19話「行く者、残る者、落とす者」

 柔らかな雲の上から玉石へ足を下ろした奏汰は、まだ頭上に浮かんだままの2人を見上げてから川へと向かった。


「結構な川幅だな、渡し船は何処から乗ったらいいんだ?」


 奏汰と一緒に川縁かわべりに下りた男がのんきな事を言う。


「船なんてないよ」

「泳いでいくのか? そっか、雫ちゃんは金槌かなづちだったんだな」


 奏汰が苦笑いしながら軽く突っ込む。


「それじゃ泳げない奴がここら変だぶついて仕方ないよ」

「じゃぁ・・・どうやって渡る? イルカでも呼んで背中に乗って渡るのか」


 サーフィンのポーズをしながら笑っている男を背に、川の際までやってきた奏汰はごくりと唾を飲む。ひたひたと石を叩く水が奏汰を呼んでいるようだった。


(今度は渡れるか・・・? たった一歩で、結果が分かる)


 俯くように川面を見つめる奏汰の表情が珍しく真剣だった。それを男が不思議そうに見つめていた。


「川の上を歩いて渡るんだ」


「はは、冗談だろ? そんな事が出来たら忍者みたいで楽しいけどな」


 彼等は日が暮れて直ぐに雲に乗った。何の障害もなく飛んできた彼らは一番乗りに違いなく「ほら」と指し示そうにも川を渡る者は1人もいなかった。


「よしっ」


 ひとつ大きく息を吸って奏汰は自分にカツを入れる。足をそっと上げて水の上へ伸ばした。男はそんな芝居がかった妙な間が我慢ならずつい、


「わっ!」


 と脅かしてしまった。


「わぁっ! ・・・・・・あっ」


 男に驚かされて川の方へ飛び退いた奏汰が息を飲む。


「た、立ってる・・・」


 1メートル程しか川へ入っていなかったが奏汰は水の上に立っていた。


 水がたぷたぷと足に当たっているのに浮いている。奏汰の足下の水の数センチ下にある石が水の流れで形を歪めながら見えているのに、透明なアクリル板にでも立っているように沈むことなく立っている。


「すっ・・・げぇ。俺、立ってる。立ってるよ!」


 ジャンプするほどの度胸はなく奏汰は上空のふたりへ手を振った。


「何だこれ、すげえな! おい、どうなってるんだ!?」


 手を振る奏汰とそれを見て驚く男の姿を雫も悠斗も上から見ていた。


「浮いてる・・・みたいね」

「もっと深い所まで歩いてくれたら分かりやすいのにな」

「あ・・・手、振ってる」


 嬉しそうに両手をあげて手を振っている奏汰に雫が笑顔で手を振り返す。


「ふふふ、体操のお兄さんみたいに大きな身振りね」

「ほら、今度は歌のお兄さんの番だぞ」


 男が川に近づいて行くのが見える。


「さて、俺も渡れるといいんだが・・・」


 肩をぐるりと回して男は奏汰に目を向ける。


「俺は、俺の名前は響介きょうすけ。あっちまで一緒に行けるか分からないから今のうちに言っておくよ。俺の名前忘れるなよ、ライブ、絶対来いよな」


 頷く奏汰に頷き返して響介と名乗った男が川に足を着ける。


「ほほぉ、くっくっく。意外にしっかりした感触だな」


 軽くジャンプしたりしているのをひきつった顔で奏汰が見ていた。


「何だか、不思議と光って見えるって言うか・・・・・・何か・・・」


 揺らめく川面に何か映像が見えた気がした。響介はゆっくりしゃがみ込んで水底みなぞこをのぞき込み、ふいに立ち上がった。


「どうしたの? 響介さん」


 返事は無くじっと水を見つめる響介の表情から、今までのおどけた気配は消えていた。




 彼に見えていたのはレールに横たわる自分だった。


 水面の見せる平面的な映像が突然立ち上がって立体的になり、響介を一気に三次元の過去へ死んだその場所へ引き戻す。いや、それは死んだ直後の少し未来。


 電車の下に潜った遺体を回収するためかホームよりやや後方に移動した電車が死体に光を投げかけていた。


 響介の足下で目を見開いたまま片腕や足を失った響介の死体が転がっている。手足が何処まで飛ばされたのか分からない。まだ警察官の姿は見えず駅員が慌てている様子がうかがえた。そして・・・。


「くっっそ! 俺の死体を撮ってんじゃねぇよ!!」


 響介が叫んだ。

 ホームからこちらに向けられた沢山のスマホの明滅する光が腹立たしい。しかし、響介の声など誰の耳にも届かない。


「撮すのは止めて下さい! 道徳心を持って行動して下さい!」


 駅員の声が虚しく響く。


(くそったれパパラッチが!! 国民総スクープ記者だなッ!)


 吐き捨てるように言いながら笑う。


「最初で最後の新聞記事がこれか! 受けるぜッ」


 笑顔を作りながらイライラと左右に行ったり来たりする響介の目がホームの一点に注がれた。

 野次馬をかき分けながら救急隊の人間がやってくるところだった。しかし、彼等の進む先は響介の死体ではなくホームの上。


 ドラマでよく見るシーンのように「大丈夫ですか」「お名前言えますか」と大勢の人間に隠れて見えない誰かに問いかけている。


「何だ?」


 響介がそう思った瞬間彼はホームの上にいた。群がる野次馬の最前列で彼等に体を半分透過させて立っている。


(幽霊も便利なもんだ)


 人混みの和の中に女の人が横になっているのが見える。青白い顔で冷や汗をかいているようだった。


「貧血ですかね、急に倒れたんですよ」


 お節介そうなおばさんが彼女を抱えて救急隊にそう伝えている。女性にざっと目を通した救急隊員が彼女の鞄に付いたバッジに気付いて声をかける。


「妊娠なさってるんですか?」


 女の人が小さく数度頷く。それを見て事の次第が分かった救急隊員がすべきチェックを開始する中、おばさんは見知ったことを喋る口を止められない。


「急に倒れてあの男の人を突き飛ばしちゃって、あの人がホームへ落ちちゃってね・・・」

「後は私達にお任せください。詳しいことは警察の方に」


 手形を感じるほど強く押してきたあの手は悪意ではなかったのか。助けを求める彼女の手だったのか・・・と響介は愕然とする。


 ホームで死体を確認して封鎖を始めた警察官の1人がこちらにやってきていた。


「どうぞ搬送して下さい。話は私の方で」


 おばさんの周りが急にうるさくなる「私も見ました」「私も、私も」、皆がなにがしかの主人公になりたがっているように見えて響介は「けっ!」と吐き捨てて野次馬の中から離れていった。


 響介の背後では「瞬間の写真撮りました」「僕は動画を!」と声が聞こえている。しかし、彼はそんな事はもうどうでも良かった。ストレッチャーで運ばれる女性を見ながら響介は涙していた。


「ふっ、ふふふ・・・馬鹿だなぁ」


 涙をこぼしながら笑っていた。


 誰かが自分を突き落としたとそう思っていた。それがバンドメンバーの誰かかもしれないと皆の顔を思い浮かべた自分が情けなく悲しく愚かしく思えた。


(バンドすげ替えでボーカルの俺だけデビュー、そんな話に乗っかっちまった馬鹿の末路まつろだ)


 しゃがみ込み顔を覆って泣いた。


(誰を呪う? 誰の顔を拝みに下りて行くって?)




「笑える」

「・・・響介さん、どうしたの?」


 奏汰には響介がただしゃがんでいるだけにしか見えなかった。


「先に行けっ」


 響介に足を叩かれて奏汰が先に数歩進む。その様子を雫と悠斗は気を揉んで見ていた。


「どうしたんだろう?」


 もめているようにも見えるが、奏汰はゆっくり歩き出し男はしゃがんだままだった。


「悠斗君、悠斗君も行って、ふたりが困ってるなら手を貸してあげて」


 悠斗がじっと雫を見つめる。


「悠斗君はもう行くべきだよ」


 雫は精一杯の笑顔を向けた。


「私は私で何とかする。自分でやらなきゃいけない事だから」

「あいつらも自分のことは自分でだよ」


 悠斗が笑う。


「いいから、ちょっと背を押すくらいの手助けはありだと思うし」


 眼下を見下ろせばふたりが結構先に進んでいた。大声を張り上げれば届くかどうかという距離まで。


「皆、自分のことは自分で・・・ね」


 そう言いながら川を見下ろす悠斗は何を思うのか。そして少し離れた位置から雫に握手を求めて手を差し出した。


「頑張れよ」

「・・・うん」


 雲の端に手をかけて身を乗り出し、悠斗へ雫が手を伸ばした。


「悠・・・・・・!」


 強く引かれて雫の体が雲をすり抜ける。


(うそ・・・!?)


 手は握られず手首を悠斗に力ずくで引かれて放り出され、あっと言う間に雫の体は空中に投げ出されていた。


「悠斗く・・・ん!!!」


 飛べばいい、また雲を作って乗っかればいい。冷静ならそうしただろう、そう出来たに違いない。


 片手をこめかみに当て敬礼をする悠斗の姿が見る見る遠のいて、よろいの擦れあう嫌な金属音が背筋を怖気おぞけさせた。



 不意打ち、驚き、恐怖。

 悠斗が何故そうしたか聞かずとも分かる。


 だから・・・。


 それ以上の言葉が口から出てこなかった。




 夜の闇より黒いシルエットの目が光る。

 雫がカマキリの目の高さを過ぎてどんどん落ちていく!


 猫なら身を反転させて地面に着地するに違いない、出来るならそうしたい。雫はじたばたともがきながら必死に恐怖と戦っていた。



 どうする!


 どうする!?



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