2 涙の歌唱と決断

 川から足を引き上げるのに何度も失敗した。

 だって、ブーツに入った水が重くて仕方なかったんだ。


 ただでさえ寒くて体が動かなくて、それなのに足は重くて水でジャボジャボしてるし、地面には蟲がいっぱい。

 ブーツの中に、あのミミズみたいなの入ってるかもしれない。そんな事を考えたら、余計に集中力がなくなってしまって。


 今はブーツを抜いで水を出すとか、蟲がいないか見るとか、そういう事してる場合じゃない。

 それがわかってるからって気持ちはどうしようもない。


 それでもなんとかブーツを脱ぐのを我慢して、足を川から引き上げる。


 地面で蠢いている蟲は、わたしを、正確にはわたしがまとう魔法の光を避けている。

 ちゃんと出来てる……!

 ブーツの中に蟲がいたとしても、歌で追い出せている……はず……!

 その事に勇気付けられて、また一歩を踏み出す。


 大丈夫、歌っていれば、き…気持ち悪いけど蟲には取り付かれないはず。

 だから冷静にならなくちゃ。




「……歩いたことを


 わたしと過ごした他愛ない日々は

 きっとあなたを守る盾となる

 愛がその胸にある限り


 あなたの背を見て歩いた

 夕闇に落ちてく……」




 とにかくこの蟲の巣窟から抜け出したい。

 それに、本当に寒くて声も震えてる。

 寒い、だから動かないでいるのは危ない、動いてなきゃ。

 動くと危険も増すけれど、でも、でもこんなところで寒さで動けなくなるなんて絶対に嫌!

 うう、足元の蟲、取り付いて来ないとわかってても全身が粟立つほどの気持ち悪さ。


 周囲を見回すと、川の横は両側ともずっと壁。

 やっぱりここはダンジョンの中だってことね。

 でも、川沿いを歩けそうな幅の地面はあるみたい。


 わたしは上流から流れてきたんだから、そちら側に向かうのがいいのかな。

 川の流れをさかのぼる方向へ足を向ける。

 じゃぼっとブーツが音を立てた。

 冷えすぎてて足先の感覚がない。水だけでも出したいけど、ふらつくから蟲のいないところまで行ってからにしないと……わたしの心がもたないよ…。


 みんな無事かな。

 今どうしてるのかな。

 あれからどれくらい経ったんだろう、時間もわからない。

 あの時の魔物、本当に大きかった。

 あんなのどうやったら倒せるんだろう。

 ジュン、シーナ、ユウタ、シンディー、無事だよね?

 無事だと信じたいけど、それを確かめる方法もないなんて。

 みんなに何かあったらどうしよう。




「……わたしを守る盾となる

 愛がこの胸にある限り


 二人で過ごした他愛なき日々は

 きっと心を癒す糧となる

 なにがあっても味方でいるから

 それだけは真実


 いつか永遠の別れが訪れても」




 歌の歌詞も相まって、また喉が痛むように締め付けられてしまう。

 嫌だ、そんなの嫌だ。

 永遠の別れとか、そういうの、もっと先の話だと思ってた。なのに、みんなが今無事なのかもわからない。

 わたしだって無事にここを出られる可能性は……とっても低い。


 もしこれが永遠の別れだったら……そんなの嫌よ!


 そんな突然の別ればっかり、どうして、どうしてこんなにたくさんあるの!

 神様はどうしてわたしやユウタにばっかり、こんな別れを押し付けて来るの!?

 わたしたち、何か悪いことでもしたって言うの!?


 もしわたしが何か悪いことしたって言うなら、わたしだけが罰を受ければいいはずなのに、あんまりだよ。

 みんな何もしてない、弟だってあんなに幼かった。何か神様の気に触るようなことができる歳じゃなかったのに。

 それなのに、またわたしやユウタに永遠の別れをしろって言うの? 何度そんな気持ちを味わえばいいって言うのよ!

 ひどい……酷いよ。どうしてわたし達がこんな目に合わなくちゃいけないの……。


 知らず涙がほおを伝う。歌わなきゃいけないのに、声が震えた。

 縮こまった喉を、無理やり押し広げるように声を出す。

 辺り一面を這い回る蟲の姿が涙でぼやけた。


 蟲が見えなくていいや。こんな場所で、一人で、蟲や魔物に怯えながら泣いてるなんて、惨めすぎるもの……。


 水がたまったままのブーツを前に出す。指先の感覚がないから、自分の足を動かしてる感じもない。ただ、ブーツを前へ押し出してるだけ。

 これからどこへ行けばいいのか、どうすればいいのかわからない。


 でも歩かなきゃ。

 これが永遠の別れだなんて嫌だから。

 絶対に嫌だから!




  ◆ ◇ ◆




 歌いながらどれくらい歩いただろう。

 蟲の数が徐々に減り始めて、さらに歩いて行くと歌が必要ないほどに少なくなった。

 その頃には、もう目が腫れぼったくて痛いくらいだったけど、おかげで涙は止まってくれた。


 泣いてばかりいたって、この状況は変わらない。

 ひとまず喉を休ませることにして、一息つく。


 ブーツを脱いで、たまった水を捨てたけれど、全身びしょ濡れだからあまり効果はなかった。寒さからの震えは止まらない。

 それでも、少し体が楽になった気がしたのは、シーナの付与してくれた疲労回復リカバリーのおかげなのかもしれない。わたしが川に落ちたのに怪我がなかったのも、保護プロテクションが発動してくれたのかな。


 ありがとうシーナ。守ってくれて。


 それにしても寒い。寒いってだけで、どんどん体力が奪われる気がする。

 シーナの疲労回復リカバリーがなかったら、とっくの昔に体力が尽きていたんじゃないかな。


 とにかく川の上流へ向けて歩かなきゃ。

 …と思ったけど、それはすぐに終わった。

 川沿いを歩ける場所がなくなってしまったのだ。


 かわりに現れたのは、川の真横にぽっかりと空いた巨大な穴。

 ダンジョンの通路だ。


「やだな…」


 でも、ここしか進めそうな場所がない。

 外に出ようと思うなら、遅かれ早かれ、絶対にダンジョンを通らなきゃいけないわけで…。


 この先どんな危険があるかわからないし、無事に出られる確率の方がうんと低い。でも、ここで諦めるくらいなら行った方がいいんじゃないかな。

 ここでとどまって助けを待つっていう道だってあるけれど、助けなんて来るんだろうか。みんなが無事にダンジョンを出たかもわからないのに。

 それに、寒くて、じっとしていたらそれこそ動けなくなる。


 わたし、自分一人でなんとかしなくちゃいけないんだ。


 それなら行こう、危険でも。

 待っても行っても、わたしが助かる確率はそんなに変わらないと思うから。


 明かりをダンジョンの中へ進めてみると、長く続く空間が見えた。光の届く範囲に蟲も害獣モンスターも見えない。

 魔物は接近すればわかるから、本当に注意が必要なのは突然現れる可能性のある害獣モンスターの方。

 本当はダンジョンに害獣モンスターはいないはずだけど、実際に遭遇した以上、他にもいると思った方がいいよね。

 接近すればわかると言っても、魔物だって大型だったら無理だろう。なんとか、逃げれるように注意しておかなくちゃ。


 怖い…この先に進むことで、わたしは命を縮めてるのかもしれない。

 痛いのは嫌だ。孤独も嫌だ。でも、どちらも避けられないかも。

 枯れたはずの涙が、少しだけにじんだ。

 一歩を踏み出す。


「がんばらなくちゃ…」


 リリアを一人でほっとけねえだろ、なにしでかすかわかんねぇし。そんなユウタの声が聞こえるようだ。

 今だって、絶対にユウタはわたしのこと心配してる。無理して探そうとしてるかもしれない。ユウタは、ユウタの身を守らなくちゃいけないのに。


 本当にごめん。

 シンディーだってきっと泣いてるだろうな。


 無事でいるなら、お願いだからダンジョンを出てくれますように。助けを呼びに行ってくれてますように。

 きっとジュンだったら、そう判断すると思う。当事者じゃないから、わたしもそう思える。でももし川に落ちたのがユウタだったら、わたし泣いて探しに行こうとするかもしれない。

 だから、ユウタも無茶するかも。でも、みんなジュンの言う事なら聞くはずだから、みんなをお願いね……! もしユウタが無茶しそうなら、止めてね。


 結局、わたしはユウタを心配させるようなことばっかりしか出来なかったな……。

 だけど諦めずに、頑張るから。

 だからみんな、どうか無事でいて。

 どうか……。





 挿入歌「他愛なき日々」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054892625568


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