20話「雫、砕ける」

※ 今回、多少グロいシーンがあります。お気をつけ下さい。

ーー m(_ _)m ーーー



 かろうじて落ちる寸前で転がる事が出来た雫だったが、何処を打ったのか咳がついて出る。


「うっ! ゲホッ・・・」


 ごほごほと咳をしながらも起き上がった雫は四つん這いになって辺りに目を走らせた。


 地面に這いつくばった雫の目に見たくもない無数の足が見え、地面からむくむくと湧いてくる姿が草の間から見えた。

 暗い草陰で沢山の星を映す複眼がこちらを見ているのが分かる。背筋に悪寒が走る。


(これ、慣れない奴。嫌だ!)


 無意識に目が追った奏汰と男の姿が先ほどより遠くに見えた。そして、悠斗が川の側でこちらを見て立っている。


(やってやるわよ! やらなきゃいけないって分かってるんだからね!)


 雲の上にいたって何も変わらない事は分かっていた。いずれは何か行動を起こさなければいけない・・・そんな事は分かっている。しかし、悠斗のペースで投げ出された事が少ししゃくだった。


 悠斗を睨み、雫は土を蹴った。

 飛び上がるように立った雫に呼応して蜘蛛が体を持ち上げ、そして跳ねた!


 雫は即座に剣を握りしめて横一線に切った、2匹を同時に。雫は跳ね飛んでくる蜘蛛を次々と切りながら雲を生み出す頃合いを探す。


 カマキリが一歩近づいた時、蜘蛛の群が割れた。

 その一瞬の隙を逃さず雫は雲を生み出して飛び乗る。横っ飛びしてカマキリの股の間をくぐって包囲網を脱した。


 ぐいぐいと蜘蛛を後に川岸近くの悠斗をかすめる。


「行って!! 向こうで待ってて!」

「待ってる・・・・・・!」


 悠斗が何かを言っていたが後半は雫の耳に届かなかった。


 大きく弧を描いて草むらの上を通過する雫。

 彼女を追って蜘蛛が跳ね糸を吐き、カマキリが迫ってくる。大鎌をかわし飛び跳ねる蜘蛛をやり過ごしながら一気に上昇する事ができず、しばし低空でサーフした後ぐぐっと空へ駆け上がった。


「行ける!」


 目の端に悠斗の姿が映った。こちらを見てまだ川岸に立っている。


(行って・・・!)


 心で叫ぶ雫の目が草むらに背を向ける悠斗の姿を捉えていた。


 空の高みまで上がった雫は一息ついて下を見下ろしたが人の姿が点程にも捉えられなかった。皆がどうしているか確認するには高すぎる場所まで上ってしまっていた。


「逃げるのに必死で高く上がり過ぎちゃったな」


 少し下へ降りようかと思っていると、耳馴染みのない音を耳にした。


 ふーーん・・・


 それは羽音だと分かった。しかし、蠅や蚊の羽音とは違った音だ。気付いた途端に何かがバサリと雫の頬を叩いた。


「何!?」


 驚き頭を腕で防御する雫。彼女のもう片側を何かがすり抜ける。身を屈める雫の背を何かが叩いた。


「くっ! あっ!」


 その直後に何かが服に引っかかり背後から突き落とされた!


 回転しながら落ちる雫の目に人間サイズの蜻蛉とんぼの姿が映り込む。


 落ちる雫と平行に下降しながら蜻蛉が急速に接近して来る。

 雫は悲鳴を上げながら不安定に回転する体で剣を振るう。闇雲に振った腕に手応えがあった。ブツリと切った感覚が手に伝わりぞっとする。


 一瞬閉じた目を開くと雫の目の前を蜻蛉の頭がゆっくり回転しながら飛んでいくところだった。


 頭を失った蜻蛉の体が錐揉きりもみ状態で羽をバタつかせながら落ちて行く、雫と一緒に。

 まき散らされた体液が雫の体にかかり雫は吐き気を感じたが、地面へ叩きつけられる前に雲を創造して雲に体を預けた。


 ほっと一息つく間もなく背後から追撃を受けた。


「え! 何ッ!!?」


 空へ上がり掛けた瞬間、何かに体を拘束された。3本のバンドで固定されたようだったが確認するとそれは細い6本の腕だった。


「蜻蛉がっ!?」


 きっちりと抱きついた蜻蛉の細い腕は動こうにも身動き一つ出来ない程強かった。蜻蛉の細い足から突き出る棘状の物が服の上から雫の体に差し込み痛みを感じさせた。


 後頭部のそのわずか後方に蜻蛉の頭の存在を感じてぞっとする。

 きっと強力な歯がそこにあるに違いない。強力な上顎が首に食い込んだら、頭にかじり付かれたらと思うと恐怖の波が押し寄せる。


(嫌だ! いやだぁっ!)


「止めて! 離して! 離してーーーッ!!」


 雫の顔から血の気が引いた。足をバタつかせ、もがけばもがくほどに腕が食い込んでくる。さんざん蟲を殺してきたくせに自分の番になると恐ろしい。


(蜻蛉の敵、蜻蛉の敵って何!?)


 蜻蛉の敵を出現させることが出来たら、そう考えたが直ぐには思い出せなかった。蜻蛉の捕食者は誰なのか・・・。はたしてそれを出現させたところで蜻蛉ごとひと飲みにされはしないか。


 迷う雫の背後で閃光が走った。


 後ろの見えない雫には分からなかったが、腕と胸だけを残してトンボがカマキリによって縦に切断されていた。羽ごと胴体を失った3対の足に拘束されたまま雫は落下していった。


「いやぁーーーーッッ!!!」


 半回転しながら雫が見た物は勝ち誇るようなカマキリの姿。その目に逆さまの雫が映り込んでいた。




 地面に落ちてもんどりうつ雫を目指し蜘蛛が我先にと押し寄せる。足に肩に腕に、次々と蟲達の歯が食い込んでくる。


「あああぁーーッッ!!」


 雫の金切り声を切り裂いて蜘蛛どもが晩餐に酔いしれ血塗れになりながら蠢いていた。


 痛い・・・痛い・・・・・・!


 足のあった部分から痛みが走り腕か手の平か分からない部分から激痛が走った。


 引き裂かれてる!


 ブツリ、ボキリ嫌な音が体を伝って脳に激震が走る。体中から発せられる痛みのシグナルが痺れに変わり意識が混濁していく。


 奪い合う蜘蛛に引かれ飛ばされバラバラの体があちこちではぜている感覚が伝わってきた。もう離れ離れで雫とは言えない体の一部だった物を、雫の心がまだ追っている。


 朦朧と開いた目に真っ赤な血が見えた。それはまるで夕日のようだった。




(・・・真っ赤な・・・夕日)


 唐突に視界全面が真っ暗な地面から逆再生されて雫の体が浮き上がる。

 灰色のコンクリートが見え塀が見えてアパートの壁が見え、どんどん飛び降りた階まで体が浮かんで行く。赤く染まった家々の屋根が視界の下を覆い、目の前に広がるのは優しく強烈な夕日。


 落ちたあの日の夕焼けが視界を包む。


 それは記憶の中の夕暮れを次々と引き出して、優しいまどろみの時間に雫を落とし込んだ。


「ぱぱ! まま! また来ようね」


 両手にそれぞれ両親の手を握って遊園地から帰る光景が鮮明に浮かんでいた。それによく似た別の映像が懐かしさを伴って重なる。


 父と母と妹と・・・。4人で手をつないで横つながりで同じ事を言った記憶があった。


 温かい記憶。

 戻らない記憶。

 帰れない時間。


「お姉ちゃんばっかり!」


 妹の舞鈴まりんが怒りにまかせて続ける。


「お母さんが死んでたらお姉ちゃんが学校を諦めて私が好きな学校に行けてたの!?」


 言った本人も雫も息をのみ硬直した。直後、母の平手が舞鈴の頬を叩いた。


「そんな事・・・! 言っていい事と悪いことがあるでしょ!!」


 父親が死んで家計は苦しくなっているのは分かっている。母親が頑張っていることも雫が心苦しく思っていることも、3人共がそれぞれに口にしなくても感じて分かっていることだった。


 それでも言わずにいられなかった。舞鈴の心が雫の胸に流れ込んできて切ない。

 実の父ではないと舞鈴も分かっている、分かっているからこそ良好なこの関係を大切に思う舞鈴の気持ちが痛い。


「舞鈴はお父さんの子だよね」


 確かめるように事ある毎に舞鈴が父にそう言っていたのを聞いていた。


「お父さんの保険金はお姉ちゃんに、雫のために使うのがいいの」


 本当の親子のように父親と仲の良かった彼女にとって、その母の言葉は「あなたはお父さんの子じゃないから」と暗に言われているようなものだ。舞鈴がそう感じていると雫は感じた。感じた以上に言葉に裂かれる舞鈴の辛さが胸に刺さる。


 母の考えを尊重したい気持ちと舞鈴の切ない気持ちの狭間で雫は黙った。どちらの見方も出来ず中途半端な態度になってしまった。


「お姉ちゃんはお父さんの本当の子供だもんねッ」


 自室へ向かう舞鈴に体をぶつけられ、それでも何も言い返せなかった。ただ・・・、


「ごめん」


 小さくそう言っただけだった。 


 自分が母の意志を尊重したいと思うのは本心なのか雫にも分からない。母の気持ちに逆らって嫌われはしないかと心の何処かで保身が働いていたと感じる部分もある。


 お母さんに気に入られたい、雫の心の奥で幼心が良い子を演じさせる。


(戻りたい・・・)


 遊園地からの帰り道、寄り集まった家族で仲良く手を繋いで見た夕焼け。赤い色にどっぷり溶け込んで自分が消えていく。千切れて散り散りになるのとは違った感覚だった。


 雫は体が砕けて粒子になり世界に四散していく感覚を感じていた。


(私が消える!)


 怖くて自分の体を抱きしめたかった、でも体を感じられない。


(ああっ・・・・・・嫌だ、怖い!)


 すがる物を探して見開く目に星々の煌めきが映る。真っ暗な宇宙に星屑のような冴えた銀河が無数に広がる光景があるばかり。


(名前も形も無い誰の目にも触れない物になってしまう!)


 自分が無くなる恐怖に、切なさにぼろぼろと涙がこぼれた。


 こぼしたはずの涙が伝う頬すら感じられず雫はもがいた。消し飛んで空間を漂うだけの雫の欠片が時の波間に飲まれていく。


 多くの星を突き抜けて灼熱の恒星に溶け、通り過ぎて冷やされ凍てついて。


 体が物質に戻った雫が思考のパルスで辛うじてつながっていた。




 嫌だ! 助けて!

 こんな死に方は嫌!


 こんな風に死にたくない!


 人間でいたい!



 触れる物を求めて雫はもがき叫び続けていた。


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