8 不穏な気配

 川がごうごうと勢い良く流れている。


 ギルドで確認したマップで、途中で川に行き着くのはわかっていた。

 でもなんていうか……想像よりだいぶ水流が激しいかなぁ。もっとこう、ゆるやかな流れの川だと思ってたんだけど。


 その川には一応石橋がかかってはいるのだけど、柵もないし2人並んで歩くのがやっとという幅しかなくて……なんか怖い。

 流れの先には光が届かず見えないけど、マップ上では結構続いてるような感じで描かれてたな。


 今わたしたちがいる辺りが、川の上流なんだよね。石橋を渡ってずっとずっと進むと、川の下流の方に繋がってるみたいだけど、そちらは今回の鉱石採取依頼には関係ないルートだ。

 鉱石採集ポイントは、もうすぐそこ。奥までは進まない。奥では、大型の魔物が出るって言ってたし。

 ダメダメ、大型の魔物なんかに敵うわけないもん。


「ひゃ〜凄いね! ダンジョンの中に川なんて新鮮〜」


 どこか楽しそうなシンディーが、早く行ってよとユウタの背中を押す。


「落ちるなよ」

「落ちないわよー、失礼しちゃう」


 むうっと頬を膨らませたシンディーが、わたしの横に来て腕を取った。


「いいわよリリアと行くからー」

「それが心配なんだよ」

「ちょっとどういう意味なのよっ」


 ほんとユウタったら!

 自分の胸に聞いたらわかるだろとかなんとか言いながら、ユウタは先に歩き出す。

 そ、それは……! 否定出来ないけどっ!


「わたしたちは心配ないみたいだから、先に行くわよ」


 にっこりほほ笑んだシーナがそれに続き、ほら行くよとジュンに促されてわたしとシンディーも橋へと足を伸ばす。

 うーん、やっぱりちょっと怖いや。


「なんか、やだよね下が地面じゃないのって」

「あー、それはわかるなぁ。大丈夫ってわかってても、やっぱ安心感が違う気がするよね」


 ジュンが同意してくれて、そうだよね〜と頷き合う。やっぱりジュンって乙女心わかってるなぁ。

 あと、ハンサムだし。

 誰かさんは、すっごく優しくていい奴だけど、なんていうか、口うるさい保護者みたいだもんねぇ。


 口うるさくても、保護者がいるってのは幸せなことなんだけど……。


 その誰かさんの方を見ると、ちらちら後ろを振り返りながらこっちを気にかけてくれていて。

 やっぱりユウタは優しいな。子ども扱いばっかりするけど、それはわたしが本当に子どもだからだし。

 あぁ、否定できないのが悲しい……もっとしっかりしなくちゃ。ずっとユウタに心配ばっかりかけるわけにはいかないもんね。


 石橋を危なげなく渡り終えると、また暗い空間が目の前に広がる。

 今までもそうだったけれど、ここからはこれまでよりもさらに下へ向かうようにダンジョンが伸びているみたいだ。


「もうちょっとだね~」


 シンディーがちょこちょことマッピングをしながら、そう教えてくれる。

 明かりはあっても基本は暗いから時間感覚がわからなくなってたけど、ダンジョンに入ってからだいたい2時間経ったかなというところなんだって。

 鉱石採取をしても、夕暮れ頃には出られそうな気がする。出ても街まではまたしばらく歩くけど、街道に出れば早いしね。


 あとは、蟲が出なければ……。


 歩を進めるごとに遠ざかる水音は、ダンジョンで反響してまるで嵐の夜みたいに響いてくる。

 酷い嵐、なんの音かわからないほど激しい豪雨。地鳴り。


 父さんと兄さんは家畜を見に出ると言い、母さんは歌いながら待ってて。わたしは、まだ幼い弟を抱いてそれを聴いてた。

 母さんは何を歌ってたんだろう、それだけがどうしても思い出せない。

 酷い嵐の音と、血の底を這う地鳴りだけが記憶の全て。

 ユウタはあの時、なにをしてたんだろう。


 記憶の中からわき上がった暗いものに、思わずぎゅっとシンディーの手を握る。彼女は少し驚いたようだったけど、手を握り返してくれた。


「ねえ、ユウタ」

「ん?」


 振り返ったユウタは、わたしが何を考えているのかやっぱりお見通しで。

 あれは嵐じゃないからなと一言だけ言った。


「リリア? どうしたの?」

「うん……」


 シリアー族の里をユウタと出て、冒険者登録をして、みんなと出会って。

 思い出すことも、話すことも同情されるのも辛くて、だから1年経った今もみんなにはまだ言えてない。

 だけど、なかったことになんて出来ないから。


「わたし、嵐が怖くて」

「うん」

「すごく酷い嵐だったの。風で家が壊れたとこも何件もあって、それなのに滝のような雨でね」


 次第に遠ざかっていく、嵐のような川の音。

 そうだ、あれは嵐でも豪雨でもないんだから。


「それで……」


 あの時のことを話そうとしたその時、全身を独特の気持ちの悪さが走った。

 腕が粟立つ。


「くそっ、なんでだよ!」

「ジュン、魔物よ」


 わたしと同じものを感じただろうユウタとシーナが同時にそう言い、ジュンが長剣ロングソードを抜いてすっと前へ出た。

 ユウタと並んで前方を見つめる。

 仄暗い闇から姿を見せたのは、やっぱり魔物だ。

 この辺には出ないって話だったのにっ!


「ひぃッ、気持ち悪いッ」


 反射的に叫んだシンディーに、わたしも一歩後ずさる。

 魔物は這い回る緑色の何かだった。ぶよぶよとしたたくさんの突起物を揺らめかせながら、地を這うようにしてこちらへと向かってくる。その突起物には、ぎょろぎょろとした眼球が無数に付いていて……。


 見ているだけで気分が悪くなる。それが3体。

 さほど大きくはないけれど、わたしの腕1本分くらいの直径はありそう。


 それに、魔物特有のこの感覚は、何度体験しても慣れない。

 なんとも形容しがたいのだけど、自分の中の正しい流れをかき回されるような感じ。とにかく違和感というか、気持ちが悪いというか。


「リリアは下がって魔法の練習でもしてなさい」


 魔物を見ても動じず、シーナも前へと出て行く。

 シーナはあくまで補助がメインなのに、こうしてわたしやシンディーの苦手なことをカバーしてくれようとする。どうしてそんなに強いんだろう。

 ありがとうシーナ、わたし、やってみるよ!


「シンディー、シーナを守ってあげて」


 シンディーだって気持ち悪い魔物が苦手だ。わたしもそうだから、彼女の気持ちは痛いほどわかる。でも、シンディーはなにか目的があったほうが冷静になれる。それは1年一緒に過ごしてきて分かったこと。

 大丈夫、彼女は一番腕がいい。パニックさえ起こさなければ、多少腰が引けていてもミスすることなんて今までだってなかったんだから。


「う、うん……わかった!」


 頷いたシンディーは、片手剣ショートソードを抜いてシーナの横に付いた。

 シーナから発光が出て、魔法を使ったのがわかった。その光は、ジュンの長剣ロングソードと、ユウタが両手に構えた短剣ダガーへと吸い込まれる。

 武器になにかの効果を付与したんだろう。

 よ、よし、わたしも歌おう。

 とにかく、ちょっとでもいいからなにか魔法が出れば!




「あなたの手を取り歩いた

 日々が遠く近く聴こえている


 明日がくることが怖くて

 歩けない時には思い出して

 黄金色の空を見上げて

 手をつないで歩いたことを


 わたしと過ごした……」




 わたしの声に押されるようにして、ユウタが切りかかって行くのが見えた。ぶよぶよの突起を一つ切り落とす。

 途端に、切り落とされた突起に付いた目が破裂して、緑色の液体を周囲に飛び散らせる。

 その液体が、咄嗟に顔をかばったユウタの腕へかかるのが見えた。


「うわっ、熱ッくそっ」

「ユウタ!」

「いいから! 歌うのやめるな、平気だ!」


 思わず叫んだわたしにユウタはそう返してくる。確かにアームカバーをしてるから、大半は直接触れてはない。だけど、手の甲にかかったとこ、ただれてるじゃないのよ!

 ば、バカ! なにが平気なのよ!


「これは厄介だね、ダメージを与えようとすると巻き添え食いそうだ」


 ジュンの苦々しい声。

 シンディーがポーチから何かを取り出し、ユウタの傷に押し当てる。多分、傷の薬だ。

 ユウタは痛そうに顔をしかめているけど、シンディーは有無を言わさずに布を割いて作った固定用の包帯を出して、ぐるぐるとそれを巻きつけた。

 その間にもじりじりと詰め寄ってくる魔物に、わたしたちは後ずさる。


 ど、どうしたらいいの……?


「リリア、こういう時は魔法が役に立つ場面よ」


 少し振り返ったシーナが、いつもの優しい顔でほほ笑む。

 そしてまた前に向き直った彼女は、魔法の詠唱を始めた。

 同時に右腕を上げ、左の手のひらを前へと突き出す。


「我が回路を通じその力を顕現、凍てついた刃と鉄壁の守りを命ずる……刃刺防壁陣!」


 シーナの両手に光が宿った刹那、それは発動した。

 シーナの左手から生まれた光の刃が一番前の魔物を切り裂く。同時に飛び散った魔物の破片は、見えない壁に阻まれて、わたしたちに届く前に全て地面へと落ちた。


 すごい……え、シーナってこんな魔法使えたっけ?

 攻撃と防御が同時に発動した!

 というか、やっぱり歌と比べると発動が早いよね、ほんとにシリアーの歌は戦いには向いてないんだ。


「シーナ、すごいよ! そんな魔法使えたのね!」

「理論上は出来ると思っていたの。上手くいって良かったわ」


 えええ、ってことは実際に発動させるのは初めてか、もしくは習得したてってことだよね!?

 い、いつの間に……。

 わたしなんてほんと、魔法練習するより剣の方がいいのかも……。


「蟲や魔物相手だと役に立たないんだから、魔法で役に立つようになれるのが一番いいと思うわよ、リリア」


 うっ……直球……。

 そりゃあ、そうだ。ピーピー悲鳴上げて逃げ回る足でまといなだけじゃ駄目だよね。


「あと2体いるわ。任せたわよ」


 あっさりとそう言って、シーナはいつものクールで優しい顔で踵を返し、さっさとわたしの後方へと退いてしまう。

 そのシーナと一緒に、がんばれ! と言いながらシンディーも退いた。シーナを守ってって言ったのはわたしだけど、だけど、シンディーまで~!


「じゃあ頼むよリリア。観念してがんばって。あ、ユウタは使っていいから」


 なにがおかしいのか、わたしの横に付いたジュンは笑いながらそう促してくる。

 ち、ちっとも何もおかしくないわよ! もう!

 でもわかった、わたしも役に立てるようにならなきゃ。

 うう、それにしても気持ち悪い。あのぎょろぎょろした目とか、ぶよぶよとか……うう。


 わたしのやや前方についたユウタを見上げると、その手が伸びて一度わたしの頭をなでる。いつもの優しい手だ。

 わかった、がんばってみる。

 わたしが口を開くタイミングぴったりに合わさる、ユウタの声。

 一緒に歌ってくれるんだ……さっきみたいに一緒に魔法使えるかもしれない。




「あなたの手を取り歩いた

 日々が遠く近く聴こえている

 

 明日がくることが怖くて

 歩けない時には思い出して

 黄金色の……」




 キラキラとあふれ出すシリアーの魔法の力。

 いつもの淡いオレンジ色から緑、黄色とグラデーションのように揺れている。


「リリア。わたしの見立てだと、歌を詠唱の代わりとするのは、シリアーの力じゃないわ。シリアーの力は、どんな歌でも同じ効果を発動させることができることよ」


 背中からシーナの声が聞こえる。

 なんだか難しいこと言ってるけど……たしかに、どんな歌を歌っても明かりの魔法は使えるし、そのほかの魔法だってそうだ。

 シーナは、使う魔法ごとに詠唱の文言を変えている。そうしないと発動させられないと説明してくれたことがある。


「いい? あなたたちシリアーは、自分の意思で発動する魔法を変えられるの。詠唱の文言は関係ないわ。あなたの意思で、思った通りの魔法を発動させればいいのよ」


 わたしの意思で……?

 そんなの考えたこともなかった。だって、生まれた時からこうだったから。

 ユウタを見上げると、ゆっくり頷いてくれる。

 よ、よし! やってみよう!

 ユウタ、一緒に歌っていてね。




「透明な翼をたずさえて

 飛び立とうともがく雛鳥のように

 危うい優しさが時には

 傷を付けることもあるけれど


 あなたと過ごした他愛ない日々は

 きっとわたしを守る盾となる

 愛が…」




 じりじりとにじり寄る魔物。本当に気持ち悪くて、グロテスクで直視できないけど。

 でもあいつに、そうださっきのシーナが使った魔法みたいなのを当てられれば。防御と攻撃を同時に発動させられれば!


 一歩前へ出て、ユウタと並んで立つ。ユウタと瞳を合わせると、わたしと同じ考えなのがわかった。ユウタも、さっきのシーナの魔法を再現してみようって言ってる気がする。

 うん、大丈夫、ユウタの考えてること、わたしだってわかるんだから。

 二人の声がひとつに混じり合う。

 わたしとユウタもひとつ。

 ただ、歌の世界が広がる。




「……心を癒す糧となる

 なにがあっても味方でいるから

 それだけは真実

 

 いつか永遠の別れが訪れても


 愛がその胸にある限り

 愛がこの胸にある限り

 その愛を胸に命の限り。」




 そうして1曲を歌い終わる直前、わたしは、ううん、わたしとユウタは「それ」を見た!







 挿入歌「他愛なき日々」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054892625568

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