▲3三 先輩

 原因不明の喧嘩をしている上級生を仲直りをさせるために何をすべきか。


 現代の戦争は情報戦なの、と黒木さんは言った。この命題に対して用いる言葉としては不適切な気もするが、一応言いたいことは分かる。そう、まずは原因を調査して情報を集めなければならない。


「初手合でも事前に角換わりの使い手と知っているなら3手目に▲6六歩と突く。憎ったらしい居飛車穴熊を使うなら、なるべく早めに火種を起こして力戦に持ち込む。それだけで勝率は格段に上がるの。事前準備はとっても大切」


 喋りながら前を歩く黒木さんを、僕とハンナさんが追う。本人は無自覚だろうけど、結構意気込んでいるようだ、


「つまり、まずは周囲に聞き込みしようと言いたいんだね」

「そう言っているつもりだけど」

「うん、まぁね。僕は分かるよ。ニュアンスは伝わるかな」


 ハンナさんの方を向くと静かに首を振った。それはそうだろう。


 僕たちは旧校舎の休憩スペースを抜け出し、将棋部を目指していた。将棋部の部室はL字型の新校舎のうち旧校舎の対面にあたる二年生の教室がある棟、通称二年棟の二階にある。第2週と第4週なら部内公式戦があるから出席率は高いのだが、生憎ゴールデンウィーク明けは第1週扱いだ。金曜日といえども人がいる保証はない。誰かいてくれればいいのだが。


「普通に考えればさ、二年の先輩たちは三人ともこの事を知っているはずだよ。ずっと一緒に将棋部として活動して、春休み以降一人が急に来なくなったんだ。上級生二人の仲に亀裂が走ったことを悟らないわけがない」


 部活案内の写真を思い出す。並んで映っていた上級生たちの姿は、彼らの過ごした月日の密度を雄弁に物語っていた。何かあったと分かればその理由を問うだろうし、解決しようと動いたはずだ。


「でも入部してから、部長以外に三年生がいるなんて話、聞かされてない。歓迎会の時からいなかったし」

「僕だってそうさ。多分、意図的に隠していたんだ。先輩たちから理由を聞けば、何か掴めると思う」


 一年の昇降口から二階にあがる。廊下で何人かの生徒とすれ違う際、みんな僕たちを不思議そうに眺めていく。きっと関連性のなさそうな三人組に見えるのだろう。


 一年棟と二年棟の境目に図書館があり、その巨大な空間に沿うようにして廊下が直角に曲がっている。外側のラインに連なる小部屋の数々は、かつて文書資料室やコピー室として使用されていたらしい。記憶媒体や電子機器の小型化、少子化に廃品整理など様々な理由によって空いた小部屋のうち、二年棟の側にある一室こそが、我ら将棋部の部室である。


「あ、いるね」


 扉の前に立つと、中から宝さんの声が聞こえた。いくら宝さんと言えども一人で喋ってはいないだろうから、最低でももう一人いる。


「お疲れ様でーす」

「おう矢吹、黒木も。揃ってくるなんて珍しいな」

「こんにちは、クマ先輩」


 黒木さんが軽く頭を下げる。熊田直道、通称クマ先輩は右手でじゃらじゃらと手駒を弄んでいた。後ろにいる宝先輩が歯がゆそうにしているのをみるに、どうやら決着がついたタイミングのようだ。


 部室にいたのは熊田さんと宝さんの二人だけだった。恐山さんはいつものようにサボりらしい。保健室か図書室か視聴覚室で寝ているのだろう。以前は天文部から合鍵を貰っていた屋上も以前は候補に入っていたが、気持ち良く寝ていたら一転にわかに掻き曇り雨に降られて酷い目に遭ったらしく選択肢から外されている。


「後ろの子は、ひょっとしてバルさんの妹か?」

「二条バルトシュのことでしたら、私の兄です」


 僕と黒木さんの後ろで、ハンナさんが言った。僕らが横にずれ、彼女の前を空ける。熊田さんがあっさりと隠されていた三年生の存在に言及したのは意外だった。


「初めまして。二条ハンナです」

「かわいー!」奥の座席にいた宝さんが黄色い声をあげる。「二人とも、早速勧誘に乗り出したってわけね。偉いぞぅ」

「宝さんがやれって言ったんでしょうに」

「その件で先輩たちに訊きたいことがあるんですけど」


 黒木さんが切り込む。


「ああ、大体予想はできてるよ。今日お前たちが来てその話になるかどうか、宝と賭けてたぐらいだからな」

「やっぱり何か知っているんですね」

「ま、座れよ。入り口で固まってても仕方ないだろ」


 促されるまま部室の奥に入った。隅に積まれた机と椅子を並べて三人とも座る。かつて将棋部が盛況だった名残で机と椅子は豊富にあるのだ。部室は教室の三分の一程度の大きさしかないが、普段が空いているだけに人口密度の高まりを感じた。


 楕円形の車座になり、なぜか視線が僕に集まった。仕方なく、咳払いして話を始めることにする。


「昨日、宝さんから部員獲得の命を受けて、今日、僕と黒木さんの二人でこちらの二条ハンナさんを勧誘に行きました。考えてみれば、その時点で何かおかしかった。面識もないのに、ハンナさんが部活に入っていないと知っていた。あの時は誤魔化されたけど、ハンナさんのお兄さんが三年の将棋部員だからだったんですね」

「うーん、半分正解かな。ハンナちゃんのことは、バルさんから聞いてた。もしかしたら将棋部に入るかも、ってね。けど、実際に入学したら気が変わるなんて良くあるからね、先週までは気にしてなかったよ」


 宝さんが優しく微笑み、ハンナさんの方を見る。


「私の友達に女子テニス部の部長やってる子がいるんだけどね、月曜にその子と喋ってて、まだどこにも所属していない外国人選手を誘うんだって息巻いてたの。どんな子か聞いたら、すぐにハンナちゃんだって分かった。結局、将棋部にも他の部にも入っていないのを知って、それで、もしかしたら、と思って声をかけてみるよう一年生ズに頼んだわけ」

「バルトシュ先輩の存在を伏せていたのは何故ですか」


 黒木さんが訊いた。言外に非難が含まれているのは明らかで、熊田先輩が渋い顔をして頭を掻いた。


「別に隠してたわけじゃない。存在も何も、去年ずっと一緒にいた先輩だからな。そりゃ知ってるよ。ナガシマジャンボ海水プール将棋合宿のときも、長野スキー将棋合宿のときも隣にいた」

「そうそう。栗拾い将棋合宿も、流星群を見ながら将棋を指す会の時も、文化祭で瑞宝高校将棋四天王と死闘を繰り広げた時もね」

「あれはヤバかったよな」

「私の宝システムが決まらなかったら全滅もありえたわ」


 宝さんがうんうんと大袈裟に頷いてみせた。最後の話は嘘だと思う。ちなみに、宝システムというのは宝さんが指すノーマル四間飛車の別名だ。


「お前たちに教えなかったのは、入ってひと月も経たない一年生が、上級生の喧嘩なんて知る必要がないからだ。というか俺は、そのうち仲直りするもんだと思ってた。小競り合いならしょっちゅうだったしな」

「私も。多分、恐山も同じだったと思う。でも段々長引いて、私たちが想像していたよりも深刻だって分かってきて、言いそびれちゃった」


 ごめんね、と宝さんが手を合わせる。熊田さんは腕を組み息を吐いた。


「喧嘩の原因は何なんですか? 春休み前に、何があったんです?」

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