9 帰りたい空

「今宵の月は綺麗ですか?

 あなたが独りで戦って

 たくさんの言葉を飲み込んで

 頑張りすぎているのなら

 月を見るたびに聴いて


 同じ月を見上げて

 わたしは歌っている

 どんなにあなたを愛しているか」




 ふわっとオレンジ色の光がわたしの周囲に立ち上る。

 わたしはこの光を、影を弾くために使うんじゃない。受け入れるために使うんだ。そして、影の苦しみ悲しみを浄化するために。

 もう一歩前へ出る。

 ユウタの光はシンディーを守っている。だから、わたしはそこから出なくちゃいけない。




「あなたがそこで輝けるよう

 あなたがそこで幸せになれるよう

 わたしは歌うために生まれてきた


 あなたの……」




 光が影の姿を覆っていく。

 影は動きを止めて、身をよじった。


 ——オオォォォウゥ……


 それは泣き声だった。

 根拠なんてない、でもわたしにはそう思えた。

 この人はずっと苦しみながら、泣いていたんだ。想像を絶する孤独の中で、たった一人。

 その苦しみから解放してあげたい。たとえその先が、その存在の消滅という同じものであったとしても。




「あなたが笑っていられるなら

 そこで幸せでいてくれたなら

 なにもいらない


 だから信じていて」




 あなたは、この痣を、この痛みを通してわたしと繋がっているよね。

 一人じゃないんだよね。

 影が光の中へと踏み出す。それに合わせて、わたしも踏み出した。

 ユウタの歌声が背中を押してくれる。

 光を伝って流れ込む影の感情。想像を絶する孤独と悲しみ。それが、徐々に和らいで行くのがわかる。

 そのことに戸惑い、泣いている。

 胸が熱くなり、涙があふれた。

 これはきっと、影の涙だ。影の感情がわたしを通して出てきているんだ。





「同じ月を見上げて

 わたしは歌っている

 どんなにあなたを愛しているか

 あなたがそこで輝けるよう

 あなたがそこで幸せになれるよう

 わたしは歌うために生まれてきた


 この歌があなたに届くように」




 腕を広げて、痛みに怯まないように一気に影を抱きしめる。

 一瞬だけ歯を食いしばって、脳天を貫いた痛みに耐えた。

 痣が黒い染みにあっという間に代わり、身体を飲み込もうと侵食してくる。

 痛い、苦しい、胸が焼けるよう。でも、この人の方がもっともっと、想像できないくらいに苦しいんだ。


 わたしね、あなたとは一緒に逝けない。

 だってあなたを救いたいから。




「帰っておいで、ここへ

 もう戦わなくていいから

 誰も憎んだりしなくていいから


 帰っておいで、ここへ

 君を包む優しい宇宙そらへ」




 光が完全にわたしと影を包み込んで揺らめいた。

 影の侵食が止まる。徐々に痣の色が薄くなり始めた。

 影の泣き声が頭の中に響くけれど、それは絶叫のような咆哮から悲しみの号泣に変わっていた。


 あなたはどんな人だったの?

 辛かったよね、悲しかったよね。もうどれだけ経ったかわからない永い時間助けを求めてさまよってたんだよね。

 どんなに言われたって、同情しないでいることなんてできないよ。

 それならこの気持ちごと、あなたに届けるね。




「……生まれ、消えていく

 広く広くどこまでも続く闇の中で」




 うっすらと影の色が薄くなっていく。

 それは幻なのか、本当なのか。

 わたしの腕の中で泣いていたのは女性だった。軽装の上に防具をつけている。冒険者、だったのかな。

 彼女の記憶が見える。

 なにか遺跡のような場所を歩いている。仲間もいる。そこで、一人だけ時空の狭間へ通じている穴に落ちてしまったんだ。


 見たことも無い、奇抜な色の世界。

 歩いても歩いてもどこにもつかなくて、行き倒れるかと思ったのにそうならない。飢餓状態が続くのに生きている。その苦しみが続く。

 呼んでも誰も答えない。たった一人。

 皮膚が黒く色を変え始めたのは、人ではなくなったのはいつだったのかもわからない。わかるのは永遠に続く孤独と痛みと悲しみだけ。


 帰りたい。

 そんな声が聞こえた気がした。


 うん、帰りたいよね。

 あなたが帰りたい場所はどこなの?

 そこへ帰れるかはわからないけれど、そうなるように願いを込めるよ。




「光らせてあげるから

 優しい風の吹くこの場所で

 風の奏でる歌に乗って眠りましょう」




 彼女が顔を上げた。空を見上げて、かすかに笑った気がした。

 腕の中から次第に彼女の感触が消えて行く。

 腕が空を切った。

 魔法の光がキラキラと輝いて、その中を彼女が歌と一緒に昇っていく。




「帰っておいで、ここへ

 君を包む優しい宇宙そらへ」




 風が吹いた。その風が光を押し流して、空へと消えて行く。

 わたしの長い三つ編みが吹き上げられてはためいた。

 緑色の空を見上げる。

 彼女は帰れたかな。帰れたならいいな。


 両手を見る。そこにもう痣はない。

 身を切る痛みも、悲しみもない。

 だけど、なんていうか、手放しで喜ぶような気持ちにはならないや。

 ただ最後に笑っていたみたいだった、それを信じるしかない。

 たとえ幻だったんだとしても。

 ううん、きっと本当に笑っていたんだ。

 だって彼女と繋がっていたわたしの胸の中は、今とてもあたたかから。


「あ〜! リリアぁ、良かったよぉ!!」

「わっ……!」


 泣きながら飛びついてきたのはシンディーだ。わんわん泣きながらわたしを抱きしめてくる。

 本当に心配かけちゃったな。


「ありがとシンディー。わたし無事だよ。みんなのおかげだよ」

「うん、うううう……」


 泣き続けるシンディーの背中をさすりながら、もうひとつの足音へ瞳を向ける。

 いつもいつも、わたしを心配ばかりして無茶しちゃう人の。


「リリア」


 名前を呼ばれるだけでなにを言いたいかはわかる。

 心配かけやがってとか、大丈夫なのかとか、がんばったなとか、そういうのがない混ぜになった声。

 ほんと、ユウタらしいや。


 なにか言いたげに口を開きかけて、泣いてるシンディーに目を移した。苦笑して、黙ってわたしの頭をなでる。

 やっぱりこういうとこ優しいな、ユウタは。


 ジュンとシーナも、ほっとしたような顔でそばに来てくれる。

 シーナの腕がシンディーごとわたしを包んだ。

 良かった、みんな無事で。本当に良かった。

 優しいシーナの匂い。

 シーナが離れても、シンディーはまだわたしにしがみついたままだ。


「こらチビ、いつまで泣いてんだよ」

「ち、チビじゃ……ないもんっ……ふえっ」

「チビがどかねーとなにもできないだろ」

「ユウタにはリリアあげない、ううっ……リリアぁ〜」


 あはは、二人ともなに言ってんだか。

 でも、嬉しいな。

 その嬉しさと同時に、悲しみがある。

 それは……。


「フィオ」


 そっとシンディーの身体を離して頭を巡らせると、地面の荷物を拾い上げようとするフィオの姿が映った。

 身体を起こした彼女と目が合う。

 フィオの仲間は、助からなかった。それがどんなに辛いことなのか、わたしも家族や同族を嵐で失くしたから多少はわかるつもり。

 だけど本当にはわからない。フィオは知らなかったとはいえ、自分の手でそれをやってしまった。それは後悔してもしきれない傷になっているだろうから。

 フィオがあんなに頑ななのは、そのせいなのかもしれない。


「荷物を持て。行くぞ」

「え、もう?」

「なに呑気なことを言っている。俺たちにはもう水も食料もない。飢えて動けなくなれば時空の狭間から出られないぞ」


 時空の狭間から出られなくなる。それは、長い苦しみと悲しみの始まり。

 うう、もうあんな痛くて悲しい思いはしたくないっ。


「早くしろ。話なら歩きながらでもできるだろう」


 フィオはいつもの調子に戻っているみたいだ。

 それに頷いて、わたし達はそれぞれ荷物を持ち、さっさと歩き出してしまったフィオの背を慌てて追った。





 挿入歌「アルト」https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054892625712


 挿入歌「宇宙へ還る日」https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054917178886

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