚える必要があるの?』

『うん? 貴方、WEB小説とか読まなかった? まぁ、人の趣味はそれぞれだものね。乙女ゲーで大体が、高位貴族の令嬢で、眼付きが鋭くて、豪奢な装いをしてて、主人公を虐めるキャラがいてね。最期に断罪されて、国外追放されたり、修道院に閉じ込められたり、処刑されたりするのが悪役令嬢。その悪役令嬢に転生してしまって、バッドエンドをどう回避しようって試行錯誤するWEB小説が流行ってるのよ』

『ふぅん』

『で、全ての障害は小賢しい真似じゃなくて、手っ取り早く、魔法の力でぶち壊そうと思っていたんだけど……私も少し変だなって思っていたのよ。子爵家生まれだし、顔つきは亡くなったお婆様に似ているそうだし、突然、ここはプレイしていた乙女ゲーの世界だって思い出すものなんだけど、そもそも私、乙女ゲーをやったことないし。……多分、きっと、絶対に、私は悪役令嬢なんかじゃないわね』

『何かよく分かんないけど、良かったね? これで焦って魔法を覚える必要も無くなったんじゃない?』


 すると、姉は突然立ち上がり、俺を指差す。


『いいえ、こうなったら“エリザベート最強伝説”を後の世に残す為、レオ、貴方にはお爺様が言ってた、魔力の扱いとやらを教えてもらうわ!』

『姉さん、社会人をやってた割には、子供っぽいんだね』

『ハン、最強を目指さずして、何が異世界転生よ。男なら憧れるものでしょう? いいから、魔力の扱い方ってのを教えなさい』

『姉さんは、女だけど……う~ん、魔力の扱い方か……う~ん』


 さて、どう伝えたものかと考え込んでいると、姉は、再びソファに腰を下ろし、眉根を寄せる。


『何? そんなにややこしい話なの?』

『例えばさ、こうやってグー、チョキ、パー、って手を動かすのをどうやってるのか教えろって言われても、伝えようが無いっていうか……』

『何? 感覚的なものって言いたい訳? そもそも、その感覚を覚えた切っ掛けってのがある筈でしょ? 私の方が先に魔力症を終えたのに、終わったばかりの貴方に扱えるのは、何か違いがある筈なのよ。それを話しなさい。参考になるかどうかは、私が判断するわ』


 切っ掛けか……恐らく、スマホを何度も、出したり消したりしたのを繰り返しているときに掴んだ、あの感覚が切っ掛けと言えるだろう。


 これを姉に伝えるべきか否か……変身ヒーローについてはまだ、秘密にしておきたい。

 バレるにしても、「え? 貴方が変身ヒーローだったの?」みたいな感じで驚かれたい。まぁ、まだ変身できないけど。なら、スマホだけ見せればいいか。


 俺は、右手を何度か握ったり、開いたりする。まだ、疲れからか魔力の流れがぎこちない気がするが、スマホを創り出す位はできそうだ。


 右の掌を姉に向けて、ゆっくりと魔力を流し込む。

 え? なに? とか言ってる姉の目の前で徐々に形を成し、やがて、魔力がスマホを模った。


『これが切っ掛け』

『スマホ? え? もしかして、日本に繋がってる?』


 俺は首を横に振り、姉に画面を見せる。


『なにこれ、真っ暗でアイコンが一つも無い? それとも、電源が落ちてる? 基本的な、電話とかメールのアプリは? それよりも、貴方、無駄なことにチートを費やしてしまったわね』

『チート?』

『ああ、えーと、転生する時に、祝福とか加護とかギフトとか、何かそういう感じの物を貰わなかった?』

『貰ったけど……無駄って?』

『だって、ここは異世界なのよ? 電波も、Wi-Fiも、LTEも、GPSも無いのにどうやって使うのよ? そもそも、本来の使い方、電話やメールをやり取りする相手がいないじゃない。ここじゃ、誰もスマホなんて持ってないわよ?』


 その言葉を聞いて、俺は項垂れるしかなかった……



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