5 穴を越えた先で

 それはなんだか、空にでも浮かんでいるような心地だった。

 優しい風が吹いているのが感じられる。でも、自分の手足がどこにあるのかがわからない。その感覚も曖昧だ。

 なにも見えないし、わたしどうなっちゃったんだろう。みんなは?


 風が吹く。ツン……とした臭いがどこかからした。

 なんの臭い? なんかすごく嫌な臭い。

 その臭いはどんどん濃くなって、それと同時に手足の感覚が戻ってくる。ずんと身体が重くなって、なにも見えないのに頭の中がぐるぐると渦を描いた。

 気持ち悪い、めまいがしてる……。


 ——ア、……リリ……。


 あれ、誰かがわたしのこと呼んでる。

 誰? わたしめまいがしてて。ちょっと今気持ち悪いの。


 まぶたの裏に光が差した。

 あ、わたし目を閉じてたんだ。開かなきゃ……。


「ん、んんっ……」


 ゆっくりと瞳を開こうとして、一段と激しいめまいに襲われた。でも、それは一瞬で、まるで波が引くようにめまいはおさまり、代わりにやってきたのは右腕のズキズキする痛み。

 なんか、脇や首の辺りも痛い気がする。見えないけど、痣が広がったのかもしれないな。

 ああ、痛いなぁ。でも、まだ頭がぼうっとする……。


「リリア!!」

「シンディー……」


 一番に見えたのはシンディーの泣きそうな顔。

 そして、その後ろに広がる緑色の……え、なにあれ?


 待って、よくわかんない。どうなってるの?

 背中には地面の感触がある。だからわたしは、仰向けに寝ている状態だということになるよね。

 じゃあ、あの、緑色した空? はなんなの。しかも、オレンジ色した雲のようなものもぽこぽこ浮かんでるし。

 な、なんて色彩……。


「シンディー、ここって……?」

「わかんない。リリアを追っかけてたらいつの間にか気を失ってて。目が覚めたらもうここだったの」


 ゆっくりと頭を横に向ける。そこには、ピンク色の草が揺れていた。

 気を失う前、なにをしていたのかを思い出す。

 ここって、もしかして。


 ゆっくりと身体を起こそうとすると、背中を誰かが支えてくれる。

 そちらへ視線を向けると、優しい顔でほほ笑んでるジュンと、その側でホッとした顔をしているシーナがいた。


「ジュン、シーナ」


 ジュンは、わたしを捜すよりも引き返すのを優先すると思ってた。どうして追って来たんだろう。

 でも、今そんなこと言っても仕方ないよね。もう一回やり直すとか、出来ないんだし。


「川に落ちた時はどうなるかと思ったけれど、良かったわ」


 いつもクールなシーナが、少し声をつまらせて、わたしも泣きそうになってしまう。


 わたし、みんなをきっと巻き込んじゃったんだ。だけど、だけどみんなが無事でいるのは嬉しい。複雑な気持ち。

 みんな……あれ!?


「待ってユウタは!? フィオはどこ!?」

「ああ、慌てないでリリア。あの人はフィオって言うの? 二人ともまだ気絶してる」


 なんでも、一番に目覚めたシンディーが気付けの薬を嗅がせてくれたらしい。

 ジュンが指差した方を見ると、確かに倒れているユウタとフィオの姿が見えた。


「フィオ、苦しそうにしてた。なんで……」


 ジュンに支えられて、よろよろと立ち上がる。

 ユウタも気になるけど、様子のおかしかったフィオが無事か確かめなくちゃ!


「リリア、あの人は誰、なの? リリアあの人のところに行こうとしたよね……? リリアを脅して、えと、あたしたちに攻撃してきたのに」


 ジュンの逆側からわたしを支えてくれたシンディーが、なぜだか歯切れ悪く訊いてくる。


「違うの、本当はわたしのことも、みんなのことも守ろうとしてくれてたの。見ず知らずの他人なのに」


 シンディーが小さく息を飲んだ。

 わたしの手を離すと、フィオの側に駆け寄る。慌てた手つきで、自分のポーチから何かを探し出した。


「フィオ、すごく苦しそうだったの。シンディーなにか薬持ってる?」

「ち、ちが……ごめんリリア知らなくて。あ、あたしあの時、あたしが毒を……」

「えっ!?」


 毒!? いつ!?

 シンディーはフィオには怪我すらさせられてないのに……ううん、違う。

 シンディーは2回フィオに向かって短剣ダガーを投げた。もしかして、あの短剣に塗ってあったの!?


「風が……エルフだって見てわかったから、きっとわたしたちの息をつまらせたの、精霊魔法だって思って。じゃあ、自分の周囲を風で守ってるかなって。その風に……」


 そういうことだったんだ。

 短剣の毒は、フィオの周囲にだけ吹いていた風に混じってフィオの体内に入ったんだ。


「神経に作用するけど一時的なもので……命に別状は、な、ないから……」


 シンディーの声が震えている。その手が、やっと目的のものを探し当てた。

 ポーチから取り出したのは、小さな緑色の錠剤。おそらく薬師であるシンディーが自分で調合して作ったものだ。

 シンディーは、街にいる時にはよくそうやって自分で薬を作っている。猛毒だって調合できる彼女の腕は、街でも一目置かれているくらい。


 その錠剤を、シンディーはフィオの口元に持って行った。あごを少し上向かせ、開いた口の中を一度確かめてから舌下に錠剤を押し込む。


「すぐ良くなると思う。でも……」

「シンディー……」


 知らなかったんだよね、わたしを助けようとしてくれてただけなんだよね。

 そのシンディーをフィオは責めるかな?

 うーん、フィオあんな感じだから、悪態くらいは吐きそうだけど。


「わたしも一緒に謝るよ。わたしのためにしてくれたんだもん、シンディーは全然悪くない」

「うん」


 それでも心配そうな顔をしていたものの、シンディーはそっと立ち上がった。

 わたしの手を引いて、ユウタの方へと向かう。


「ユウタ」


 ユウタは横向きに倒れていた。その髪が、ふいに吹いた風に揺れる。

 その姿に、少し胸が痛んだ。


 心配ばっかりかけてごめんね。ほんとわたし、一人じゃなんにも出来ないね。

 ユウタに安心して欲しいのに、助けられてばっかり。

 わたし、ユウタの歌が届いたから頑張れたよ。


「ちょっと臭うからね」


 シンディーが何かの液体を布に垂らし、それをユウタの鼻へと近づけていく。

 ツンとする刺激のある臭い。これ、わたしが目覚める時にしてた臭いだ。

 ユウタのまぶたが動く。臭いを避けるように首が動いて、そのまま仰向けになった。


「ユウタ!」


 地面に膝を突いてユウタをのぞき込む。

 シンディーもジュンもシーナも大丈夫だったんだから、ユウタも大丈夫よね?


「ユウタ大丈夫?」


 軽く肩をゆすってみる。その手をユウタの手がつかみ、一拍遅れて瞳が開いた。

 いつもの、見慣れた緑色の瞳。

 その瞳が、わたしを見上げて揺らいだ。


「リリア……」

「良かった。ごめんねユウタ、心配ばっかりかけ——きゃ!」


 それは突然だった。わたしの手をつかんでいたのとは反対のユウタの腕が伸び、わたしの首に回った。

 そのまま、頭を抱き寄せられる。おかげで、お尻だけ上がった変な格好になってしまった。は、恥ずかしい!!

 ちょっとユウタ、あんたほんと心配しすぎだってばッ!


「お前さ、ほんっと心配ばっかりかけやがって」

「だから、ごめんってば! ちょ、ちょっと離してよ」

「うるさい、心配かけた罰だ」

「なんで!?」


 も、もう! 意味わかんない!! ユウタのばか!!


「そんなことよりも、なんだここ?」

「そんなのわたしにもわかんないよ、気がついたらここにいたのッ」


 心当たりはあるけど、それも本当かわからないし。

 フィオが大丈夫だと良いんだけど。


「ねえ、イチャイチャしてるとこ悪いんだけれど」

「もー、違うんだってばシーナぁ」

「あの人、目が覚めたみたいよ?」


 えっ!? あの人って、フィオ!?

 シーナの言葉に動きを止めたユウタの腕から、力任せに頭を引き抜く。フィオの方を見ると、確かに腕が動くのが見えた。

 ゆっくりと身を起こそうとしている。


「フィオ!」


 駆け寄って背中を支えようとして、ユウタの声にその手が止まる。

 勢いよく身体を起こしてこちらへと走り出そうとするユウタ。

 その瞳には、敵意がある。


「ユウタ違うの待って!」


 慌ててフィオの前で両手を広げてユウタを止める。


「違うのフィオはわたしのこともみんなのことも、本当は守ってくれてたんだよ!」

「そんな痣を付けられてか!?」

「これはフィオがやったんじゃないわ、逆よ! わたしが助けられたの」


 フィオの方をふり返る。そこには、やっぱり冷たい顔をしたフィオが片膝をついていた。その髪を風が揺らす。


「クソが。全員で死ぬつもりか、バカバカしい」


 吐き捨てるようにそう言ったフィオに、ユウタが眉をつり上げる。その肩に、歩み寄って来たジュンが手をかけた。

 ありがとうジュン!


「えっと、フィオ、で良かったんだよね。俺はジュン・オートリッチ。このパーティのリーダーなんだ。リリアを助けてくれたみたいで、ありがとう」


 ジュン、やっぱり大人だなぁ。すぐに突っかかっちゃう誰かさんとは大違いで。


「俺たちもさ、リリアが心配なんだ。あの痣とか、どうしたんだろうって。大切な仲間だからさ、教えて欲しい」

「はッ、笑わせるな。余計な手間かけさせやがって」


 フィオはそう毒づいて立ち上がろうとしたけれど、立てなかった。小さく動いただけで、身体が持ち上がらなさそう。

 まだ毒が抜けきってないんだよね。


「フィオ、無理しないで!」

「くそっ、痣が広がったか。影の本分はこちら側だ。痣の広がるスピードも早くなる」


 え、そうなんだ……。

 どれくらいのスピードなんだろう。


「なのに足手まといばっかりよくも……自分で時空を越える力もないくせに」

「……私たち、危なかったのね。あの穴みたいなのを越えるのを、あなたが助けてくれたの?」


 フィオは答えない。でも、それが答えのようなものだった。


「フィオ、ありがとう。あなたには迷惑をかけたわ。でも、だから話して欲しいの。これ以上迷惑をかけないで済む方法を知りたいわ」

「そ、そうだよ……あの、あたし謝らなくちゃいけないことがあって。知ってたら、こんなことしなかったし……」


 みんな……。


「お前らが足手まといにならない道はない。リリアの命を縮めているのはお前らだ」

「え、命ってなんだよ!?」

「ユウタ落ち着いてよ、わたしが話すから! フィオは悪くないのよ!」


 とりあえず落ち着かなきゃ。

 そうして、わたしは川に落ちてからのことをみんなに話すことにした。




 ◆ ◇ ◆


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