STEP2

1 夢と現

 わたしは誰かに手を引かれていた。

 暑い日差しの下、賑やかな街並みを歩いている。繋いだ手が微かに汗ばんでいて、それが心地いい。


 柔らかな手のひらのぬくもり。


 見上げると目に入るのは、オレンジ色。わたしの手を引く誰かの着ているワンピースの色だ。そして、その瞳の。

 ゆるやかにウェーブしたプラチナブロンドは、肩の上で風を受けて揺れている。

 その下の白くて細い腕は、触るととても心地良さそうに見えた。


 誰だろう?

 おかあさん?


「ねえファルニア。もうすぐ夏だね〜またひとつ大きくなるのかぁ…」


 鈴のような声。

 彼女の微かに笑う声が降ってくる。


「たんじょうび、ひまわりのお祭りいくよね?」


 何聞いてるんだろう、わたし。

 でも、ひまわりのお祭りなんて楽しそう。


「行くわよ〜ファルニア毎年楽しみにしてるもんね」


 見上げた先の彼女の、ふんわりとした笑顔が見える。

 あどけなくて、でも大人なたたずまい。

 真っ白な肌の中、頰だけが上気している。


「そしたら、そのあと旅行に行こうね。ちょっと遠いけど、良いところよ」

「うん、いく!」


 彼女と旅行だなんて、すごく素敵な事に思えた。

 きっと楽しいんだろうな!


「ねえねえ、どんなとこ行くの?」

「すっごく綺麗なところ。ずーっと山の奥でね、街では見られないものがいっぱいあるわよ」

「お山なんだぁ、わたしはじめて〜」

「だよね! 綺麗なお花もいっぱい咲くのよ!」


 そう言って笑いかけてくれた笑顔。

 その彼女の柔らかなほほ笑みだけで、胸の中にじんわりとした幸せが広がる。


 ああ、わたしこの人とずっとずっと一緒にいたい。ずっと。

 にぎった手から伝わるぬくもり。鈴のような綺麗な声。


 えっと…あれ? えっと、彼女だれだっけ?

 おかあさん?


 彼女を見上げる。ふいに、その姿がぼやけた。

 おかあさん、そう呼ぼうとして声が出せない事に気がつく。

 にぎっているはずの手の感覚もない。

 いや、離れたくない!

 ねえおかあさん嫌、どこにも行かないで!

 おかあさん!








 お母さんと呼ぼうとしたけど、声が出なかった。

 気持ちの悪い目眩がして、何かに引っ張られるように意識がはっきりしていく。

 寒い…。

 そして、ぞろりと何かが頰を這うおぞましい感触。


「!!」


 考える余裕はなかった。蟲! と思うより早く上半身を跳ね上げようとして、失敗する。

 じゃぶん! と耳元で弾ける水音。


 蟲を払おうとするけど、身体が思うように動かない。寒い。それに真っ暗だ。

 身体が冷え切っている。

 起き上がろうとするのに身体が上がらない。

 感覚がなくてよくわからないけれど、水? ごく浅いけれど水に浸かっている。


 そうだ、わたしあの時川に落ちて……。

 水は緩やかだけど流れている感覚がするから、わたしは川の浅瀬に流れ着いていたのかもしれない。下流の方は流れが緩やかになっているんだろう。


 腕になんとか力を込め、身体を必死に引き起こす。

 身体から水が滴り落ちた。

 また何かが手の甲を這う感覚がして、悲鳴を上げて手を振る。


 とたんに、ざわりと何かが周りで動いたような気配がした。


 蟲だ、蟲がいっぱいいるんだ、さっきの巣窟みたいに!

 どうしよう立たなくちゃ。歌って、明かりを……でも怖い。一面に蟲が見える気がする。嫌だ、でもこのままじゃどっちみち蟲から逃げられない。


 立たなくちゃ。

 お願い動いて!


 水の中に四つん這いになって、片足ずつゆっくりと足を曲げる。その時、首筋に何かが落ちてきて這った。

 蟲!

 払おうと手を上げ、バランスを崩して水の中に倒れ込む。

 冷え切った身体が、それでもまだ冷たいと叫んだ。驚いて息を吸い、水を飲んで激しくむせ返る。


 なんなの……何してるのわたし……。


 真っ暗で、寒くて、蟲がいっぱいいて、そして一人きり。

 どうしてこんなことになっちゃうの。


 すごく惨めだ。


 胸が締め付けられるように苦しくなって、のどの奥がツンと痛くなる。

 ゆっくり身体を起こしながら、口を噛みしめたけど、嗚咽が止められない。


 今泣いてる場合じゃないのに。歌わなくちゃ、いけないのに。


 もう一度、四つん這いになる。

 動け、動くのよ。


 顔を蟲が這ったけれど、悲鳴を必死で飲み込んだ。

 払えない、今手を上げたらまた水の中に戻っちゃう。

 足も手も、身体も全部が震えてる。これじゃ、産まれたばかりの獣と一緒だ。


 ユウタが止めてくれたのに、わたしが不用意に近づくからこんなことになるんだ。そんなことわかってる。悪いのはわたし。

 でも、だからって、怖いとか嫌とか惨めとかそういう感情がなくなるはずもない。


 川に落ちて、下流へと流された。下流はダンジョンのずっと奥の方。つまり、大型の魔物が出る辺り。

 さっき襲われたやつでも、ほんとに大きかった。そんなのにわたし一人で敵うはずない。そんなこと、さすがにわたしでもわかってる。


 だから怖くてたまらない。身体が震えるのは、寒さだけじゃない。


 のどが痙攣するようにひりつく。

 涙があふれて止まらない。怖い、怖いよ。


 ジュン、大丈夫だったかな。

 みんな逃げられたのかな。

 あの後どうなったのかな。


 わたしのことばっかり心配してるユウタは、無茶しなかっただろうか。

 そして今、わたしはどこにいるの?


 何もかもがわからない。


 足の裏を出来る限り水底へ付けてゆっくりと立ち上がる。

 冷えて身体が動かないけど、今のところ痛みはない。


 だけど、とにかく恐怖の感情がわき出してきて胸が潰れそうだ。

 みんなに何かあったらどうしよう。

 こんな時に大型の魔物に出会ってしまったらどうしよう。

 そんな悪いことしか浮かばない。


 でも、今泣いてる場合じゃないのもわかる。わかっている。


 涙をぬぐいながら、足を動かす。大丈夫、動いてる。

 目を閉じた。今は周りを見ちゃダメだ。見たら歌えなくなるかもしれない。

 歌で蟲を払えるまでは目を開けちゃダメ。

 ゆっくりと震える喉に息を吸う。




「あなたの声が すべてをつつむ

 優しい歌

 「叶えるから」そっとささやいて…


 いつまでも君と 暮らしていきたい

 すべての…」




 何を歌おうなんて考えなかった。自然とあふれ出るままに口を動かす。

 これはユウタとのデュエット曲だ。1人で歌ったってしょうがないのに……ううん、1人だからこそ。


 ねえ、ユウタ。わたしまだ生きてる。だから、だから頑張ってみる。


 きっとみんな無事だよね。

 逃げられたんだよね。

 そう信じて、わたしも出来るところまで頑張らなきゃ。

 誰もいない、たった1人でも、またみんなに会いたいから!

 わたしまだやりたいことがある。


 まぶたの裏に光が点る。明かりの魔法が発動したみたいだ。

 でももうちょっと。蟲をわたしから遠ざけて。




「…きっと 見つめてごらん

 愛はいつも 心の奥にあるから

 夢を持って

 いつかの想い かなでながら

 君と二人で歌おう


 愛の歌をかなでていたいから…」




 そっと目を開く。

 淡いオレンジ色の光が周囲を照らしていた。そして、わたしの身体も、シリアーの魔法の力の中にある。


 俯いた目がはじめに見たのは水につかった足元。

 その水の中に、無数のミミズのような蟲が見えて悲鳴を上げかけてしまう。


 気持ち悪い…足がすくむ。


 でも、魔法は発動している。

 前と同じように、蟲を寄せつけないでいてくれますように!

 ユウタと一緒じゃなくても、一人でも使えますように!


 足元からゆっくりと目線を上げる。

 川岸が見え、そして川にそって歩けそうな地面。

 そこに無数に蠢く蟲の大群!


 思わず身をひるがえしそうになってよろける。

 だめ、今はちゃんと動けない。

 冷静に、冷静にならなくちゃ。

 シーナみたいにはなれないかもしれないけれど、出来るだけ歌に集中して。




「……耳をすませてほしい


 風に乗るのは 優しい想いと

 美しいしらべをかなでる君の声


 いつか叶う、明日は

 すぐ目の前」




 ゆっくりと足を川岸へと動かす。

 水の中の気持ち悪いミミズは、わたしの足を避けて蠢いている。


 わたしを包む魔法の光。


 寒い、それに怖くてたまらない。

 だけどこのままここで歌い続けているわけにはいかないから。

 行かなくちゃ。




「届けたいの

 どうか世界中の人に…」




 川から上がって一歩を踏み出す。

 ねえユウタ、一緒に歌っているんだよね。

 離れていても、これは二人の歌だから。




「歌っていたいから…」







 挿入歌「LOVE SONG」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054892578570

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る