パルクール


 部屋に訪れたのは、十七、八歳位の若い茶髪のお手伝いさんだった。彼女はキョロキョロと室内を見廻すと、


「今、どなたか、こちらにいらっしゃいませんでした?」


 と、ドキリとする質問を投げかけて来た。


「ごめんなさい、魔力症が終わって、ちょっとはしゃぎ過ぎたかも? うるさかったかな?」


 彼女は、まぁ、と口元を押さえながらクスクスと笑う。


「分かります。アタシも魔力症が終わった時、嬉しかったですからね。良かったです、お元気になられて。でも、今は夜中ですから、静かにしていないといけませんよ?」

「はぁい」


 なんとか誤魔化せたようだ。


「本来は軽く様子を見るだけだったのですが、折角ですし、お身体をお拭きして、お着替えも致しましょう」

「えー、いいよ、別に汗もかいてないし、このままで」

「駄目ですよ、清潔にしておかないと、将来女の子にモテませんよ」

「別にモテたいとは……」

「ホラホラ、我儘を言ってアタシを困らせないで下さい。大体、アタシが何度レオ様のおしめを取り換えたと思ってるんですか。これがアタシの仕事なんですから。このまま何もしなかったら、後でマーサさんに怒られちゃいます」


 そう言いながら、彼女は俺の寝巻と肌着を剥ぎ取ってしまった。新人っぽいと思っていたのだが、なかなかの手練れである。


 そうして、彼女は部屋の隅に置いてある手桶を取って来て、テーブルに置いてあったポットを手にすると、ポットの底の方を弄る。ブゥンという音がして、ポットを手桶に傾けると、お湯が注がれた。


 これも、魔導具のようだ。暫く注いだ後、彼女が手を翳すと水が手桶に注がれる。そして手を入れて手桶の中をかき混ぜると、丁度良い温度になったのだろう、エプロンから布地を取り出して、手桶に浸す。

 魔力症の期間中によく見た光景だ。


「こうして、レオ様のお身体を拭くのは久しぶりですねぇ」

「そうだっけ?」

「ええ、ここの所フロレンティア様とずっと御一緒だったでしょう? アタシたちの出る幕が余り無くて……」

「そういえば、母さんたちは何処へ行ったの?」

「なんでも西の森の魔獣討伐だとか」

「へぇ、大丈夫なのかな?」

「あのフロレンティア様ですよ? 大丈夫に決まっています」

? 母さんに何かあるの?」

「そうですねぇ……それは御本人様にお尋ね下さい。きっとフロレンティア様も直接お話したいでしょうから。……さ、これでいいでしょう」


 そういって彼女は、クローゼットから新たな寝巻を取りだすと、俺に着させてくれた。


「どうです、少しサッパリしたでしょう? そういえば、夕食をとって無いと思いますが、今から何か軽く摘まめる物でもお持ちしましょうか?」

「ううん、別に要らないよ」

「そうですか? 間もなく日が昇りますが、料理番にはレオ様の朝食を用意しておくよう伝えておきますね。他に何か御用はございますか?」

「うーん、特にないかな? ありがとう、お疲れ様」


 そういうと、彼女は一度目を見開いた後、ニコリと笑い、何故か俺の頭を撫でて退室していった。


 再びベッドに腰掛けると、そのままゴロリと寝転がる。色々な事が思い浮かんでは消えていく。


 そうして、俺はスマホを具現化しては消し去るという行為を何度も繰り返した。

 最初は何かの拍子にスマホを連想した途端、スマホを具現化してしまうのでは? という思考実験の様な物だった。


 何度も繰り返している内に、ある事に気付く。自分の中にある力というか、エネルギーの様な物が流れ込んで、それがスマホを模っているのだと。

 流し込む力を抑えると、ゆっくりとスマホが模られ、一気に流し込むと、一瞬でスマホが出来る。


 そして、スマホを維持している間、ほんの少し、本当にごく僅かなエネルギーが流れ込んでいるように感じられ、スマホを消すとそのエネルギーも何処かへ霧散してしまっているように感じられた。


 この辺りの感覚は何となく掴み難い。それというのも、未だに身体の奥から力が溢れてくるような感覚があるからだった。

 このエネルギーの様な物が魔力なのだろうか?


 そんな事を繰り返している内に、徐々に室内が明るくなってくる。

 俺はランプの明かりを消し、窓辺に寄ると、窓を開けた。ヒヤリとした空気が流れ込んできて、少し肌寒いが、そのまま外の様子を眺める。


 遠くの方にある山の頂には、雪が積もっているのか白い部分があった。

 庭を見下ろすと何も植えられていない花壇があり、側に高い石造りの壁がある。壁の向こうには民家がポツリ、ポツリとあり、その向こうには大きな湖があった。

 あの湖の畔で母や姉、お供の人達と散歩し、昼食をとった事があるのを思い出す。


 やがて、左手の方の空から明るくなってくると、小鳥達の鳴き声が聞こえ出した。そして、俺のお腹の鳴き声も聞こえた。

 空腹を覚えた俺は、室内履きを突っ掛けると部屋から廊下へ出る。階下の食堂に向かう途中、マーサに見つかった。


「まぁ! 坊ちゃま、寝巻のままで! だらしない!」


 怒っているマーサに抱えられると、部屋へ連れ戻され、強引に着替えさせられる。更に、部屋の窓を開けっ放しにしていたのも良くないらしい。


 空気の入れ替え自体は構わないのだが、室内には温度を一定に保つ魔導具が設置してあるので、長時間、窓を開けっ放しになんかすると魔力の消耗が激しく、魔石を頻繁に交換しなくてはならなくなるのだそうだ。


「ユッテからレオ様がお元気になられたと報告を受けて居りましたが、フロレンティア様がいらっしゃらないからと言って、いえ、いらっしゃらないからこそ、身だしなみはキチンとして下さいませ」


 今朝のお手伝いさんはユッテというのか。そんな事を考えつつ、マーサの小言を聞き流しながら、食堂に着く。


 十人位着けそうな長いテーブルの端で、二人の男性が何やら話し合っていた。

 一人は祖父で、赤い髪を短く刈り込み、鋭い目つきに左の頬に十字の傷跡がある。体格は大きく引き締まっていて、何と無く厳つい老人だ。


 もう一人は四十代位の、いつも祖父の側に仕えている秘書の様な人で、線が細く、こめかみから白いものが混じっていて、青黒い髪は丁寧に撫でつけられている。


「おはようございます」

「おお! レオン、元気になったか、重畳、重畳。そうじゃベルノルト、今日一日、元気になった孫と遊ぶという日にしてみてはどうか?」

「お戯れを、フュルヒデゴット様。午前中なら多少の時間は御座いますが、午後からはディッテンベルガー商会との会談が予定されております。こちらから日時を指定した手前、無下にする訳にも参りますまい」

「むぅ、そうであったか。全く、領主の仕事など早く譲ってしまいたいものじゃ」


 そんな会話が繰り広げられている最中、朝食が運ばれてきた。メニューはトースト、ベーコンエッグ、野菜スープだった。


 お手伝いさんが、やりましょうか? と問い掛けてくれたのを断り、トーストにジャムを塗りたくっていると、眠そうな姉がやって来て、祖父達に挨拶をする。

 スカートを摘まんでお辞儀をする様はお嬢様っぽい。


「おはよう、レオ、元気になって良かったわね」


 そう言って俺の傍に寄って来た姉は小声で、後で話がある、と囁いてきた。何の話か問い掛けても、後で、とだけ言って自分の席に着いてしまう。ここでは言えない内容なのだろうか?


 やがて、俺達が食べ終わるのを待っていた祖父に連れられ庭へ出る。

 吐く息は白く、一緒について来たお手伝いさん達と、警備の男性達は少し寒そうにしていた。


 子供なので体温が高いからなのか、余り寒く感じなかったのだが、俺と姉はお手伝いさん達の手によって、厚着させられモコモコになっている。


「よいか、エリー、レオン。魔力症を終えた其方らには既に魔力が宿っておる。魔力を扱うには何が無くとも先ずは体力じゃ。そして体力を付けるには運動じゃ。初めは軽く流す程度じゃから儂についてこい」

「え~お爺様、私、魔法の使い方を教えて欲しいわ。こう、魔法をバンバン使ってみたいの」

「ならん、ならん、前から言っておるじゃろう? エリー、お主の洗礼式はまだ先じゃ。お主はしっかりしておるから危険な真似などせんと思うが、洗礼式を終えるまでは魔術を教えてはならん、という決まりがある。領主自らが決まり事を破る訳にもいかんわい」

「むぅ」


 姉は、腕を組み、唇を尖らせる。


「洗礼式って何? それっていつなの?」

「うん? レオンは知らなんだか……七つになると洗礼という儀式を受けるのじゃ。そこで己の魔力の強さとか、適性が分かる訳じゃな。さ、そんなことよりも運動じゃ、ほれほれ」


 祖父に背中を押されながら走り出す。姉は不満そうだったが、俺自身は動きたくてしょうがなかったので、単純に嬉しい。


 最初はゆっくりと、徐々に速度を上げて行く。自分でも驚く程、身体が軽い。

 そして、地面を踏む足先に俺が魔力だと思っているエネルギーを込めてみる。その脚で地面を蹴ると更に速度が出る。これは凄い。


 面白くなった俺は、その勢いのまま、思いっ切り地面を蹴り、飛び跳ねてみた。グンと浮かび上がる身体。高い塀の向こうの景色が見える。

 そのまま地面にドスンと落ちると、ジーンと足が痺れた。


 そうか、もしかすると着地の時にも足先に魔力を集めておけばいいのかも、と思い付く。


 振り返ると、祖父や姉達がポカンと口を開けて、こちらを見ていた。あんな高いところから落ちたから、心配しているようだ。

 何でもない、大丈夫、という意味で軽く手を振る。


 今の動きで、パルクールの事を思い出す。入院中、何度も観て憧れた動画だった。

 それが今の自分なら出来るんじゃないかと思うと、俺は邸の壁に向かって走り出していた。


 軽く飛び上がって、壁を駆け上がる。一歩、二歩、もう少し行けそうな気もするが、少し怖いので、三歩蹴上がった所で、壁を蹴り後方に跳ねる。膝を抱えながらクルリと回転しつつ、着地の為、足先に魔力を込めた。


 ――ガシリ――と、着地する前に、横から現れた誰かに抱きかかえられる。見上げるとそれは祖父だった。厳つい顔の祖父が眉間に皺を寄せ、更に厳つくなる。


「レオン、魔力の扱い方を誰に習った?」

「魔力の扱い……?」

「なんじゃ? もしかして、無意識にやっておったのか? ほれ、急に速く駆け出したり、高く飛び上がったじゃろう? 後、邸の壁は蹴るな」

「へぇ、あれが魔力……」


 どうやら、身体の奥から溢れてくるエネルギーが魔力で合っていたようだ。


「ガハハハッ! 儂の孫は天才か!」


 無遠慮に高笑いする祖父に俺は抱き締められる。何が嬉しいのか分からないが、少々痛い。痛いというか、骨がミシミシいっている。


 このジジイ、加減を知らんのかと思い、腕と背中に魔力を込め、何とか隙間を作ろうとするのだが、祖父のパワーには敵わない。抱擁から抜け出せずにいると、


「ふむ、意識してか、無意識かは分からんが、確かに魔力の扱いを心得ているようじゃな。幼い子が出せる力じゃないわい」


 そう言いながら俺を地面に降ろしてくれた。そして、しゃがみ込んで俺と目線を合わせる。


「良いかレオン、心して聞くように。これからはその力で無暗に人を叩いたり、殴ったりしてはいかんぞ。大変なことになるからな。幼いお主にはよく分からんじゃろうが、これからも、色々な者がお主に、儂がしたような忠告をしてくるじゃろう。そういう時は素直に聞くようにな」

「はーい」

「フッ、だからと言って、魔力を使うなとは言わん。男の子じゃからな、好きに走ったり、飛び跳ねたりするがよい。じゃが、邸の壁は蹴るなよ? 儂も幼い頃、邸の壁を蹴って、大きな穴を開けたことがある。あの時、儂の祖母にこっぴどく叱られてな、その日は晩飯も抜きで部屋に閉じ込められたわい。レオンにあんな思いはさせたくないし、儂も叱りたくはないからな」


 俺の頭を撫でながらそんな話をしてくれる祖父だったが、最早、撫でるというよりかは揺らされているに近い状態だった。グワン、グワンと揺らされる頭に、少し気持ち悪くなってしまった。

 この人は絶対に力加減を間違っている。



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