ザ・ヒトデ男

早川

ザ・ヒトデ男

 そのホモ・ヒトデウスの死は世間に衝撃を与えた。

 ナンバー二十と呼ばれていた個体は、大都会の路上で、腹部を下にした状態で事切れていた。四肢には中線に赤線が引かれており、身体には砂が被せられていた。

 第一発見者は早朝ランニングをしていた男性で、最短記録になるはずだった彼のタイムは更新されることはなかった。

 そしてこのマラソンランナーも、集まってきた野次馬も、この事件が数々の無意味な議論と経済効果と、ヒトデウス社会の崩壊を招くとは、夢にも思わなかった。


 ホモ・ヒトデウスとは、ホモ・サピエンスから分化した生物である。

 形態的にはホモ・サピエンスとはほとんどと言っていいほど差がない。多くの哺乳類と同様に四本の脚があるが、尾はない。犬歯は小さく、頭部が大きい。唯一の形態的差異は体毛で、ホモ・サピエンスより若干濃くなっている。

 しかし、その生活様式は大きく異なる。

 まず、二足歩行はせず、通常は腹部を上にして大の字に寝転がっている。移動するときは足と腕を巧みに動かし、屈伸運動によって地面を這うようにして移動する。

 食事をするときは、空腹を感じるとまず腹部が下になるように体勢を変えて、視覚と嗅覚で餌の場所を感知する。感知した餌は手で採取し、口へ運んで摂取する。

 彼らは主に植物食者であり、主に地面に生えている草を食べているが、稀に昆虫を食べる姿も確認されている。

 ホモ・ヒトデウスは昼行性であり、夜間は木の葉や枝などで作られた巣の中で眠る。体勢は個体によって様々で、通常姿勢の者がほとんどだが、脇腹を下にしたり、うつ伏せになる者もいる。

 彼らは小規模のコミュニティを作って暮らしている。強い社会性を持つことが確認されており、例えば排泄は一定の場所で行うことが、コミュニティでのルールとなっているようである。

 個体同士のコミュニケーションには、ホモ・ヒトデウス特有の言語を用いる。この言語は、食事、睡眠、生殖に関する幾つかの名詞と動詞で構成されており、形容詞などの修飾語は全くと言っていいほどない。個体ごとに固有名詞をつける習慣はなく、ただ「私」と「あなた」に相当する単語で区別するのみである。


 さてこのホモ・ヒトデウスの出現は、二二一六年にまで遡る。

 この時代のホモ・サピエンス社会は、服装、社会的責任、創造活動等について互いに監視し、一つでも普遍的なホモ・サピエンスの条件と一致しないと判断された場合、該当する個体を排除するという行動が見られるようになった。排除された個体は、働き口がなくなり、彼らは食料を手に入れることすらできないのである。

 この「普遍的ホモ・サピエンスの条件」は共同体によって異なるため、社会全体でホモ・サピエンスとしてのアイデンティティを保つことは非常に困難であり、神経系に異常をきたす個体が続出した。草野球大会でエラーしチームを優勝させることができなかった個体がノイローゼになり、首都交通を麻痺させたというニュースは記憶に新しい。

 ホモ・サピエンスの条件とは霊長目ヒト科ヒト属に属していることではないのか?何故ただ生きているだけの生活は許されないのか?

 一部の個体は、この監視社会を見限って、ホモ・サピエンスとは別の生物として生きることを決意した。


 彼らは「人間」としての最後の仕事として、B地区の南端に位置する山林を買い上げ、一部を切り開いて「村」を作った。財産を、衣服を、地位を、名を、プライドを捨て、「村」へ移住した彼らは自らをホモ・ヒトデウスと称した。

 彼らはこの恐ろしい監視社会の原因は文明社会そのものだとし、ホモ・サピエンス社会に依存することを避けるため、生命維持に必要な分だけ、最低限の植物を食べた。そうすることで、残しておいた植物が繁殖し、慢性的な飢えから解放された。太陽の下で生き闇を恐れた。夏は活動的に、冬は静かに暮らした。


 ここで重要なのは、この時点ではホモ・ヒトデウスとは未だ概念に過ぎないということである。つまり、ホモ・サピエンスから分化したというのは、この「村」を作り上げたホモ・ヒトデウス側の主張であり、生物学的にはなんの差異もないのである。

 彼らの主張は、自称他称含め、生物学者たちには到底受容できないものであった。いくら食性や生活様式が異なるとはいえ、ホモ・サピエンスと同一の遺伝子を持つ以上、別種とするのはありえないというのだ。その一方で、このままホモ・サピエンスとホモ・ヒトデウスが混血することがなければ別種として認定すべきではないか、という案も一部では提唱されていた。


 しかし、大衆のほとんどはこの議論を知らなかった。ホモ・ヒトデウスが分類学上どういう立場にあるかなど、どうでも良いことだった。彼らの関心は別にあった。ホモ・ヒトデウスの生態は監視社会に対する潜在的フラストレーションに対する特効薬であり、感化された者たちが次々と「村」に押し寄せた。彼らと同属になる条件はなく、ただ彼らと同じように振る舞いさえすればよかった。ホモ・ヒトデウスとなった者は、政府の統計によれば二二一八年に最大で人口の十三パーセントを占めた。

 ホモ・ヒトデウスブームはホモ・サピエンス社会の生産活動にも大きく影響した。彼らの牧歌的生活はある種の懐かしさ、詩的なものを想起させ、癒しコンテンツとして消費された。生態をロマンチックかつ哲学的に味付けした解説本や、カレンダー、写真集が多くのホモ・サピエンスの手に渡った。彼らの心情を声優に声を当てさせた妄想番組の視聴率は九十二パーセントにも及んだ。

 特に、絵本作家アーキゴナスター氏のホモ・ヒトデウスとの心温まるふれあいを綴ったエッセイ「山とヒトデウスと私」は大変よく売れた。

「村」の見学ツアーやふれあい体験が企画され、物見高いホモ・サピエンスの注目を集めた。もっとも、ふれあい体験は特定の変態によってホモ・ヒトデウスを慰み者にする事件が多発したため早々に中止となった。


 自由の聖地、類人猿の理想郷にも見えたホモ・ヒトデウス社会であったが、その幸福も長続きしなかった。

 徹底的に衛生管理された清潔な社会を拒絶した結果、多くのホモ・ヒトデウスが感染症の犠牲となったのだ。特にホモ・サピエンスの間でインフルエンザと呼ばているウイルスは、短期間で瞬く間に流行し、多くの個体を高熱や頭痛で苦しめた。

 この病はホモ・ヒトデウス社会では度々重症化し、ホモ・ヒトデウスは二年間で最盛期の二十パーセントにまで減少した。


 この問題に対して、世論は今はどうあれ、元は人間である以上ホモ・ヒトデウスを保護するべきだという人類皆兄弟派(以下兄弟派)と、勝手に人間社会から出ていった連中に一銭の金も払いたくないという自己責任派(自責派)という派閥に分かれていた。

 今後のホモ・ヒトデウスの処遇に関する電子上の議論によって、両者はこの件に関する社会的責任を果たした気になっていた。


 自責派の多くは過激な論調の論文を多数発表し、掲載媒体の売上増加と廃刊に大いに貢献した。特に過激な自責派の学者E.N.ジョー氏は声高に叫んだ。放っておけば良い!理性を維持できない者どもなど!百年前には既に犬は服を着て海豚には方言すらあったというのに!

 またジョー氏のシンパや、ホモ・ヒトデウスのことはよく知らないがストレスが溜まっている個体群が「村」へ押し寄せ、ありとあらゆる暴力を振るった。


 そんな自責派の反応など一向に介さぬ兄弟派は慈善団体を作り、ホモ・ヒトデウス保護センターを設立した。保護センターは「村」を保護区とし、感染した個体は隔離して薬を投与し、感染していない個体にはワクチンの接種を推進した。センターの職員は、初めは臆病なホモ・ヒトデウスに警戒され、酷い仕打ちを受けた者もいたが、博愛精神と多少の世間体を保つための保身による努力、何より、「村」へ介入することの対価であるミルクがゆや粉ミルクの功績によって、少しずつではあるが受け入れられるようになっていった。

 こうした保護活動への世論の支持や、如何わしい目的で保護区を訪れたホモ・サピエンスが保護区内で繁殖した病原菌を持ち帰ったことによるパンデミックにより、政府も保護区の存在を無視できなくなった。与党の支援者の多くが兄弟派なこともあり、当時の大統領O・ショーク氏の英断によって、二二二六年に保護区は新設されたヒトデウス福祉課の管理下に置かれることとなった。


 しかし、二二三十年に自責派のジョージ・イーンケン氏が大統領になってからというもの、かの有名な「俺だって美人の職員から粉ミルクを飲ませてもらいたかった」という声明と共に、センターへの予算は大幅に減少した。

 同年、センターはホモ・サピエンスの保護無しでも生活できるよう、若いホモ・ヒトデウスを集め、センター職員や乱入してくる自責派と交渉するために必要な言語や、食糧の生産管理の方法について、近隣の大学と共同で教育を受けさせた。

 ヒトデウスの基本姿勢はホモ・サピエンスと異なるため、彼らの体勢に合わせた農業技術などが考案された。彼らの多くは保護区外に関心のある個体や、コミュニティでの生活に不満のある者がほとんどで、積極的に教育を受けている様子であった。うまくすれば、来年には第一期生を保護区へ戻せる予定であった。


 そのような中で起きたのが、あの白昼の惨劇だった。

 死んだナンバー二十は未来のホモ・ヒトデウス社会を担うはずの、教育を受けた若いホモ・ヒトデウスのうちの一体だった。養成所の中では特に優秀で飲み込みが早く、指導者としての活躍が期待されていた存在だった。


 この事件は、世間からは自責派の犯行とみなされた。これまでの自責派の過激な言動から考えれば、至極自然な反応と言えた。この件については兄弟派だけでなく、大半の無関心な人々からも、多くの批判的意見が見られるようになった。自責派を非難しないことはホモ・サピエンスの条件ではなかったからである。

 この件が自責派の仕業だという物的証拠は見つかっていなかったが、大衆にとって捜査の結果は重要ではなかった。ホモ・サピエンス社会は怒りとそれに伴う快感で湧き立っていた。確固たるアリバイがあるにもかかわらず、E.N.ジョー氏はホモ・ヒトデウスのことはよく知らないがストレスが溜まっている個体群にリンチされた。議論は言語活字問わず広範囲で行われたが、真犯人の解明に繋がるような情報は得られなかった。

 その後ホモ・サピエンス社会では芸能界を激震させる大物俳優腹踊り事件があり、ナンバー二十死亡事件を話題にする者は減少の一途を辿るのみであった。


 事件が論壇から、そして大衆の記憶から消え去った頃、犯人が警察によって逮捕された。

 犯人は兄弟派の第一人者であるアーキゴナスター氏であった。

 この事件現場に真っ先に駆けつけたことで知られるホモ・ヒトデウス至上主義者は、ナンバー二十の悲惨な遺骸の前で、泣きながら笑いをこらえていたのだ。

 氏は教育を受けた個体が保護区に介入することにより、ホモ・ヒトデウスの伝統的な生活が破壊されることを恐れていた。遺骸の装飾はホモ・サピエンス化しつつある若い個体群を厳しく弾劾するためだった。


 彼はヒトデウスの原始的で慎ましやかな暮らしぶりを愛していた。惑星のサイクルと同期する独自の哲学を愛していた。しかし実際彼が愛していたのは、彼らの生活を眺め得られる牧歌的で甘美な幻想であって、個々のホモ・ヒトデウスに対する権利や実際的なメリットやデメリット、そして彼らの言語化されない猥雑な欲望については、完全に頭から抜け落ちていた。むしろ、意識して忘れようとしていたのだった。


 しかしながら、アーキゴナスター氏がいくらホモ・ヒトデウスの伝統的生活を愛していたとしても、彼らはもうホモ・サピエンスの援助なしで生活することは非常に困難と言わざるを得なかった。一度保護センターの職員に食事を貰えることを覚えてしまうと、わざわざ植物を探しに森へ入ろうとする個体はいなかった。今ここで粉ミルクの供給を絶ったとしても、彼らは決して森に戻ろうとせず、何れ飢餓で絶滅するだけだろう。もはや積極的というより、消極的理由でホモ・ヒトデウスを教育せざるを得ない状況だったのだ。

 この件に関しては、多くの批判的意見がヒトデウス福祉課に寄せられた。あのような悲惨な事件があったのにまだ教育を続けるつもりなのか。アーキゴナスター氏のしたことは許されることではないし、教育しなければ彼らは生きていかれないのは分かるが、彼らのアイデンティティを潰すのは如何なものか等々。

 ホモ・ヒトデウスのホモ・サピエンス化に関しては、明確な答えの存在する問題ではないことは、多くの個体は薄々理解していた。分かってはいたのだが、この件について何もしないで放っておくのはホモ・サピエンスの条件に反するので、何とか解決策を見つけようと議論を重ねた。


 結論が出ないまま、第一期生が保護区へと戻る日が来た。ナンバー二十を失ったことは保護センターの面々を落胆させたが、それはナンバー二十がずば抜けて優秀だったからであり、他の個体では指導者が務まらない、ということではなかった。彼らによって、ヒトデウス社会は徐々に秩序を取り戻していった。農耕と牧畜を覚え、所有の概念を学び、組織が構築されていった。

 保護区を出てホモ・サピエンスと同等の生活をする個体も現れ始めた。第一期生が持ち帰ったものは、生活のための技術だけではなかった。保護区では麻雀が大流行し、鬱蒼としげる森の中に木の枝で作られた雀荘が誕生した。娯楽を知ったホモ・ヒトデウスの関心は、自然と保護区の外へ向けられた。自然から離れていく状況を苦々しく思う老齢のホモ・ヒトデウスからの戒めを鬱陶しがるあまり、より保護区から離脱する動きは加速した。もはや保護区には、高齢のホモ・ヒトデウスばかりになってしまった。


 そして二二五三年、九割のホモ・ヒトデウスがホモ・サピエンス社会で生活するようになった。ヒトデウス保護センターは廃止となった。残った一割のホモ・ヒトデウスは、サファリパークの一角で暮らすことになった。

 保護センターのあったあの長閑な山林の跡には、大規模な工業団地が建設された。工場には多くのホモ・ヒトデウスの就職が決まっていた。

 ある衣料工場に就職の決まったホモ・ヒトデウスは言った。

「人間として暮らす方がいいに決まっているでしょう。わざわざ食べ物のために何日もかけて森中動き回るなんてばかばかしい。人間でいれば食べ物は簡単に手に入る。余った時間でいくらでも楽しいことができるでしょう。何よりこうして生まれたからには、何か社会に貢献したい。ただ生きるために人生の大半を消費するなんて考えられませんよ。僕には耐えられませんね」



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