21話「輪廻の結び目」

 粒子になって四散した雫は自分を感じながら、自分が宇宙の一部になったのか宇宙が自分なのか混沌とした感覚の中にいた。



 嫌だ・・・


 人に戻りたい、やり直したい

 帰りたい!


 こんなの嫌だよ



 雫の叫びは声にならず波紋となって宇宙空間を漂い、無音の宇宙空間に雫の感情だけが虚しく広がっていった。音もなく時間も感じられず、ただ永遠の一瞬に捉えられているような感覚が雫の焦燥感を掻き立てる。


 どれだけそうしていたのか、それがほんの一瞬だったのか雫には分からない。



 あっ・・・光が・・・・・・!



 体を突き抜ける光を感じて雫の心が跳ねた。


 雫の心の中心をすり抜ける感覚。その直後に雫は感じた、雫の思いが重みを持って彼女だった粒子を急速に引き寄せていることを。



 ああぁ・・・!

 ここにいる、私がここにいる!



 体を抱きしめることはまだ出来ないけれど、確かに雫だった粒がここに集結している。漂いながらそれでもちゃんと自分だと分かった。


 急に目眩めまいに似た感覚に襲われて、目の前に広がる数々の煌めく銀河が線を引いて後方へ飛び過ぎていくのを雫は見た。



 なんて綺麗なんだろう・・・



 銀河の生む光の線がやがて合わさり見えている世界の全てが光に変わる。と、唐突に真っ暗になった。驚く雫を真っ暗な闇が飲み込んでいく。



 止めて、今度は何!?

 嫌よ! バラバラになりたくない!


 せっかく集まったのに!



 自分でいたい、この存在を消したくないと雫は強く願ってその場に留まろうともがく。


 しかし、あらがいがたい強力な力で闇が雫を飲み込もうと引き寄せる。必死に空をかく雫ごと周りの全てを引き寄せて、あっと言う間に焦る雫の心ごと黒い深淵に落ち込んでいった。



 あああーーー・・・!



 心の声が押しつぶされて、もの凄い力に組み伏せられた粒子の雫が凝縮していく。雫は喜びに震えた。



 あぁ・・・私にかえっていく



 思い思いに浮いていた粒子が繋がりあい形を成していくのを感じる。雫の心が粒子と共鳴し、その振動がひとつひとつの粒子に波及していくのを感じる。



 ああ、これが私。

 全部、私!



 雫は心で泣いていた。

 無音の世界で自分の体を感じて声にならない泣き声をあげる雫は、まるで産声を上げる赤ちゃんの様だった。


 遠い遠い幼い記憶が引かれて浮かぶ。




 真っ白なウエディングドレスを眩しい眼差しで見上げた記憶、新しい母の輝かしい姿が目の前にあった。愛する人の側で幸せの光を放つ母を憧れて見つめる。


 子供ながらに思った雫の気持ちがシャボン玉みたいにふわりと思い出された。


(新しい家族の始まり、私の家族の生まれた日)


 うきうきとわくわくと弾むその胸に、生みの母の写真を持って立っていたあの日。


「雫ちゃんのウエディング姿を見るのが楽しみ」


 生みの母に言われたような嬉しさを感じて私もきっと・・・と純白のドレスに触れながら雫はそう思った。それはつい先ほどの事のように思える。


(いつかウエディングドレス着て・・・って思ったのにッ!)


 悲しみが生んだ怒りが景色を吹き飛ばし、暗転したあと急速に時間が流れて行った。




 時間の波が未来を映し彼女の前にウエディング姿の雫が立っていた。

 雫好みのシンプルで細やかなウエディングドレスを着た自分。落ち着いた大人の女性になっていて雫自身驚きを隠せず目を見張る。


(これが私!?)


 あの日の母に負けぬ幸せな表情で幸福に酔いしれる雫がいる。

 友達から同僚や親戚から祝いの言葉をもらい、目を潤ませて時に涙をこぼしてきらきらと輝いている雫がいた。


(なんて幸せそうなんだろう!)


 幸せに満ちた大人の雫が涙の光る瞳を隣に立つ青年へと向ける。その瞳に誘われて雫は青年の顔へ意識を向けた。


(私の結婚相手って・・・どんな人?)


 目の前に立つ自分の傍らに寄り添う青年が誰なのか、切ない程知りたくて心を寄せる。伸ばしかけた手が触れかけた瞬間、突然目の前にあった未来が消えた。


 あっと言う間に再び暗転して伸ばしかけた手がくうをまさぐる。


(待って、誰か知りたいの! 見せて!)


 行けたはずの未来、巡り会えただろう人にもう出会うことはない。


(私・・・投げ出してしまった!)


 今、目にした未来の幸せから現実を突きつけられて、雫は悔しくて悲しくて腹立たしかった。


(夕日に抱きしめられたいとか・・・何て馬鹿なの!?)


 馬鹿な自分をなじり叩きたい。けれど、それが出来たところで夕日にダイブしたあの瞬間には戻れない。


(逃げてただけじゃない!)


 切なくて悲しくて悔しくて、掴めない闇の中で雫は身悶えしていた。


(母さんや舞鈴と向き合うことを避けて、逃げてただけッ)


 握りたい拳もまだ無く当たり散らす物もなくて、歯噛みする歯すら感じられない。有るようで無い体が闇に同化していく。


「生きたい!」



 あの未来を生きたかった!

 逃げ出さずに向かい合っていたらその先に・・・



 未来を知らなかったからなんて命を投げ出した理由にはならない。雫はあの幸せな未来をみすみす投げ出した自分が呪わしくさえ思えた。


 聖母のような眼差しで赤ちゃんを抱く自分の姿が瞬間よぎって雫は見開いた瞳を凝らす。

 極上の幸せな瞬間の思いが雫に流れ込んできて、雫は心の奥底から狂おしく叫んでいた。



【 死にたくなかった!!】



 シャァーーーンン



 高く響きわたる金属音と共に雫から光がほとばしり驚く。





 波打つ川の岸辺に光の霧が生まれるのを死者たちは見た。


 夜の闇と空に煌めく星々に見つめられて、星屑の様に光る細かな粒が人の形を作り上げる。その傍らに男の子が立っていた。


 彼が差し出したその手に透明に輝く手が触れる。光は形を整えて知るものが見ればすぐに「雫だ」と気付く程にはっきりとしていった。


 男の子に手を取られ雫がふわりと地面に足を着ける。


「お帰り」


 見知った顔が優しく見上げていた。雫は男の子に気付いて声を出そうとしたが上手く喉を使うことが出来なかった。


「輪廻の輪の途切れた片側、捕まえられたね。君は結び目に帰って来れたんだよ・・・雫」


 しっかりと地に着いた自分の足を見下ろして雫は不思議そうな顔をする。

 ふわふわとした感覚が未だに残っていて、彼の言葉がにわかには信じられなかった。雫は男の子を見つめ、男の子も真っ直ぐに雫を見つめ返す。


「・・・本当に、私戻れた?」


「そうだよ」


 雫は辺りを見回し草原が広がっていることを確認する。そして、雫の目の前に横たわる静かな川が流れているのを見た。一歩足を進めると足下から石の擦れ合う音が聞こえた。


 夜空には星々が光り星が流れ、優しく見下ろす月がある。

 雫の頬を涙がひとつ流れ落ちた。


(戻ってきたんだ)


 彼女の側に立つ男の子の体が柔らかく光り、彼が翼を持つ青年の姿になるのを雫は見ていた。その青年の顔をいつか何処かで見た気がした。


「さぁ、川に入って結び直しておいで」

「やっぱり・・・天使だったの?」


 輝く青年は微笑みながら首を振る。


「見守っているよ、いつまでも」


 何もしてあげられないと言いながら、この人はずっと雫を気にかけて見守っていたのだ。


「ずっと?」


「ずっと。 ーーー君の初めから君が昇華される未来まで、ずっと」


 彼の心に、翼を持つ青年の姿になった彼に何百年という長い時間の事が思い出されていた。

 雫は輝く青年に促されるまま川縁まで歩いた。


「名前を教えて」


 振り返って投げかけた雫に、


「君の好きなように呼んでかまわないよ。僕は君の呼びたい名の者になって見守るから」


 名が付く期待をかき消しながら彼はそう言った。


 神に逆らい輪廻の輪を断ち切って以来、多くの人を何度も送っては迎え川へと促してきた。

 何度も巡り会う魂に、今まで名を与えられたことはない。これまで会話すらほとんどしてこなかった。儚い期待を口にして切なく思う日々を思う。


 物思いにふける彼を見つめ、雫は少し迷って呼び名を探す。


「・・・運命の人、でもいい?」


 輝く青年ははっとした顔をして、泣きそうに笑ってそっと頷いた。


「ありがとう」


 震える心を押し殺して青年が言葉を返す。


 彼の返答に微笑み返し、雫がたぷたぷと寄せる水に躊躇しながらも一歩踏み出した。そっと・・・、ゆっくり水面に下ろした足先から確かな感触が伝わってくる。


(はぁ・・・)


 声も出せぬ安堵感に雫は思わず溜息をもらしていた。

 体重をかけた足にもう片方の足も添えて立った・・・その時、足下から虹が広がって行くのを見た。


「虹が!」


 川面に虹色の光が拡散して雫は驚く。そして、虹は彼女を招くように一直線のラインになって対岸に延びていった。


 雫の進むその先に香織が相沢が、悠斗や奏汰がいる。そして、きっと両親も。

 しっかりと踏み込んで雫が歩き出す。その背を青年が微笑みながら見つめていた。


「ありがとう、雫」


 彼の翼が星屑になり風にそよいで夜空に流れていく。


「君のおかげで僕も輪廻の輪に戻れるよ」


 その声は雫には届かない。


「次の世で会おう」


 翼という封印を解かれて彼の姿が人のそれに戻る。


(僕はきっと、君を見つけるよ。君に出会うなら何度でも生まれるから、そして、君を幸せの手伝いをするよ)


 輪廻の輪の結び目に青年も足を下ろす。

 誕生日のケーキに立つロウソクを吹き消す前に願いをかける様に、成し遂げる願いを口にして青年が川の水に足を着けた。



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